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(8)

 時間は一日前にさかのぼる。


「今日は、ちょっと早めに外に出ます」


 時計の針は十一時。マンションが消えるまで、あと一時間ある。

 子供たちの疲労もあり、できる限り長く安全なマンション内で休ませたいとねねは思ったようだが、儀一には別の考えがあった。


「魔法の練習をしようと思います」

「練習、ですか?」

「はい。昨夜、さくら君の特殊能力、精霊魔法の魔法レベルは、八になりました。消費する魔力も減ったはずなので、試してみようかと」

「で、でも。また気を失ったら……」


 魔法レベルが上がったとはいえ、精霊を呼ぶ際の必要な魔力量は不明である。異世界転生した翌日、雨が降った時に、さくらは精霊魔法を使って気絶してしまった。

 同じことが起こるのではないかと、ねねは心配したのだ。


「正直、その可能性はあります。ですが――」


 きっぱりと儀一は言った。


「いざという時のために、力を使えるかどうか、その力がどの程度のものなのか。僕たちは――さくら君自身も含めて、理解しておく必要があるんです」


 この森ではいつオークに襲われるか分からない。そして、パニックに陥ったさくらが、精霊魔法を使ってしまうかもしれないのだ。

 それらの事情を理解して、ねねは何も言えなくなった。


「ぎーちおじちゃん。さくらが、せいれー魔法を使うの?」

「そうだよ、できるかい?」

「やる!」


 さくらは即答した。

 同級生である蓮と結愛は、魔法を使ってねねを守った。その時さくらは、何もできなかった。お腹を壊して、ねねに背負われているだけだった。


「だから、さくらもみんなの役に立ちたい。ねね先生と、みんなを守りたい!」

「さくら、ちゃん……」


 ねねは驚き、それから泣き出しそうな顔になった。

 少し精神が幼く、おっとりとした性格のさくら。小さな身体にそんな強い想いを秘めていたとは、思わなかったのである。

 さくらの前で膝をつき、ぎゅっと抱きしめる。

 

「オ、オレも練習する!」

「ぼくも、新しい魔法でみんなを守ってみせます」

「あたしもあたしも! はいはい!」


 蓮、蒼空、結愛が次々と手を上げて、儀一に主張した。


「今はだめ」

「え~、どうして?」

「みんなの魔力を使い切るわけにはいかないからね。三人の魔法の練習は、また今度」


 儀一は別の心配をしていた。

 神様によると、精霊魔法を行使するためには、精霊と契約をする必要があるのだという。

 契約のやり方については、口で説明できるものではないらしい。


「フィーリングが合えば、自然と、ね?」


 そういう表現でごまかしていたが、大きな危険性を含んでいるのではないかと、儀一は考えていた。

 契約という言葉を聞いて、仕事以外で儀一が思い浮かぶのは、“悪魔の契約”である。

 何か代償を支払う必要があるのではないか。

 それに、呼び出した精霊が善良な存在とは限らない。

 そこで儀一が計画したのは、マンションを安全地帯セーフティーゾーンとして、精霊魔法を使うという作戦だった。

 外で精霊を呼び出して、もし危険を感じた時には、マンション内に逃げ込むのだ。

 神様によれば、マンション内はミルナーゼではないのだという。

 属性魔法も発現しなかったし、精霊も中に入れない可能性が高い。

 それに、水もある。

 

「いい、さくら君? 僕のやり方をよく見ていてね」


 玄関で、儀一はおもむろに土下座をした。

 子供にはあまり見せたくはない姿だとねねは思ったが、スーツとネクタイを身に着けているので、なんとなく様になっているような気もする。


「さ、二宮さん。扉を開けてください」

「……は、はい」


 戸惑いながら、ねねが玄関の扉を開ける。

 そこでようやく気づいた。

 玄関の扉は地面の上にあるため、こういう形で外に出ないと危ないのだ。

 まるで亀のように、儀一はのそのそと外へ出ていく。続いてさくらが、のそのそと出ていく。おなじ亀でも、こちらは子亀のように可愛らしい。

 途中でさくらは儀一に抱きかかえられた。


「扉は開けたままにしておいてください」

「は、はい」


 玄関の扉をねねが押さえた。

 天気は曇り空。周囲に魔物や動物の気配はないようだ。


「結愛君、ペットボトルを」

「はい、おじさま」


 儀一は結愛から水道水の入ったペットボトルを受け取ると、地面の上に置いた。

 背丈の低い潅木に囲まれているため、オークに見つかる可能性は低い。それに、ペットボトルの水は半分程度、約一リットルだ。仮に契約に失敗したとしても、それほど大きな被害は出ないだろう。


