(37)天秤
通路の壁や地面はむき出しの土のようだが、ほんのり白く光っていた。地面の中にいるはずなのに、暗闇の中を手探りで進む必要がない。これは信じられないほどの幸運、あるいは僥倖だったのだが、そのことに子供たちは気づいていない。
助かった後に命を落とす危険があったことを認識したのだろう。アイナとミミリがわっと泣き出した。
ムンクが触手を伸ばして、二人を慰めようとする。
実のところ、ブッキも泣き出しそうだった。
蓮と蒼空が泣いていないから、やせ我慢していただけだ。
「こ、これから、どうすんだよ」
八つ当たり気味に聞くと、蓮は不敵な笑みを浮かべた。
信じられないことに、その表情は、この危機的な状況を楽しんでいるようにも見えた。
「先に進むしかねーだろ。ここで座っていても、しょーがねーし」
「だね」
一方の蒼空は、冷静そのもの。余裕があるわけではなさそうだが、だめなものはだめと割り切っているようだ。
結愛とさくらは、アイナとミミリを元気づけている。
「だいじょうぶだよ。きっと何とかなるって」
「そうだよ。ムンクちゃんもいるし」
このような状況だというのに、異国から来たという四人の子供たちは、悲観もせず、絶望もしない。
何なんだこいつらはと、ブッキは自分でもよく分からない理由で不機嫌になった。
アイナとミミリが落ち着くのを待ってから、蓮を先頭にして歩き出す。
「しんがりはボクが務めるから、安心してくれたまえ」
カミ子が力強く宣言したが、今のところ一番後ろが一番安全であることは、誰の目にも明らかだった。しかも、ムンクとさくらを抱きかかえるようにして、へっぴり腰で歩いている。
この人はだめだ、頼りにならない。
暗黙のうちに、子供たちの間で共通認識が形作られていた。
通路はやや下り坂で、高さや幅は一メートルもなかった。大人は四つん這いになって歩く必要があり、かなり疲れる。
服が汚れる、手と膝と腰が痛いと、カミ子はさんざん文句を言ったが、誰も相手をしなかった。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。
半径五メートル、高さ十メートルほどの、筒状の部屋である。
「ちょっとストップ」
先に蓮が入って、周囲の壁と、それから天井を念入りに確認する。また先ほどのような仕掛けがあるかもしれないと考えたのだ。
「とりあえず、だいじょうぶそうだ。入っていいよ」
部屋の中央には奇妙なものがあった。
全員が座れそうなほど巨大な金属製の皿がふたつ。皿の端には太い鎖が繋がれていた。ひとつの皿に四本ずつ。鎖は皿の上部でさらに太い一本の鎖で繋がれていて、それが天井まで伸びている。
巨大な皿に、蒼空が慎重に手を触れる。
「固定されていないようです」
皿の下にはちょうど同じ大きさの丸い穴があいていた。縦穴である。ほとんど隙間がないので、深さは分からない。
「試しに乗ってみようぜ」
「あ、蓮――」
バカと、結愛が叫んだ。
ガラガラと何かが回るような音がして、蓮が乗った大皿が縦穴の中に下がっていく。
同時に、蓮が乗っていない方の皿が引き上げられた。
「うわっ」
「蓮、戻って!」
とっさに差し出した蒼空の手につかまって、蓮が穴の中から這い上がる。
皿の動きがぴたりと止まった。
二つの皿の重さが釣り合い、ちょうどバランスがとられている状態のようだ。
それは、巨大な天秤のようだった。
「バカ蓮、ちょっとは考えてから行動しなさいよ!」
「うっせーな。仕掛けがわかったんだからいいだろ」
蓮と結愛が言い争っている間に、蒼空が考え込む。
「他に出口がないとなると、この皿に乗れってことかな」
問題は上に上がるか、下に降りるかである。
鎖が伸びている天井を観察する。天井にも丸い穴が開いているようだ。いろいろな角度から観察すると、穴の先に通路のようなものを確認することができた。
一方の下の穴はというと、皿が動いたことで覗けるようになったが、こちらは暗闇で先が見えない。
「たぶん、上ですね」
蒼は全員に説明した。
おそらくこの天秤に乗って、上へ上がるのが正解なのだろう。
こちらの人数は子供が七人とカミ子がひとり。
ふたつの皿に分散して乗れば、片方が上がり、片方が下がる。
「あー、どっちに乗るかは、ジャンケンで決めない? ほら、公平にさ」
少し焦ったように、カミ子が提案した。
体重だけ考えれば、カミ子ひとりで二人の子供が助かる計算になる。そのことに気づき、先手を打ったのだ。
「誰かを犠牲にする方法は論外です」
