1話 トラック
朝特有の冷たい空気に身を震わせる。
バスを降り、人混みに紛れながら金沢駅西口を出て会社がある方へ歩いていく。反対側の出口と違い、こっちは会社やホテルが多く立ち並んでいる。特にホテルは顕著で、数年前に金沢と長野を繋ぐ新幹線が開通した前後もアホみたいに作られていたのにも関わらず、更に新しいホテルがいくつも作られている。まぁそういった騒々しさはあるが、あちらに比べると良くも悪くも静かなものだ。
俺は吉田 太洋。
社会人になって早十年以上。ここ数年で変わったことといえば、通勤場所が石川の片田舎から金沢に変わったくらいだ。移動方法はそれに伴ってバス通勤になった。当時はこれで飲酒運転をせずに済むと喜んだ記憶がある。
…………もちろん…………
嘘だ。
頭の中で過去を捏造していると、大きな四車線道路の十字路で足止めを食らう。通勤時間帯ということもあり車両の行き交いが頻繁に行われている。だがそれだけだ。信号機が変わるまで暫く時間がかかる。見慣れた景色を前に瞳を閉じた。
――突如人々の金切り声が耳に届く
静寂を切り裂く声だった。
目を開き悲鳴の聞こえる方へ視線を向けると、小学校低学年くらいの子供が歩道から道路へと押し出されていた。男の子が立っている場所は運悪く信号機が青になっており、既に多くの車が行き交い始めていた。男の子は状況を理解できずにオロオロとし、周りは数秒後に訪れる惨劇に目を閉じ、悲鳴を上げる。一台のトラックが迫る。誰も助けないのかよ! チィッ!!
…………………………
………………
『 時よ止まれッ! 』
………………
…………………………
願ってみたが、当然止まらない。
子供は無残に轢かれ、トラックは静止している。どうして助けに行かないのかって? 大通りの反対車線にいる子をどうやって助けろと言うのか。時でも止まらん限り無理だ。俺は携帯を取り出し、119へと電話する。流石にこれだけいれば誰かしら連絡するだろうが、念には念を込めておこう。百人いても誰かやるって考えを全員が持ってりゃあ誰もやらん。電話が繋がり、救急ですと答えたあと、事故現場の情報や患者の情報を伝え、俺の名前を聞かれたところで電話を切る。更に用件があるようなら折り返してくるだろう。自分はどうにもこういう事柄を目撃してしまうことが多い。以前迂闊にも足を突っ込んでしまい面倒事に巻き込まれたことがあった。だからまぁこれくらいでいい。
いつの間にやら信号が切り替わっていた。
周りの人間はそれっぽい顔を事故現場に向けながらも足はスムーズに動かしている。薄情だと思う反面、轢かれた子供の傍に駆け寄る奴ほど自分が情に厚くないことも自覚していた。まぁやることはやったと少しの満足感を得て会社へ向かう――
向かうことはできなかった。
一度静止したはずのトラックが動き始めていた。俺に向かって。
なんでだよっ!
かなりの速度でトラックが突っ込んでくる。足は動く。恐怖で動かないなんてことはない。だがどう考えても避けきれない。周りの人間は既に信号を渡りきっており誰もいない。
「よし、来世は俺も薄情に生きるとしよう」
そう決意し、瞳を閉じる。
あぁ最後の晩餐では必ずビールを飲もうと思っていたのに。昨日は休肝日で「若者よおぉぉぉぉぉっ!」後ろからジジイの声が聞こえた。一瞬振り向くとよぼよぼな爺さんが杖をつきながら猛スピードで走ってきて、俺を突き飛ばす。
地面に投げ出される。
痛みはあるがトラックにぶつかった時の衝撃に比べれば小さなものだ。だが代わりに爺さん止まらぬトラックに轢かれ暫くの間コロコロと転がされたあと、急ブレーキと急ハンドルの影響で建物の壁へと投げ出される……。
じっ、ジジィィィィイイイイイイイイイイ!
俺は鞄を放り投げ、急いで駆け寄る。
その途中に後から来た通行人を止めて救急へと電話するようお願いをする。小さな声で「は、はい」と返事が聞けたのを確認し、ジジイの傍で膝を折り曲げた。ジジイは頭を地面に接し、足を上空へと伸ばし股を広げた状態で死んでいた。なんて酷い死に様だ。
「ジジィ……」
「わ、若者よ……っ」
「!?」
爺さんは奇跡的に生きた。
僅かに瞼を開き、口にする。……きっと遺言だ。
「田舎を目指そうプロジェク……ト……」
えっ……えっ……。
戸惑っているうちにジジイは安らかな表情を浮かべ、瞳を閉じた。
今のが遺言でいいのだろうか? Bing検索で『若者よ』と打ち込んだら検索候補に出てきそうな言葉が遺言でいいのか。俺はこの言葉を受けて何をすればいい。若者を福井にでも呼び込めばいいのか。石川は田舎じゃないしな……。いや、それよりも遺族になんて伝えるんだよ。最後の言葉を聞かれても答えらんねーよ。
そう思いつつ、とりあえずジジイの恥ずかしいポーズを直す。
……
通行人が声を上げ、駆け寄ってくる。
巻き込んでしまって悪かったなと思いつつ視線を向ける。何故かその人は途中で足を止め顔面蒼白になりながら、俺を指差す。幽霊でも見えてしまったのかと思い後ろを振り向くと、
「ふぁぁよく寝たのう」
ジ ジ イ 生きとる。
背伸びをし屈伸をしたあと、腰を折り曲げながら杖をつきゆっくりと歩いていき、どこかへと去っていった。
……
通行人と視線を合わせる。
俺達はどうやら見てはいけないものを見てしまったらしい。暫くの間見つめ合ったあと、無言で各々の行くべき場所へと向かう。会社には十分遅刻した。
お読み頂きありがとうございます。
全6話を予定しており、12/18までに完結予定です。最後までお付き合い頂ければと思います。轢かれた子供は最終回に登場予定です。