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5話 異世界

 目を開けた先には、ゲイバーがあった。


 


 俺は吉田(よしだ)太洋(たいよう)

 いま憂さ晴らしにスロットを打っていた。平日夜の二十二時。普段なら家で晩飯を食べ終え、ゆっくりとしている時間帯だ。だというのに場末のパチンコ屋で金を溶かしている。

 理由は単純、ストレスが溜まっていたからだ。月末特有の残業祭り。そしてなにより、部下兼元カノの行動だ。俺と一緒に定時後も仕事をしていたのだが、途中で物凄く悪い笑みを浮かべながら「緊急の用事ができたので帰ります☆彡」といって俺に仕事を押し付けて帰ったのだ。それなりに優秀だから振っていた仕事も手間がかかるものだった。おかげでこんな時間まで残業をすることに。普通の部下なら叱るところなのだが、あいつは元カノ故に俺の弱みを知っていた。くそぅなんで男のハメ顔なんか撮ってるんだよぉ。そんなこんなで妙齢の女性上司から冷たい視線を受けながら仕事を終え、今に至る。小さい頃は可愛かったのになぁ。

 

 ちっ、また外しやがった……設定がいくつか知らないが相当に運が悪い。五スロでちびちびやろうとおもっていたのに、簡単に10Kが消えた。


 席を立ち、外へと出る。

 近くにあるラーメン屋に入り一番安い醤油ラーメンとおでんを食べる。本当なら家で肉じゃがを食べている予定だったのにな。コショウをたっぷり入れたラーメンを食べ切り、金沢駅の構内にあるコンビニでワンカップの加賀鳶を買って飲む。残業後の楽しみだった。薄辛い味が好みに合う。それを飲み終えたあとバスに乗る。車内が意外と混んでいたため立つことにした。振動が俺の酔いを深くする。安く酔いたいならお勧めの方法だ。ただ、深酒した時は辞めておいた方がいい。吐くからな。


 三十分程揺れたところで、バスを降りる。

 ここから川沿いを歩けば十分で家に帰れるが、あの怪人事件以来あの道は避けていた。まさか二回目はないと思うが、いつも通り迂回路を通ることにした。にしても寒い……すっかり酔いが醒めちまった。バス停近くにできた新しいコンビニで酒を補充することにした。


 あぁ店内は暖かい。

 店員のか細い出迎えの声を聞きながら酒の品揃えを確認する。初めて入った店だがイマイチだな。大関にしとくか。それを手に取ろうとしたとこで、強烈な尿意を感じた。寒暖さにやられたか。俺は店員に「トイレ借りまーす」と告げ、男子トイレに入ったところで、意識を失った。






 目を開けた先には、ゲイバーがあった。

 どうしてそういう店だと分かったのかといえば、看板を見たからだ。『男の楽園』と書かれたスタンド看板の中に、女装した男が何人も眩しいような怪しいような笑顔を浮かべていた。ゲイバーでなくともそれ系の店だということは一発でわかる。というかここどこだ……。俺は立ち上がり周囲を見回す。漫画喫茶や目の前の店と同系統のお店がいくつか立ち並んでいる。もう少しで日を跨ぐというのに、かなりの賑わいがあった。だが静かな騒ぎといった感じで(やかま)しさはあまりない。なんとなく場所の予測がついたところで、決定的な証拠を見つける。ポール看板にこう書かれていた。


 ――新宿二丁目


 これまた随分遠い場所に来ちまった。

 さっきから空気が暖かいと思ってたが東京ならそりゃそうなるか。


 迂闊だったなと思いながら歩行者用の柵に体を預ける。

 自分は子供の頃から別の場所に飛んでしまうことがある。今回みたいな地続きのような東京だったり、一昔前の金沢だったり、それこそ魔法っぽい何かが飛び交う場所にも行ったことがある。発動条件は単純だ。トイレに入るだけ。ただトイレによっては行けなかったりもする。むしろそれが殆どだ。今回は珍しく当たりを引いちまったらしい。酔いで初めての店だったことを忘れていた。


 どうするかなと悩む。

 だけど俺は焦っちゃいない。なぜならこれは夢だからだ。記憶にも残るし経験としても残るが、再び意識を失い、目を覚ました時には家で寝ている。どういう理屈かはわからないがこれだけは必ず同じだった。だから焦らないし、これは夢の一種だと思い込むことにしている。


 金があれば漫喫なんだけどな。

 仕方ない、クレジットカードを使うかと考えていたら、男の楽園から一人の女……男が階段を降りてくる。そしてなぜか俺に親しそうな笑顔を浮かべ、手を振ってくる。


「ナッチさん待ってたわよ~!」

「はっ」


 ナッチさんって誰だよ。

 なんて思っていたら、自分に抱きついてくる。体が硬直したのをしっかりと自覚できた。そしてそいつはおまけにジャケットの袖を捲って「誕生日おめでとう!」と言ってくる。時刻は二十四時を回っていた。俺は自身が死後硬直したかのような気分を味わいながら、必死に一声上げる。


