(23)償い
「……つまり。あんたたちは、あの無頼者とは無関係だというのかい?」
眉の間に太い縦じわを作った女村長は、重々しい口調で確認した。
名前をバナエという。
足の調子が思わしくないようで、ベッドの上での会談だった。
儀一とねねは椅子だけを与えられて、バナエのそばに座っている。
「はい。この村で、初めて会いました」
と、儀一が答えた。
「ただし、拓也は別です。元いた――国での、知り合いなんです」
儀一は拓也が気の弱い素直な性格であること、世良たちに魔法と暴力で脅されていたこと、ウィージ村での行為に対して心から悔いており、償いをしたいと考えていることを伝えた。
ここまでくると、ねねに翻訳を頼らざるを得ない。
「しかしね、うちの村の貴重な食料を食い荒らしたことには違いない。そうだろう?」
「お母さん」
部屋の中にはもうひとり、マーニがいた。
「タクヤは、セラからほとんど食料を与えられていなかったわ。痩せっぽっちで、いつもアザだらけだったし、私に会うたびにごめんって……」
「マーニ、お前は部屋に戻っておいで」
困った娘だという感じで、バナエが口元を歪める。
そんなことくらいバナエも承知している。あえて口に出したのは、儀一との交渉を少しでも有利に運ぶためだ。
「いやよ。ここにいるわ」
母親の命令を、マーニは不服そうにはねのけた。
一見おとなしそうな娘だが、実は気が強く、頑固なようである。
やはり母娘だなぁと、儀一は思った。
儀一は事前にマーニと話をしていた。
拓也が助かるかどうかは村長の――君のお母さんの一存で決まる。だから助けて欲しいと。
マーニが拓也のことを庇えば庇うほど、儀一はバナエに対して優位な状態で交渉を進めていくことができる。
「拓也にまったく責任がないとはいいません。ですが、彼は世良の仲間ではありません。あなたたちと同じように、無理やり従わされていただけです。そのことを、村長から村の皆さんに伝えていただけませんでしょうか」
「ふん、馬鹿をいいな」
バナエは鼻を鳴らした。
「こっちは貴重な食料をふんだくられて、納屋を壊されて、あたしゃ足まで怪我をした。まったく、踏んだり蹴ったりだよ! いったいどうしてくれるんだい」
世良は相手に合わせた対応をとる能力に、欠けているのではないかと儀一は思った。恐怖で支配する対象としては、いささか不適切だろう。自分が行動を起さずとも、いずれは同じような状況になっていたのかもしれない。
「今年は大凶作なんだ。食料の備蓄もない。子供たちの半分は餓死することになるだろうさ」
「そ、そんな。儀一さん、大変です」
顔を青ざめさせたのは、隣に座っていたねねである。善良で裏表のない性格であるねねは、この手の交渉ごとには向いていない。
ちらりとバナエを観察すると、くえない女村長は口の端に白い歯を見せていた。
「魚の干物を五十本、無償で提供します。それで、拓也を許していただけないでしょうか」
「ふんっ」
バナエは再び、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
先日儀一は、バナエに魚の干物を十本、提供していた。本当は商売をしに来たのだが、自分の他に異世界転生者がいて迷惑をかけていることを知り、無償提供に切り替えたのである。
バナエの目的は、脅威の排除と、儀一による補償。
興味がないはずはないのだ。
儀一と世良に繋がりがないことは確認した。あとは拓也というカードを使って、儀一からどこまで妥協を引き出せるか、である。
その前に、儀一はたたみかけた。
「拓也と世良が仲間ではないことを、村長から村の人たちに説明していただけるのでしたら、さらに三十本追加しましょう」
「……」
「お母さん、いい加減にして!」
マーニがバナエを促した。
「私たち、意地を張ってる場合じゃないでしょ。セラたちもやっつけてくれたんだし、ギーチさんには感謝しないといけないわ」
この少女も真っ直ぐな性格で、交渉ごとには向かないかもしれない。
ちらりとバナエを観察すると、今度は渋面になっている。
互いに、思うようにはいかないようだ。
「追加は、五十本だ」
ぼそりとバナエは言った。
「合計で百本。これ以上は負けられないよ」
これ以上も何も、一度も負けてなどいない。
労働力に換算すれば、約三日分。これで拓也の命を助けられるのであれば、安いもの。
儀一は最後に条件を付け足した。
「ではひとつだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだい」
「今回の世良の件で、拓也は皆さんに償いをしたいと考えています。力仕事でも何でも、好きに使っていただいて構いません。ただ、言葉が通じないのではお互いに不便です。彼に、バシュヌーン語を教えてあげてください。できれば、マーニさんから」
この世界で生きる上でもっとも大切なもの。
それは、意思疎通をするための手段と、信頼できる相手だ。
