比叡山と本願寺の応仁の乱あたりの話です。
比叡山と本願寺、武装宗教団体は戦国時代に戦争をやり続けて、大量虐殺を行い京都や加賀や越前で乱暴狼藉の限りをおこなった。その他の宗教団体もお互いを邪教と罵り、醜い争いを繰り返して多くの民が大量に死んでいった。
戦国時代といえば、応仁の乱1467年ぐらいから始まったとされているが、真実はすでに戦争は始まり、京都の中京は焼け野原になってしまっていた。すべては武装宗教団体の乱暴狼藉のせいである。本願寺と比叡山の宗教戦争のせいで、京都に2回も大火事があって、そのあとに応仁の乱の大火事があって、京都は見るも無惨なことになってしまった。応仁の乱のあたりで、意外と多くの御寺が滅ぼされて、再建されていないのも、御寺と仏像のご本尊とお経を書いた教典を多くのお坊さんと信者といっしょに焼き殺したせいである。本願寺と比叡山の罪は重い。小説家になろう。の小説家の作品のおかげで、やっと少しずつ知られるようになったが、嬉しい限りだ。 詳しいことは、加賀百万石に使えることになった。とかインチキの力で戦国の世を勝ち抜ける。を読んでいただきたい。なお、マスコミは知らんぷりで、応仁の乱の映像を流す時に全然焼け落ちて無い映像を流し続けている❗まあその他の宗教団体のなかにもひどい団体があって、織田信長がお互いの宗教団体を邪教と罵り争い続けているので、その仲裁に、物凄く苦労するはめになるんだよね。一部の宗教団体は、現代と全然変わってないけど。これって頭痛いわ。
本願寺が現在、東本願寺と西本願寺に別れて、どちらが正統なのか、争い続けているのも、徳川家康が本願寺の恐ろしい力を恐れて、2つに分けたからである。これは徳川家康がおこなった、政策の中でもっとも優れたものである。ちなみに、豊臣秀吉は本願寺が紀伊の国に大阪城のような、巨大な要塞を建造していると聞き絶句した。本願寺といえば、日本1の大金持ちだしね!
加賀の国では、本願寺が大量虐殺を繰り返し、おこなった。多くの御寺が滅ぼされて、加賀は百姓の納める国なんて、大嘘が教育されているが真実は本願寺が支配して、共産主義を想わせる民を苦しめる、ひどい政治をおこなった。税金も高く冬になったら、大量に動員させられ、本願寺の坊さんの命令で戦争をやらされる。命令を聞かないと地獄に落ちる、破門するぞ、と脅される。お前ら、糞坊主の方が無限地獄に落ちてそうだけどね。