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 北にそびえる“デルシャーク山”に向かって、分厚い黒雲が流れている。今にも泣き出しそうな空模様だが、地上は熱気に満ち溢れていた。


『殺せ!』

『弱者を!』

『喰らえ!』

『血肉を!』


 円形状の広場に、数百体ものオークの大合唱が響き渡っていた。

 広場の中央で相対しているのは、ひとりの太った人間の男と、一体のオーク。

 太った男は木の枝を加工した木刀を手にしており、オークは石斧と木の盾と革鎧という完全装備だ。

 太った男は、明らかに怯えていた。


『どうした、腰抜けの人間め!』

『ギギ、こいつ、震えてるぞ』

『丸々と太りやがって。食べがいがありそうだ』

『俺たちに食われるために、太ったんだ!』

『ゲッゲッゲ!』


 広場の近くには階段状になった高台があり、そこにはひと際大きなオークがいた。

 口から上向きに突き出ている牙の数は四本、通常のオークの倍である。

 それは、オークキングと呼ばれる魔物だった。

 力の象徴たる八つ裂き熊の毛皮を頭から被り、胸には赤目狼の牙をつないだネックレスを身に着けている。

 周囲の熱気をよそに、オークキングはやや退屈しているようだ。椅子に腰をかけながら、気だるそうに頬杖をついている。

 見下ろす先では、太った男が泣き叫んでいた。


「と、利光、た、助けてくれ!」

「そいつを倒せ! それしかねぇ!」


 叫び返したのは、痩せた長身の男である。広場の最前列で別のオークたちに拘束されており、身動きがとれないようだ。

 ねねを襲い子供たちの魔法で撃退された、あの二人組の男たちだった。

 乏しい食料をめぐって言い争いをしていたところを、運悪くオークたちに見つかり、この集落へ連行されてきたのだ。

 そして今、わけもわからず戦いを強要されている。

 彼らは知らなかったが、この広場はオークたちにとって神聖な闘技場であり、また娯楽用の屠殺とさつの場でもあった。


「茂! “あれ”を使え!」

「わ、分かった。やる――やってやる!」


 異世界転生する際に太った男が選択したのは、片手剣のスキルだった。

 ゲームに出てくる勇者のように優美な装備を整えて、鮮やかに敵を切り裂く姿を夢想したのだろう。だが、現実に彼が手にしているのは、倒木の枝を尖った石で削った、あまりにも不恰好な木刀である。

 それでも、装備要件は満たしている。


「妙技、一閃いっせん!」


 技名の発声と同時に、片手剣のスキルが発動した。

 攻撃するおおよその位置と視線の焦点さえ定めてしまえば、自動的に身体が動いてくれる。特殊能力システム内に組み込まれている、“動作補助アシスト”という機能だ。

 相手の体勢が崩れた時にタイミングをよく使えば、大きなダメージを与えることができるだろう。

 だが、警戒している相手に初手から使うものではない。

 鋭い横薙ぎの剣戟けんげきを、オークは木の盾で受け止めた。

 倒木の枝を削って作った木刀は、大量の水分を含んでおり、内部が腐りかけていた。衝撃に耐え切れず、文字通り木っ端微塵に砕け散る。

 驚きで目を見張る太った男。

 オークは余裕を持って石斧を振り上げると、


「あ――」


 そのまま振り下ろした。

 ひと際大きな歓声が上り、聴衆たちが勝者を称えた。

 戦いの質など関係ない。これは、娯楽なのだから。

 ぽつりぽつりと、雨が落ちてきた。


「し、茂……」


 次に広場の中央に引きずりだされたのは、痩せた長身の男だ。

 

『殺せ!』

『弱者を!』

『喰らえ!』

『血肉を!』


 オークたちの大合唱が湧き起こる。

 しばしの間、男は俯き加減でじっとしていたが、ふいに空を見上げると、げらげらと笑い出した。


「くっ、ひひ――ひゃっはっはっはぁ!」


 次第に強くなる雨の中、両手を大きく開いて笑い続ける。

 恐怖で気が触れたのだと、オークたちは思った。

 だが、そうではなかった。男の目は血走っていたが、わずかに理性の光が残っていた。

 

