3話 変身
俺は吉田太洋。
石川県育ちで年齢は三十四……えっ聞き飽きた? それはいいことだ。お前には俺を覚えてもらわなくちゃあならない。俺はお前のことを名前一つ知ることはできないが、お前は俺を覚える必要がある。そう! いわばこれが俺とお前にとっての使命だ! ……吉田太洋吉田太洋吉田太洋吉田太洋吉田太洋吉田太洋。ちなみに石川県が接している海は日本海。吉田太洋吉田太洋吉田太洋。
仕事を終え、川辺を歩く。
周囲に人気はない。上の方にある散歩道は別かもしれないが、わざわざ秋の寒くて暗い川辺を歩く物好きは少ないのだろう。夏になればバーベキューやらなにやらで賑わうが今は寂しいものだった。
缶ビールを飲み干す。
飲み足りない。やっぱり歩き飲みをするならワンカップに限る。けどあれは残業をした時の楽しみだし我慢我慢。鞄の中に閉まっておいたコンビニ袋に缶を突っ込み、小石を踏みつけながら道を進んでいく。……こういう道は歩いていると疲れる。酒も飲み終えたことだしそろそろ上の散歩道に戻ろうとしたところで、うつ伏せで倒れている青年を見つけた。
「おーい」
足でつついてみると反応した。
ご同類だろうか。俺も昔は飲み疲れたらどこでも寝ていたからな。秋の川辺だって例外じゃない。ほどほどにしておけよと思いながら、常備している水のペットボトルを置いておいた。石川県民の鞄の中には必ず水と傘が常備されている、これ常識。と適当なことを考えながら、ついでにゴミも押し付けておく。帰路へ着くために足を動かしていると、
「また倒れてる……?」
今度は白衣を着た男性が倒れていた。
まだ早い時間だし、近くに大学があるわけでもない。流石に泥酔しているやつが二人もいるとは思えなかった。俺は川沿いで倒れている白衣の男に視線を向けつつも避けるようにして歩く。そこで気づいてしまった。男の傍にもう一人いることに。いや、一人という表現は正しくない。
――怪人だ
全身黒と茶褐色に染まっており肌も甲殻類のような鎧を纏っている。
人型ではあるが、恰幅も造形も人ならざるものだった。
幸い怪人はこちらに気づいていない。
さーてどう帰るかな。このまま上に周り込みながら帰るのが無難か。俺は今日見たことの全てを酒による幻覚として処理をすることにした。暇つぶしに携帯を取り出すと件名に『ブリ大根』と書かれたメールが数時間前に送られていた。今日の夕飯は魚か。『楽しみ(。・ω・。)』と返したら近くでピロリンと着信音が聞こえたような気がした。もちろん気のせいだろう。
……
階段を登る度に友人の声が聞こえてくる。
使命を果たせ、人を救えと言ってくるのだ。かれこれ二十年も言われ続けてきたせいで、ケンの声が心の中にまで住みつくようになっちまった。だが、俺は無視をする。やりたくない。あんな怪人と相対しても良いことなんてない。何度か、何十回もあいつの声に絆されて人を助けようとしたことがある。だが一度だって助けたって感覚を抱いたことはないし、感謝されたこともない。いつも徒労感ばかりが押し寄せ、俺を老いへと近づける。
「はぁ……」
ただあいつは俺に期待し続けるのだ。
その期待を感じるたびに心の中が熱くなる。学生時代のような燃え盛る熱さはない。だが、今も静かに燃え、年を重ねる度に失われていく何か生み出してくれていた。
やるか、やると決めたら全力だ。
「おいっ!」
怪人の方へと振り向き叫ぶ。
白衣の男性に触れようとしていたが、その動きを止めてこちらを振り向く。俺はジャケットを脱ぎ鞄を放り投げて階段を急いで下る。俺のやるべきことは怪人を倒すことじゃない。白衣の男と青年を逃がしてやることだ。
階段を下り終わってもなお急ぐ足を止めない。
まずは青年の方に駆け寄り太ももを全力で蹴り飛ばす。だいたいのやつはこれで起きる。実際青年は目に涙を溜めながら「痛っ」と目を覚まし始めていた。さて、あとはもう一人だ。白衣の男に視線を向けるが、それを遮るのは怪人だった。怪人は暗闇の中をゆっくりと歩いてくる。その動きには余裕がありこちらを警戒していない動きだった。油断してくれるのはありがたいが、こちらを警戒する必要がない程の強さがある証拠だろう。俺は怪人に対して視線を合わせたまま川沿いに回り込みながら動く。できれば川にドボンと沈めてやりたいが……。
「くっ、痛ぇな。……どこに……ちっおっさん銀色のベルトを見なかったか!」
青年は起き上りざまに聞いてきた。
いきなりおっさん呼ばわりとは失礼なと思いつつ、太ももをさすっている姿を見て勘弁してやった。
「見てない!」
というかこんな状況でベルトなんて探してどうする!