「いや、俺は吉田で」

「なに照れてるの! ささっケーキの準備も出来てるから行きましょ」

「ちょちょっ本当に違うんだって! 抱きつく仲なら気づけ――――」


 問答無用でズルズルと引きずられ店内へと連れ込まれる。気を失うことはできなかった。




「変なオジサンに助けられるわ、親友にヨダレまみれの麻婆豆腐ぶっかけられるわ、挙句の果てには家の近くに怪人いるし……もう近頃さんざんだよ」


 何杯目かわからない酒をグイっと飲み干し、愚痴を吐き続ける。


「今日は面倒な後輩に仕事を押し付けられて頑張ったのに、スロットも当たらないし。俺なんか生きててもしょうがないんだぁぁ」

「大丈夫! ナッチさん頑張ってるもの! きっといいことあるわ。……ほら、あっちゃん」

「はーい」


 俺は右隣に座るイチコちゃんに連れられ、二階にある店へと入った。

 幸い怪しい店じゃなく店員が女装しているだけの落ち着いたバーだった。客も男性客が多いものの女性客もちらほらいた。それを見て安心したせいか、出されるままに酒を飲んで今はもうベロベロ。吐けるだけ愚痴を吐いて落ち込んでいた。うーもう疲れた寝よと机に横になったところで、店内が暗くなる。そして聞き馴染みのある懐かしい曲が流れてきた。静かに飲んでいたであろう人達が立ち上がり、手拍子を打ち始める。


「ハッピーバースデーナッチ♪ ハッピーバースデーナッチ♪」

「「「「「「「ハッピーバースデー♪ ディア、ナッチさん」」」」」」」


 暗い店内に浮かぶ小さなケーキ。

 ロウソクが一本だけ立てられたそれを目の前にして俺は思わず泣いた。


「「「「「「「ハッピーバースデートゥーユー」」」」」」」

「おめでとう!」

「ありがどうぅぉおおおお」


 感涙のあまり思わずイチコちゃんに抱き着く。

 イチコちゃんはそれを受け止め頬にキスをする。そして少しの間だけ頭を撫でてくれると「ロウソクを消さなくっちゃ」と言う。鼻水をズルズルと出しながら息を吐く。炎は消え、拍手がされたのち、店内は元の明るさに戻った。夢から覚めたような気持ちだった。


 ほうけていると、来店を知らせる鈴がなる。


「あのぉ、すみません。予約している田中なんですが……」

 

 


「もう吉田さんも言ってくれればよかったのに!」


 笑いながら肩をパシンと叩く。

 店へ入る前に伝えたと弁明したら「たしかに」と言った。


「ごめんなさいねぇ。こんな店に連れ込んじゃって、挙句に祝っちゃうし。許してくれる?」

「もちろん、もちろん。イチコちゃんを怒るなんてとんでもない!」

「やっさしいー! じゃあ今日飲んだ分は奢っちゃう。ナッチさんよろしくね!」


「えぇ僕が奢るのかい。遅れたのは悪かったけど」


 冗談冗談お店が持つわよと今度は田中さん――ナッチさんの肩を叩く。

 ナッチさんが来たあと改めて誕生日を祝い直した。気まずさなんてない。俺もお店の人と混じり良い気持ちで彼の誕生日を祝った。幸いケーキも口を付けていなかったから、ロウソクだけ変えて無事に小さな店の小さなイベントは幕を閉じた。今はゆっくりと酒を飲んでいる。


 氷を舐め、酔いが少しだけ覚めたところで決意を口にする。


「俺頑張るよ。もう少しだけ頑張ってみる」

「あら、男らしい顔。今の吉田さんならなんだってできるわ。さっきまでのあなたとはもう違う! 怪人とか話してた内容はさっぱりわからなかったけどね!」


 あけすけな言い方にくすりと笑う。

 そしてトイレに行ってくることを告げ、立ち上がる。すると「また疲れたらいらっしゃい」と言って送り出された。俺はフラフラと歩きながらトイレの扉を開けたところで、意識を手放した。






 体が揺さぶられる。

 目を開けると妻がいた。ベッドも部屋も自分の家と同じ物だ。いつの間にやら夢から覚めたらしい。俺が体を起こすと彼女は何かに気づいたのか瞳を僅かに大きく開き、リビングへと行く。そして鏡を持ってきて自分に見せた。


『うわき?』


 鏡を見ると右の頬には赤いリップマーク。

 あぁ……と思い出しながら微笑む。


「とても良い人達に出会えたのさ」


 




 今だけはぐっしょりと濡れた下着の存在を忘れたかった――







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