(49)旅立ち(第二章 完)
魔法のヘビは、もちろんハッタリだった。
操水を使い続けると、魔力を少しずつ消費していく。カミ子が水のベッドを作った時には、朝になる前に魔力を使い果たし、白目を剥いて気絶してしまった。
それに、距離が離れると魔法は解けてしまうようだ。
魔法のヘビはすぐに水に戻ったはずだが、ドランに確かめる術はないだろう。
カミ子に痛めつけられたドランは、魔法に対して強い恐怖感を植えつけられている。その心情を利用して、引っ越しまでの時間稼ぎをすることが、儀一の目的だった。
戦意を喪失してくれるのであれば、なおさらよい。
夏までにはカロン村を出ていくという方針を、儀一は何度かねねと子供たちに伝えていた。
しかし、子供たちは実感が持てなかったようだ。
“村会議”の後、全員を集めて正式に報告すると、さくらは「アイナちゃんとミミリちゃんと、別れたくない!」と、泣いてしまった。
ねねが時間をかけてなだめ、謝り、励まして、ようやく納得してくれたのだが、子供の扱いに慣れていない儀一ではお手上げだっただろう。
「や、助かりました」
子供たちが寝静まってから、儀一はねねに感謝の言葉を伝えた。
「さくらちゃん、わがままを言ってくれるようになりましたね」
家族として認められているようで嬉しいと、ねねは言った。
そういう考え方もあるのかも知れない。
ねねとしても、タチアナやトゥーリといった友人や、村の子供たちと別れるのは辛いはずだが、そんな素振りは見せなかった。
「私は、儀一さんの選択を信じていますから」
この国の言葉や風習などを覚えるために、カロン村では積極的に特殊能力を使って、村に貢献しようと考えた。
しかしそれは、不自然な共存関係だった。
いずれ、どこかできっと、歪みが生まれてくる。
現に村長のヌジィは、儀一たちの能力を抑え、また利用しようと画策してきた。
これはまだ、ましなほうだ。
一番困るのは、無条件であてにされ、神様のように頼られること。
毎日、おにぎりを出してくれるのだろう?
魔法を使って効率よく薪や木炭を作れるのだろう?
精霊は魚を捕り、畑を耕せるのだろう?
だったら、他のこともできるのではないか?
断れば角が立ち、不満が蓄積されていく。
ゆえに儀一は、カロン村での生活を期間限定とすることに決めたのだ。
「僕の選択が、常に正しいとは限りません」
大人たちの動向はともかくとしても、子供たちは友達を作り、楽しく遊んでいた。このまま辺境の村で暮らすほうが、子供たちの成長にとっては有益だったかもしれない。
分かっていますと、ねねは答えた。
「でも儀一さんは、きちんと私に説明してくれますから」
毎晩、ねねとはこうやってお茶を飲みながら話をしてきた。
それは自分の考えを整理するためであり、自分の苦手な分野ーーおもに子供たちの教育について相談するためでもあった。
それに、とねねは続けた。
「儀一さんが、いつも私や子供たちのことを考えてくれていることは、よく分かっています。だからもし、儀一さんの選択が間違っていたとしても、私は絶対に後悔しません」
最初の頃は照れ臭さもあったが、心が通じ合っているという実感も生まれている。
「その、ねねさん」
そして心は、表現してお返しするもの。
「いろいろと助かってます。子供たちのこととか、家のこととか」
子供を四人も抱えていながら自由に商売ができたのは、間違いなくねねのおかげだ。
それに、廃墟だったはずのこの家も、ずいぶんと居心地がよくなった。
いつも清潔で、暖かい。いつの間にか小物が増え、テーブルの上の花が絶えることはない。生活の匂い、あるいは空気といったものが、形作られているようだ。
それは、儀一ひとりであれば切り捨てていたはずの要素だった。
「ですから、その」
言葉にすると、陳腐なもの。
「これからも、よろしくお願いします」
それでも。
心から嬉しそうに、ねねは「はい」と微笑んだ。
翌日、儀一はひとり、石材置き場へと向かった。
いつもであれば子供たちが遊んでいるはずなのだが、今は閑散としている。
昨夜の件で、子供たちに外出禁止令が出ているのかもしれない。
小汚い住居と、いくつかの倉庫を覗いてみる。
誰もいない。
あろうことか、老ドワーフは“石牢”の中で大の字になって眠っていた。
「風邪をひきますよ」
「……んご?」
もちろん、閉じ込められているわけではなかった。
鉄格子の一部がひしゃげ、取り外されている。
「いかんな。もう朝か」
「この檻は、壊してしまうのですか?」
老ドワーフは欠伸を噛み締めた。
「もう、必要がないからな」
