29話 異世界の雪国 要塞化計画 【東征&オジサン】
異世界の雪国も真っ白だった。山の稜線が白く染まって、しんしんと冷えている。木々の合間をシカ類の動物が歩いていて、蹄のあとを雪原に残している。湿った土臭さ――気温が上昇して雪が溶けているんだろう。もうすぐ春を迎えるのかもしれない。
木組みのロッジからフードをかぶった地元民が出てきて、改造ベンツを指差して「悪魔の使いだ」と慄いた。
東征はフルスモークの窓越しに、地元民の表情を観察した。
「オジサン。ここはいわゆる僻地だな」
「ああ。タラバザールの北端で、隣国との国境線にある」
オジサンの解説をもとに、脳内のマップを更新していく。東京シティの最北端に出現した次元連結トンネルをくぐったら、タラバザールの北端に出現した。さらに今まで利用していた次元連結トンネルの出現位置と比較したら、縮尺が出た。
どうやら異世界の表面積は地球の半分のようだ。タラバザールは狭い国ではなく、むしろ異世界では巨大国家だ。新政府が帝国を名乗るのも納得するぐらいに。
それだけ広い国家の隅々まで、東京シティに出現した次元連結トンネルのみで移動できたのは、地球が巨大すぎるのが理由だった。
「オジサンすげぇな……そんな高度な計算を暗算でやれんのかよ」
「むしろなんで東征は脳を強化してあるのに難しい計算ができないんだ」
「どれだけ演算能力を上昇させても発想がなけりゃ使いこなせないんだよ」
「科学も万能ではなかったか……」
オジサンがへにゃっと下唇を突き出したところで、後部座席のユーリがへくしゅんっとくしゃみをした。
東征は保温ケースから温かいお茶を取りだして、ユーリに渡した。
「ちゃんと厚着させてるし暖房も効かせてあるが、寒いか?」
「すいません。王都から出たことがないので、こんなに寒いのがはじめてなんです」
ユーリはちーんっと鼻をかむと、ごくごくとお茶を飲む。そのあどけない仕草は、どれだけ利発であっても十歳の子供そのものであった。
「温室育ちに雪国は厳しいかい」
「いえ、お茶を飲んだら温まってきました。でも村の様子が別の意味で温まってきましたね」
地元民が農耕具や古い武具を持って集まってきた。敵意を向けられている。なにか誤解があるらしい。
オジサンがゆっくり車の外へ出ると、魔法大学のローブをつまんだ。
「落ち着いてほしい。私はフリーランスの魔法使いだ。あなたたちの敵ではない」
すると地元民の代表者――年老いた村長が、タラバザールに伝わる伝統宗教の祭文を読み上げながらオジサンに近づいていく。
「地球は悪魔の住処だ。やつらと関わったらタラバザールがおかしくなった」
未開地が科学に触れたことで混乱しているわけだ。ゆったりと進んでいた自分たちの時間を部外者に破壊された気分なんだろう。だったらサイボーグが顔を出したら敵意が増幅してしまう。慣れ親しんだ魔法大学のローブで交渉したほうが穏便である。
「新しい政府は、北端の村にまで圧制を敷いているのかい?」
「これを見てくれ。色のついた紙で命令書が送られてきた」
どうやら地球から輸入したカラープリンタで印刷された命令書のようだ。東征には異世界の文字が読めないので、オジサンが読みあげていく。
「えー、国境線の防衛強化のため、村を要塞化する。それにともなって村民から労働力を提供するように。なお賃金は所定の手続きによって支給される」
文面を読みあげてから、賃金の数値を見て「身分制度を撤廃しても国民に奴隷同然の労働を強制させるわけか」とため息をついた。
東征は「どこの世界でも権力と資本を持ったやつは労働力を安く使うことばっかり考えやがる」とぼやいた。
ユーリが胸に手を当てて「王制時代もひどかったんでしょうね……」と反省した。
だんだん村長は警戒が薄れてきたらしく、オジサンの手を握った。
「賢き魔法使いにお頼みしたい。我々の生活を守ってくださらんか」
「守ってやりたいのは人情としてあるのだが、王制時代より厳粛な帝国政府の命令をはねつけるとなると……」
憲兵を派兵して武力鎮圧だろう。そろそろ徴兵制も始まるのではないか。なぜ学のない東征が政治の先読みができたかというと、国境線の向こう側で隣国が活発に活動していたからだ。
あちらも兵力を増強させているのである。驚くことにロシア製ばかりだ。つまりタラバザールの隣国にロシアへ繋がる次元連結トンネルが開通したのである。まさに東征の狙い通りであり、隣国の次元連結トンネルを使えば、ロシアでグスタボと合流できる。
しかし村長は、隣国のきなくさい忙しさを肌身で感じ取っていて、ぶるっと震えた。
「私は年寄りです。戦争を二回ほど体験しています。しかし今度起きる戦争は……これまでとは違うものになるとしか思えないのです」
兵器の航続距離は戦争の規模と比例する。エンジンのついた乗り物による兵員輸送、航空戦力による空爆、自軍陣地からの長距離砲撃が可能になったら――世界大戦勃発だろう。
こんな際立った状況が、亡くなった岩坂都知事の望んだ姿なんだろうか?
