(5)
異世界転生した時に身に着けていた服装は、テロが起きた直前のものだった。
儀一は黒系のスーツ、ねねは花柄のアコーディオンワンピース。四人の子供たちは有名な私立小学校の一年生らしく、子供向け雑誌のファッションモデルのような、お洒落な格好だ。
ただ、儀一の革靴とねねのヒールのついたパンプスは、落ち葉の積もった森の中では歩きにくい。
“オークの森”は樹木の幹が太く、ぐねぐねと曲がりくねった形状をしていた。葉の形は地球のものと大差はない。木々の密度はそれほどではなく、大地もわりと平坦である。
だが、その分見通しがよい。オークに見つかる可能性が高いということだ。
歩くたびに、落ち葉が乾いた音を立てる。
時おり野鳥の声が響くたびに、全員で周囲を警戒した。
暑くも寒くもないので、季節は春か秋なのだろう。背丈の低い草花なども見受けられたが、食用に適しているかどうかは不明だった。
時おり儀一は草の茎を折って観察した。
食用となる草は、色合いが薄く、柔らかく、水分を含んだものが多い。ただ、茎から白い液体が出るものは毒性がある。
マンションのパソコンで検索して、儀一は付け焼刃の知識を身につけていたのだ。
「樹木になる果物は、毒性が低いはずです。見つけたら知らせてください」
何も見つけられなければ、夕食と朝食はご飯と具なしの味噌汁になる。
子供たちも目を皿のようにして、周囲を観察した。
「あ、キノコめっけ」
蓮が喜び勇んで駆け寄り、大きなキノコを収穫した。
得意げに持ってきてくれたが、地球のものとはまるで種類が違うので、食用かどうかネットで検索することもできない。残念ながら諦めることにした。
一時間ごとに休憩。大樹の陰に身を寄せるようにして座って、息をつく。
「しかし、立派な森だなぁ」
ねねなどは森の様子に感心する余裕などなかったが、儀一の表情と口調は、まるでハイキングにでも来ているかのような、のどかなものだった。
オークに遭遇したら絶体絶命の状況は変わらないはずなのに、ねねの心は奇妙な安心感で満たされていた。
中学までは共学だったが、ミッション系の女子高と女子大学に進学した彼女は、世間知らずで引っ込み思案な性格だった。家族か気の許した友人、そして子供たちの前ならば、素直な自分を出すことができる。
だが、同年代の男性を前にすると、途端に萎縮してしまう。
特に先日、二人組の男に襲われたことは、ねねの精神に大きな傷を与えていた。
同じ境遇に陥った仲間に襲われるとは、考えもしなかったのである。
そのままであれば、ねねは強い男性不審に陥っていたことだろう。
しかし、見かけは同年代の山田儀一は、どこか違っていた。
街ですれ違う多くの男性のように、意味ありげな視線を身体のごく一部分に向けてはこないし、無理やり話しかけてもこない。
落ち着いた声と態度で、さりげない気遣いを見せてくれる。
ひょうひょうとしていて、どこか枯れたような雰囲気を漂わせているのだ。
だが、ねねたちが三体のオークに襲われた時には、花火を打ち鳴らしながら駆けつけてくれた。
攻撃魔法を使えない儀一に、勝ち目はなかったはずである。
本来ならば自分たちを見捨てたとしても、仕方のない状況だろう。
もし自分が逆の立場だったら、同じことができただろうか。
おそらく――怯え震えて動けなかったに違いない。
ねねは思う。
山田さんは、命をかけて自分と子供たちを救ってくれた、すごい人なのだと。
恩は返さなくてはならない。
この森を抜けるまで、自分ができることといえば――
「あの、山田さん」
「はい」
「その……」
ねねは儀一に迫るようにして、訴えかけた。
「お料理やお洗濯は、すべて私がします。お疲れのようでしたら、肩たたきもします。小さい頃から私、父や母にしてましたから、できます。その、言いつけていただければ、何でもお仕事をします。ですから、山田さんはゆっくり休んでください」
申し出が、やや唐突過ぎたようだ。
少し驚いたように瞬きする儀一の顔が、目の前にある。
四人の子供たちが、興味津々といった様子で観察している。
「はっ――」
真っ赤になって硬直したその時、かすかに落ち葉を踏みしめる物音が聞こえた。
自分たちが休んでいる樹木の反対側だ。
儀一は唇の前で指を一本立てた。
静かに、の合図である。
子供たちにも合図を見せて、物音を立てないように樹木の陰から向こう側の様子を観察した。
