(6)
「薄力粉が少し残っていましたので、クッキーを作ってみました」
キッチンから、ねねが大皿を運んできた。
薄力粉、砂糖、サラダ油をこねて電子レンジで調理したもので、卵やオーブンを使わないアイディア料理である。
「えっ、クッキー? やった!」
両手の拳を握り締めて、蓮がばんざいした。
「も~、蓮ったら、はしゃぎすぎ」
結愛はやれやれといった感じで肩をすくめたが、
「ゆあちゃん、食べないの?」
というさくらの問いに、
「食べる!」
と、即答した。
「甘いものといえば、砂糖水くらいでしたからね。素直にうれしいです」
要領のよい蒼空がテーブルの上を片付けて、ティッシュを人数分配る。
「山田さんもどうぞ。紅茶のお代わりもいれますから」
「あ、はい」
考え事をしていた儀一も、危なっかしい足取りでソファーから降りてくる。
「や、うちの材料でお菓子が作れるとは思いませんでした」
「今は、インターネットの中に、色々なレシピが置いてあるみたいなんです。うちの妹、甘いものが大好きなんですけど、計画性がなくて。お小遣いを使い切るといつも、インターネットの中にあるレシピを、どなたかからお借りしてくるんです」
微妙にネット慣れしていない言葉遣いで、ねねが説明する。
「さくさくで、おいしぃ!」
クッキーは大好評で、子供たち以上にねねの方が嬉しそうだった。
ジブリ映画鑑賞が終わると、儀一は魔法を使うことを提案した。
「魔法は使えば使うほど、熟練度が上がって、レベルアップするみたいだからね。せっかくだから、使わないともったいないよ」
「でも、マンションの外は危険じゃないですか?」
懸念したのはねねである。
蓮の光属性魔法や結愛の火属性魔法は強い光が出るので、もしかすると遠くからでも見つかってしまうかもしれない。
それに対する儀一の答えは簡潔だった。
「マンションの中で使います」
「え? ここでですか?」
子供たちも驚いたようだ。
「だめだよ、おじさま。マンション燃えちゃうよ」
結愛が心配したが、儀一はけろりとしていた。
「ベランダから、外に向かって魔法を使うんだよ」
しばらく考え込んでから、蓮が褒め称えた。
「おっちゃん、あったまいい!」
「こら、蓮君!」
「まあまあ、二宮さん」
このマンションの一室――ベラ・ルーチェ東山一〇二号室の外側は、深い闇に包まれている。空間はあるようなのだが、どこまで続いているかは不明だ。
色々な方向にものを投げ入れたところ、半径十メートル以内には何もなく、おそらく隣人もいないので、苦情はこないだろう。
「じゃあ、まずは、蒼空君からいこうか」
「はい」
ベランダには壁があるので、斜め上に向かって撃つことになる。
「ちょっと待ってね。今、状態盤を確認するから」
魔法によって熟練度の上がり方が違うようなので、ひとりひとり確認することにする。
「では行きます」
蒼空は両足を踏ん張り、右手を突き出して叫んだ。
「空斬!」
通常であれば風の刃が弧を描くように放たれるのだが、そんな気配はなく、風切り音も聞こえなかった。
傍から見ると、ただ手を突き出して魔法名を叫んだだけ。
「――ぷっ」
結愛が噴出し、蒼空が真っ赤になって震える。
「まさか、こ、このぼくが。失敗するなんて……」
「いや」
隣にいた儀一がむむっと唸った。
「魔法は発現していないけれど、熟練度は上がったね」
「どういうことですか?」
状態板で、儀一は蒼空の特殊能力のウィンドウを確認していた。
魔力残量を表す円は青色のまま。つまり、魔力は使われていない。だが確かに、熟練度は“一”上がったのだ。
「もう一度やってくれるかい?」
「はい。空斬!」
やはり熟練度が上がった。
そして円は青色のままだ。
魔法が発現しない理由としては、このマンション内が転生前の世界――地球と同じ物理法則に縛られているからではないかと、儀一は推測した。
体内に魔力があったとしても、外の世界では魔法を発現する物理法則がない。
ゆえに、最終的に魔力も消費されない。
だが“システム”上は魔法が行使されたと判定されて、熟練度をプラスしたのではないか。
もしそうだとするならば、これはバグである。
神が作り出した、特殊能力システムのバグだ。
大学ノートに鉛筆書きで特殊能力一覧を書き込み、それも途中で根気をなくしてしまうくらいの神だから、間違いがあってもおかしくはないと儀一は思った。
そもそも、このマンションを召喚する物品として申請したことも、神様としては想定外だったのだ。
「さくら君は、精霊魔法を使ったことがあるかい?」
「うん、でもね。ねね先生が、もう使っちゃだめだって」
ねねの説明によると、異世界転生して二日目、雨が降った時に、好奇心からさくらは精霊魔法を使用して、気絶したのだという。幼いさくらでは、魔力量が足りなかったのだ。
水の精霊らしきものは出現したようだが、すぐに形を失って消えてしまった。
「使えないわけじゃないんですね?」
「はい、おそらく」
うむと頷き、儀一は決断した。
「じゃあ、みんなで、熟練度上げをしましょう」
「光撃、光撃、光撃、光撃……」
「空斬、空斬、空斬、空斬……」
「発火、発火、発火、発火……」