ぎぃっぎぃっと馬車の車輪が雪面を踏みしめる音が聞こえた。帝国政府の一団が、寒村へやってきたのだ。荷台には建築に使われる資材と武装した憲兵が乗っていた。まだ自動車を使っていないのは、急ピッチで部隊編成されたから、機械化が間に合っていないのだろう。
「これより寒村を要塞化する。若い男性に手伝ってもらいたい。女子供は補助を頼みたい。老人たちは知恵を貸してくれ」
ガタイのいい憲兵が大声で命令した。命令である。断られることや従わないことを前提にしていないのだ。
寒村の村人たちは、身を寄せ合って震えていた。どうやって交渉したらいいかわからないのだ。
しょうがないから東征がフルスモークの窓をわずかにあけて、憲兵に話しかけた。
「俺は地球人なんだが、ちょいと質問がある。そこまで切羽詰って工事しなきゃまずいのか?」
「おや、地球の方か。うーん、隣国の状況を見てほしいのだが、あまりに軍備増強の速度が速すぎるのだ。我々は負けるわけにはいかないのでな」
どうやら軍拡競争になっているようだ。工業化が始まってからの地球の歴史をたどるようであった。
「俺には難しいことがわからないんだが、やっぱ雇用契約した労働者と適切な賃金ってのがないと、手抜き工事につながるんじゃないのかい?」
「地球の方。ここは我々の世界で我々の国だ。口出し無用にねがいたい」
「まぁ理屈としてはそうなんだろうけどなぁ……」
寒村の村人たちは、すっかり東征に期待していた。さきほどまで悪魔と蔑んでいたのに、憲兵に逆らうとなったらヒーロー扱いである。
いかにも庶民のリアクションだが、責めるつもりはなかった。
善意や人道などの感傷論でなく、帝国化したタラバザールの情報を増やしておくという意味で、話術を使って交渉することにした。
「帝都の労働力を僻地へまわすことはできないのか? こういう小さな村って、必要最低限の人材で営まれるから、若手が一人抜けるだけでもキツイんだよ。もし村が崩壊しちまったら要塞化してもゴーストタウンだぜ。それじゃあ軍備もクソもない」
「うーん、一理あるなぁ。しばし待たれよ。帝都に質問してみる」
憲兵は、通信機を使い始めた。通信機、である。ついに異世界でも長距離通信が可能になったのだ。これで前線の流動性が加速する。情報戦に強い人物――たとえば盗賊ギルドの新しいマスター・エミリアなどの独壇場になるだろう。
「地球の方。あなたのいったことが一部通った。他の地域から熟練した労働者が送られてくる。賃金は……保証できないが、今よりは向上するだろう。あと一緒にインフラを整える資材が送られてくるから、生活の利便性も増すはずだ」
帝国側から利益が提案されたことで、寒村の村人たちがほっとした。村長が東征の手を握って伝統宗教の祭文を唱えた。
一件落着とまではいかないが、寒村が崩壊する危機を回避できたわけだ。
しかしありがた迷惑な問題が起きた。憲兵が入隊書類を渡してきた。
「地球の方、帝国兵となって一緒に働かないか?」
「スカウトかよ」
「これからの帝国には有用な人材がどんどん必要になる。さぁ一緒に戦おう」
オジサンではなく東征を誘う――銃火器を操れることへの社会的地位が高まったのだ。おそらく魔法大学が解体されたことで、攻撃魔法の権威性が薄れたのだろう。
ふと頭の中に帝国兵となる選択も生まれたが、そもそもユーリを守るためにロシアへ移動中であった。答えは最初から決まっていた。
「悪いけど、旅の途中なんだ」
「それは残念。しかしどこへ旅するというのだ?」
「実は、隣の国へ行きたい」
隣の国という言葉で憲兵がぎょっとしたから、ちゃんと付け加えておく。
「勘違いしないでほしいんだが、あっちの国に出現した次元連結トンネルを通って、ロシアって地球の国に移動したいんだよ」
「なんだ驚かせないでくれ。てっきりあっちの国で就職するのかと思った」
「そういう勘違いをされたら困る社会情勢になりつつあるな、異世界は」
「そうだぞ。我々は王制時代から地球と接触してきたから文化の違いを少なからず理解できるが、隣国は初体験だから、いきなり襲われるかもしれない」
ありえる話だった。タラバザールの僻地である寒村ですら、地球製のベンツを悪魔扱いしたのだ。次元連結トンネルの発生したばかりの隣国は……問答無用で襲ってくるかもしれない。
しかし隣国とてロシアと取引しているみたいだから、発砲する前に警告ぐらいはやってくれるかもしれない。
そんな期待をしながら、ベンツを国境線へ向けて走らせた。がたごとと舗装されていない道をタイヤが転がっていると――ずぅんっと低い音が遠くで聞こえた。音響センサーが分析結果を表示した。ロシア製の榴弾砲による長距離砲撃。
「しゃれになってねぇ!」
東征がアクセルをべた踏みしたら、めちゃくちゃな軌道で着弾。轟音。ばしゅっっっと広範囲の雪が掘り起こされて土まで丸見えになった。
どうやら隣国は友好的ではないらしい。だが幸運なことに弾道学を理解していないから、榴弾砲をまともに使えていなかった。
東征たちが無事に雪原を抜けるか、その前に隣国が榴弾砲で撃破するか――命を賭けた競争勃発である。