確かに、勇者の剣が発見されて売却されるわけだから、こんな手の込んだ“罠”は必要ないのかもしれない。
儀一はランボに、カロン村を出ていくことを告げた。
「そうか」
“村会議”を途中退出したランボは知らないはずだが、特に驚いた様子も見せなかった。
「ランボさんも、出ていかれるのですね」
「どうしてそう思う」
「あなたは、勇者の剣を守る番人だったのでしょう」
言い伝えによれば、今から六百年ほど前に現れた勇者シェモンは、“アズール川”を渡ってきたオークたちの大群を、たったひとりで退けた。その時には使った武器が、勇者の剣――オークスレイヤーなのだろう。
その剣を手にした時に現れた、勇者シェモン。
『さて、勇敢なるカロン村の民よ。ここに来たということは、力が必要になったのであろう。その時が来たのだ。約定に従い、女神より授かりし刀をさずけよう。願わくば、この世界の民に、穏やかなる平和が訪れんことを』
その台詞から推測するに、再びオークたちが力をつけ襲いかかってきた時に、カロン村の者がこの剣を使って撃退する手はずだったのではないか。
しかしカロン村の人々は、勇者の剣のことも、自分たちの役割のことも忘れてしまった。
ランボだけを除いて。
『ギーチよ。少しだけ、宝探しに付き合ってやる。もしかすると、あやつらの目を覚まさせるきっかけになるかもしれんからな』
ただひとり秘密を守り続け、“石牢”のメンテナンスを行っていた老ドワーフの気持ちは、どのようなものだったのだろう。
「カロン村の人たちを、試したのですか?」
「……」
老ドワーフはしばらく沈黙していたが、豊かな髭の中に苦笑らしきものを浮かべたようだ。
昔を懐かしむようにため息をつく。
「昔は、オークたちを間引くために、あるいは木材や食料を調達するために、村の若者たちは進んで“オークの森”に入ったものだ」
しかし時が経つにつれて、村人たちはオークを恐れるようになった。
“シェモンの森”が育ち、貧しいながらも生活が成り立つようになったことも、ひとつの要因だったのかもしれない。
ガラ麦が大凶作となり、食糧不足に陥った時も、村人たちは豊かな“オークの森”で食料を探そうとはせず、出稼ぎに出ることを選択した。
本来守るべき場所を、自ら離れたともいえるだろう。
そして今回、勇者の剣を売却する決定を下した。
「子供たちは、相変わらずの悪ガキで、お転婆だが……」
ランボは石材置き場を眺めた。
この辺りを元気に駆け回っている子供たちの姿を思い浮かべたのかもしれない。
「人間は、時とともに変わりすぎる」
誰でも、苦しい思いはしたくない。
楽をしたい。豊かになりたい。
その飽くなき思いこそが、人間の社会を発展させる原動力となる。
しかしそのことで失うものは、確かにあるのだろう。
「すぐに発たれるのですか」
「いや、道具や資材の片付けがあるからな」
それが済んだら、西の大砦に向かうとのこと。
儀一たちとは正反対の方角だ。
電話もメールもない世界では、気軽に連絡を取ることはできない。
一度別れたら、二度と会えないかもしれない。
「本当に、お世話になりました」
一期一会という言葉を噛み締めながら、儀一は礼を述べた。
「ふんっ」
ぶっきらぼうに鼻を鳴らしつつ、老ドワーフはすたすたと“石牢”から出て行く。
相変わらずそっけない態度だ。
しかし、
「ギーチよ」
最後に少しだけ立ち止まると、老ドワーフは意味深な言葉を投げかけてきた。
「あの刀は、持ち主のもとに帰ってくる。いずれな」
翌日、儀一はウィージ村に出かけた。
浅見拓也に報告するためである。
西方にあるウィージ村までは、片道二時間ほど。
夏が近づき、気温も上がってきたが、バイクを走らせるにはよい季節だ。岩だらけの荒野にも時おり草花が見受けられ、ちょっとしたツーリング気分である。
「あ、師匠! お久しぶりです」
拓也は思いのほか元気そうだった。
冬の間に、少したくましくなったような気がする。
この青年は、どういうわけか儀一のことを師匠と呼ぶようになっていた。
同じ異世界転生者である世良たちから助けられ、奪われた特殊能力を返してもらったことに、いたく感激したらしい。
「いよいよ、カロン村を出ることになってね」
「そう、ですか」
拓也は寂しげな顔を見せた。
彼もまた、冒険者になるためにウィージ村を出る予定である。
しかしその前に、言葉を覚える必要があるので、もう少し先のことになるだろう。
今は身体を鍛えたり、棒切れで素振りの練習をしているらしい。
「村に元冒険者のおじいさんがいて、剣術を教えてもらってるんです。身体ができてないって、しょっちゅう叱られてますけど」
