(4)
男たちのお風呂は、湯船につかる側と浴室で洗う側をきちんと分けて、約十五分で完了。
汚れた服を洗濯し、浴室に干す。
それから歯磨きをしたところで、子供たちの気力は限界に達した。
座っているだけで、うつらうつらとしてしまう。
「うちには、セミダブルのベッドがひとつと、来客用の布団がひと組、そしてソファーがあります」
ベッドはねね、結愛、さくら、布団は蓮と蒼空、自分はソファーで寝ると、儀一が提案するが、とんでもないとねねが反対した。
「家主様を差し置いて、自分だけベッドには寝られません。私がソファーで寝ます」
「今日は、みなさんお疲れでしょう。ゆっくり休んでいただかないと、明日からが大変です」
「で、でも、山田さんは――」
親切と遠慮の押し問答をしているうちに、子供たちが寝入ってしまう。
「では、寝る場所は一日交代にしましょうか。今日は二宮さんがベッドで寝てください」
妥協案で落ち着くことになった。
「ああ、それと……」
儀一がねねだけを寝室に呼んで差し出したのは、生理用品だった。
「生前の、僕の彼女が使っていたものですが、もしよろしければどうぞ。これも召喚時間が終わると、消えてしまいますが」
「……」
夜の間だけでも、本当に助かる。
またもや泣きそうになり、ねねは嗚咽を堪えながら、やっとのことで感謝の言葉を口にした。
電気を消してベッドに入る。
気を抜いた瞬間、ねねは一瞬で眠りに落ち、夢をみることもなく朝を迎えた。
揺り動かされる形で、ねねはぼんやりと目覚めた。
窓の外は暗闇だった。
低血圧のねねは寝ぼけた声で抗議する。
「……まだ、夜ですよぉ」
「いえ、もう九時間が経過しています。あと二時間ほどで召喚魔法が切れますから、出発の準備をしてください」
「ん~」
左右には目を擦っている結愛と、ねねの腕を抱えたまま眠っているさくら。ぶかぶかの大人の服を着ているので、かわいらしい。
そしてベッドの横にはひとりの青年がいた。
「あ……え~と」
「山田儀一です。元公務員の」
「山田さん……」
ようやく意識が覚醒していき、ねねの表情が硬直する。
「きゃぁ!」
「うわ」
掛け布団を跳ね上げて、頭を下げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私、寝坊して――」
「だいじょうぶですよ。僕も起きたばかりですから」
一気に記憶が蘇った。
同時多発テロによる死。神様との対面。そして、ミルナーゼへの異世界転生。“オークの森”をさ迷い、二人組の男たちに襲われたこと。それから醜悪な顔をした三体の魔物。絶望し、死を――死よりも恐ろしいものを覚悟した。そこにさっそうと現れた青年、山田儀一。彼は自分と子供たちを助け、マンションを召喚し、食事とお風呂とベッドを提供してくれたのだ。
感謝してもしきれない。
だが、それらすべての記憶は――現実だった。
「部屋の掃除や片付けは必要ありません。再召喚すると、元に戻りますから」
「は、はい」
そういい残して、儀一は寝室を出ていった。
慌てたように髪を撫でつけ、さくらを起こし、リビングへと向かう。
丸テーブルには蓮と蒼空がいて、朝ごはんの用意ができていた。
またしても失敗である。
いくら疲れていたとはいえ、朝食は自分が作ると申し出て、しっかりと起きるべきだった。
軽く落ち込んで、小さくなりながら正座する。
「では、合掌」
ぱんと両手を合わせる。
「いただきます」
「いただきま~す!」
朝食のメニューは、白ごはんと具のない味噌汁、そして水。
儀一によると、森の中でおかずになりそうなものを探したのだが、なかなか見つからないのだという。塩、砂糖、味噌、醤油、胡椒、オリーブオイル、バルサミコ酢などの調味料や、マヨネーズ、バター、ケチャップ、ウスターソース、チューブ入りの生姜やわさびなどはそろっているので、食材さえあればおかずが作れるかもしれないとのこと。
「魔法を使えば、動物を狩ることもできるかもしれません」
