(36)罠
それは、エレベーターで階下に降りる感覚に似ていた。
もちろんブッキ、アイナ、ミミリの三人は未体験である。
浮遊感は、十秒と続かなかった。
再び地面の感覚が戻ったが、部屋の中に変化はない。
いや、壁の一方に半円状の穴が空いていた。
穴の先は通路へ繋がっているようだ。
全員が呆然としていたが、自分たちが乗っていた水舟が崩れると、水の冷たさに悲鳴を上げた。
「あれ?」
カミ子が顔を青ざめさせる。
「あ、ああ……」
子供たちは驚きよりも戸惑いの方が大きかった。おそらく本能的に、互いに身を寄せ合うようにかたまる。
「これって、石の中に閉じ込められたってことか?」
蓮の推測に、蒼空が異を唱えた。
「いや、さっきエレベーターに乗ってるみたいだった。洞窟みたいな通路もあるし、地面の中に潜ったのかも」
「地面の中?」
蓮は考え込む。
「じゃあ、ま四角じゃなくて、長い四角だったってことか」
「長方形っていうんだよ」
こちらも衝撃から立ち直った結愛が、意見を出した。
「エレベーターだったとしても、そんなに深くないと思う。だって、すぐだったもん」
せいぜいが、十メートルくらいか。
「れん君だったら、穴ほれる?」
こちらはさくらだ。
「石だときついな。土の部分があれば……」
同年代の友達の会話を聞いて、ブッキが叫んだ。
「お、お前ら。なに落ち着いてるんだよ。“四角岩”の中に閉じ込められたんだぞ!」
アイナとミミリは、抱き合いながら震えている。
「だって、しょうがないだろ」
蓮は面倒くさそうに言い放つ。
「出口を探さないと」
絶望的な状況は幾度も経験していた。オークたちに追い回されていた時と比べれば、今は敵もいない。
じっくりと考える時間はあるのだ。
「カミ子ちゃん、お洋服、ぬれちゃうよ」
水溜りの上でへたりこんでいるカミ子を、さくらが揺さぶった。
「……られた」
「え?」
「魔法を封じられたんだよ! もうおしまいだぁああ!」
ドランたちに絡まれた時も、食料庫の中に閉じ込められた時でもカミ子に余裕があったのは、特殊能力という切り札があったからだ。しかし今、この空間内に張り巡らされている結界のようなもので、カミ子の魔法が打ち消されたのである。
頼るもののない身体ひとつの状態。
それは、万能なる神にとって初めての経験であった。
「げ、まじ?」
蓮が右手を突き出して、
「……これって、きんきゅーじたい、だよな?」
蒼空に確認した。
儀一から、家の外では魔法を使わないようにと厳命されていたのである。
ただし、緊急事態の時は別だった。
「たぶんね」
「よし、光撃!」
しかし、光の魔法は発生しなかった。
「あれ? 出ない」
蒼空と結愛もそれぞれ風属性魔法と火属性魔法を使ったが、結果は同じだった。
一瞬、ぞっとするような冷たい予感が漂ったが、
「うんでぃーね!」
さくらの呼びかけに、水の精霊は応えた。
水舟が崩れてできた水溜りから、楕円体の精霊が生まれたのである。
「ムンクちゃん!」
不安から安心に変化する感情を察知したのだろう。ムンクは触手を伸ばしてさくらに絡ませた。
「サクラちゃん、何それ?」
「水が、浮いてる」
アイナとミミリが恐る恐る聞いてくる。
ブッキにいたっては声もないようだ。
「ムンクちゃんだよ。さくらのお友だち」
「そ、そう」
「かわいい。触ってもいい?」
「うん!」
気を利かせてくれたのか、ムンクが触手を伸ばす。少女たちは指先でつついたりしていたが、少しずつ慣れてきたらしい。ムンクにしても少女を好む傾向にあるようで、触手で頭を撫でたりする。
「ぼ、ぼくも」
ブッキが触ろうとすると、ひらりとかわされてしまった。
「な、なんでだよ」
「あー、オレたちも最初はそんなだったな」
