(31)ただいま
雪の中、子供たちは走った。
そのあとにタチアナ、少し遅れてねねが続く。
地面に降り積もった雪は、十五センチから二十センチくらい。だが、水分をあまり含んでいない新雪ので、それほど足を取られることはなかった。
空は暗いのに、地面が明るい。
夕暮れよりも視界がよいくらいだ。
午後五時五十分。
村の北の入口に到着すると、懐中電灯を持った蒼空が、東の空を照らした。
「方角は、あっちです!」
懐中電灯の光は雪に当たり、きらきらと輝く。
光はかなり遠くまで届く。
これを灯台のようにして、儀一の目印にしようというのかと、ねねは考えた。
しかし、違った。
子供たちは、みんな状態盤を確認している。
午後五時五十五分。
「変わった!」
子供たちが騒いだ。
「何が変わったの?」
ねねが聞くと、
「魔力の円!」
「色です」
「緑!」
「緑になった!」
子供たちは興奮気味に答えた。
状態盤の特殊能力ボタンをタップすると、対象の人物の魔力の量を表す円が表示されるのだが、儀一の魔力円が、満タンの状態である青色から、緑色へと変化したのだという。
儀一が今、何らかの特殊能力を行使したのだ。
結愛が魔法の杖を取り出した。
「結愛さん、あの光の方向です」
「分かってる」
蒼空の照らす懐中電灯の光の先を、結愛がきっと睨みつける。
少し時間が経過したところで、蓮が叫んだ。
「六時まで、あと三十秒!」
二十九、二十八、二十七……一秒ごとのカウントダウン。
微妙にリズムが遅れたり早くなったりしているのは、致し方のないところだろう。
「五、四、三、二、一――ゼロ!」
結愛は杖を東の空に向かって突き出した。
「火炎球!」
大人すら丸呑みできそうなほど巨大な炎の塊が、杖の先から発射された。
ゴウッ。
花びらのように舞い散る粉雪を巻き込み、消し飛ばしながら、炎の球はぐんぐん上昇する。
「お願い、届いてっ!」
少女の祈りは、天に届いた。
炎の球が、はるか上空で爆発したのだ。
四方八方に渦を巻き、火炎の帯をたなびかせる。
同時に発した鮮やかな光は――
無数の雪の花びらに乱反射して、空全体をぼんやりと、鮮やかなオレンジ色に染め上げた。
これは儀一の保険だった。
降雪についてもそうだが、安全の確認されていない街道をかなりのスピードで走るのだから、危険がつきまとう。
いくら注意を払ったとしても、突然岩に乗り上げたり、窪みにタイヤを取られて転倒する可能性は否めない。
最悪、怪我をすることも考えられる。
昼間であれば足を引きずってでも戻れるかもしれないが、夜になるとさすがに厳しい。仮に、カロン村の方角を見失ってしまえば、身動きがとれなくなるだろう。
だからもし、自分が夜までに帰らなかったら。
午後六時ちょうどに、村の北の入口から東の空に向かって、火炎球を撃って欲しい。
合図は、十分前――
『結愛君も、頼んだよ』
『うん、まかせて』
出発前、儀一が結愛の頭を撫でながら頼んだのは、このことだったのである。
難しい儀一の注文に、結愛は――子供たちは見事に応えた。
「うわっ、ユア。なにそれ、すごい……」
初めて目にする火属性魔法に驚いたのか、タチアナがぽかんと口を開けている。
「儀一さん……」
結愛から事情を聞いたねねは、胸が締めつけられる思いだった。
少しだけ、希望が見えたのかもしれない。
だが、儀一が合図を送ったということは、ポルカの町を出発して、どこかで立ち往生していることを意味する。
もし、今の光が届いていなければ。
「三十分したら、もう一回やる」
そんなねねの不安を払拭するかのように、結愛が力強く宣言した。
今の結愛の魔力で撃てる火炎球は、二回まで。
三回は、ぎりぎり撃てない。
これが、最後のチャンスだ。
ねねも自分にできることはないかと考えた。暗闇にいる儀一にとどけられる光は、他に用意できないか。
ひとつだけ、思いついた。
「薪を、組みましょう」
キャンプファイヤーのように薪を燃やせば、あるいは目印になるかもしれない。
それに、暖をとることもできるだろう。
「うちのも、持ってくる!」
タチアナも協力してくれるようだ。
ねねと子供たちは一度家に戻り、持てるだけの薪と魔木炭を運び出した。
まずは降り積もった雪を取り除かなくてはいけない。
「ねね先生、ここは僕が――」
蒼空が使ったのは、風属性の魔法、空打槌。
空気の塊を斜めからぶつけて、地面の雪を弾き飛ばす。この技は儀一との魔法練習で習得したものだ。
「ソ、ソラも、魔法使いなんだ……」
もはや驚きを通り越したように、タチアナが脱力した。
更地になった場所に、薪を井桁に組む。キッチンから持ってきたサラダ油をかけて、ライターで火をつけた。
そうこうしているうちに、六時半になる。
「火炎球!」
二度目の発射。
空がオレンジ色に燃え上がった。
蓮は道の真ん中で光刃剣を出して、交通整理のような感じで大きく振り回す。
タチアナは、もはや何も言わなかった。
ねねもまた、懐中電灯を持って、様々な角度で照らした。
十分、十五分と経っても、儀一は現れない。
他に、他に何か手立ては――
