(24)貧乏
カロン村の人々から、密かに“異国人のボロ屋敷”と呼ばれている儀一たちの家には、とある秘密があった。
午前八時から午後八時まで、現代日本のマンションが召喚されるのだ。
カムフラージュする意味合いでは有用な間取りだが、家の中に家があるという状況は、生活する上でこんがらがることがある。
ゆえに儀一たちは、呼び方を決めていた。
マンション内のリビングに対して、家の居間。キッチンに対して、台所。ベッドルームに対して、寝室。トイレに対して、便所――もっとも、汲み取り式の便所は、誰も使っていないが。
ようするに、外側の家が和風で、内側のマンションが洋風の呼び方である。
生活のリズムは、固まりつつあった。
午前八時。儀一が居間の壁にマンションを召喚すると、キッチンで朝食とおにぎりを作る。
午前十時。おにぎりを石材置き場に運んで、おにぎり屋を開く。
儀一とねねが忙しい時には、無人になることもある。
五日に一度の“木こりの日”には、全員で“シェモンの森”へ行く。薪と炭を作って、寄り合い所の裏手にある倉庫に納めるのだ。森へは二、三往復するので、ほぼ一日仕事となる。
おにぎり屋は、お昼過ぎには閉店。
その後、儀一がムンクとともに魚獲りへ。ねねと子供たちは家に帰って、掃除や洗濯をする。
午後二時。儀一が戻ってくると、干物作りの始まりだ。
子供たちもお手伝いをするが、友だちが来て別の場所で遊んだりもする。バシュヌーン語や風習の勉強にもなるので、儀一は子供たちに遠慮なく遊ぶようにと伝えていた。
午後四時。子供たちが戻ってくると、儀一が指導役となって、庭で魔法の練習だ。
夕食はねねが台所で作る。マンション内のキッチンの方が便利なのだが、“ミルナーゼ”の生活様式に適応するため、あえてそうしている。
最初のうちは苦戦していた火起こしや火加減の調整も、ようやくなれてきた。
石窯オーブンでは、ガラ麦で作ったパンも焼く。
午後五時。夕食はマンション内のリビングで食べる。
午後八時にはマンションが消えるので、みんなでバシュヌーン語の勉強して、お風呂に入る。
という流れなのだが……。
夕食の時に、少し気になる話題が出た。
「ねぇ、ぎーちおじちゃん」
「なんだい、さくら君」
「うちって、びんぼーなの?」
時おり子供たちは、大人がどきりとするようなことを、直球で聞いてくる。
儀一とねねは顔を見合わせた。
「どうして、そんなこと聞くんだい?」
儀一は慎重に問いかけた。
「ミミリちゃんのお薬、買いたいから」
話が一気に飛んでしまった。
「ミミリちゃんって、トゥーリさんの娘さんだよね」
「うん。せきが出るから、お外で遊べないんだって」
トゥーリの娘は喘息持ちで、寒くなると外出が厳しくなるらしい。
「最近、ミミリちゃんの具合がよくないみたいなんです」
ねねが補足説明をした。
トゥーリはつきっきりで娘の面倒をみており、最近はおにぎり屋にも姿を見せない。
「アイナちゃんから聞いたの」
と、さくらは言った。
アイナはタチアナの娘である。
「ミミリちゃん家も、アイナちゃん家もびんぼーだから、お薬を買えないんだって」
「喘息の薬か」
市販の咳止めの薬であれば、マンション内にも常備されているが、これは使えない。カミ子に確認したところ、身体のつくりが違うので効果がないそうだ。
異世界転生した儀一たちも同様とのこと。
「漢方薬的なものはありそうだけど、化学薬品は発達しているのかな?」
ひょっとすると知識や技術が秘匿されているかもしれないし、流通の問題もある。
相場感がまるで分からない。
これは自分たちのためにも、一度調べる必要がありそうだ。
などと思案していると、いつの間にか子供たちの注目を一身に浴びていた。
そう言えば、最初のさくらの問いにまだ答えていなかった。
親の収入については、ひょっとすると子供の方が気にしているのかもしれない。といっても、年収がいくら以上という具体的なものではなく、大雑把な分類だろう。
つまりは――
貧乏なのか、普通なのか、お金持ちなのか。
「うちはね」
儀一は正直に答えた。
「貧乏だよ」
やっぱりという感じの空気が、食卓に舞い降りた。
「そっか、びんぼーなんだ」
さくらが悩ましげな表情になる。
「だから言ったじゃん。聞かない方がいいって」