「クソ、役に立たねえな。ロートルが」
「起こしてやったのにそんな言い方は……」
「……! あれだ!」
文句を垂れ終える前に、青年は走る。
走った先には鈍く銀色に光るベルトがあった。なんでこんなところにと思っているうちに、青年がそれを手に取り腰に巻きつけ何かを叫ぼうとしたとこで、怪人が目で追えない速度で彼に迫り攻撃をした。いや、正確に言えばベルトを弾き飛ばすために攻撃をした。青年は痛みを口に出しながら小石が敷き詰められた地面に転がり、銀色のそれは空を舞って――自分の足元に。
月の光によって美しく輝くベルト。
おもちゃじゃないのか……? 疑いながら手に取ると確かな重みがあった。青年が行おうとしていた動作を真似したくなる重みだ。怪人はこちらをジッと見てくるが何もしてこない。
……
迷った末、俺はベルトを持ったまま白衣の男性に駆け寄る。
そして蹴り飛ばそうとしたが大分歳を食っていそうなので揺すって起こす。だが目を覚ます気配はない。怪人は一歩また一歩と近づいてくる。この男を抱えて逃げつつ青年を助けられるとは思えなかった。
だが、助けると決めた。助けられると信じ切るんだ。
俺は手にしたベルトを見つめる。銀色の金属製のような帯に、中央には物珍しい円形のバックル。バックルには模様が描かれており白地に赤い勾玉のような印が三つ描かれている。それを腰へ巻きつけ奇跡に賭けることにした。
立ち上がると、バックルが風を呼び込むように回り出す。
深呼吸をし右手を天へと突き伸ばして叫んだ。
「 変 身 ッ! 」
【Error】
死ねっっっっっっっ!
ベルトが勝手に外れ前方に吹き飛ぶ。風の勢いを利用するかのような動き。自分は今の光景が受け入れ切れず、それを拾い直し二度三度と変身しようとするが返ってくるのは【Error】の一言のみ。バッカじゃないの! バッカじゃないの! バッカじゃないの! ストレスが閾値を越えていた。逃げるように飛び去ったベルトの元に駆け寄り容赦なく踏みつけ蹴り飛ばす。それでもイライラは収まらず静かに見守っていた怪人に詰めよりメンチを切る。
「おぃぃ、この責任どう取ってくれるんだ? ええ!」
こんなのデカくなったゴキブリだ。
どうしてこんなのにビビっていたんだか。暫く睨みつけていると、なぜか親近感と愛おしさを感じ始めていた。いやいや、なんで愛おしくなるんだよ。おかしいだろと自分にツッコミを入れていたら後ろから肩を引っ張るようにして叩かれた。
「下がってな。邪魔なんだ、おっさん」
俺を無理矢理後ろへと下がらせ、青年はベルトを持ち前に出る。
かーっ、ムカつくガキだ。収まりかけていたイライラが再び暴れ出しながらも、我慢して青年に対しその意味深に落ちていたベルトがおもちゃであることを告げる。だが俺の言葉を無視してベルトを巻きつけ、叫んだ。
「変身っ!」
【Complet】
「なんでだよ!?」
赤い光を纏いながら青年は戦士へと変化した。
もう見た目は日曜の朝に出てくるヒーローと同じだ。というかなんであいつは変身できて、俺はできないんだよ! 顔か! 歳か! 日頃の行いか!?
心の中で愚痴を垂れている内にも戦いは進む。
戦士が繰り出す軽そうなジャブを一撃受ける度に、怪人は反動で何メートルも後退を余儀なくされていた。色々思うこともあるが今のうちだろう。俺は近くにいる白衣の男を引きずって非日常から離れる。
「最大出力で行く。もう加減はしない」
【Ready】
それっぽい台詞を言いながら、空高くへとジャンプする。
あれだ、必殺技だ。子供の頃に見たやつだ……。心の中はもう滅茶苦茶だった。感動と嫉妬、そしてストレス。攻撃態勢に移る戦士を見てあの言葉が頭を過ぎる。禁断の言葉。
「てやぁあああああ!!!!」
必殺の赤を纏った戦士が怪人に向かい落ちていく。
強い衝撃と爆発が視界を濁らせる。結果がどうなったかはわからない。だから言ってみた。
「やったか!?」
むしゃくしゃしてやった。反省はしていない。
煙が晴れ、視界が開けると怪人に胸元を掴まれている戦士の姿が……。
「……」
しーらない。
そもそも言葉一つで結果が変わるわけないし、今回は我ながら良く頑張ったと思う。手早く身支度を整え、帰宅の準備を済ませる。白衣を着た男性は未だに気を失っていたため、さっき青年に渡した――今は胸元を掴まれ地に着かない足をバタバタとしている――ペットボトルを拾い上げ、キャップを緩めて顔面に水をかけた。あとは勝手に目を覚ますなり死ぬなりしてください。
さよう~なら~。
俺はもう迷うことなく階段を上り、帰路へと着く。
翌朝、ローカル新聞の片隅にひっそりと書かれていた。
”○○川の近くで重傷の青年を発見”
ヒーロー……。