気がつけば、さくらがじっと井桁を見つめていた。正確には、井桁の下を流れる、炎の熱で溶けた雪を、である。
「うんでぃーね!」
ねねははっとした。
地面の雪解け水が集まって、小さな楕円体を形成する。
三つの球状の窪みと、二本の触手。
水の精霊、波乙女のムンクだ。
今日はずっとマンションにいたので、さくらは一度も精霊魔法を使っていない。水の量が足りなかったせいか、出現したムンクは、片手でつかめるくらいの大きさだった。
「ムンクちゃん。ぎーちおじちゃんを、探したいの」
カミ子によると、精霊は人の思考や感情を感知することができ、術者であるさくらとは、双方向で意思疎通が可能だという。
数々の奇跡を起こしてきた精霊である。
ねねは期待を寄せたが、
「……そう」
さくらはしゅんとしてしまった。
“オークの森”では、かなり遠くにいるオークたちの感情――怒りや殺気を感じ取って飛び出していったムンクだったが、今回は動かなかった。
距離が遠すぎるのか、オークほどの強い感情を、儀一が持っていないのか。
その両方かもしれない。
「精霊……」
ねねはさくらが呼べるもうひとつの精霊のことを考えた。
土の精霊、地住人のグーは、単なる移動手段ではない。
ひとたびさくらがお願いすれば、土の巨人となって大暴れするのだ。
そう、見上げるほどの巨人になって……。
「さくらちゃん、グーちゃんを呼んでくれるかしら」
巨大化したグーに井桁の炎を持ち上げてもらったら、遠くまで見えるのではないか。
それこそ、灯台のように。
ねねの指示に従って、さくらがグーを呼び出す。
「グーちゃん、お願い!」
土偶のような姿形をしたグーが、がたがたと震え出した。
周囲の雪がふわりと浮き、ピシッ、ピシッと音を立てながら弾ける。
土くれの体が泥のように柔らかくなり、一気に巨大化した。
頭までの高さは、四メートルを超えるだろう。手足は長く、体型はややスマートになる。イメージ的には埴輪に近い。
それは文字通りの、土の巨人だった。
グーは片手で井桁を掴み取ると、それを頭上に掲げた。
自由の女神――とは似ても似つかない姿だが、これまでよりも遥かに高い位置で、炎が燃えている。
「みんな、離れて!」
ねねは子供たちと、もはや茫然自失となっているタチアナを避難させた。
薪や炭がこぼれて、周囲に散らばる。
この行動時間には、制限があった。
八十秒を過ぎると、巨人は地面に溶けるようにして消え去ってしまう。
後に残ったのは、薪や炭の燃えかすのみ。
ねねのとった手段は、悪手とまではいえないものの、最善の手ではなかった。
グーが持ち上げた段階で、井桁が崩れて炎が弱まっていたし、暖をとるための火もなくなってしまった。
それにグーの移動力を使えば、懐中電灯を持って儀一を捜索することもできたのだ。グーの通ったあとには二本の線がつくので、帰り道に迷うことはない。
「あ、あれ……」
蓮の光刃剣が、弱々しく点滅する。
「いけない」
蒼空がはっとしたように、状態盤を確認した。
「魔力が切れかけてるんだ。蓮、早く剣を離して!」
光属性魔法である光刃剣は、出現させた時に一気に魔力を使うが、その後も継続的に魔力を消費していく。存在レベルが十とはいえ、一時間近く使い続けていたので魔力は枯渇寸前だった。
蓮が慌てたように光刃剣を投げ捨てる。
極端に光源が乏しくなった。
それから十分後。
いつの間にか、時刻は午後七時を過ぎていた。
「ねね。みんな冷え切ってるし、子供たちは、一度家に戻したほうが……」
タチアナがねねの肩に手を置く。
しかしねねは、反応することができなかった。
「もっと――もっと、強い炎が出せたら」
結愛がぽつりと呟く。
一時期、破壊の魔法を使うことを恐れていた少女が、大切な人を助けるために、強い力を欲している。
「――くっ」
蒼空は後悔していた。
自分が一緒についていけたなら、様々な道具を持ち込むことができたはずだ。この状況を、乗り越えられたかもしれない。
「ぎーち、おじちゃん」
ムンクを抱きかかえながら、さくらが不安そうにしている。
これから何が起ころうとしているのか、完全には理解していないのだろう。
そして蓮は、
「……からさ」
北を走る街道に向かって、思い切り叫んだ。
「お土産なんかいらないからさ、帰ってきてよっ!」
声は響かない。
残酷なまでに、雪がすべてを吸収してしまう。
だが――
ざっざっざ……。
静寂の世界でも、ひとつだけ大きく聞こえる音がある。
それは、雪を踏みしめる音。
その足音は、蓮が向いている北の方角からではなく、東の方角から聞こえてきた。
「はっ、はっ、はっ」
息が、荒い。
「悪い、けど。お土産は、買い――そびれちゃってね」
無意識に、ねねが懐中電灯を向ける。
そこには、雪だるまがいた。
ぜいぜいと、肩で息をしている。
丸い頭が落ちた。
ヘルメットだ。
ついで首にかかったゴーグルと、グローブが投げ捨てられる。
「ああ、暑い――」
この場にもっともふさわしくない言葉を口にして、儀一はにこりと笑った。
「ただいまぁ」




