(15)スニーカー
早朝、寄り合い所はカロン村で一番賑やかな場所となる。
つるべ式の共同井戸があるので、村人たちは毎日水を汲みにくるし、ついでに食器洗いや洗濯をしていく者もいる。
そして五日に一度、ここでは朝市が開かれる。
各自が持ち寄った食料や道具類を、ガラ麦の藁を編んだ御座の上に並べて、店を開くのだ。
商品に値札は付いておらず、相場はあってないようなもの。今年に関しては、現金よりも食料品が好まれる傾向にある。
そんな中、儀一とねねが開いている店は、現金での販売を歓迎していた。
商品のラインナップは、魚の干物、薪、魔木炭の三種類のみ。
新参者ということで、最初は買い叩かれていたが、儀一は気にしなかった。どの商品も労働力以外の経費はほとんどかかっていない。カロン村の人々と交流ができて、バシュヌーン語の練習ができれば十分に元が取れると儀一は考えていた。
しかし儀一の店の商品は、人気が人気を呼び、自然とその価値は高騰していく。
特に、緊張なタンパク源である魚は大人気だ。
「今の交渉は、粘ればもっととれましたよ」
店先でアドバイスをくれたのは、少し気が強そうな顔つきをした少女だった。
「そうかい? ちょっと、商売が下手だったかなぁ」
儀一は頭をかいた。
少女の名前はモゼ。最近、朝市や石材置き場に移動したおにぎり屋に顔を出しては、よく儀一に声をかけてくる。
「私に任せてくれたら、もっとうまくやりますよ?」
「はは、村長さんの力を借りるようで気が引けるよ」
モゼは村長であるヌジィの孫娘だった。
ドランの妹で、ブッキの姉でもある。
「せっかくのいい品揃えなのに、もったいないです。ギーチさん、みんなになめられてるんですよ。どんどん強気でいかないと」
「……だそうです」
二人の会話の間に立って通訳しているのはねねだ。少し難しい単語が出ると、儀一では対応できない。
「まいった。モゼ君は厳しいな」
「モゼと呼んでください、ね?」
ここぞとばかりに、少女はにっこりと微笑む。
モゼはねねのことをいないものとして会話を進めていた。ねねが話しかけると、表情を消してつんとそっぽを向く。
難しい年頃であることをねねは承知しており、通訳に徹しているようだ。
「僕はね、村長さんに感謝しているんだよ」
「おじいちゃんに、ですか?」
モゼは首を傾げた。
「見ず知らずの異国人である僕たちを受け入れて、家まで提供してくれた。そして、臨時の木こりにも抜擢してくれた。村長さんのおかげで、今の僕たちの生活がある。だから、少しでも村に貢献できればと考えているんだ」
「だから交渉でも負けてるんですか?」
「それは、商売が下手だからさ」
儀一は苦笑した。
「う~、ギーチさんが、よく分かりません」
モゼは渋面になる。
よく分からないように会話をしているのだから、仕方がない。
「カロン村も大変だけど」
儀一はさりげなく話題を変えた。
「近くの村の状況も心配だね。西の方にウィージ村があるそうだけど、モゼ君は行ったことあるかい?」
「もちろん。祭りの時に行ったことがありますよ。この前は、ウィージ村の村長さんとお話しもしました」
「へえ、さすがは村長の娘さんだね。で、どんな人だった?」
「ちょっと怖そうな、女性の方でしたよ。私と同じくらいの娘さんと小さな息子さんがいて……」
モゼは当然のような素振りで話したが、鼻の穴が少し膨らんでた。これはモゼが何かを自慢するときの癖で、気分がよいことを示している。
そのことを、儀一は見抜いていた。
「実は、ウィージ村にも、魚を届けようと思っているんだ」
「わざわざ隣村まで行って、商売をするんですか?」
「これは、人助けだよ」
驚くモゼに、儀一は微笑む。
「カロン村の人たちも大変だけど、今のところうまくいってる」
朝市や寄り合い所で話を聞いている限りでは、冬を越せそうだという話が出てきて、皆の表情も明るくなった。
これにはいくつかの要因が考えられた。
出稼ぎで村の人口が減ったこと。薪や炭が十分に供給されたため、食料探しに労力を集中できたこと。ほとんどの子供たちにおにぎりを提供することができたこと。オークフィッシュの干物が朝市に大量投入されたこと。
「本当は、無償でプレゼントしたいくらいなんだ。でも、貸し借りで上下関係ができてしまうのは、よくないだろうし、きちんとお金を出してくれているカロン村の人たちにも申し訳ないからね」
だから、商売という形をとる。
「もちろん、格安で」
