2話 友人
ハッピーアワーをご存知だろうか?
居酒屋や飲食店で何時まで『生ビール半額!』的なやつだ。金のない酒飲みにはまさにハッピーな催し。ただ大体が午後七時に終わってしまう。社会人は飲むなっていうのか? 金のない社会人は酒を飲むなっていうのかこのクソボケが! と思っていたのも今は昔。
くたびれたサラリーマンやホームレス紛いの客がぞろぞろいる店内。
このお店はなんと! なんと! 九時まで半額なのだ……。時々隣の客から酸っぱい匂いがしたり、クッサイなぁと思うことはある。だがビールを水で薄めちゃいないし、なにより安いし安いし安いのだ。そんなわけで、ここを定期的に利用する。ちなみに今日の店内は結構臭い。
俺は吉田太洋。
好きなものは酒、タバコ、パチスロ! あれなんかデジャヴュ……。石川県生まれの石川育ち。当然超石川人の素質を秘めている。よく超都会人から地元の子としょっちゅう会ってるんでしょ? と煽られるがそんなことはない。同じ県内でも一歩地元から離れると中々会わない。それこそ盆と年末年始の帰省した時に会うくらいだ。例外といえば目の前でつまみのナムルを見つめているコイツくらい。
「ケン眺めてないで食え。さもなければ俺が全部食う」
「こ、米がなければ食えん」
「おいおい、もう食いきったのかよ。すいませーん、ライス一つおかわりね」
店員の返事を聞いたあと、どもりながら助かると呟いた。
目の前にいるザ・変人の名は狛犬 剣。多分世界に一人いるかいないかの名前。というか親も何を考えてこんな名前にしたんだよ。フルネームで呼んだら寸分の隙もないワンコロじゃねえか。そこまでやるなら名前も剣で誤魔化すのじゃなく、犬でいいだろと思ったものだ。名前からして変わり者だが、他の事柄もそうだ。まず外見は長身で細身、だけど重度の猫背。黒髪のロン毛だがロックな感じに乱れており、濃くはないが無精髭。そして時々格好が戦争にでも行ったかのようにボロボロだったりする。その姿を見たときは『ロックだね~!』と合いの手を入れてやる。あと大抵のおかずをご飯と一緒でなければ食べない。給食の時に苦労していたのを今でも覚えている。まぁこいつの変人っぷりを語ろうとすれば夜通し話せるが、一番の特徴は……
「使命を果たせ」
でたよ。
こいつは米とモヤシを貪りながらキリッとした表情で告げる。
「どういう使命だ? ん?」
「わからん」
ケンは中学二年生の時に俺のいる中学校へ引っ越してきた。
転校初日、それこそ出会い頭にこいつは先程と同じく『使命を果たせ』と言ったのだ。最初は時期も時期だったので厨二病ってやつかと聞き流したが、何度か言われているうちに俺もその気になった時期があった気はする。だが結局この年まで何事もなく平穏無事にアラフォー手前となった。だというのにオジサンとなった今ですら、会えば必ず使命を果たせと言う。
「具体的にはわからんが、人を救うことが使命だ」
「人を救うねぇ」
「そうだ。お前なら世界中の誰よりも、権力ある者や巨万の富を持つものよりも人を救える」
剣呑な雰囲気に一瞬信じそうになる。
こいつに適している仕事はオレオレ詐欺に違いない。こんな雰囲気で言われようものなら、巷のおばちゃんたちなら信じてしまう。ため息をついたあと、先日の一件について話す。
「この前トラックが子供を轢く事件を見とったけど、なんもできんかった。時だって止まっちゃくれない」
タバコに火をつけ、口に咥える。
俺が吸っているのはオーソドックスな紙巻タバコ。電子のやつのほうが経済的だが、どうにも吸いごたえがなくて好きになれなかった。
「それはお前が自分の使命を自覚できていないからだ。自分を信じ切れていない。事故の件もその少年を心から救いたいと信じ、行動すれば別の結果が生まれていたはずだ。時は止められないかもしれないが、少年を助けられた。それだけの力が太洋にはある。既に何度も奇跡を起こしている。助けようという意思と行動が奇跡を起こしているんだ。自覚できていないのも無理はないが、俺は確かに知っている。どれも納得しがたい結果だったかもしれないが、修学旅行の件を代表とするいくつもの奇跡を引き起こしたのは太洋なんだ。お前が自覚し行動し続ければ世界中の誰よりも世界を救える。もし覚悟ができているのなら各紛争地帯に送り込む用意は準備できている。いや、そもそも使命が芽生えるには強い衝撃がなくては――」
やっべと思った頃にはもう手遅れだ。
あいつは自分の世界にトリップしてしまった。こうなってしまっては長い。しばらくはベラベラと饒舌に喋るだろう。こいつ普段の会話はどもりっぱなしなのに使命云々の話をする時だけは淀みなく話すんだよな。どういう原理だろう。俺はタバコを一度灰皿に置き――煙元を上にしながら――運ばれてきた飯を食べる。炒飯や唐揚げ、そして麻婆豆腐。ここの料理は基本的に冷凍食品ばかりだ。むしろ冷凍食品食品以外の物は基本的に不味い。だが例外がある。それが大皿に盛られた熱々で真っ赤に染まっている麻婆豆腐だ。そこらにある中華料理屋なんて目じゃないほどに上手い。ここに来たら必ずビールと麻婆豆腐を頼む。……熱々の辛い麻婆を掬ったところで気になった。
今のラリってるこいつに食べさせたらどうなるのだろうか。
俺は即決即断即行動の男(嘘)。容赦なくその辛くてアホみたいに熱いそれを口元に突っ込もうとする。オジサン同士があーんしている構図については深く考えないで――
「お前が覚悟を決めるのなら俺もん――んぼっ!? ○△✖!! ぺっぺっブホッ!!」
「ギャァァアアアアア! オジサンの唾液まみれの熱々麻婆が俺の顔面に!? てめぇなにんすんじゃ! 一生俺の犬として飼ってやろうか!!?」
「ごほっ、す、すまん。からっ」
お互いにビールを飲み干す。
その後必死におしぼりで顔の汚れを拭き落としたところで思う。つい我を忘れて怒ったけれど悪いのは自分だ。罪悪感を感じながらもう一度タバコを咥えなおそうとし灰皿を見ると、麻婆豆腐まみれだった。当然火は消えている。箱から新しいタバコを取り出し、一息つく。俺は悪くない。
「すんませーん、生二つお願いしまーす」
店員に頼むとすぐにビールと新しいおしぼりが運ばれてきた。
「ケン、もう一度乾杯しようぜ」
「そ、そうだな」
乾杯という声と共に、グラスをぶつけ合う。
「でさ、この前バスの中で高校の時のソムリエ今井と会ってさ」
「あ、あの頭は良いがムッムッツリなやつか」
「そうそう、それが今も変わってないみたいでエロい秘書を雇うとかで」
俺達は懐かしい思い出話に耽る。飯代は全て出した。