そこには、奇妙な動物がいた。
球体を二つくっつけたような形。ひとつは頭で、ひとつは胴体のようだ。羊のような白いふさふさの巻き毛で覆われている。大きさは中型犬くらいか。足の数は八本。頭の天辺には突起状の物体があり、アンテナのようにくるくる回っていた。黒色の目はつぶらで、おはじきのよう。小さな口で、上品に落ち葉を食んでいる。
「……肉です」
ごく小さな声で、儀一は報告した。
蒼空と結愛の頭を指でとんとんと叩いて、怪しげな動物の方を指差す。
賢い小学生一年生の二人は、即座に理解した。
魔法を使って、仕留めろということだと。
儀一の膝の上を乗り越えるようにして、蒼空が獲物を確認する。しばらくそのままだったが、すぐに戻ってきて首を振った。
「もう、なにやってんのよ、どいて」
業を煮やした結愛が蒼空を押しのけて、儀一の膝に乗った。大きな瞳にめらめらと炎を燃やしながら、獲物を確認する。
それから、ぼそりと呟いた。
「か、かわいい……」
見るからに危険性のない、まるで捕食されるために生まれてきたような動物だった。
ふわふわの体を、思い切り抱きしめたい。
小学一年生ながら、結愛は深く葛藤した。食べ盛りの身体が要求してくる本能と、それを押し留めようとする理性。
「結愛君。あれは、毛の生えた肉です」
そして、悪魔の囁き声。
様々な思いがない交ぜになり、結愛は金縛りにあったように動けなかった。
「オレがやる!」
たまらず蓮が飛び出して、白いふわふわの動物に向かって突進した。
「光撃!」
どんな見かけをしていても、野生動物であるならば、捕食者に襲われた時の逃走手段は持っている。
驚いたように飛び上がると、八本の足を高速で動かして蓮の攻撃を余裕で回避。
後日、子供たちによって“白ふわピーナッツ”と名付けられることになるその動物は、猛スピードで逃げていった。
四時間ほどで、儀一は探索の終了を決断した。
その間、オークに遭遇することはなかった。
背丈の低い潅木の塊があったので、その中に身を潜め、じっと夜を待つ。十二時間が経過したところで、儀一が召喚魔法を行使した。
「召喚。ベラ・ルーチェ東山一〇二号室」
地面と一体になる形で、黒色の扉が現れた。足元に扉があるという、シュールな光景である。この方法が一番扉を発見され難いだろうという、儀一の判断だった。
「入り方にコツがありますので、見ていてください」
まずは儀一が扉の中に飛び降りる。
マンション内に入った瞬間、重力が九十度変化して、玄関の上で寝そべるような形になった。
奇妙な体験にねねは四苦八苦していたが、子供たちは大はしゃぎだ。
「おじゃましま~す」
蓮の言葉に、儀一が微笑む。
「ただいま、でいいよ」
キッチンにあったエプロンを身に着けて、ねねが食事の準備を開始した。
「私が、やりますから!」
有無を言わせないといった様子である。
貴重なタンパク源は逃したが、儀一は食べられそうな野草を採取していた。
厚みのある若葉色の草の葉で、柔らかく白菜のような質感がある。
子供たちは“緑白菜”と名づけた。
「冷蔵庫にバターがありましたので、バターライスにしてみました」
ねねは家事全般が好きで、また得意でもあった。
炊飯器にバターとコンソメと塩を入れるだけというお手軽メニューだが、脂分と濃い目の味付けに飢えていた子供たちは、「美味しい、美味しい」と、瞬く間に食べ尽くした。
“緑白菜”は、味噌汁の具。
食あたりを考慮して、今回は儀一だけが食べることにする。
「おじさま、おいしい?」
結愛の質問に、儀一は真顔で答えた。
「味がない……」
味噌汁の具は歯ごたえが重要なので、食べられるだけでも上出来の部類だろう。
念のために胃腸薬を用意したが、幸いなことに食あたりの症状は出なかった。
“オークの森”でのサバイバルは、長期間に及ぶ可能性が高い。
炭水化物には事欠かないが、たんぱく質やビタミン等を摂取する必要がある。次からはねねや子供たちにも食べてもらうことになるだろう。
男女のグループに分かれてお風呂に入ってから、みんなでジブリ映画の鑑賞会をすることになった。儀一はジブリ作品が好きで、テレビで放送される度にこまめに録画していたのである。
気の抜けない過酷なサバイバルは、本人が思っている以上に精神を消耗する。体調管理とともに、モチベーションの維持も重要になってくると儀一は考えたのだ。
