(39)石牢
泉の水は澄んでおり、とりあえず水分補給はできた。
食料はなくなったが、食後に飲もうとしていたミミリの薬だけは無事だった。高さ十メートルくらいのところに、新たなる通路の入口がある。
問題はどうやってそこまでたどり着くかだ。
「にがくて、くさい」
ポルカの町の魔女が作ったという薬は、まるでドブ川のような色をしており、匂いもきつい。
だが、効果は保証つきである。
涙を浮かべながらミミリが薬を飲み込み、ようやくひと息ついたところで、部屋の様子を観察することになった。
「滝だな」
「滝だね」
蓮と蒼空が腰に手を当てて、立ち尽くす。実際のところは、天井の穴から水が流れ落ちているだけ。ただ水が上から下に流れているだけなのに、見入ってしまうのは何故だろうか。
ムンクは空を飛べるが、今の大きさでは子供たちを持ち上げるパワーがない。
怪しいのは、滝である。
それと、もうひとつ。
部屋の中をカタカタと歩いている、奇妙な物体。
「カメ、かな?」
「カニかもしれない」
直径五十センチくらいの亀の甲羅のような物体に、蟹のような足が六本ついている。頭らしきものはなく、壁にぶつかっては方向転換するという意味不明な行為を繰り返していた。
その物体を、子供たちは”“カメガニ”“と名付けた。
こちらに対して敵意はないようだが、近づくのも怖い。
少し休憩しようという結愛の意見に、カミ子が反対した。
「急いだ方がいいと思うなぁ」
通路の途中で休憩した途端、通路が崩壊した。
こちらの行動に対して、新たな仕掛けが発生する可能性が高いという。
「ボクの見たところ、この洞窟の製作者は意地悪だ。ちょっとした気の緩みが、命取りになるかもしれないよ」
先ほどの恐怖が蘇り、子供たちが身震いする。
しかし、この少年だけは違った。
「分かった! こいつに乗るんだ」
考えなしの蓮が、“カメガニ”の上に飛び乗った。
「あれ?」
甲羅が地面に押し付けられ、六本の足がバタバタと暴れた。
蓮の想像では、“カメガニ”が壁を登って通路まで連れていってくれるはずだったのだが、それほど力がないようだ。
試しに持ち上げてみると、意外と軽かった。蓮ひとりでも何とか持ち上がるくらいの重さである。
六本の足は縮こまり、動かなくなった。
「なんだこいつ?」
「ちょっと蓮、何やってんのよ!」
相変わらず大雑把な蓮の行動に、結愛が文句をつける。
「死んだのかな?」
“カメガニ”を地面に放すと、再び足を動かし始めた。どうやら持ち上げると、足が縮こまるようだ。
「これまでの流れからして、謎解きに関係がありそうだけど」
蒼は考え込んだが、なかなかいいアイディアは浮かばなかった。
全員で意見を出し合った結果、ムンクに助けてもらおうということになった。この水の精霊は雨などを吸収することができる。泉の水を吸収して巨大化すれば、通路の入口まで持ち上げてくれるのではないか。
「えっとね。あの水は、ちょっとちがう水なんだって」
しかし、さくらが無理だと伝えてきた。
細かいニュアンスは伝わらないが、滝から流れ落ちる水は、ムンクの仲間ではないらしい。
これは困った。
しばらく無言の時が流れたが、結愛が不思議なことに気づいた。
「この泉って、あふれないよね」
円形の泉は浅く、出口となる水路はない。しかし、部屋の天井から大量の水が流れ落ちているというのに、泉の水位は変わらないのだ。
「底に穴が空いてるんじゃねーの?」
蓮の直感は鋭い。泉に顔をつけて確かめたところ、底に丸い穴が開いていることが分かった。
だからといって何かが変わるわけではないのだが。
突然さくらが突拍子もないことを口にした。
「さくらね、あそこでムンクちゃんと泳ぎたい」
季節は春先だというのに、この洞窟の中は気温が高い。おそらく二十五度前後はあるだろう。そして泉の水もそれほど冷たくはなかった。これまでの運動で汗をかき、身体が汚れていたので、さくらは水浴びをしたいと考えたのだ。
「でも、水着もないんだよ?」
汗を流したいのは結愛も同じだったが、さすがにこの状況ではためらってしまう。
さくらが不思議そうな顔をしたのは、まだ恥ずかしいという感覚が育っていないからだろう。それは開放的な辺境で生まれ育ったアイナやミミリも同じだった。“シェモンの森”にも泉があり、夏になると子供たちが男女関係なく裸で水浴びをするのは、カロン村の恒例行事となっている。
「それだ!」
突然、蒼空が叫んだ。
結愛が冷たい口調になる。
「なに? あんたまさか、さくらといっしょに泳ぎたいの?」
「い、いえ。そうではありません」
慌てたように蒼空が説明した。
この泉は栓の抜けたお風呂と同じ。これ以上水の量は増えない。
