(45)スパイ
冬から春先にかけて、何度か。
儀一の知らないところで、非公式の会合が行われていた。
議題は、異国人たちの処遇について、である。
タチアナやトゥーリといった主婦層は参加していない。異国人と仲のよい彼女たちでは公平な意見が聞けないだろうというのが、その理由だった。
「あんなインチキ野郎を、この村に置いてちゃだめですぜ」
いつも過激な主張するのは、木こりのイゴッソだ。
「やつらが魔法を使って、必要以上に薪を切り出しているのは間違いねぇ。それを朝市で売りさばいて、荒稼ぎしてやがるんだ。このままだと、“シェモンの森”がもちませんぜ」
嘘である。
儀一が魔法を使って樹木を伐採加工しているのは事実だが、切りすぎているということはない。一日何本まで切り倒してよいのか、事前にイゴッソには確認しているし、伐採後は植樹も行なっている。
村人たちが必要とする薪や木炭についてはきちんと用意しているし、余剰分は木こりの持ち分となるのだから、どう扱おうが問題にはならない。
しかし、“シェモンの森”の管理人はイゴッソだった。
実情を知る者は彼以外にはおらず、実質、言いたい放題なのだ。
木こりの仕事を奪われたイゴッソは、儀一を恨んでいた。
会議に参加している老人たちも、そのことを知っていた。
内心、自業自得だという思いもあるのだが、改まった場で指摘するのも面倒くさい。
本来であればなだめ役になるはずのヌジィは、難しい顔をして相槌を打っていた。
「もしそれが本当だとすれば、問題だのう」
ヌジィは孫たちを使って、儀一たちの行動を監視していた。
その結果、この異国人は莫大な富を生み出す力を持っているのではないかという結論に至った。
途切れることのないオニギリの供給。流れが早く、漁の難しいはずの“アズール川”からもたらされる大量の魚。そして、質のよい薪と木炭。
噂では、雪の降る日にポルカの町まで出向いて、トゥーリの娘の薬を手に入れたらしい。
タチアナとトゥーリを巻き込んで、新しい商売を始めたという話もある。実際、タチアナが荒野鼠の皮を買い占めていたようだ。色艶も悪く、売り物にはならないはずの素材で、何をしようというのだろうか。
どちらにしろ、このまま放置するわけにはいかないと、ヌジィは考えた。
村長として村人たちの調整役を任されることが多いヌジィには、長年の経験から得た人心掌握術があった。
それは、相手に対して、必ず精神的に優位な状況に立つこと。
方法は単純である。
あえて困窮させ、それから救いの手を差し伸べるのだ。
どれだけ腕っ節が強くて、知恵があったとしても、借りのある相手には頭が上がらないもの。
優位な立場にあるからこそ、もめごとなどの調整も上手くいく。
しかし儀一には、その方法が通じなかった。
これでは、異国人が持つ不思議な力をコントロールすることができない。
「今はみなが助け合い、乗り切らねばならない苦境じゃ。富は公平に分配されねばならん」
「その通りですぜ」
もちろん、イゴッソとは事前に打ち合わせ済みである。
努力もしないくせにプライドだけは高い“褒められたがり屋”は、実に操りやすい。
当初ヌジィは、孫のドランとモゼを使って、儀一とねねを籠絡しようと考えていた。
しかし頼りない孫たちは、成果を上げることができなかったようだ。
取り込めないのであれば、力を削ぐしかない。
ヌジィにはとある予感があった。
今は自分がいるから問題はない。
異国人の好き勝手にはさせない。
だが時が経ち、代替わりした時にはどうなるだろうか。
乱暴者で人望のないドランでは、儀一の相手にはならない。
それに、村の子供たちはねねが面倒を見ている。
将来、村を背負う立場になる子供たちは、儀一とねねの味方をするのではないか。
このままでは、自分が長年築き上げてきた土台が、すべて崩れ去ってしまう。
悲嘆に暮れていたそんな時、とんでもない報告が入った。
儀一が伝説の勇者の剣を手に入れたというのだ。
カロン村の者にとって、勇者シェモンは光の女神シンディアラに匹敵する存在である。剣が本物ならば、出稼ぎに出ている男たちまで引き込まれてしまうかもしれない。
もはや猶予はなかった。
本当は、今すぐにでも木こりの役を剥奪したいところだったが、イゴッソが使えない。薪や木炭の供給が滞ってしまうだろうし、村人たちの賛同も得られないだろう。
だが、災い転じて福となる。
ちょうどよい使い道があった。
「魔法で木を切り倒せるのなら、余裕もあるだろう。ここはひとつ、畑仕事を手伝ってもらおうか」
まずは、儀一の行動の自由を封じる。
畑仕事に扱き使えば、心身ともに披露し、商売どころではなくなるだろう。
この作戦は、見事に失敗した。
