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(29)吹雪

 グーコスから受け取った金を加えると、荒野鼠こうやねずみの革で作られた財布がずしりと重くなった。

 今回は四次元収納袋フォーディメンションパックを使える蒼空がおらず、商売用の荷車もまだ完成していない。魔木炭の量はそれほど運べなかったが、計算通りの売上を手にすることができた。

 今後も期待できそうである。

 どう言いつくろったとしても、子供の病気に便乗びんじょうした商売であることに違いはない。

 自分が善人ではなく、計算高い人間であることを、儀一は自覚していた。

 だから、せめてもの罪滅ぼしに、このお金で薬を買い増しすることにしよう。

 儀一が再び訪れたのは、清潔で上品な白の魔女ミモザの店――でなく、下品でがめつい黒の魔女マーボゥの店だった。


「なんじゃ、また来おったか」

「お金ができました。薬をお願いします」


 理由はただひとつ。

 薬の品質である。

 儀一はそれぞれの薬に直接触れて、特殊能力の鑑定を使用したのだ。

 状態盤ステータスプレートには、儀一が触れたものの説明がバシュヌーン語で表示される。しかし、ねねから解読の特殊能力を預かっている今の儀一には、それが読める。

 結果、白の魔女の薬はそれほど効果がないことが分かった。

 対して、黒の魔女の薬はというと、


『マーボゥが作成した強力な魔法薬。肺や気管支に入り込んだ魔素を分解し、喘息ぜんそくを抑える効果がある。強烈な匂いと苦味があるので、飲むのにひと苦労する』


 とのことだった。

 子供には可哀想だが、ここはトゥーリの奮闘ふんとうに期待すべきだろう。


「二度手間をさせおって。この、とんちきめが」


 ぶつぶつ文句を呟きながらも、マーボゥは怪しげな薬を再び作ってくれた。

 店は不衛生だし、店主は不気味で、接客態度が最悪。信用が大切な商売でこれはない。店は繁盛していないのだろう。鑑定の能力がなければ、儀一も選ばなかったはず。

 もったいないことだ。


「すばらしい薬を、ありがとうございます。マーボゥさんの薬で、子供の命が助かります」 

「……」


 営業の基本であり極意は、相手を褒めること。

 真摯に、ごくさりげなく。

 容姿や人柄もよいが、その人が生み出した作品や製品、実績などを対象にすると、さらに効果が高い。


「見え透いた世辞などいらんわ!」


 黒の魔女は舌打ちをして、そっぽを向いた。

 どのような態度をとろうとも、褒められて嬉しくない人間などいないし、褒める側は損をしない。

 どんどん活用すべきだろう。

 