「ですが、穴を塞いだらどうなるでしょうか」
「そりゃあ、水があふれるんじゃない?」
「あふれた泉の水が、この部屋いっぱいに溜まったら?」
結愛も気づいたようだ。
「でも、それって……」
蒼空は泉の中に顔を突っ込んで、穴の大きさを確かめた。
「やっぱり! ちょうどいい大きさなんです」
蒼穹は全員に作戦を伝え、それから確認した。
「この中で、泳げない人はいますか?」
誰も答えない。問題はないようだ。
子供たちが決断するまで少し時間がかかったが、他に方法も思い浮かばず、「とりあえず、やってみようぜ」という蓮の言葉に動かされることになった。
蓮と蒼が“カメガニ”を抱えて泉に入る。
そして穴が開いている部分に、逆さにした“カメガニ”を沈めた。
穴の大きさよりも、“カメガニ”の方が少しだけ大きい。
すぐに泉の水があふれて、部屋の中を満たし始めた。
もう後戻りはできない。
踝から膝、腰、そして胸。
練習がてら、子供たちが泳ぎ始める。
その様子を観察していたカミ子が、見よう見まねで手足を動かした。
「あれ? 浮かない。どうなってんのさ!」
蒼空が驚いた。
「え? カミ子さん、泳げるんじゃ」
「泳いだことないけど、泳げるはずさ! 生き物って、そういうものでしょ? なにこれ、どうなってんの?」
どうやら、ひとりだけ泳げないとは言い出せなかったようである。
またもやカミ子がやらかした。
子供たちはなんとも言えない顔になったが、今は時間がない。
「ムンクちゃん、お願い!」
サクラの頼みを聞いて、ムンクが触手をうねうねと伸ばす。
これは最初から考えていた作戦でもあった。
全員が触手につかまって、浮力を稼ごうというのだ。
「カミ子ちゃん、どう?」
「こ、これなら、なんとか」
ムンクがいなければここでカミ子は脱落していただろう。それどころか、パニックを起こして他の子供たちを道連れにしていたかもしれない。
水位はかなりのスピードで上昇していく。
目的の通路の入口にたどりつくまで、約三十分。
まずは、蓮がよじ登ることに成功した。
「よし、ブッキ。手を伸ばせ」
「え?」
強引にブッキを通路に引揚げると、蓮は指示を出した。
「先に行ってくれ。何があるか分からないから、注意しろよ」
「う、うん」
水はどんどん迫ってくる。
早く通路を駆け抜けなくてはならない。
「次、さくら――」
ミミリ、アイナ、結愛。
これは足の遅い順である。
それから蒼空、カミ子。
蓮は最後尾となった。
「いそげ! 水が迫ってくるぞ!」
通路は緩やかな上り坂だった。
再び追い立てられながら、通路を進んでいく。
転げ落ちるように次の部屋にたどりついた時には、全員が疲労でへたり込んでいた。
「水は、こないみたいだな」
蓮が通路の様子を確認して、ほっと安堵する。
「ここは――」
最初に入った“四角岩”の中と同じような部屋だった。
形は立方体で、壁はつるつるしている。
そして壁の一ヶ所に、小さな窪みがあった。
「おいブッキ、ポケットが光ってるぞ」
「あ、本当だ」
ポケットの中に入れていたメダルが、ぼんやりと光り輝いている。
「それを使うと、次に進めるんじゃないか?」
ひょっとすると、勇者の財宝があるかもしれない。
メダルを取り出すと、ブッキはじっと見つめた。
みんなが、期待に満ちた目を向けてくる。
「これ、レンが使えよ」
「え?」
そう言うと、ブッキは蓮にメダルを差し出した。
カロン村には、勇者の残した伝統が今も息づいている。強い者が尊敬される傾向にあり、そのために男たちは剣術の稽古に打ち込むのだ。
その意味でいうならば、蓮は一番勇敢な行動を示した。
危険を省みず、仲間を守り、ここまで導いた。
“勇者のメダル”にふさわしいのは自分ではないと、ブッキは考えたのだ。
「いいのか?」
「うん」
メダルを受け取った蓮は、壁の窪みに向かってかざした。
部屋一面が光り輝き、最初とは逆の、地面に押しつけられるような感覚が全身を襲う。
しばらくして、光が薄れた。
すぐ目の前にあったのは、頑丈そうな鉄格子だった。
壁一面を覆っている。
まるで、牢屋のような……。
ふいに鉄格子の外を通りかかったのは、樽のような体格をした髭もじゃのドワーフだった。
毎日のように顔を合わせていて、たまに叱られたりする。
「……え? あれ? ランボ、じいちゃん?」
さすがの蓮も、あ然としてしまう。
一方のランボは、まったく驚く様子を見せなかった。
鉄格子越しに子供たちとカミ子をじろりと睨みつけ、鼻を鳴らす。
「ふんっ、悪戯好きの鼠がかかりおったか」
数々の仕掛けを乗り越え、たどりついた先は――
石材置き場にある“石牢”の中だった。




