(28)魔女
“魔女”という存在に対して、どのようなイメージを抱くだろうか。
儀一の場合、とんがり帽子を被った黒服の老婆であった。
皺だらけの顔で、鉤鼻で、ぶつくさと呟きながら得体の知れない薬を煮込んでいるような、偏屈な老婆だ。
おそらく、幼いの頃に読んだ絵本か何かの影響だろう。
今の子供たちであれば、また違った人物像をイメージするのかもしれない。
薬局の裏手の道をしばらく歩くと、突き当りのところに二軒の店があった。
片方はおしゃれな白塗りの建物だ。形は立方体で、色ガラスの窓と褐色のレンガ屋根が美しい。周囲に配置されているプランターには、色とりどりの草花が植えられている。
もう一方の建物は円柱形で、壁や屋根に紫色の蔓植物が生い茂っている。折れ曲がった煙突にひびわれた窓。扉は傾き、蝶番が取れかかっているようだ。
儀一は迷うことなく、白塗りの建物に入った。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
店の主人は上品そうな老婆で、清潔そうな白いエプロンドレスを身に着けていた。
とても魔女には見えない。
老婆というよりは、老婦人という表現が似合うだろう。
儀一はレシピを差し出して、説明した。
「六歳の子供が、喘息で苦しんでいます。薬を作っていただきたいのですが」
「あらあら、それは大変ですわね。しかもこれは、かなり繊細な調合だわ」
老婦人はミモザと名乗った。
子供の境遇に同情し、戸棚から幾つかの小瓶を出してくる。
「キリの根、コランクの花、ポーリスの実……。そしてこれは、ニコという苔を乾燥させて粉にしたもの」
「お代はいくらでしょうか」
「そうですわね」
儀一は薬の値段を聞き、一回分の調合をミモザに頼んだ。
魔法薬の作り方は企業秘密ということで、見せてはもらえないらしい。
十分ほどで完成した薬は、鮮やかな緑色の粉だった。
「ありがとうございます。必要になったら、また来るかもしれません」
「いつでもいらしてね」
ミモザは上品な笑みで送り出してくれた。
続いて儀一は、蔓植物が生い茂る円柱形の建物に入った。
「ひっひっひ、お客かえ?」
それは、儀一が想像していた通りの魔女だった。
灰色の髪はぼさぼさ。顔中皺だらけで、鉤鼻。目は大きく、睫は長い。
とんがり帽子は被っていないが、フードのついた黒色のワンピースを身に着けている。
暖炉の火には陶器製の鍋がかけられており、そこからどぶ川のような匂いが漂っていた。
これはまともな店ではない。
儀一は回れ右をして帰ろうか考えたが、老婆に行動を制された。
「ぬ、お主――」
スカートをたくし上げながらのしのし近づいてくると、目を細めながら儀一を見上げる。
「な、なんという魔力の持ち主じゃ」
儀一の存在レベルは十。
カミ子によると、異世界転生者が冒険者となって十年以上活躍したとしても、たどり着けない境地らしい。
存在レベルが上がると、魔力量も上がる。
その魔力を、老婆は感知したのかもしれない。
「はじめまして。儀一といいます」
「マーボゥじゃ」
覚えやすい名前だと、儀一は思った。
「お主、仕事は」
「はい?」
「何を生業にしておる?」
儀一は素直に答えた。
「木こりです」
「なんと、嘆かわしい!」
マーボゥはぎょろりと目を見開くと、節くれだった指をわなわなと震わせた。
「それほどの才能を持ちながら、木こりとは! 斧を振り回すことなど、ゴブリンでもできるぞ。お主は――」
そこで老婆は、深いため息をつく。
「残念ながら、年をとりすぎておる。もう少し若ければ、ワシが指導してやったのに。ええい、口惜しいわっ!」
「そうですか。ところで、薬が欲しいのですが」
「お主、軽いのう」
儀一は薬のレシピを差し出した。
ざっと目を走らせると、マーボゥは口元を歪めた。
「なんじゃ、このくそ真面目な調合は!」
「六歳の女の子です。喘息で、苦しんでいます。このレシピは、母親からもらいました」
「ふん」
同情を買おうとしたのだが、効果は薄いらしい。
マーボゥは戸棚から小瓶を取り出した。
「ドクライモリの舌、ボロミミズの腸、荒野鼠の尻尾……。そしてこれは、ニコという苔の粉じゃ」