「ステータス、オープン」


 儀一はさくらの特殊能力のウィンドウを開いて、魔力量を確認する。

 それからさくらの服をつかんで、すぐにマンション内に放り込める体勢を整えた。


「よし、いいよ」


 マンションの玄関から、ねね、蓮、蒼空の四人が顔を出して、心配そうに見守っている。


「うんでぃーね!」


 魔法名の発声とともに、ペットボトルの中から水の粒が飛び出してきた。

 それらはさくらの目の前に集まって、楕円体の形状をとる。

 球状の三つのくぼみ、そして左右から飛び出た二本の触手。

 しばらく無言のまま、さくらと精霊は見つめ合った。


「……かわいい!」


 その感想に、玄関から「かわいいか?」「びみょーですね」「え~、かわいいじゃん!」という子供たちの会話が聞こえてきた。男女で評価は分かれるようだ。

 楕円体はぷるりと震え、混乱したように触手をくねらせた。

 その姿は、絵画の巨匠エドヴァルド・ムンクの代表作、“叫び”に似ていると、儀一は思った。


「みねのさくらです」


 さくらはぺこりとお辞儀した。


「あなたは、精霊さん?」


 精霊は答えない。

 くねくねと触手を動かしている。


「そう。お名前は?」


 くねくねと触手を動かしている。

 さくらは儀一を見上げた。


「精霊さん、名前を欲しがってるの。なにがいいかなぁ?」

「……ムンク」

「ムンクちゃん!」


 触手がぴんと硬直した。

 驚いたのか、嬉しいのか、悲しいのか、さっぱりわからない。

 だが少なくとも、こちらを攻撃しようという意思はなさそうだ。

 儀一はさくらに、精霊を呼び出したら、「契約してください」とお願いするように伝えていた。「けいやくってなぁに?」とさくらが聞いてきたので、「仲良くなること」と、儀一は答えた。

 だからさくらは、こうお願いしたのである。


「ムンクちゃん、さくらとお友達になってください!」


 こぽりと、水の中で空気が動く音がした。






 召喚魔法は、召喚者本人の“所有物”のみ召喚することができる。ローンを組んでいるバイクや車などは召喚できないという、いささか変わった条件がついていた。

 この条件付けを行ったのは、ノートの製作者である神様自身だろう。

 通常であれば、マンションやその中にある物品は、十二時間で消えてしまう。

 だが、マンション内で飲食した米やウーロン茶などについては、マンションが消えたとしても、その人の身体の一部として残っているようだ。

 でなければ、水分不足と栄養不足で倒れている頃だろう。

 これは、米やウーロン茶が、飲食した人の一部――つまり、その人“そのもの”となり、召喚者である儀一の“所有物”から、外れたためではないかと儀一は推測していた。

 そして、キッチンの水道水から生まれた精霊、ムンクもまた、一時間が経過してマンションが消えたにもかかわらず、その形態を保っていた。 

 これもおそらく、自分の“所有物”だった水道水が、ムンク“そのもの”、あるいはムンクを呼び出したさくらの“所有物”に書き換えられたのではないか。

 明らかにバグくさいが、神様自身も気づいていないようだ。


「だから次は、バグ――じゃない、ちょっとでもおかしなことがあったら、事前にメールで報告してよね! いい? 山田さん」


 などと言っていたような気もするが、もちろん儀一は報告するつもりなどない。

 このバグを逆手にとって、マンション内の他の物品についても、いろいろと試せることがあるのかもしれないが、あまり派手なことをすると、神様に感づかれる可能性がある。

 特に食事と飲み物については、パーティの生命線だ。

 これ以上の実験は慎むべきだろう。

 さて、さくらの友達になってくれたらしい水の精霊ムンクであるが、魔力の消費量はそれほどでもなかった。

 さくらの特殊能力のウィンドウに表示されている円の色は、緑色と黄色の間っくらい。

 しかし、精霊を呼び出しておける時間には、限りがあるようだ。

 円の右側に追加された情報には、「ムンク(06.55.20)」とあった。

 下二桁の数字は、19、18、17……と変動している。

 これは、さくらが呼び出した精霊が、約六時間五十五分後に消えてしまうということだ。儀一の召喚魔法でも同じように表示されるので、ほぼ間違いないだろう。

 呼び出した時には、約八時間ほどあった。

 まさかとは思うが、魔法レベル八、水一リットルで、波乙女ウンディーネの魔法継続時間が八時間なのだろうか。

 次に二リットルで試してみれば分かるかもしれない。

 ムンクはさくらの周囲をふわふわと漂っている。

 触るとひんやりとしていて弾力があるので、子供たちは触りたがったが、相手によってムンクは明確に対応の差をつけていた。

 比較的結愛には好きにさせて、触手を絡ませたりもするのだが、蓮や蒼空がくるとさらりとかわしてしまう。

 第一印象による子供たちの発言を、ムンクは覚えているのだ。

 意外と根に持つタイプなのかもしれない。

 その日も南の方角へ歩きながら、食料となる木の実や草を探していく。


「ん~とね。こういうのを探してるんだよ」


 さくらはひとつだけ見つけた“緑白菜”を、ムンクに見せた。

 

「いっしょに探してくれるの?」


 ムンクは体内で「こぽり」と空気を鳴らす。

 どうやら、会話は成り立っているようだ。

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