「また、よろしくお願いします」


 丁寧に礼を言って、儀一は魔女の薬屋をあとにした。

 自分の家にも子供が四人いる。この世界で生活する上で、抑えておくべき場所だろう。

 これで、ポルカの町での仕事は完了である。

 予想以上に順調だった。

 大通りに戻る途中、靴磨きの少年と出会う。

 相変わらず同じ場所で、客を待っていた。


「だんな、靴、みがこうか?」


 儀一はいくらかと聞いた。少年は銅貨一枚と答えた。儀一は一日にどれくらい客が来るのかと聞いた。少年は五人くらいと答えた。


「じゃあ、銅貨を三枚払うから、少しだけ町案内をしてくれるかな?」





 儀一がポルカの町を出発したのは、午後二時過ぎ。

 当初の計画通りの時間だった。

 もりを担いだ門番に挨拶をして、街道を北に向かって歩く。途中で道を外れると、枯れ草の茂みの中に入った。

 幸いなことに、“モンキー”は無事だった。万が一盗まれでもしたら、一泊する羽目になる。

 午後になって、少しだけ寒さが穏やかになったようだ。

 天気は曇り。太陽と月の位置は確認できない。しかし、街道につけた火かき棒の跡はかすかに残っている。

 これをたどっていけば、カロン村にたどり着けるはず。

 風はない。

 儀一は行きよりも少しだけ早い、時速三十五キロのスピードで“モンキー”を走らせた。

 三時間弱、午後五時くらいにカロン村に到着する予定である。

 ポルカの港町を、儀一は気に入った。

 人口三千といえば、日本では村レベルだが、家々が密集しているので、人口密度は高い。

 交易も盛んなようで、異国情緒あふれるわけの分からない商品を扱う店も多く見受けられた。

 海に近い南側には商店街らしい区画があり、人通りも多かった。 

 店としては、やはり魚屋が多いようだ。

 魚は鮮度が命なので、店主は大急ぎで売ろうとする。声も大きくなるし、他の店も負けじと声を張り上げる。そんな雰囲気に、客側も自然と対応する。

 結果、町全体に活気が広がるのだろう。

 職人の店もあるし、薬屋もある。これくらいの人口規模になれば、学校もあるかもしれない。

 “モンキー”のエンジン音は、相変わらず快調。一度通った道なので、安心感が違う。

 しかし、すがすがしいくらいに誰ともすれ違わない。

 やはり凶悪なオークたちがひしめく“オークの森”と荒野しかない場所を、行き来する物好きはいないということか。

 一時間走って、一回目の休憩。

 軽くラジオ体操をして、すぐに出発する。

 儀一が異変を感じたのは、それから約三十分後のことだった。

 上空の雲の流れが、異様に速いような気がしたのだ。

 バイクを停めて、ゴーグルをとる。

 風を感じた。

 わずかに湿り気を帯びた、それは強い南風だった。

 この時期は、“デルシャーク山”の向こう側から、乾いた冷たい北風――“からっ風”が吹くはず。

 だからこそ、それほど雪は積もらない。

 風向きが、逆ではないか。

 嫌な雲の流れだった。

 一瞬、引き返すことも考えたが、すでに道のりは半ばまで来ている。ポルカの町に戻る意味はないし、その間にミミリに喘息の発作が起きたら、目も当てられない。

 それに万が一方角を見失ってしまえば、完全に手立てがなくなる。

 このまま進むしかないだろう。 

 儀一は“モンキー”の速度を四十キロまで上げた。

 それから二十分後。

 儀一の心配は現実のものとなった。

 雪が、降り始めたのである。

 “ミルナーゼ”の雪は、ほんのわずかに青みを帯びた、冷たい色合いをした雪だった。

 儀一は二回目の休憩をスルーした。

 視界に占める雪の割合は、加速度的に増えていく。

 グローブについた雪の欠片かけらは、すぐには解けない。水分が少ないということだろう。

 雪国育ちの儀一には分かった。

 これは、積もる雪だ。

 荒れ果てた大地がみるみる白くなっていく。

 道につけた火かき棒の跡も消える。

 さらに三十分後。

 儀一は“モンキー”を停めた。

 荒野と街道を分けていたあいまいな境目が消え、このままでは道を外れると判断したからだ。

 近くと遠くで風の向きが違う。斜めに向かって叩きつけるような雪が、不自然に交差している。

 これは不運以外の何ものでもなかった。

 予兆があったとすれば、ポルカの町を出発する前、寒さがやや緩んでいたことくらい。

 本当に寒い日には、雪は降らないのだ。

 そのことを自覚していたとしても、儀一は出発していただろう。

 ポルカの町に留まる理由としては、希薄すぎる。

 不運以外の何ものでもない状況だが、ただそれだけの事象で、人間は簡単に死んでしまうのだ。

 儀一は“モンキー”から降りて、スタンドを立てた。

 周囲に身を隠せそうな場所はない。枯れ木一本すら生えていない。周囲を歩き回れば、あるいは風をしのげる場所が見つかるかもしれないが、同時に方角を見失う恐れがあった。

 せめて、それだけは避けなくてはならない。

 儀一は少しでも風を避けるように、“モンキー”のそばに座り込んだ。

 エンジンから発する熱だけが頼りである。


「ステータス、オープン」


 “状態盤ステータスプレート”を開く。

 ねねと子供たちの笑顔が、左側の画面に表示された。

 相手がどれだけ心配していたとしても、この画面の表情だけは変わらない。

 右側の画面はカミ子の独擅場どくだんじょうだ。ただひとりだけ全身像が映っている。

 少し、太ったのではないか。

 時刻は午後三時五十分。

 ポルカの町から約八十五キロの地点。

 カロン村までは、まだ二十キロ近くあるだろう。

 徒歩で戻れない距離ではないが、それはカロン村までの正確な方角が分かればの話だ。

 さらに二十分後。

 雪は降り積もり、くるぶしまで埋まった。


『五十年ほど前、一度だけ膝の高さまで積もったことがあったが。それだけだ』


 出発前の、ランボの言葉が思い起こされる。

 まさか数十年に一度の大雪と、この日、この時間帯に遭遇そうぐうすることになろうとは。

 儀一としては、苦笑するしかなかった。

 ものごとの結果は一かゼロ。

 しかし、行動を決定する材料は、複数の要素の、微妙な確率の掛け合わせである。頭の中の天秤に幾つかの重りを乗せた結果、今回は行動するほうに傾いた。

 ただそれだけの話である。

 “オークの森”でも、“カロン村”での生活でも、こういった可能性は、常に存在したのだ。 

 午後四時半。

 荒地は美しい雪の平原になった。

 車の轍も、足跡もない。

 どこか現実離れした光景だった。

 このまま時が経過したとして、自分の命を繋ぎとめることはできるだろうか。

 午後八時になると、マンションが消える。

 同時に、“モンキー”も消える。

 ヘルメットとゴーグル、そしてグローブも消える。

 気温は氷点下を下回り、夜になればさらに冷え込むだろう。

 朝までは、もたない。

 午後五時。

 風が止み、雪の勢いは少しだけ弱まった。

 手足がかじかんで、感覚すらなくなっていたが、儀一はその場を動かなかった。

 光刃剣ライトセイバーがあれば、地面に穴を掘り、避難することができたかもしれない。

 火炎球ファイアボールがあれば、地面を加熱して、暖をとることができたかもしれない。

 だが、すべてはないものねだりだ。

 儀一は自分の持つ特殊能力について考察した。

 マンション召喚は、朝まで使えない。

 鑑定、超強奪、身体能力向上、魅了、爆弾召喚、時間魔法、翻訳、解読は意味がない。

 これだけの数を所持していながら、大自然の気まぐれの前では、まったくの無力だった。

 そして、誰かがこの道を通りかかる可能性は、ゼロに等しい。

 午後五時半。

 雪はしんしんと降り続いている。

 “モンキー”に寄り添うように座りながら、儀一はじっとしていた。

 やがて、夜を迎える。

 空と大地の明るさが逆転する、幻想的ファンタジーな光景。

 雪がヘルメットに降り積もる音。

 それ以外は、静寂の世界。

 儀一は動かなかった。

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