(18)チャンス
自己紹介されるまで気づかなかった。
「や、山田さん? 市役所の! 市政推進課の?」
「そうだよ。まさか、浅見君もこちらに来ているとはね。や、来てしまったと言ったほうが正しいか」
見かけは若々しいが、しゃべり方が同じだ。親切で丁寧な説明をしてくれる職員だった。
時おりベタな親父ギャグを口にして、密かにひんしゅくを買っていた、あの山田さんだ。
「こちらの世界に来ていたんですね!」
「運よく生き残ってね。ああ、こちらは二宮さん。社会人の一年目だから、君よりも二年先輩かな」
“オークの森”で偶然出会って、それから行動を共にしているらしい。
「初めまして。二宮ねねと申します」
両手をそろえて丁寧にお辞儀する。笑顔が自然で可愛らしい。化粧もしていないのに、素朴できれいだと思った。
「儀一さんのお知り合いですか?」
「ええ。市役所の部署で、大学生といっしょに仕事をしていたんですが。浅見君は、学友会という学生組織の代表で……」
儀一が説明している間、拓也は胸の奥から込み上げてくるものを必死で堪えていた。
ごく普通の会話。
穏やかな、日常。
そういった空気を、久しぶりに感じることができたからだ。
「浅見君?」
気づけば、拓也は涙を流していた。
完膚なきまで叩きのめされて、気力をなくし、涙も枯れ果てたと思っていた。
しかし、胸の奥底にまだ熱いものが残っていようだ。
儀一はこれまでの苦労を察したかのように、拓也の肩に手を置いた。
「少し、痩せたね」
食事も喉を通らない。自分を責め続けるあまり、夜も眠れなかった。もともと痩せ型であったが、今では頬がこけ、指の骨が浮き出るほど。どれくらい体重が落ちたのだろうか。
「大学の他のみんなも、ここにいるのかい?」
「いえ」
拓也は首を振った。
「僕が出会ったのは、もっさん――杉本だけです。彼は、もう……」
拓也は震えるような息を吐いて、
「ここには、いません」
「そうか」
重い沈黙が舞い降りた。
しかし、同じ思いを共有できたことに、拓也は救われたような気がした。
「山田さんは、今どこに住んでるんですか? ひょっとして、他の異世界転生者も――」
玄関の扉が開いて、色白で小柄な男が出てきた。
「浅見君、お客さんのようだね。知り合いかい?」
世良である。
拓也が初めて出会った時と同じ、人のよさそうな笑顔を浮かべていた。
世良たちがくつろいでいる部屋は、玄関の隣にある。窓からこちらを確認することができる。そういう場所を、世良が選んだのだ。
拓也が大声を出したので、気づいたのだろう。
「いやまさか、俺たちの他にも生き残った方がいらっしゃるとは思いませんでした」
続いて出てきたのは、正志とアンリ。
「俺は、世良徹といいます。こちらの二人は、後藤正志と、竹中清子です。浅見君と四人で、助け合いながら暮らしています」
「……どうも」
「えっと、よろしくぅ」
正志もアンリも、借りてきた猫のようにおとなしい。
アンリの本名を、拓也は初めて知った。
儀一とねねも自己紹介をした。
「ほう、公務員の方でしたか」
「浅見君とは、駅前のショッピングモールで子供向けのイベントを行っていたんです。市と大学の連携事業というやつで……」
穏やかに、大人の会話を交わしている。
「ああ、こんな寒いところではゆっくりと話もできないな。どうぞ家の中にお入りください。お互い、情報交換をしましょう!」
熱心な世良の誘いを、儀一は申し訳なさそうに断った。
自分たちは隣村に住まわせてもらっているのだが、かなり距離が離れているという。
「仲間たちが待っていますので、日が暮れる前に、戻る必要があるんです」
「まさか、あなたたちの他にも、異世界転生者が?」
世良は表情を輝かせた。
もちろん、演技である。
「はい。小学一年生の子供が、四人います。あまり心配させるわけにはいきません」
「小学、一年生?」
意外そうに世良が聞き返した。
拓也もまた驚いていた。
年端もいかない子供を四人も連れて、“オークの森”を生き延びたというのか。
水や食料を確保するだけでも大変だったはず。
しかもオークたちはしつこい。一度出会ったら、とことん追いかけてくる。
足が遅く、体力のない子供を連れて。
そんなことが可能なのだろうか。
「しかし、せっかくお会いできたのですから。このままお別れというわけにもいかないでしょう。浅見君も、話がしたいはずです」
困惑したような世良に、儀一は言った。
「明日、また来ます」
儀一とねねが帰ってから、拓也は部屋の中で世良たち三人に囲まれて、儀一のことを話すよう命令された。
仕事の内容、人柄、能力、拓也との関係などである。