儀一は精霊たちを使って、村中の畑を短期間で耕してしまったのだ。
「……というわけで」
モゼはにっこりと笑った。
「おじいちゃん、また何かたくらんでますよ。ギーチさん気をつけてくださいね」
「ありがとう、モゼ君」
ヌジィの行動は、儀一に筒抜けであった。
最近、失望したような目で孫娘に文句を浴びせかけてくる祖父と、いつも丁寧に応対し、おまけに褒めてくれる年上の青年。
うら若き乙女がどちらの味方をするのかは、明らかであった。
「この村で成り上がろうとか、そんな野望はないんだけどなぁ」
「持ちましょう、野望を。ギーチさんなら一攫千金を狙えますよ!」
「モゼ君は、向上心があるね」
「えへへ」
冬の間、ねねから借り受けた特殊能力暗記と解読をフル活用して、儀一はバシュヌーン語をほぼマスターすることができた。
ねねを通訳として介する必要はない。
「そうだ、儀一さん。今度“シェモンの森”にでも、山菜を採りに――」
「あー、ねぇちゃん、また来てたんだ」
石切場のおにぎり屋に、ブッキがやってきた。
「いっしょに遊ぼうぜ」
「いやよ」
ねねが子供たちに教えている遊びは、みんなで参加できるものばかりだ。
辺境の田舎であるカロン村では、伝統的に、幼い男の子と女の子たちが反目し合ったりするのだが、今の世代は仲良く遊んでいる。
たまにねねを取り合って喧嘩もするが、“おやつ抜きの刑”をねねに宣言されると、すぐに降参することになる。
どうやっても勝てない相手なのだ。
ある意味、ヌジィの目指す人心掌握術の究極系と言えるのかもしれない。
「あんたと違って、私は忙しいのよ」
少し地を出しつつ、モゼがそっぽを向く。
二重スパイ活動に、彼女は忙しい。
たくさんの子供たちに囲まれながら、ねねがやって来た。
「げっ」
その中にはさくらがいて、水の塊のようなものを抱きかかえていた。
ムンクだ。
モゼは水の精霊が苦手であった。得体の知れない形をしているし、うねうねと蠕く触手が気持ち悪い。触ったことはないが、表面がぬめぬめしているかもしれないし、絶対に近寄りたくない存在だった。
「じゃ、じゃあ、ギーチさん。今日のところはこれで」
モゼは丁寧に一礼すると、駆け足で去っていった。
「やれやれ」
慌しい少女の後ろ姿を見送りながら、儀一は吐息をついた。
「素直に頼ってくれたなら、できる限りをのことをするのになぁ」
この時儀一は、密かに企画していたことがあった。
勇者シェモンによる“村おこし”である。
カロン村には勇者の遺物が数多く残っている。
観光資源としてはかなり有望なのではないかと、彼は考えていたのだ。
“シェモンの森“は遊歩道が整備されていて、木漏れ日が気持ちよい。神秘的な泉と子宝に恵まれるという“オークの石像”もある。
石材置き場の“石牢”も、ある意味異様な雰囲気があるし、蒼空たちの話によれば、“石切り山”にある“塩の泉”と“四角岩”も風光明媚な場所らしい。
そして極めつけは、勇者の剣オークスレイヤーである。
これを、広告塔とする。
レプリカをランボに作ってもらって、寄り合い所に展示するのはどうか。
素振り体験コーナーもありだろう。
お土産類は、勇者の遺物にちなんだもの。
勇者の剣(木刀)は鉄板として、ミニチュアオークの石像、あるいは木像もいい。刺繍を施したハンカチはどうだろうか。子宝に恵まれるという言い伝えは、よい付加価値となるはずだ。
デザインは、いわゆるキモかわいい系。果たして、この世界でも受け入れられるだろうか。
上級編としては、“四角岩”から“石牢”までの“アトラクション”があった。
名付けて“勇者の試練”。
四つの部屋に設置されているという仕掛けの安全性と継続性が確認されているのであれば、これもありだろう。
仕掛けを突破するには力作業が必要だが、サポーターとしてドランたちを使えばよい。
恐怖というのは、それだけで娯楽になるのだ。
足場が悪いので、動きやすい“カロン靴”を貸し出す。気に入ってもらえたなら、もちろん購入も可能である。
問題となるのは、インフラ整備――交通機関と宿泊施設だった。
大量の観光客が押し寄せた場合、いまのカロン村の設備では、支えきれない。
それと、名物料理も必要になってくるかもしれない。ガラ麦やジュキラ芋を使った料理では、観光客をがっかりさせてしまう。荒野鼠を使った煮込み料理などは作れないだろうか。
だが、それらの心配は杞憂だった。
この企画が“村会議”にかけられることは、まずないのだから。
村おこしといった大きな事業には、強力なリーダーシップと関係者全員の覚悟が必要である。保守的な村長では、事前の根回し段階で潰されるのがオチである。
生前、市役所の市政推進課で仕事をしていた儀一としては、妄想レベルでの楽しみに過ぎなかった。