鼻歌を歌いながら、ねねがキッチンで何かを作っている。
四人の子供たちが、真剣な表情でテレビに見入っている。
平和な家庭の一場面を切り取ったかのような、穏やかな時間が流れていた。
ソファーの上で胡坐をかき、ねねがいれてくれた紅茶を飲みながら、儀一はひとり考え事をしていた。
ミルナードの世界には、魔法という不思議な力がある。
魔力というエネルギーを消費する代わりに発現するようだが、子どもの頃にあまりゲームをしていなかった儀一は、感覚的に理解することができなかった。
今ある情報で、自分なりに分析するしかないだろう。
「ステータス、オープン」
神様から教わったキーワードは、これひとつだけ。
目の前に、本人以外は触れることができない透明な板が出現した。表示されている情報も、本人以外読み取ることができないようだ。
日本家屋の立派なお座敷、テロ事件での死後、儀一が神様と出遭った場所でも、この板を出すことができた。正式名称を、状態盤というらしい。操作方法や情報の見方については、神様が教えてくれた。
画面の上方と左右に、同じパーティに属する五人の画像が表示される。
下方にあるのは儀一の情報だ。
一番上の行には、「存在レベル(一)」「評価経験値(五十八)」とあった。
評価経験値とは、人生経験や実戦経験のようなもの。パーティを組むと均等に分配されるらしい。大きな経験を積めば積むほど、より多くの評価経験値を得ることができる。
そしてこの経験値が百を超えると、存在レベルが上がる。
存在レベルが上がると、魔力の量が増えたりするらしい。魔法等の特殊能力を使える回数が増えるということだ。
ちなみに、リアルタイムで評価経験値の値を決めているのは、神様本人だという。ドキュメンタリー番組制作のため、すべての異世界転生者に対して、モニターチェックをしているようだ。気まぐれな性格だったし、評価経験値にも私見が入る可能性は否めないだろう。
次の行には、氏名、年齢、身長体重、現在地といった基本情報が記載されていた。
ちなみに儀一の年齢は、二十歳(四十二歳)とある。
あと七十年経ったら、九十歳(百十二歳)となる予定だ。ここまでくると、二十歳差などあってなきがごとしだろう。ひょっとすると、年齢を重ねるたびに、一年の価値は薄れていくのかもしれない。
一番下段にある「特殊能力」のボタンをタップする。
画面が切り替わり、円と文字と数字が表示された。
円の中の色合いは、魔力の残量を表している。
現在は、黄色とオレンジ色の間。色合いは流動的に変化している。召喚魔法を使う前は、青色と緑色の間を変化していた。
満タンの状況が青色。魔力が減っていくと、緑色、黄色、オレンジ色、赤色と変化していき、さらに無理をして魔法を使うと、黒色となって気絶するのだという。
若くて体調がよければ、魔力は一日ほどで全快する。
円の右側には、「種別:特殊魔法」「召喚魔法(ベラ・ルーチェ東山一〇二号室)」「魔法レベル(一)」「熟練度(八)」と記載されていた。
熟練度は魔法を使うたびに増えていき、これが百を超えると魔法レベルが上がる。
魔法レベルが上がると、同系統の新しい魔法を覚えたり、魔法の威力が上がったり、魔力の消費量が下がったりするそうだ。
召喚魔法の場合は、魔法レベルが上がると召喚継続時間が延びるらしいが、儀一に限っては、この特典は凍結されていた。
いくつレベルが上がったとしても、召喚可能時間は十二時間のままだ。利用可能な人員も、本人とパーティメンバーのみ。
それが、神様が後付けした条件だった。
「戻る」のボタンをタップして、今度は蓮の「特殊能力」を表示させる。
円の色は青色で安定。昼間に一回、“白ふわピーナッツ”相手に光属性の魔法を使ったが、もう魔力は回復しているようだ。
子どもだけあって回復力も高いのだろうが、もともと魔力量が少ないということもある。
円の右側の情報は「種別:属性魔法」「光属性魔法(光撃)」「魔法レベル(一)」「熟練度(十二)」とあった。
光属性魔法を一回使うたびに、熟練度が一上がっていく。
一日に三回が限度なので、魔法レベルを上げるには、これから毎日魔力を使い切ったとしても、ひと月近くかかることになる。
熟練度を上げるために、寝る前に一回か二回、魔法を使わせたほうがよさそうだ。