「なるほどな、四十前後か。どうりで落ち着いていると思った」
「叔父貴、どうするんで?」
正志が聞くと、世良が睨んだ。
「お前、人前でその呼び方はやめろよ。勘付かれるぞ」
「す、すんません」
アンリが世良の腕にしな垂れかかる。
「徹さん、あいつらを仲間にするの?」
「ふっ、馬鹿を言え」
世良は鼻で笑った。
「小学一年生の子供が、四人。しかも、文明の利器にどっぷりと浸かった、生意気なガキどもだぞ。特殊能力があったとしても、足手まとい以外の何ものでもねぇよ。お前、養っていけるか?」
「無理。あたし、子供キライだし」
「かなり、慎重なやつだ」
世良は考え込むような仕草をした。
「村長の様子から、何かを察したのかもしれない。あるいは納屋の惨状を見て、警戒したか」
その間、拓也は呆然と突っ立っていた。
自分で考えるという行為を放棄して久しい。命令されて動くことに慣れきってしまっていたのだ。
そんな拓也に、世良は苛立たしそうに言った。
「浅見、浮かれてんじゃねぇぞ?」
「え?」
「お前、自分の立場を分かっているのか?」
何のことだか分からず、拓也は動揺した。
「山田とかいう公務員は、お前からすればただの知り合いで、ダチでもなんでもねぇ。向こうからしても、仕事上の付き合いだ。そうだろう?」
「は、はい」
「つまりは、赤の他人だ」
その言葉は何故か、拓也の胸にずしりと響いた。
儀一は小学一年生の子供を四人も連れて、隣村に住んでいるという。現地の住民からすれば、厄介者以外の何ものでもないはずだと、世良は言った。
「俺たちだって、ひどい扱いを受けた」
事実である。
命からがらウィージ村にたどり着いた拓也たちは、ろくな手当も受けられず、数日間、地下の倉庫らしき場所に閉じ込められたのだ。
その後、新しい住処と仕事を与えられた。
住処は村長宅の敷地内にある納屋で、仕事は水汲みや薪割りといった肉体労働である。
報酬は、固いパンをひと欠片と水だけ。
常に空腹だった。埃っぽい納屋の中で、干草のような塊に寄りかかりながら寝起きしていた。
ウィージ村の現状――女性と老人と子供たちばかりで、魔法を使える者もいないことが分かってから、世良は行動を起こした。
村長宅で村人たちが集会を行っている時に、特殊能力を使って納屋を吹き飛ばしたのである。数少ない村の男たちを、正志が一瞬のうちに投げ飛ばした。
力関係は完全に逆転し、拓也たちは働かなくても生活できる身分を手に入れたのである。
「隣村ならば、食料事情はそれほど変わらないだろう。やつらも、わずかばかりの食料や水のために、奴隷のように働かされているはずだ。ここに来たのは、村の用事の使いっ走りってところか。四人のガキは人質だな」
つらつらと説明しながら、世良は冷めた目で拓也を見ていた。
まるで、できの悪い舎弟の相手でもしているかのように。
「ようするに」
世良はため息をついた。
「やつには、赤の他人であるお前を助けてやる義理もないし、そんな余裕もないってことだ」
「……そ、そんなこと」
自分は考えてなどいない。
「唯一、その可能性があるとするならば」
世良は構わず言った。
「お前が、やつにとって有益な特殊能力を持っている場合だけだ」
「……っ!」
はっきりと、拓也は衝撃を受けた。
特殊能力は世良に奪われた。
この世界で生きていくための、唯一の力を。
世良は拓也の髪を掴むと、頭を左右に動かした。
「お前、大学生なんだろう? いっぱい勉強したんだろう? 少しは頭を使って考えろ。想像してみろよ。二十歳にもなって、会話もできない、文字も書けない、力もコネもない。無い無い尽くしだ。そんなゴミクズが、この世界で生きていけると思うか?」
最後に大きく振られて、拓也は床の上に倒れ込んだ。
「どんなに辛くたって、金魚のフンみてぇに俺たちにくっついて生きていくしかねぇんだよ、お前は!」
世良は拓也の前にしゃがみ込んだ。
「ひっ」
拓也は縮こまるようにして、がたがたと震えた。
彼は暴力を受け、あるいは言葉で責められて、何度も何度も心を折られた。
決して、逆らえないようにするために。
「おい、浅見」
世良は再び拓也の髪をつかんで、頭を持ち上げた。
「一度だけ、チャンスをやる」
「あ、あ……」
「山田儀一、やつの特殊能力を探ってこい。二宮ねねとかいう女のもだ」
世良の持つ特殊能力は、タレントの強奪。
相手の特殊能力を奪う能力。
ただし、いくつかの制約条件がある。
「もし使えそうだったら、お前の力を返してやるよ」
世良は拓也の肩に触れると、
「光撃」
拓也は吹き飛ばされた。