「あの金髪の、クソ野郎が言うにはよ……」


 笑い声を止めると、男は完全武装のオークに向かって語りかける。

 もちろん言葉の意味は通じない。


「オレの選んだ魔法は、すべての特殊能力の中で、最強なんだとよ」


 その代わりに厳しい制限がある。

 大きな魔力を消費するので、使えるのは一日一回が限度。継続時間も短い。

 そして最初に取得する魔法は、身近なところに水がないと使えないのだ。

 そのことを男が知ったのは、特殊能力を選んだ後、異世界転生される直前のことだった。

 神を自称する青年が、「あ、そういえばさ……」と、にやにや笑いながら追加の説明したのである。


「そのことを知ったときは、クソ野郎を殺してやりたいと思ったぜ。だがな――」


 今は雨が降っている。

 必要な水は、無尽蔵にあるのだ。


「出て来い! 波乙女ウンディーネ!」


 右手を身体の前にかざして、男は精霊の名を叫ぶ。

 瞬間、雨音が止まった。

 空中で停止した水滴が、男の前に集まってきた。地面に落ちた雨も這い寄ってきて、それらはひとつの塊になった。

 聴衆がざわめき、完全武装のオークも身構える。

 雨水の塊は、空中に浮かんでいた。

 形状は変化し続けているが、おおむね楕円体だえんたい。表面に丸いくぼみがみっつある。そして左右に触手のようなものが二本、突き出ていた。

 あまりにも不恰好であり、前衛的なアート作品のようにも見える。 


「……お前が、精霊か?」


 男の問いに、雨水の塊は無反応だった。


「オレの周りにいる豚どもを、ぶっ殺せ!」


 反応はない。


「おい、早くしろよ。オレが呼び出したんだぞ! お前のご主人様だろうがっ」


 反応はない。


「なぁ、おい。助けてくれるんだろ? 頼むよ――なぁ!」


 何度も何度も命令を下したが、言葉が通じないのか、あるいはやる気がないのか、雨水の固まりはまったく反応しなかった。


「このクソ野郎が! さっさとしやがれ!」


 半狂乱になった男は、下段蹴り(ローキック)を繰り出した。

 意外なほど弾力があった。反動でバランスを崩し、倒れ込んでしまう。


 ――こぽっ。


 水の中で空気が動く音がした。

 次の瞬間、楕円体の塊がぐにゃりと歪んで、二本の触手の先端が変化した。

 つららのように尖った形状。


「あん?」


 それが、男が発した最後の言葉となった。






「……ばかだねぇ」


 天地も定かでない灰色の空間。

 画面盤モニターを確認していた金髪碧眼の美男子は呟いた。

 人間工学に基づいて設計されたデスクチェアの存在意義を無くすかのように、座面の上で胡坐をかいている。股の間にせんべいの入った木皿と、ペットボトルのお茶。

 神様である。

 その周囲には、百近くの画面が空中に浮かんでいた。画面の最上部には連番の数字がふられており、上半分には異世界転生者の姿、下半分には状態盤ステータスプレートが映し出されていた。

 神様の目の前には二つの画面盤があり、雨の中、地面に伏せてぴくりとも動かない男たちの姿が映っていた。

 太った男と痩せた長身の男だ。


「精霊魔法はさ、呼び出した精霊と契約しないと使えないんだよ。ちゃんとノートに書いておいたんだけどなぁ」


 精霊たちに人間のような倫理観はない。しかも、見かけによらず繊細な感情を持っているので、機嫌を損なうと逆に攻撃されることもあるのだ。

 呼び出した精霊と契約するには、気高い心と強靭な精神力が必要とされていた。

 比較的精霊に近い存在である森の妖精エルフでさえ、“契約の儀”に臨むまで、百年以上の歳月をかけて、自然のことわりを学び、精神の鍛錬を行う。

 文明の利器に慣れ親しんだ現代人では、いささか荷が重過ぎる行為だろう。


「三十八番と三十九番は、お~わりっと」


 残りは九十名である。

 最近お気に入りの“醤油二度漬けせんべい”を噛み砕きながら、神様は嘆息した。


「百十番を襲って、子供たちに返り討ちに遭った時には、ちょっと笑ったんだけどなぁ。ま、因果応報いんがおうほうってオチはついたし、編集の対象候補にしてあげようか」


 せんべいを口に挟んだまま、三十八番と三十九番の画面盤を消そうとしたところで、その手が止まった。

 オークたちの集落に動きがあったようだ。






 群集たちを蹴散らすようにして、二十体ほどのオークの集団が高台の前にやってきた。


『オヤジ、頼みがある!』


 集団の先頭にいた若いオークが叫んだ。オークキングには及ばないものの、なかなかに立派な体格をしている。派手な飾り羽をつけたなめし皮の羽織ローブ、のようなものを身に着けていた。

 

『どうした、ギダン』

『三日前――グザンがやられた。人間にだ』


 すぐ後ろにいたオークが腕を出した。

 どす黒い色をした薬草が塗りつけられている。

 炎の魔法による、焼けどの傷だ。

  

『四匹の子供と、一匹のメス、そして変なオスだ。それに、理由はわからねぇが、昨日からドビラの奴が帰ってこねぇ』


 群集たちがざわざわと騒ぎ始めたが、高台にいるオークキングはまったく動じなかった。

 皿に盛られた芋虫をつかみ、豪快に丸呑みする。


『んぐっ。……で?』

『“赤目あかめ”を借してくれ!』

 

 集落で飼っている赤目狼である。

 体長三メートル近くになる狼で、子供の頃から飼い慣らしているので、命令には従順に従う。狼の親を殺したのはオークキングであり、戦利品である牙はネックレスになっていた。


『“赤目”は鼻が利く。こいつらがやられた場所には、まだ匂いが残っているはずだ』

『雨が降っているぞ』

『今から出れば、間に合う!』

『……よかろう』


 鷹揚に頷いてから、オークキングは注文をつけた。


『女は生きたままつれてこい。先に手をつけたら、ゆるさんぞ』

『分かった』





「え~と、山田さんたちは、と」


 オークたちの様子をモニタリングしていた神様は、巨大な画面盤モニターを呼び出した。

 そこには森や山、川といった地形と、オークや異世界転生者たちの位置が示されていた。

 

「近い、近いよ、山田さん。目と鼻の先だよ!」


 神様は満面の笑みを浮かべていた。

 それから、やや渋い声色で語りだす。


「子供をつれての逃避行。彼らの歩みは遅かった。その後を追う、凶暴な赤目狼と、復讐に燃えるオークたち。彼らの運命やいかに――」

 

 再び軽い声色に戻る。


「よし、ナレーションはこれでいこう!」

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