4話 妻(怪人)
両手に買い物袋をぶら下げ、扉の前に立つ。
今日は仕事終わりに近所のスーパーへ寄ってから自宅である賃貸マンションの一室へと帰ってきた。袋の中にはメールで頼まれた朝食用の材料だったり、晩酌用のつまみが入っている。そこそこの量があり、なおかつ鞄も持っているため扉を開けられない。だからチャイムを押し待っていた。
俺は吉田太洋。
そこそこの年数を生きてきたが、人には言えない秘密がいくつかあった。といっても秘密の内容には二種類ある。一つは自身のプライドが傷つくような恥のある秘密だ。例えばイキ顔が相当な変顔とか。だけどこういった秘密はバレたところで恥ずかしいだけで済む。ちなみに今のは自分の話じゃない。だが、もう一つの秘密は決してバレてはいけない。法律上裁かれ、社会的に大きなダメージを負うからだ。
そう俺であれば――
扉が開く。
長身の妻が『おかえり』と出迎える。
――偽装結婚をしているということ。
テーブルの上に料理が置かれていく。
今日は洋風らしくビーフシチューを中心としたいくつかの料理たちが並べられ、食欲をそそる匂いがテーブル上に渦巻く。一人暮らしの時であればありえない光景。クソビッチな元カノが家でねんごろしていた時にもありえなかった、和食しか作らんかったし。
「いただきます」
『いただきます』
互いに手を合わせて食事を始める。
妻と結婚したのは自分が三十を超えた時だ。出会いはブローカーを介してだった。会社の繋がりで出会った胡散臭い男が、どういうわけか清く正しく生きている俺に副業としてそういった仲介業をしていると話してきたのだ。普段なら一蹴して聞き流す話。だがその当時、俺はどーーうしてもお金が欲しかった。仕方なかったのだ。あと百万あれば、カ○ーラスポーツのオプション盛り盛りハイグレードverが現金一括払いで購入ができる状況。そこに三百万出せると提示されつい頷いてしまった。他にも理由はあるが、それらの根源は全て元カノだ。俺は悪くない。そんなわけでお金と引き換えに結婚をし、今に至る。というか式も挙げてるし、その式に家族も友人も呼んでるし、一緒に生活もしてるしこれは偽装結婚なのか……? 結局車も一括払いで買わなかった。ブローカーがネチネチと金の使い方を指図してきたからだ。ただ同業者なだけあって金に関しての知識は詳しく的を得ていたため渋々従った。ブローカーの顔は何故かもう覚えていない。胡散臭い奴だったということだけは微かに覚えている。
『まずい?』
食事の手を止めていたためか、聞かれた。
それを否定してよく煮込んであるシチューにパンをを染みこませ口に放り込む。妻は喋ることができない。外国人だから……と昔は考えていたがそもそも喋ることができないらしい。昔一度だけ言葉を聞いたことがあるのだが、英語と中国語とフランス語を混ぜてヒンディー語で風味付けしたような言語だった。まぁ俺はどの言語も知らないが。読み書きや聞き取ることはできるから、もっぱらメールでやり取りをして、家ではボードをぶら下げそこに文字を書き込んでもらい意思疎通をしている。不憫だと思う。今も昔もそう思っている。だが昔は不憫だと思いつつも、家から追い出そうと考えていた時期があった。そりゃそうだ。偽装結婚だと聞いていたからまさか家に住むとは思っていなかった。家を乗っ取られるのではと危惧したこともあった。だが今では――
「愛してるよハニー」
『私も』
彼女なしでは生きていけない。
骨抜きにされていた。掃除、洗濯、炊事と家事全般を完璧にこなすし、何より自分に尽くそうとしてくれる。最初はそうでもなかったが、時間を重ねる毎に愛を感じるようになった。自分のツボをよく理解していると思う。残念なことに妻から愛していると言われたことはない。だから彼女にとっては義務的な行動なのかもしれないが、なんにせよ今となっては彼女なしの生活は考えられない。趣味だったギャンブルも時々にしかやらなくなった。パチスロを打ちに行っても安く済む五スロのみ。
そんな彼女が当初から続けている不思議な行動があった。
俺が食事を食べ終え、彼女がその食器を運び水につけたところで、いつの間にか家からいなくなっている。週に数回ほどそれがあった。だが、食後少しくつろいだあと風呂に入り着替えを済ませリビングに顔を出す頃には、晩酌セットを用意し戻ってきている。
この前――川辺での忌々しい一件――の時、珍しく自分が家に帰る前から外出していたが、それは例外だ。
もちろん何度か聞こうとしたが、偽装結婚をするにあたりブローカーからいくつかの条件が提示されていた。その内の一つに彼女の行動に口を出さないという文章があった。そのどれもを律儀に守ってはいるのだが、一度だけ聞いたことがある。すると彼女は悲しそうな表情で『……』と言葉を返したため、それ以上聞けなかった。
注いでもらったビールを飲み干す。
そして隣に座る妻の腰に手を回しアピールした。そういうお誘いだ。
『お風呂入ってくる』
「ああ」
俺は彼女の背中を見送る。
姿勢の良いスラッとした背中。魅力的なお尻と胸に、抱きしめたくなるくびれ。そして褐色の肌に良く似合う銀色に近い、淡雪のような白い髪。独身の時に本で見た洋物のグラビア女優とそっくりだ。もしかしたらその本人かもしれないと思えるほどに似ている。確かめて見たいのだが、いつの間にやら本はなくなっていた。実を言うと外見はそんなに好みじゃなかったりする。パツキンが良い。
ただ、惚れた弱みだろうか。
湯上りの彼女を見てとても可愛いと思うし、何度抱いても飽きないという幻想染みた考えさえ抱く。そんな彼女が何故か秋の寒い季節に浴衣を着て帯を引っ張るような仕草をする。……これは引っ張れってことか。彼女の悪癖だなと思いつつ立ち上がり、それを引っ張る。
『いやーん』
…………。
昔は有り体に言えばマグロだった。
体を求めりゃ応じてくれたが、声は当然上げないし、顔も無表情のままで、瞳は死んだ魚そのもの。罪悪感を感じながらセックスをしたのは初めてだった。そんな彼女も慣れてきたのか、徐々に自らの意思で動こうとしてくれた。だがどこで方向性を間違えたのか、時々こういう変なことで俺の興奮を高めようとしてくる。たぶん録画リストを見るに再放送しているバ○殿だと思う。気持ちは嬉しかったが今日はもうちょっと正直に言うと萎えた。
「ゲームやるか」
『うん……ごめん』
「気持ちは嬉しいさ」
各々のスマートフォンを手に持つ。
そして協力プレイでインベーダーゲームをする。この前一緒にゲームセンターで新作だというインベーダーゲームをやり、それ以来彼女はこういうゲームに嵌っていた。俺の何倍も上手い。初プレイでゲーセンのスコアを塗り替えてしまった程だ。ただ、何故か彼女がこのゲームをやると皮肉だなと思う。
俺達は一時間くらいゲームをしたあと、特に何をするでもなく、一緒に眠りへとついた。