(25)超強奪
おにぎり屋がある倉庫の軒下で、儀一は魚を焼いていた。
ランボへの貢物である。
こうやってご機嫌を取りながら、必要な物品を作ってもらっているのだが、はたから見ると丁稚奉公だ。
駆け足で戻ってきたねねとタチアナの様子を見て、ただごとではないと気づいた。
「かなり、まずいみたいですね」
「は、はい」
ねねはタチアナから聞き取った話を伝えた。
途中、倉庫の奥にいたランボが「ギーチ、魚はまだか?」と聞いてきたが、「うっさいっ!」と、タチアナが一喝した。
「距離的には問題ないですが、いくつか不安要素があります」
儀一はタチアナに聞いた。
カロン村からポルカの町までは、一本道か。
目印となるものはあるのか。
最近、ポルカの町へ行った人はいるのか。
「た、確か。ランボじいちゃんが、鉄結晶の買い付けに行ったはずだよ」
「聞いてみましょう」
奥のテーブルで酒を飲んでいたランボに、タチアナが早口でまくし立てた。
トゥーリの娘が喘息で苦しんでいること、薬がきれたこと、ポルカの町で薬が買えるかもしれないこと。
「ふむ」
ランボは髭を撫でつけて、考え込んだ。
「あの “鉄の馬”で、薬を買いにいくか」
儀一はランボに、荷車を作ってもらうよう依頼していた。
荷車を引くのは、土の精霊グーと“ホンダ・モンキー”。荷車の大きさや重量、取り付け部分の形状などを決める必要があり、“モンキー”をお披露目していたのである。
ランボは仰天し、大いに興味を引かれたようだが、エンジン部分については「何故勝手に動く、意味がわからん!」と、匙を投げた。蒸気機関すらない世界では、仕方のないことだろう。
「ポルカの町までは、基本的には一本道だぞ」
カロン村の北を走る街道に出てから東に向かい、緩やかにカーブしながら南へと向かうという。
「少し前に洪水が起きたそうだが、そいつがちと気がかりだな」
これは儀一たちが“オークの森”から脱出する際に起こした現象である。水の精霊ムンクによってアズール川が堰き止められ、一気に解放されたのだ。
「ここらへんは荒地ばかりだ。太陽と月以外には、ろくな目印もない。道を失うと大変なことになるぞ」
ポルカの町へ行くにしても、天気の悪い日は避けた方がよいだろうとのアドバイスを受けた。
儀一は続いて質問した。
ポルカの町には無条件で入れるのか。身分を証明する必要はあるのか。立ち入るべきではない危険な区画はあるか。カロン村で使われている貨幣をそのまま使えるのか。物々交換はできるか。薬屋はどこにあるのか。営業時間はどれくらいか。注文の方法とおおよその相場は。まがい物が出回ったりはしていないか。
質問の内容は事細かで、ランボも辟易したくらいだ。
慎重に慎重を重ねる儀一の様子を見て、ねねは急に不安になった。
ただバイクで出かけて、買い物をする。
それくらいの認識でしかなかった。
ここは異世界だ。交通網も情報網も整備されておらず、日本の常識などは通用しない。
思いだけでは、何も成し遂げることはできない。
「もう雪がいつ降ってもおかしくない時期ですが、吹雪いたり、雪が積もったりはしますか?」
その質問に、ねねははっとした。
ウィージ村に出かけた日から少し時が経過して、季節は冬にさしかかっている。
「この辺りはかなり冷え込むがな。雪はほとんど降らんよ」
ランボは軽い口調で言った。
「五十年ほど前、一度だけ膝の高さまで積もったことがあったが。それだけだ」
雪が降り積もるのは、北方の魔霊峰“デルシャーク山”の遥か向こう側。南側にあるこの地域は、乾燥した吹き降ろしの風が吹くらしい。
儀一は腕を組んで考え込んだ。
その横顔を、ねねとタチアナが固唾を飲んで見守る。
「あとは、購入金額ですね」
凶作により、貨幣価値が下がっているのではないかと、儀一は懸念していた。
カロン村でも、現金より食料との物々交換のほうが歓迎される傾向にあった。そこまで極端ではないにしろ、ポルカの町でも同じような現象が生じているのではないか。
せっかくたどり着いて薬屋を見つけたとしても、薬を買えないのでは意味がない。
儀一がこの疑念を口にすると、全員が沈黙した。
否定できないということだろう。
「そこで、ですが」
儀一は提案した。
保険のために、魔木炭を売ることはできないだろうか。
結愛の火属性魔法で作ることができる魔木炭は、火力が強く長持ちする特別な炭だ。その生産と流通は、木炭の卸問屋の組合に独占されているという。
この情報を、儀一はランボから聞いていた。
「あの炭は、鉄を作るには最適だそうですね」
「そうだ」
ランボは肯定した。
「ポルカの町で、買い取ってくれそうな人をご存知ないですか?」
「ふ~む」
ランボは職人気質のドワーフで、商売人ではない。
嘘をつける性格ではなく、唸っているということは、つまり心当たりがあるということだ。
そしてこちらには、頼もしい地元の応援団長がついている。
「ランボじいちゃん! ミミリが死んでもいいっていうの? トゥーリを泣かせてもいいっていうの?」