結愛は気を遣ってくれたようだ。
「で、でも。魚や炭を朝市で売ってますし、ウィージ村にも干物を届けています。ある程度はもうかっているのでは?」
相変わらず蒼空は、理論的である。
ウィージ村は距離があるので、“モンキー”に荷車を繋げて商品を運ぶのは危険がある。
だから儀一は、蒼空の空間魔法の四次元収納袋に魚の干物を収納してもらい、二人で届けていた。
子供たちからすれば、ちょっとした冒険旅行のようなもの。
蓮、結愛、さくらの三人は蒼空だけずるいとむくれたが、こればかりは仕方がない。
「あれは、半分人助けみたいなものだからね」
そもそもが、カロン村以外の避難場所の確保と、自分たちの他に異世界転生者がいないか、情報収集をするための行動である。
「そんな……」
商売に貢献できていると思っていたらしい蒼空は、ショックを受けたようだ。
ただひとり、蓮だけは興味がなさそうに、
「おかわり!」
と、元気に茶碗を差し出した。
ねねがご飯をよそう。
「ちょっと、蓮も真剣に考えなさいよ」
結愛が憤慨した。
話を聞くと、四人の子供たちは、先ほど“子供会議”を開いて、ミミリを助ける方法がないかを議論したのだという。
そこで出た意見が、儀一に薬を買ってもらうこと。
お金さえあれば何でも買えるというのが、子供たちの感覚なのだろう。
結愛は無理だと主張した。自分たちの生活だけでも大変なのに、これ以上、迷惑をかけないほうがいい。それよりも、他に方法がないかを儀一とねねに相談しよう。
一方の蒼空は、いけるかもしれないと主張した。理由は商売がうまくいってそうだから。
議論は平行線をたどり、とりあえず儀一に聞いてみようということになったのだ。
「んなこと言ったって。貧乏なんだからしょーがねーじゃん」
身も蓋もないことを、蓮が言った。
「ぎーちおじちゃん。もっとお金、かせげないの?」
「う~ん」
なかなか厳しい質問である。
先ほどから“貧乏”という単語が飛び交っており、保護者として身につまされる思いだ。
これまで、収入や貯金などにそれほど価値観を見出していなかった儀一としては、逆に新鮮な感覚でもあった。
「少なくとも、春にならないと難しいかな」
もう少し大きな町に出向かないと、商売としては成り立たない。
朝市で稼いでいるのは小銭だし、ランボには頑丈な荷車の作成を頼んでいる。カミ子の酒も必要だ。
――と。
「おはよー」
ベッドルームからカミ子が出てきた。
茶色の半纏に、薄茶色のラクダの股引という、昭和のおじいさんスタイル。細く艶のあった金色の髪は見る影もなくぼさぼさで、顔色も冴えない。
気遣わしそうに、ねねが聞いた。
「カミ子さん、夕食はどうされますか?」
「んー、お茶漬け」
ご飯に焼いた魚の干物をのせ、熱いウーロン茶をかけて食べる。これが最近のカミ子の夕食である。
ただひとり働かず酒ばかり飲んでいるカミ子に対して、子供たちの評価は厳しい。
カミ子が働けば、もっとお金を稼ぐことができて、ミミリの薬を買えるのではないか。
「あ、山田さん。お酒がもうきれそうなんだけど」
それなのに、このカミ子ときたら――
「な、なんだい、君たち」
カミ子はぎょっとした。
「まるで、ゴミ虫でも見つめるような目じゃないか。ボクは神様だよ? 世界で一番偉いんだよ。ああ、どうして。年端もいかない子供たちの視線が、どうしてこんなにも痛いんだ。お願いだから、そんな目でボクを見ないでくれぇ!」
反面教師としてはかなり役に立っているのではないかと、儀一は思った。
「よ、ネネ。今日もオニギリ――ちょ、ちょっと、なに?」
翌日、おにぎり屋にやってきたタチアナを、ねねは無理やり連れ出した。
“石牢”の前である。
ここに近寄るとランボに怒られるため、周囲に子供たちはいない。
ねねはトゥーリとミミリの様子を聞いた。
重々しいため息をついて、タチアナはねねに靴を差し出した。
荒野鼠の革で作ったスニーカーである。
「これ、ギーチの分。子供たちのはもう少し待ってあげて。作業をしてる余裕がないみたい」
「どういうことですか?」
靴を作る材料や工具類は、トゥーリの家にある。それでも作業できないとなると、よほど酷い状況なのか。
「お薬は――喘息のお薬は、ないんですか?」