「わ、分かったわ」
儀一に見つめられ、マーニが少し戸惑ったように了承する。
バナエは、あと十匹はふんだくれたのにという顔をしていた。
翌朝、儀一が自分の“状態盤”を確認すると、特殊能力ウィンドウに次のような文字が表示されていた。
「タレントの“強奪”を、統合しますか?」
とりあえず「いいえ」のボタンを押して、他に変わった部分がないかを調べる。
強奪で奪った特殊能力については、元の所有者の名前が表示されるのだが、世良、正志、アンリの名前が消えていた。
これは、元の所有者に何かあったことを示しているのではないか。
儀一はカミ子を呼んで、確認することにした。
「うー、それはたぶん、あれだね」
二日酔いのカミ子は、気だるそうに水属性魔法を行使した。
「体内浄化――っと」
これは魔法レベル五で使用可能となる魔法で、体内の毒素を消し去ることができるという。消費魔力は膨大であり、本来の用途は二日酔いの治療などではないのだろう。
カミ子はすっきりした顔で、けろりと言った。
「十八番から二十番、死んだんじゃない?」
基本的にこの神様は、生と死に対する関心が薄い。
自分に対しても、他人に対してもだ。
今は人間の身であるが、ちょっとした旅行にでも出かけているという感覚のようである。
だから、儀一と世良が対立する可能性があったにもかかわらず、カミ子は世良たちの情報を教えなかった。
異世界転生者同士が争うならば、それでいい。
誰かが命を落としたら、また転生させるだけの話だ。
もっとも、強奪で特殊能力を奪う場合は、存在レベルの差による再判定が入るそうで、存在レベル十の儀一であれば、簡単に奪われたりしないだろうという、楽観的な理由もあったようだが。
「そうですか。やはり、ウィージ村の人々は……」
まったく予想していなかったわけではない。
心配なのは、拓也の身の安全である。
「ところで神様。状態盤上に、タレントの強奪を統合しますか、というメッセージが出たのですが」
「うん? ああ、そうか。所有者のひも付けが切れたから、正式に山田さんのものになったんだ」
カミ子の説明によると、同じ特殊能力を複数取得すると、統合されて、より強力な能力に変化するらしい。
「名付けて、超強奪」
強奪よりも成功確率が上がり、消費する魔力が下がる。さらには、通常では奪えない特殊能力まで奪うことができるという。
「たとえば種族固有の能力とかね。オークキングなんかには、手下たちを十三日間強制的に従わせる“強制徴募”っていう能力があるんだけど、そいつも奪える。山田さんがカロン村の村長になったら、村人総出で戦ができるよ」
頼まれてもごめんだが、その場合、ドランかイゴッソが先陣を切ることになるだろう。
「しかしこれは想定外だなぁ。山田さん、今、特殊能力いくつ持ってるの?」
「ええと……」
特殊魔法の召喚魔法が二つと、時間魔法。パッシブスキルの身体能力向上。タレントの鑑定、魅了、そして超強奪。
「合計で、七つです」
「もはやチートだね」
「チート?」
本来の意味としては、ずるをして規格外の強さを手にすること言うらしい。儀一の場合、きちんとルールに則っているので、適切ではないのだが。
「神様がパーティにいるんですから。すでにチートですよ」
「うん?」
カミ子はきょとんとすると、こいつは一本とられたという感じで、ぎゃははと笑った。
「山田さんがその気になれば、魔王になって、世界征服できるかもしれないよ。どう、やってみる?」
青色の瞳がきらきらと輝いている。B級映画の企画書を手にした監督のような表情だ。
ドキュメンタリー番組のために、儀一たちを異世界転生させた張本人である。冗談でも迂闊な答えは口に出せない。
「この能力構成では無理ですね。せいぜいが、魔物の手下ってところかな。それよりも今は、冬ごもりの準備が先です」
「ま、そうだね」
カミ子は今気づいたように、ぶるりと震えた。
「あ~、寒い寒い。酒でも飲んであったまろっと。二宮さ~ん、熱燗作ってぇ」
最近のカミ子のマイブームは、ホットにしたガラ麦酒らしい。
相変わらず家に閉じこもりきりで、ろくに運動もしていない。気のせいか、顔の輪郭が、ゆるくなってきたような気がする。
儀一はねねを連れて、再びウィージ村へと向かった。
昨夜から長時間に渡って“村会議”が開かれたらしく、世良たちと拓也の処遇が決定していた。
「セラたちは、追放したよ」
バナエは多くを語らなかった。
二度とこの村に来ないことを約束させて、夜のうちに北の街道へ連れて行き、そのまま西へ向かわせた。
カロン村とは反対方向である。
どこに行ったのかは分からないし、寒さで凍え、のたれ死んでいるかもしれない。
バナエが最も恐れているのは、世良たちによる復讐である。また、別の異国人が現れるかもしれないし、彼らが世良の仲間だった場合、まずいことになる。
「役人に報告したところで、賞金すらもらえないからね」
遠方まで連れていく人手もなければ、食料もない。