呆れたように、モゼはため息をついた。
「はぁ、どこまでお人好しなんですか」
「それにね」
儀一は真摯な眼差しで訴えかけた。
カロン村とウィージ村の関係は、血の交流にある。
辺境の集落は、単独では生き延びることができない。他所から新しい血を入れる必要があるからだ。そのことを、経験あるいは本能で、みなが知っている。
カロン村にもウィージ村出身の人たちがたくさんいた。おもに主婦で、朝市でも話す機会ある。
彼女たちはみな心配していた。
「嫁いでから何年経ったとしても、実家を思う気持ちは変わらない。魚を届けることができれば、彼女たちも安心できると思う」
「……」
この言葉は、早熟な少女の胸に響いたようだ。
「だから、村長さんの許可をとりたいんだ」
「隣村で商売するのに、許可なんていらないと思いますけど。行商人のマギーさんだって、勝手にやってますし」
「僕は新参者だからね」
自分のあずかり知らないところで、村に迷惑をかけてしまうかもしれない。だから、事前に許可を取る必要があると儀一は言った。
「おじいちゃんに、話をすればいいんですね?」
「うん。ありがとう、モゼ君」
礼を言ってモゼの頭を撫でると、勝気な少女は真っ赤になって頬を膨らませた。
「こ、子供扱いしないでください!」
「や、ごめんごめん」
「おー、モゼじゃない。こんなところで珍しい。なにやってるのさ?」
「――っ」
不意に現れたのは、
「タ、タチアナさん」
モゼの一番苦手な相手だった。
老人たちの間では“元気なおてんば娘”という印象が強いようだが、モゼに言わせれば、ただの暴力女だ。
「あらあら。私の忠告が理解できなかったようね。どうしたものかしら?」
隣には、二番目に苦手なトゥーリがいた。外面だけはおしとやかな、かまとと冷血女である。
この二人が揃うと攻守ともに完璧になり、逃げ出すことすら難しくなる。
「あんたは朝市で買い物なんかしないでしょ。何してんの?」
「あ、えっと。そのぅ、水を、汲みにぃ~」
「井戸なら、あなたの家にあるわよね?」
「あ、そうだ。私、用事があるんだった。じゃあ、ギーチさん。またお会いしましょう!」
取り繕うようにまくしたてると、モゼはスカートをはためかせながら寄り合所を出て行った。
「ったく」
困ったものだと、タチアナがため息をつく。
「二人とも、買い物ですか?」
「違うわ」
駆け寄ってきたねねに、トゥーリはプレゼントを渡した。
それは荒野鼠の革で作った靴だった。
「わぁ、すてきな靴です」
「これが、スニーカー? で、よかったのよね?」
製作者であるトゥーリが少し自信なさそうにしているのは、初めて作る形の靴だったからだろう。
元になった靴は、儀一が召喚したマンションの下駄箱にあったスニーカーである。見本として、トゥーリに渡していたものだ。
スニーカーはマンションの付属品扱いなので、午後八時になると消えてしまうが、切り刻んでバラバラにしても問題はない。
トゥーリには魔法で作った幻の靴と説明していた。
「とりあえずネネの分だけ作ってみたの。履いてみる?」
色は黒ずんだ灰色。派手さはないが弾力があり、少しだけ伸び縮みする。靴ひもも荒野鼠の革だ。
「ぴったりです。それに、軽い」
「それならよかったわ」
「ネネ、ちょっとスカートの裾、上げてみて」
タチアナがねねの全身を観察した。
「へぇ、おしゃれだね。都会の人みたいだ」
「機能的でもあるわ」
自分の仕事に納得したように、トゥーリが言った。
「これなら森の中を全力で駆け回っても、足をいためないでしょうね」
カロン村の人たちが履いている靴には、留め金や結びひもなどはついていない。全力で走るとすぐに脱げてしまう。
「……ねぇ、トゥーリ?」
タチアナが用件を口にする前に、トゥーリは断った。
「だめよ」
「何も言ってないじゃない」
「あなたがピコピコ鳥みたいな声を出すのは、欲しいものがある時だけ。スニーカーは、ギーチさんと子供たちが先」
「ちぇっ」
カロン村で飼育されているピコピコ鳥は、愛くるしい声で鳴く。
儀一も靴の出来栄えに感心したようだ。
「ねねさん、走れそうですか?」
「試してみますね」
もともと足が遅いのでたいしてスピードはないが、これまで履いていたパンプスよりは動きがましだ。共同井戸の方まで走ってジャンプする。
「儀一さ〜ん!」
嬉しそうに手を振ってくるねねを見て、これはいけるかもしれないと、儀一は考えた。




