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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

信じる心

作者: 雨森あさひ

 教会騎士になって初めての戦闘は大勝利だった。

 帝国にあだなす、信仰を持たない共和国の兵士を蹴散らし、数百名の捕虜と小さな街を占領した。

 俺は街の酒場のテラスで仲間の教会騎士たちと戦勝記念もかねて飲み物を飲んで休憩していた。

 「お前は本当に信心深いな。こんなめでたい時にでもジュースか」

 戦友の教会騎士が絡んで来た。

 俺は答えた。「お前たちこそ本当に教会の騎士かよ。教会は酒を禁止しているんだぜ」

 「でも他の兵士たちが飲んでいるのに飲まずにいられるかよ」戦友が愚痴をこぼした。

 他の教会騎士も話に加わって来た。「いいよなあ普通の兵士や騎士は、罪悪感なく酒が飲めるもんなあ」

 俺は戦友たちの不信心を正そうと思って説教の一つを聞かせてやることにした。

 「昔の話だ。普段は温厚だが、酒を飲むと豹変する男がいたそうだ。その男は酒が進む毎に荒れて行って家族に暴力を振るった。この話は聖典の第――」

 おお、またあいつの説教が始まったぜ、と戦友の教会騎士たちがはやしたてた。

 それからしばらくは、みんなで賑やかに雑談をして過ごした。

 やがて日が暮れ始め、兵舎代わりにしている建物へ帰る途中、反対方向から来る兵士とすれ違った。

 俺は驚いた。すれ違い様に耳にした会話によると、敵国の兵士だけでなく民間人をも今から処刑すると言うのだ。

 そんな不信心なことがなされていいものか。平和を愛する女神アリス様がそのようなことをお許しになるはずがない。避けられない争いは仕方がないかもしれない。だが、無用な殺傷はするべきではない。

 俺は気が付けば処刑が行われるという街外れに向かって走り出していた。

 街の外れにある処刑場に駆けつけてみると、敵国の兵士の他に、老若男女の民間人が木の杭に背中と手足をくくりつけられて、うなだれていた。

 俺は憤りを感じた。

 処刑を実行する帝国兵の指揮官と思わしき豪華な鎧を着た人物を見つけ、駆けつけた。指揮官を護衛する兵士が止めようとするのも振り切って、息を切らしながら発言した。

 「私は今作戦に参加した帝国軍付属の教会騎士です。失礼を承知で申し上げます。民間人の、しかも子どもまで処刑するというのは本当ですか?」

 指揮官は面倒くさそうに答えた。

 「本当だ」

 「しかしそれでは……」

 「不満か?」指揮官は、まだ13か14くらいの少年を目で示した。

 その少年は木の杭にきつく縛り付けられていたが、うなだれている他の民間人とは違い顔を上げたままだった。

 「見てみろ、あの目を。あの少年の目は恐怖に震えてなどいない。復讐の炎を灯して我々を睨んでいる。このまま生かしておけば、どんな手を使ってでも共和国に帰り、いつか我々の敵となって帝都を火の海に変えるだろう」

 「しかし、私はこのような残虐な行いを、平和を愛する女神アリス様が許すはずがないと思います」

 「貴様、神を信じているのか?」

 「は?」

 質問の意図がわからなかった。神を信じるのは当然のことだ。一体指揮官は何を聞きたいのだ? 指揮官は今から処刑される少年を見ながら続けた。

 「我々を守護してくださる女神アリス様のことだ。だが、実際に神を見たものはいない。存在すら確認されていないのだ。だが、帝国の民は神を信じている。この意味がわかるか? つまり、帝国の統治に神は不可欠なのだ。統治に役立ってくれれば神はいようがいまいが知ったことじゃないってことだ。これは帝国のエリートの間では常識的な考え方だ。お前ら帝国教会の連中がどう考えているかは知らないがな。これだからバカで古臭い思想を持った教会騎士は嫌いなんだ」

 反論することが出来なかった。そもそも俺とこの指揮官では根本的に人間が違うのだ。説得しても意味はない。しかし、指揮官の考えを否定しながらも俺の考えは揺らぎ始めていた。俺は間違ったことを考えているのだろうか? 確かに敵国の人間を生かしておけば、いつか敵となって襲いかかってくるかもしれない。だからと言って、罪のない民間人や子どもを処刑するのは正しいと言えるのだろうか? いったい正しいこととは何なのだ?

 「剣を構えろ」

 指揮官が叫んだ。一列に並ばされ背中と手足をロープで木の杭に縛り付けられた敵兵や敵国の民間人の前に、帝国兵が剣を構えて整列した。敵のなかには命乞いをしたり、泣き叫ぶ者もいた。

 「斬れ!」

 指揮官の叫び声が響き渡った。一斉に剣が振り落とされる時の空気を斬る音が最初に聞こえてきた。新米の教会騎士である俺はその先の音、首が落ちる音を聞くまいと両手で耳を塞いで、それから目を閉じようとした。