「うんでぃーね、うんでぃーね、うんでぃーね……」
魔法レベルが最初に上がったのは、さくらの精霊魔法だった。
「あ、ピコンって鳴ったよ」
精霊魔法は大量の魔力を消費するため、その使用回数も限られてくる。ゆえに、熟練度の上がり方が他の属性魔法よりも早いようだ。
ついで、蓮、蒼空、結愛の魔法レベルも上がった。
「こんなことして、だいじょうぶなんでしょうか?」
不安げな蒼空を安心させるように、儀一はにこりと微笑んだ。
「いいんだよ。こっちは命がけなんだから。さ、続けて」
魔法レベルが二になると、熟練度の上がり方が極端に遅くなった。
属性魔法の場合、熟練度を一上げるのに、魔法を十回も使わなくてはならない。とはいえ、魔法名を五百回口にすればよいわけで、二十分ほどでレベルが上がった。
魔法レベルが三になると、新たな魔法を覚えた。
消費する魔力も大きくなる代わりに、熟練度は上がりやすくなる。
「光刃剣、光刃剣、光刃剣、光刃剣……」
「風打槌、風打槌、風打槌、風打槌……」
「火炎球、火炎球、火炎球、火炎球……」
「のーむ、のーむ、のーむ……」
疲れてきたのか、子供たちはベランダに座り込み、膝の上に手を置いて、気だるそうに魔法名を口ずさんでいる。
それでも熟練度は律儀に上がっていく。
「あ、またピコンって鳴ったよ」
それからしばらくして。
「こらーっ! き、君たち、何やってるんだ!」
ベランダの外の暗闇から、怒鳴り声が飛んできた。
光の粒が出現し、集まり、やがて人型になる。
後光を背に宙に浮かんでいるのは、ラメ入りの白いスーツに星柄のネクタイという派手な格好の、金髪碧眼の美青年だった。
神様である。
「あ、神様、お久しぶりです」
「やあ、山田さん、お久しぶり――」
神様はにこりと笑って、すぐに憤怒の表情になった。
「じゃ、ないよ!」
ねねと子供たちはびっくりして硬直している。
「ああ、なんてことをしてくれたんだ。いくら穴を見つけたからってさ、いきなりそんなことする? これじゃあ、めちゃくちゃだよ。味わいがなくなるよ!」
「番組を撮影する世界には、神の力は及ぼさないのでは?」
「この空間は、ミルナーゼじゃないの! だから来ても問題ないの!」
しかし、自分たちはすでにミルナーゼの人間として転生している。いまさら魔法レベルを戻すような行為はできないはずだと、儀一は思った。
神様は両腕を組みながら、苛立だしげに指先で腕を叩いた。
「とにかく今、バグ――じゃない! システムを補完したから、もうこの場所での熟練度上げはできないよ! 分かった?」
「うぇ……」
そのあまりの剣幕に、さくらが泣き出してしまった。
結愛がさくらを抱きしめて、神様を睨みつける。
「さくらを、泣かせた!」
「……へ?」
蓮と蒼空、それにねねもさくらを囲み、守ろうとする。
「いや、僕は、そういうつもりじゃ……」
意表を突かれたらしく、少しだけ後光が暗くなった。
「これは、私が子供たちにやらせたことです」
淡々とした口調で儀一が説明した。
「この子たちは、まだ六歳なんです。とても“オークの森”を抜けられる力はありません。特にさくら君は、魔力量が足りなくて、精霊魔法すら使えないんですよ」
「それはそうかもしれないけれどさ。ほら、インパラの子供だって――」
「インパラの子供は、周囲の景色に溶け込むような毛色をしているんです。ですが、さくら君には身を守る術が何もありません。少し、ハンデが大きすぎるのではないでしょうか」
「……」
神様は黙り込んだ。
もうひと押しできるかと、儀一は考えた。
「今も彼女は、震えながら泣いています。せめて、四人の子供たちだけでも、存在レベルを上げてはいただけないでしょうか?」
「――ちょ!」
さすがにおかしいことに気づいたようだ。
「おかしい! 僕はね、勝手なことをした君たちを、叱りにきたんだよ。それがなんで、新たな要求までされているのさ。冗談じゃないよ!」
「だめですか?」
「当たり前だ!」
高ぶった心を落ち着かせるように、神様はぜぇぜぇと呼吸を整えた。
「それに、君たちの身体はもうミルナーゼのものだからね。好き勝手に僕がいじったりはできない。仲間たちとの協定で、そういう決まりになってるんだから」
気まぐれな神様は、怒りさえ持続できないようだ。
「……はぁ」
急に面倒くさくなったように頭をかいて、大きなため息をつく。
「まあいいや。どうせ六歳の子供じゃあ、ろくに魔法も使いこなせないだろうし。今回は大目に見てあげるよ。だから次は、バグ――じゃない、ちょっとでもおかしなことがあったら、事前にメールで報告してよね! いい? 山田さん」
「わかりました」
「じゃ、そういうことで!」
神様は光の粒となって消えた。
しばらく沈黙の余韻に浸ってから、儀一はくるりと子供たちの方を振り向いた。
優しげな微笑を浮かべている。
「みんな。魔法レベル、いくつになった?」
一条蓮 光属性魔法(光撃、光刃剣、光咆哮派)、魔法レベル(五)
南井蒼空 風属性魔法(空斬、風打槌、烈風竜巻)、魔法レベル(五)
如月結愛 火属性魔法(発火、火炎球、炎塵爆破)、魔法レベル(五)
峰野さくら 精霊魔法(波乙女、地住人、火蜥蜴、風妖精)、魔法レベル(八)