保育士であるねねは、喘息について勉強していた。アレルギーが原因となる場合が多く、症状が重くなると本当に苦しいらしい。
死亡する子供はほとんどないはずだが、それはあくまでも医療施設の整った日本での場合だ。それに儀一が言うように、原因や症状がまったく異なっているかもしれない。
「ま、発作が起きたら、薬を飲ませるしかないね」
タチアナによると、薬は確かに高いが、購入できないほどでもないという。
だが今年は、冷夏と嵐による日照不足が重なって、ガラ麦だけでなく、他の作物やキノコなどの収穫量も激減した。トゥーリは靴を作ることができるが、交換するものとしては、現金ではなく食料が優先となる。
「行商人のマギーさんに薬を頼んでいたらしいんだけど、あまり買えなかったみたいなんだ。まったく、貧乏はつらいね」
そして、本格的な冬が始まろうとしているこの時期に、薬が切れてしまったのだという。
「お金があれば、お薬を買えるんですか?」
多少であれば、朝市で手に入れたお金がある。
昨夜、儀一とねねは相談をして、できるだけトゥーリを助ける方針を確認していた。
「そんな簡単にはいかないよ」
薬を調合できる者は、カロン村にも近隣の村にもおらず、お金があっても手に入れることはできないという。
「ポルカの町にいけば、買えるかもしれないけれど。無理でしょ」
ポルカの町は、人口約三千人。様々な物資や人が集まる港町だ。
カロン村からは、南東に約百キロの距離にある。
間もなく雪が降ろうとしているこの季節、行商人でもない限り、買い出しに行くことなどできない。
考え込んでいるねねを見て、タチアナは気楽そうな声で言った。
「だいじょうぶだって。ほ、発作が起きるとは限らないし、それに。子供は、みんなが大人になれるわけじゃないし……」
「タチアナ!」
ねねは怒った。
トゥーリはこの世界でできた、初めての友達である。タチアナにとっても、大切な幼なじみのはず。
「儀一さんに、聞いてみます」
「いくらギーチだって、む、無理でしょ」
明らかに様子のおかしいタチアナに、ねねは説明した。
儀一は魔法が使える。
それはトゥーリに渡したスニーカーと同じ種類のもの。
幻の“鉄の馬”を呼び出す魔法だ。
これに乗って、儀一はウィージ村に魚の干物を届けている。
ポルカの町だって、往復できるかもしれない。
少なくとも、聞いてみる価値はある。
「そ、それ、本当なの?」
「はい」
ねねはタチアナに聞いた。
薬はどんなものなのか、どこかで購入することができるのか、売値はどれくらいなのか。
「……うっ」
突然、タチアナが両手で口元を覆い隠した。
子供のころから負けん気が強く、老人たちからはお転婆娘と呆れられ、年下の少女たちには暴力女と恐れられてきたタチアナが、声を震わせて泣いたのである。
「わ、私――マギーさんが村に来る前に、トゥーリからお金を貸して欲しいって頼まれて。こ、断ったんだ。うちだって、そんな余裕なかったし。ネネやギーチが来て、オニギリをくれるなんて、し、知らなかった。だから、だから……」
もちろんそれで喧嘩になったりはしない。トゥーリも互いの事情をよく分かっている。それならば仕方がないで、話は終わった。
しかし、そのせいで。
今、トゥーリの娘の命は危険に晒されている。
「つい三日前、発作が起きて。トゥーリは、薬を薄めながら使ってたんだけど。もうそれも、なくなって――」
その後は、言葉にならない。
タチアナはねねに抱きつくと、全身を震わせた。
ねねもまた、ショックを受けていた。
トゥーリが配布所に姿を見せなくなってから、何日が経っただろうか。何度かお見舞いに行こうとしたのだが、タチアナに「たいしたことないから」と気軽に言われて、深くは考えなかった。
その間ずっと、タチアナは苦しんでいたのだ。
自分の選択に。
大切な友人の力になれなかったことに。
タチアナの肩を抱きながら、ねねもまた、深い後悔の念にかられていた。
何も、気づかなかった。
タチアナとトゥーリがこんなに苦しんでいるのに、気づいてあげられなかった。
力になれずとも、悩みを共有するくらいはできたはずだ。
後悔と焦り、そして不安が渦を巻く。
それでも、きっと――
ねねは信じていた。
儀一なら、きっと何とかしてくれる。