その言葉に、蓮が名乗りを上げた。
「よし、オレが狩る」
結愛が対抗心を燃やす。
「蓮の魔法は近寄らないとだめなんだから、あたしでしょ」
慎重な意見を出したのは、蒼空だ。
「問題は、オークが出てきた場合です。魔力を残しておかないと」
さくらはあまり状況を理解していないようだ。
「さくらも、お肉いっぱいとる」
四人の子供たちは、それぞれ違う種類の特殊能力を選んでいた。
蓮は光属性魔法。
蒼空は風属性魔法。
結愛は火属性魔法。
そしてさくらは、精霊魔法。
今のところ遠隔攻撃ができるのは、風属性魔法と火属性魔法のみ。精霊魔法は精霊なるものを呼び出せるらしいのだが、必要となる魔力が大きく、今のさくらでは使えない。
儀一は腕を組んで考え込んだ。
「狩りに使えそうなのは、蒼空君と結愛君の魔法かな」
「ちぇ」
蓮の光属性魔法はもっとも威力が強いが、射程に難がある。
「猪や熊は危険だから、最初は無理をせず、木の実を探しましょう。それと川ですね。もし蓮君の光魔法が水の中に衝撃を与えられるものなら、魚を捕れるかもしれません」
「おお、おじさん、頭いい」
二十歳くらいにしか見えない儀一が「おじさん」と呼ばれることに、ねねは違和感を覚えた。やはり「山田さん」か「お兄さん」に統一すべきではないだろうか。
「今って、本当に朝なんですか?」
リビングにある時計と窓の外を見比べながら、蒼空が聞いた。
マンション内の備品は午前零時の状態で召喚される。すでに十時間が経過しているので、時計の針は十時過ぎ。だが、カーテンの隙間から覗く景色は、真っ暗だった。
寝室からねねも外を確認したのだが、不自然なくらいの暗闇で、不気味なほど静かだった。
儀一の答えは、マンションの外はどうなっているのか分からない、だった。
「ちょっと見ていてください」
儀一はガラス戸を開けベランダに出ると、暗闇に向かって割り箸を投げ入れた。
何の音も聞こえなかった。
「ひょっとすると、無限の空間が広がっているのかもしれません。危険ですから、僕やねね先生がいないところで、窓を開けないように。いいね?」
儀一が言い聞かせると、子供たちは神妙な顔つきで頷いた。
「では、作戦会議をしましょう」
召喚魔法を強制的に解除しない限り、このマンションは消えない。だから、マンション内の物品を持ち出すことも可能だ。
儀一はマンションで八時間くらい過ごし、ヘルメットや金槌、花火などの装備や、弁当用のおにぎりや水筒を持って、森の中を移動していたらしい。
儀一のマンションの玄関には、小さなバイクがあった。“モンキー”という名前らしく、50ccの原付とのこと。ねねは詳しくなかったが、スクーターの仲間らしい。バイクとセットで購入したヘルメットとゴーグル、グローブを身に着けていたようだ。
花火は昔買ったが使わずに残っていたもの。
金槌は道具箱にある。
森の中をさ迷い、四時間ほどしてマンションと物品が消えると、儀一は木の上や岩陰などに身を隠して、ひたすら十二時間耐えた。
何しろ武器も魔法もないのだから、危険な野生動物や魔物に出遭ったら、一貫の終わりである。
慎重にならざるを得なかったのだ。
「ミルナーゼの一日は、地球とほぼ同じ長さのようです。夜は危険ですから、森を歩くなら、昼間がいいでしょう」
問題は、魔物たちがいるということだ。
「昨日の件で、魔物たちが警戒しているはずです。長時間歩くのは危険ですが、だからといって、ここに留まっていても、見つかる可能性は大きい。食料と隠れる場所を探しながら、少しずつ南下していきましょう」
岩の割れ目などは、野生動物から身を隠すには適しているが、会話ができるほど知性のある魔物相手には、逆に見つかりやすい。
いかにも隠れそうな場所だからだ。
「なるべく足音を立てずに、声も出さずに歩くことが大切です。いいですね?」
「は、はい!」
ねねと子供たちが緊張気味に返事をする。
「では、玄関を開けます」
命をかけた探索が、開始された。