「ぐっ」
ねねも加勢した。
「ランボおじいさん……」
「そ、そんな目で見るな。分かったから!」
ねねの観察眼によると、ランボは実は子供好きだという。石材置き場で遊んでいる子供たちが危ないことをしていないか、さりげなく観察してくれているそうだ。
そして儀一の観察眼によれば、ランボはねねに弱い。彼女が酒を注ごうとすると、恐縮したように礼を言ったりする。見事な手腕で子供たちをまとめ上げているねねのことを、密かに気に入っているのかもしれない。
ランボはぶっきらぼうに「待っておれ」と言い残すと、自分の家に帰った。といっても、この倉庫のすぐ近くである。
十分ほどで戻ってくると、一枚の皮紙を儀一に突き出した。
これは紙の代わりである。
「ポルカの町には、知り合いのドワーフがおる。そいつに渡せ」
「これ、何て書いてあるの?」
タチアナが覗き込んでくる。
住所以外の文字は、バシュヌーン語ではない。どうやらドワーフたちが使う言語のようだ。
ランボはぼそりと言った。
「気が向いたら、買ってやれ」
「ちょっと!」
解読の特殊能力を持つねねも覗き込んでくる。
「あ……」
ねねは目をきらきらさせて、ランボの手を握った。
「ありがとうございます、ランボおじいさん!」
「――むっ」
髭もじゃのドワーフはそっぽを向いたが、
「た、たいしたことないわ」
明らかに照れ隠しだった。
『……この人間の男、ギーチが作る魔木炭は、自分も愛用させてもらっている。理由あって金が必要だから、何とか買い取って欲しい。品質が一級品であることは保証する』
ランボの書いた紹介文は、このような内容だったらしい。
魔木炭の売り方について、密かに頭を悩ませていた儀一にとっては、思わぬ幸運であった。ポルカの町にいるというドワーフと信頼関係を構築することができれば、春からの商売にも希望が見えてくる。
一日の仕事が終わり、広間で“花茶”を飲みながら考え込んでいた儀一は、ねねの様子がおかしいことに気づいた。
時刻は午後九時。
すでに子供たちは眠っている。
夕食の時、ミミリの薬を買いに行くことを報告すると、子供たちは大いに喜んだ。
稼ぎの少ない貧乏保護者の面目躍如といったところである。
ねねも「きっとだいじょうぶよ」と、子供たちを勇気付けていたが、どこか元気がないような気がした。
また悩み事を抱えているのだろうか。
「私、儀一さんといっしょには、いけないんですね」
ぽつりと、ねねは言った。
今回の遠出はウィージ村とは違う。
距離が倍以上あるし、冬の季節に差しかかっている。
夕食の時にも蒼空が同行を申し出てきたが、これは無理だった。蒼空とともに外出するのは、安全が確認されてからだ。
今回は魔木炭を入れた袋を荷台にくくりつけて運ぶ。重量とスペースの関係もあって、ねねを連れて行くことはできない。
また、天候によってはポルカの町で宿泊する可能性も出てくるだろう。その場合、家の中にマンションを召喚することはできなくなる。
儀一がいない間、子供たちを守ることがねねの役割なのだ。
「私、自分では何もできないのに。儀一さんが危険な目にあうかもしれないのに、何も分かっていませんでした」
ああそれでかと、儀一は合点がいった。
確かに今回の仕事には危険がつきまとう。
だが、例年雪はそれほど降らないようだし、少しちらついたとしても、“モンキー”の走行に支障はない。
ランボから薬屋のおおよその位置も教えてもらえたし、タチアナ経由でトゥーリから薬の代金とレシピも取り寄せた。
「私、思い込みが強くて。考えなしで、ごめんなさい」
「思いがなければ、何も始まりませんよ」
儀一の行動理念は、将来的な安定性のためにあらゆる手を打つことにある。端的に表現するならば、事前に危険を排除し、利用可能なものは効率よく利用するということだ。
しかしそれだけでは、人の心は動かない。
時には損得抜きで、思いのたけを行動で示すことも大切なのだろう。
そのことを儀一は、ねねから教わった。
だからこそ、カロン村での今の自分たちがある。
「タチアナさんとトゥーリさんは、ねねさんの大切な友人です。ミミリ君も、子供たちの友達です。出来る限り助けたいと思う気持ちは、僕も同じですよ」
「儀一さん……」
「それに」
儀一は立ち上がった。
そのままねねのところに近づいて、
「ねねさんにも、ひとつお願いしたいことがあります」
それは、ねねの特殊能力である翻訳と解読を借り受けること。
超強奪で奪うことだ。
今の儀一の語学力では、聞き取りや交渉はできない。
「帰ってきたら、ちゃんと返しますから」
「は、はい。奪ってください」
ねねは椅子から立ち上がると、気を付けの姿勢になった。
能力を奪うためには、直接相手に触れなくてはならない。
儀一は、ねねの頬に手を当てた。
ほのかに色づき、熱を持る。
見上げる瞳が潤んでいる。
これほど嬉しそうに強奪される人も、なかなかいないのではないか。
「超強奪――」
ねねがそっと目を閉じる。
ついでに儀一は、ねねの唇も奪った。