蒼空は顎先に指を当てて、再び考え込んだ。
少年の言動は、儀一を意識してのものだった。口には出さないが、蒼空は儀一に尊敬と憧れの感情を抱いており、常日頃からこっそりと観察して、モノマネまでしていたのである。
「そうだ。ムンクに穴の先を見てきてもらいましょう」
まずは、情報収集である。
「うん。ムンクちゃんお願い」
ムンクは嬉しそうにカミ子を振りほどくと、鎖が出ている天井の穴に入っていった。
すぐに戻ってきて、今度は下の穴へと向かう。
「うん、うん。わかった」
さくらと精霊たちは、会話をせずとも意思疎通を図ることができる。
蒼空が予想した通り、上の穴には別の通路へ繋がる入口があるらしい。下の穴は行き止まりとのこと。
問題は、どうやって全員で上がるかだ。
「何か、錘になるようなものがあれば……」
「うわっ、なんだこいつ」
ブッキが叫んだ。
すぐそばにあったのは、石の塊。複数のブロックを積み上げたような構造で、人形のような形をしていた。
体長は五十センチに満たないだろう。しかし、ただの石ではない。ひょこひょこと二本の足らしきものを動かしながら近づいてくる。
まったく感情らしきものを感じさせない動きに、パニックに近い戦慄が走――
「うぉりゃ!」
蓮がドロップキックを食らわせた。
石の人形は仰向けに倒れて、バラバラになった。
「なんだこいつ、弱いぞ」
「蓮、あんたねぇ」
結愛が呆れたように注意する。
「もう少し、慎重に行動しなさいよ! この、考えなし!」
「な、なんだよ。倒したんだからいいじゃん」
結愛としても、理想の対処法というものがある。冷静かつ的確で、間違いのない選択。それはやはり、蒼空と同じく、儀一のイメージが強かった。
地面に倒れてバラバラになった石人形は、動かなくなった。残されたのは、積み木のような四角や三角の塊のみ。
「ま、またきたよう」
「壁の中から、出てくる」
アイナとミミリが、指を指す。
同じような構造を持つ石人形が、壁の中からにゅっと出てきて、ひょこひょこと歩いてくる。
その数、二十体以上。
今度こそパニックに近い戦慄が走――
「ムンクちゃんパーンチ!」
場違いなほど可愛らしい掛け声とともに、ムンクの触手が伸びて、石人形たちを一方的に殴打した。
石を砕くほどの威力はなかったが、バランスを崩して倒れ込んだ石人形たちは、バラバラになって動かなくなる。
「さくら!」
「なぁに、ゆあちゃん」
「うっ……。ナイス!」
満面の笑みのさくらを、結愛が褒める。
「えへへ」
「なんだよそれ!」
蓮の抗議を、結愛は無視した。
バラバラになった石の残骸を見て、蒼空が閃く。
「いや、これでいいんだ。どんどん倒そう!」
石の人形は強くない。
頭の部分に荷重をかけると、すぐに倒れる。
九割ほどをムンクが、そして一割を蓮を中心とした子供たちが倒した。
時間にすれば、三十ほど経っただろうか。
新たな石人形は生まれず、地面の上には石の残骸だけが残った。
「これを錘にするんです」
まず、両方の皿に同じ重さの石を積み上げる。天秤の皿は動かないはず。それから、ひとりずつ皿の上に乗って、体重分の石を皿の外に投げ捨てるのだ。
均衡を保ったまま全員が皿の上に乗ったところで、さらに石を投げ捨てる。
「そうすれば――」
全員で、ここから抜け出すことができる。
蒼空の言葉に勇気づけられた子供たちは、協力して石を運ぶことにした。
「ボクは、箸より重いものを持ったことないんだけどなぁ」
比喩的な意味で使われる表現だが、カミ子の場合、掛け値なしの本音である。
ぶつくさ文句を言いながらも手伝ったのは、子供たちの冷たい視線に耐えかねたからだろう。
バランス調整はかなり難しかった。
石の大きさを変えながら何度もやり直しをして、ようやく全員が皿の上に乗り込む。
「よし、いくぜ」
蓮が最後の石を下ろすと、ガラガラと音を立てながら、ゆっくりと皿が上昇していった。
下の穴に下がっていった皿が、行き止まりの地面に着地したのだろうか。しばらくすると、皿の動きは止まった。
ちょうどよい位置に、横穴へと続く入口がある。
自分たちは難関を突破したのだと、子供たちは感じた。
みんなで協力して石人形を倒したり、錘となる石を運んだりしたので、握力がなくなりかけている。
だが、先に進むことができた。
この通路の先には出口があるかもしれない。
そんな淡い期待は、何度も裏切られることになる。
通路の先には再び部屋があり、様々な仕掛けが待ち受けていたのだ。
少年少女たちは、少しずつ疲弊していった。