苔だけがミモザと同じ素材である。
「ワシの薬は、高いぞえ?」
邪悪な笑みを浮かべる魔女に、儀一は一回分の調合を頼んだ。
十分ほどで完成した薬は、どぶ川のような濃い灰色の粉。
「ケチケチしおって。もっと注文せんか!」
マーボゥは儀一に文句を言った。
午後一時きっかりに、儀一は“グーコスの鍛冶屋”に戻った。
そこには樽のような体型をしたドワーフと、そばかす顔の若者ガレジがいた。
「おお、貴殿がギーチ殿か?」
やけに古風な言い回しで翻訳される。
「はい、儀一です。グーコスさんですか?」
「いかにも」
身長や体格はランボに似ているが、少し髭の量が少ない。頬に艶があり、赤みを帯びている。
年齢は分かりづらいが、ランボよりは年下なのだろう。
儀一はランボの紹介状を渡した。
「ランボ殿の紹介状とは驚いた。あの方は、あまり他人を頼るお方ではないのでな」
「無理を言って、お願いしました」
儀一は事情を説明した。
「なるほど。子供が喘息で。ドワーフはそのような病気にかかることはないが、呼吸が満足にできないというのであれば、想像を絶する苦しみであろう」
「そのために、薬が必要なのです」
「あい分かった」
グーコスは力強く請け負った。
儀一は籠の蓋を開けた。
「僕たちが作った炭です」
「ほう」
どのように焼成すればよい炭ができるのか。
薪の種類や積み方、穴の形状など、儀一は試行錯誤を積み重ね、今では白い石炭のような炭に仕上がっている。
品質はランボの折り紙つきだ。
儀一は炭をふたつ持って、叩き合わせた。
キィンと、金属質の音が響く。
「これは、見事な……」
「親方、何ですかこれ」
「魔木炭だ。本物のな」
「え?」
ガレジは意外そうな顔になる。
「魔木炭って、めっちゃ高い炭ですよね。でも、もっと黒っぽかったような」
「それは、炎の魔法が弱かったからだろう。焼成に時間をかければかけるほど、炭は柔らかく、そして黒くなる。お前さんも鍛冶師の端くれなら、よい炭を知っておくことだな」
「は、はいっ」
グーコスは納得したように頷いた。
「ランボ殿が推薦されるだけのことはある。それでギーチ殿、いかほど入り用で?」
儀一は魔木炭の販売価格を伝えた。
ランボから聞いた適正価格だ。
「それでは、普通の魔木炭と変わらん。いや、今の時勢ではむしろ安いくらいだ。他ならぬランボ殿の頼み。遠慮せずともよいのだぞ」
「これで、十分です」
薬の代金だけならば、今の手持ちでもまかなえる。トゥーリは喘息の薬を行商人のマギーから購入していたようだが、当然のことながら直接薬を調合してもらったほうがはるかに安い。物価の上昇を考慮したとしても、想定内の金額に収まったのである。
それよりも、
「魔木炭は、商売が難しい商品と、聞いています。今後も買い取っていただけると、嬉しいのですが」
「ふむ」
儀一としては、春からの商売に繋げたいという思いがあった。
しかしグーコスは、予想外に難しい顔をした。
「うちの工房としては、願ってもないことなのだが」
「何か、問題でも?」
「いや、そうではない」
グーコスは逆に願い出てきた。
「ドワーフは、魔法を使えん。魔木炭も作れんから、人間の商人から買うことになる。だがやつらは、こちらの足元を見おってな」
木炭問屋の組合は、流通量をコントロールして、不当に価格を吊り上げようとするらしい。
「安定した量を提供してもらえるのなら、他の仲間たちに渡してやりたいのだが、どうだろうか」
組合とは別の仕入先を確保することで、組合を牽制したいのだという。
ドワーフたちはモノづくりが得意な種族であり、独自の流通と情報のネットワークを持っている。辺境のカロン村にすんでいるランボが魔木炭の相場を把握しているのも、そのおかげだという。
儀一としては、おおっぴらに商売をして、商人たちと敵対するつもりはなかった。
だが、魔木炭で継続的に商売をするのであれば、信頼のおける窓口が必要となる。
ランボの知り合いであれば、間違いはないだろう。
「取引きのことを、内緒にしていただけるのでしたら」
ひとつ条件をつけて、儀一は了承した。