「慣れてくれば、触らせてくるようになりますよ」
むくれるブッキを、蓮と蒼空がなだめた。
少し冷静さを取り戻したのか、カミ子が立ち上がり、救いの神を求める信者のようにムンクのところへ歩み寄った。
「魔法は、封じられているはず、なのに」
さくらごとムンクを抱きしめた。
「おおう、水の精霊君。なぜ君がこの空間内に存在できるのかは分からないが、よくぞきてくれた! 君だけが頼りだ。せめてボクだけでも助けてくれたまえ」
お前のためじゃないという感じでムンクは嫌がったが、さくらといっしょなので、振りほどけないようだ。
この状況下における、唯一の大人であるカミ子の発言に、子供たちは世の中の不条理を悟ったような目になった。
騒ぎが収まると、現実的な対応が問題になってくる。
“子供会議”よろしく、蒼空が意見を集った。
選択肢としては、ここで助けを待つか、先へ進むかの二択だ。
「そりゃ、先に行った方がいいだろ。出口があるかもしれないし」
蓮の意見に反対したのは、結愛である。
「でも、あの通路、危ないかも」
「危ないってなんだよ」
「罠とか」
つい先ほどもそうだった。
不用意な行動は慎むべきだろう。
「おじさまとねね先生は、あたしたちが“石切り山”にいることを知ってる。夕方までに帰って来なかったら、心配してここに来てくれる。おじさまだったら、見つけてくれるかもしれない」
「いや、無理だろ。いくらおっちゃんでも、地面の中じゃ探せないって」
蒼空の考えは、どちらかといえば蓮寄りだった。
ただ、無防備のまま通路を歩く必要はないと考えた。
「さくらさんにグーを呼び出してもらって、先に進んでもらうというのはどうでしょう」
グーは土の精霊である。たとえ罠にかかって壊れたとしても、また呼び出すことができる。
「え〜、グーちゃんがかわいそう」
さくらは不満げだ。
「そうよ、かわいそう。行くならいっしょがいい」
結愛もさくらに同調した。
子供らしい感情を優先した意見だが、間違っているとは言えなかった。
もし儀一がこの場にいたとしても、迷ったことだろう。
何故ならば、精霊たちとの心の繋がりによって、彼らは“オークの森”を抜け出すことができたのだから。
常識的な選択することが正しいとは限らないのである。
結果的に、蒼空の意見は採用されなかった。とりあえずということでさくらがグーを呼んだのだが、土の精霊は現れなかったのである。
これは、ムンクだけが特別な力を持っている証拠ともいえた。
「どうしましょうか。少しだけ待って、状況に変化がなければ、先に進みましょうか」
蒼空の折衷案に、子供たちが考え込む。
ちなみにカミ子は何の意見も出さず、ムンクを抱きかかえたまま震えているだけ。心優しいさくらが、よしよしとカミ子の頭を撫でている。楕円体の体を歪めたムンクも、振りほどくのを諦めたようだ。
「他の皆さんは、どうしたらいいと思いますか?」
蒼空がブッキたちにも意見を聞いた、その時。
周囲の石壁が振動し、音を立て始めた。
ぱらぱらと、砂のようなものが降ってくる。
「なんだ? 地震か?」
蓮は天井を見上げて、不審そうな顔になった。
すべての面が白い岩肌なので判別しづらいが、何かが迫ってくるように思える。
「天井だ!」
そのことに気づき、蓮は叫んだ。
「天井が落ちてくる。潰されるぞ!」
もはやバシュヌーン語を使っている余裕もなかった。
きょろきょろと周囲を見渡す。
やはり他に逃げ道はない。
「蒼空、結愛、さくら! あっちの通路に逃げるんだ。みんなを連れて、早く!」
「う、うん」
混乱する仲間たちを通路に押し込んでから、蓮は最後に避難した。
その数秒後、天井は床とぶつかり、通路の出入口は完全に塞がれてまった。