必然的に、選択肢は限られるというわけだ。
世良たちの結末を知っている儀一は、何も言わなかった。
ここは日本ではない。そういうことがまかり通る世界だと理解した上で、心の整理をつけて、うまく立ち回らなくてはならない。
バナエへの説得が功を奏したのか、幸いなことに、拓也は許されたようだ。
しかし、村人たちの不信感を完全に払拭できたとはいえないだろう。
ゼロからではなく、マイナスからのスタートである。
敷地内にある井戸で、拓也とマーニが洗濯をしていた。
「やあ」
「あ、山田さん、二宮さん」
拓也はこの世界の衣服を身に着けていた。
マーニに指示をされながらも、慣れない作業に悪戦苦闘しているようだ。
「マーニ君、拓也君と話をしてもいいかな?」
「洗濯物がまだ残ってるんですけど」
「じゃあ、私がお手伝いしますね」
ねねと拓也が入れ替わる。
少し敷地内を歩く。
拓也は何度も儀一に礼を述べた。
「世良たちは追放されたようですが、僕は残ることができました。これもすべて山田さんのおかげです。これから、死ぬ気で頑張ります」
憑き物が落ちたような顔で、にこにこ笑いながら。
「世良たちは、死んだよ」
儀一が伝えると、拓也はぽかんとした。
バナエは北の街道を西に向かわせたと言っていたが、街道のそばにはアズール川が流れている。
彼らはおそらく、西へは向かっていない。
「村人たちに殺された。たぶんだけど、マーニ君は知らないと思う」
日本人の感覚としては、裁判を経ずに裁かれて、しかも命を奪われるということに対して、薄ら寒い思いを感じたのだろう。
「そ、そこまで酷いことは……」
「そうかい?」
食料を奪い、納屋を壊し、村の代表である村長に危害を加えた。
しかも“オークの森”から逃げ出したところを助けられ、住処を与えられた上での狼藉である。
「今年は大凶作で、ガラ麦がほとんどとれなかった。パンひと切れでさえ貴重なんだ。食糧不足で飢え死にが出るかもしれない」
儀一の話を聞くうちに、拓也の顔は青ざめさせた。
「す、すいま、せん……」
「別に責めているわけじゃないよ。もし僕が君の立場だったとしても、何もできなかったと思う。わざわざこんなことを言ったのは、きちんと認識しておく必要があると思ったから」
拓也は、世良たちとともに重い罪を犯した。少なくとも、そういったことをした連中の仲間だった。
「損得なしで君を助けようとしたのは、マーニ君だけだ。ひょっとすると彼女も、村人たちから奇異な目で見られるかもしれない。年頃の女の子が、無茶を承知で君の命を助けたんだから」
「そ、そんな」
「そういう可能性もあるってことさ」
拓也は心優しく、真っ直ぐな青年である。
自分の置かれた立場と相手の立場を正確に理解していれば、正しい行動をとることができるだろう。
だから儀一は、あえて厳しい現実を拓也に伝えたのだ。
「これから、どうするつもりだい?」
「まずは言葉を覚えてから、村の皆さんに謝って……」
「ああ、ごめんごめん。その先のことだよ」
「え?」
「今はいいとして、ずっとこの村に留まるつもりかい?」
さしあたっての目標はともかくとして、長期的な目標も持っておいたほうがよいだろう。カロン村に来るのであれば、迎える準備も必要になってくる。
拓也は少し寂しげな微笑を浮かべた。
「もっさんと、話をしたことがあるんです」
それは“オークの森”でのことだった。絶望に打ちひしがれないために、あるいは現実を忘れるために、拓也は同級生の杉本と、森を抜けた後のことを何度も語り合ったのだという。
「いっしょに冒険者になろうって」
「へぇ、冒険者」
「あいつ、ゲームとアニメが好きで。だから、あんな中二病みたいな特殊能力を選んだんです」
「中二病?」
中学二年生くらいの子供が発症する、妄想癖や奇異な言動のことだという。
杉本が取得したのは、特殊魔法に属する時間魔法だった。
「最終的には、時間を五秒くらい止めて無双したいって。どこの漫画の主人公だか」
魔法レベル一で使える時間魔法は、加速という。
これは思考能力が加速する魔法で、世界をゆっくりと感じる魔法と言い換えたほうがよいかもしれない。
継続時間は、現実世界で一秒。
それが十秒くらいに引き伸ばされる。
といっても、早く動けるわけではないので、日常生活ではほとんど使えない。コップを落とした瞬間に、加速と叫ぶ余裕があれば別だが。
「だから僕は、冒険者を目指そうと思います」
うまく稼げたら、ウィージ村に寄付して恩返しをするつもりだと拓也は言った。
「そうか」
カミ子の話によると、冒険者と呼ばれる職業には、魔物退治や現地調査、要人の護衛、雑務などがあるという。
肉体労働者であり、危険が付きまとう。
運が悪ければ、魔物との戦いで命を落とす危険性もあるだろう。
しかし魔法の力を使えば、切り抜けることができるはずだ。
「拓也君、がんばれ」
「はい!」
できるかぎり拓也を応援しようと、儀一は思った。