マーニ以外の村人とも交流があるらしいことに、儀一は安堵した。
「今日は、餞別を渡そうと思ってね」
まずは、ひと振りの剣。
魚十匹と引き換えに、ドワーフのランボに作ってもらったものだ。
刃渡りは六十センチくらいで、小剣という種類らしい。初心者向けの剣だそうだが、けっこうな重量がある。
こっそり鑑定を使ってみたが、かなりの業物のようだ。
「こ、こんな、立派なものを」
「いい道具を使わないと、いい仕事はできないからね」
まるで事務用品を選ぶような表現を、儀一は使った。
次に、カロン靴。荒野鼠の革を使ったスニーカーである。
追加注文が入って忙しいはずのトゥーリだったが、快く引き受けてくれた。冒険者用ということで、特別に革を二重にして、頑丈な作りとなっている。
「それと、これ」
同じく荒野鼠の皮でできた財布。
ずしりと重い。
中に入っているのは、この国の通貨だ。
「どこの世界でも、お金はいるからね」
「……」
最後にラップに包んだおにぎりと、水筒に入れた味噌汁を渡した。
今朝、ねねに頼んで作ってもらったもの。
「ああ、これは夜になると消えちゃうから、なるべく早く……」
「ううっ」
両腕一杯に餞別の品を抱えながら、
「し、師匠ぉ~」
拓也は感極まったように泣き出してしまった。
そして――
“村会議”から三日後の早朝。
ドランとの決闘の日でもある。
まだ薄暗いうちに、儀一たちは出発することにした。
ランボに作ってもらった幌つきの荷車は、土の精霊グーに繋がれていた。荷台にはマンションから持ち出したベッドのマットレスを敷いて、クッションをよくしている。
子供たちはこの形態を、“グー・カー”と命名した。
ねねと四人の子供たちが荷車に乗り込み、儀一がバイクの“モンキー”で先導する予定だ。
どう取り繕っても夜逃げのような形だが、タチアナとトゥーリ、そして二人の娘であるアイナとミミリが見送りに来てくれた。
少女たちは、シェモンの森で草花を集め、花束を作ってくれた。
儀一たち全員分である。
「今度、遊びにいくから」
「絶対に、絶対にいく!」
社交辞令というわけではない。
トゥーリが作る“カロン靴”は、これから儀一たちが住むことになるポルカの町の靴屋に売ることになる。
運搬役はタチアナが引き受けるそうで、アイナとミミリは絶対についていくと息巻いていた。
それを聞いた結愛とさくらは、途端に明るくなった。
そしてねねがひとり、号泣していた。
「ほ、本当に、ありがとう、ございました。タチアナとトゥーリがいたから、わた、私は……」
「あ〜あ、今生の別れじゃあるまいし」
「ほら、早く泣き止まないと、陽が昇ってしまうわよ」
まるで子供のように、タチアナとトゥーリから頭を撫でられている。
別れの時に涙を流せるのは、心が柔らかく、優しい人なのだろう。
あまり感傷に浸れない性格である儀一としては、おとなしく待つのみだ。
これからカロン村はどうなっていくのだろうか。
自分たちにはともかく、ランボまでいなくなってしまえば、村での生活が成り立たないかもしれない。はからずもそのきっかけを作ってしまったわけだが、責任のとりようもない。
まあ、抜け目のないヌジィのことだから、 伝説の剣の売却益で何とかするのだろうと、儀一は軽く考えることにした。
ようやくねねが泣き止み、子供たちとともに荷車に乗り込んだ。
「ギーチ。あとのことは、心配いらないから」
タチアナは、儀一がドランとの決闘から逃げ出すのだと考えている。
恐れおののいているのはドランのほうだろうが。
「彼には、不戦敗で僕の負けだと伝えておいてください」
これで、魔法のヘビを解く理由になるだろう。
トゥーリもやってきて、深々と頭を下げた。
「ギーチさん、本当にありがとう。あなたは大げさでなく、私たちの村を救ってくれたわ。それに、私とミミリのことも」
返せないほどの借りがあるから困ったわと、トゥーリは笑った。
「トゥーリさんも、お元気で」
「ええ。あなたも――」
そう言って、ちらりと荷車の方に目をやる。
「ネネを、大切にしてあげてね」
ほんの一瞬だけ、トゥーリは切なそうな表情を浮かべたが、儀一は気づかないふりをした。
“モンキー”のエンジンをかけて、荷車の前方まで進める。
「じゃあ、さくら君、行くよ」
「うん」
向かうは東の方角。
その後南下して、海へ出る。
道のりは約百キロ。
目的地は、ポルカの港町だ。
「グーちゃんごー!」
うっすらと輝き始めた空に、かわいらしいかけ声が響いた。
カロン村偏、完結です。