 そのとき、帝国兵の剣が振り上げられ、今にも首を斬り落とされそうになっている民間人の少年と目があった。その目は憎悪の光を灯して俺を真っすぐ睨んでいた。


 この日以来、俺は職務を放棄して帝都の自宅に閉じこもっている。

 俺は生まれた時から平和の女神アリス様を信じてきた。しかし、女神アリス様を信仰する帝国でさえ、その行いは矛盾だらけだった。きっと信仰なんて建て前なのだ。

 俺は最近生きている価値を感じられなくなってきた。正しいものを信じる集団に属して、正しいことをして生きてきたつもりなのに、子ども一人救えなかったのだ。

 仲間の教会騎士や司教様に相談を持ちかけても、何の効果もなかった。彼らは口では理想を言いながらも現実とは妥協していたのだ。

 正しさを信じ続けるということがこんなにも苦しいことだとは思わなかった。正しさを信じつづけるかぎり世の中は理不尽で矛盾だらけなのだ。

 家の中は掃除も片付けもしばらくされていなく、荒れ放題だった。かろうじて食事は取っていたが、それだけだった。

 その片付けのされていないがらくたの山の中から俺は手入れのされなくなった剣を取り出して、鞘を抜いた。

 俺はあの指揮官が憎かった。帝国も、教会も、戦争も、無力な自分自身さえ憎い。

 自分を斬るか、あの指揮官を斬るか、どうすればよいのか判断がつかなかった。頭が極度に疲労していた。

 「女神アリス様。私はどうすれば良いのでしょうか」

 自分で自分の声に驚いた。頭の中で呟いたつもりが、いつのまにか声に出ていたらしい。

 「呼んだかしら?」

 突然の近くからの声に心底驚く。驚いて声のした方向を振り向くと、ほこりまみれの机の上に、豪華な服を着たつり目の少女が膝を組んで座っていた。

 「汚いわね。この部屋」

 辺りを見渡しながら少女は顔をしかめた。

 「何者だ貴様!」

 俺は跳び上がって剣を構えた。

 「あら、あなたが今にも泣きだしそうな声で、女神アリス様〜って私の名前を呼ぶから、来てあげたのよ。ちょうど暇だったしね」

 「女神アリス様の名を騙るなど、年少者とは言え容赦はしないぞ!」

 この少女はいつのまに家に侵入していたのか。目的は何だ? 物取りか? それにしては大胆に名乗り出るとは一体どういうことだ。それに、帝国上層部の人間しか着れないような豪華な服を着ている。やはり物取りだろう。こんな服を着ているんだ。きっと貴族の家にでも忍び込んで盗んで来たに違いない。盗みの手口はかなりの腕前のようだ。

 「あなたを慰めに来たのよ。神は実在するけど、別に熱心に信じてもらわなくても結構よ。それぞれ自分が幸せになるために好きにすればいいわ」

 「物取りのくせに、傲慢にもこの俺に説教をするというのか。二度とたわごとを口に出来ぬよう切り捨ててくれよう」

 俺は極度に疲労していただけでなく、頭に血が上っていたのとあまりの動揺に、まともな判断が出来なかった。

 俺は近づいて行ってその少女の胸倉を片手で乱暴につかむと、もう一方の手に握られた剣で斬ろうとした。

 だが、そのときだった。

 恐怖の色も何もない、むしろ眠たげな少女の目に、あの時の処刑される寸前の少年の憎悪の目が思い出された。

 俺は腕の力が抜けて振り上げていた剣を落とした。俺は急に自分が怖くなって、少女をそのままに夜の街へ飛び出した。

 俺のやろうとしたことはあの指揮官と同じことなのかもしれない。そう思うと恐怖で胸が締め付けられた。

 なら、俺が正しいと思い、守って来た信仰とは何だったのだ? 信仰だけではない。俺の持つ信念や考えさえも。俺自身の確固とした土台となっていたものが崩れ去っていくような気がした。

 やみくもにあちこちを走りながら教会騎士だった男は夜の街を彷徨い続けた。

 夜の街は寝静まっていた。男が石畳を踏みつけるたびにカツカツと靴音が響いた。

 やがて男は夜の広場に出た。昼間の賑わいとは裏腹に、夜は人ひとりいなかった。男はそこで疲れ果てて広場中央の噴水の縁に座りこんだ。

 噴水の隣には、先ほどの小さな少女とは似ても似つかない身長の高い美女の巨像が佇んでいた。石で作られたこの美女の像こそ平和の女神アリスの像だった。女神アリス像は星明りに照らされて神秘的な輝きを放っていた。

 男は女神アリス像を見上げながら独り言を言った。

 「私は弱い人間です。女神様を信じていれば正しい行いが出来ると思っていたのです。しかし、信じているだけで何一つ実行できない。しかも自分自身の考えさえ信用できません。どうか私の進むべき道をお示しください」

 女神アリス像はただ佇むだけだった。

 ちょうど男から見ると死角になるところ、女神アリス像の右肩に、女神アリスと名乗ったさっきの豪華な服を身にまとった小さなつり目の少女がちょこんと座っていた。

 「思い上がりね、人間。ひとりの人間が出来ることなんてたいしてないわ。せいぜい身の丈にあった幸せを見つけるのが一番ね」

 少女のささやくような独り言は、届くには少し遠すぎて男の耳には入らなかった。

 男はしばらく噴水の縁に座り込んでいたが、やがてのろのろと自宅へ向けて歩き始めた。

 


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