(14)移転
「さむ~いっ!」
外に出た瞬間、カミ子は叫んだ。
それもそのはず、彼女が着ているのは派手な純白のドレスで、防寒性など皆無なのだから。
寒い寒いと連呼しながら、マンションの中に戻ってくる。
「ちょっと山田さん、人間って恒温動物だったよね?」
「そのはずですけど」
「身体がさ、ぜんっぜんあったまらないんだけど。こんなんで生きていけるの?」
「寒くなったら着込むんですよ。収納ボックスの中に半纏がありますので、出しましょうか?」
午後八時までであれば、マンション内の服を着て、そのまま外出することも可能だ。
「それって白い? キラキラ光ってる?」
「茶色だったかな? 無地です。ああそれと、ラクダの股引もありますよ。これは祖父の形見で、本物です」
「……いらない」
儀一たちはマンション内のリビングで出かける準備をしていた。
ねねがおにぎりを作り、儀一がその手伝いをしている。子供たちは着替えと歯磨きで、わいわいと忙しい。
おにぎりをラップで包みながら、儀一が言った。
「今日はちょっと冷えるみたいですね。ここ二、三日、収穫量も落ちてきましたし、キノコ狩りは終わりにしようと思います」
「え? もういいの?」
「はい、とりあえずは」
“オークの森”でのキノコ狩りは、計十日間実施した。獲得したジュエマラスキノコは、すでに二百個を超えている。
「神様のおかげで、想定以上の成果を上げることができました。しばらくは、ゆっくりと――」
「ご褒美っ」
カミ子は両手を差し出した。
山田さんは戦友だ、借りを返したいなどと口にしながら、きらきらと期待に満ちた目で対価を要求してきたカミ子に、儀一は一瞬、言葉に詰まる。
「えっと、カロン村で手に入るものなら」
「う~ん。それなら、お酒がいいね」
儀一とねねは顔を見合わせた。
「いやぁ、酔いどれっていうの? 内臓に負担をかけてまで楽しむってのがさ、刹那的というか、いかにも人間っぽいよね。それと、千鳥足? あれは一度やってみたい。ネクタイを頭に巻いて、こう、ふらふらと。ほら、折り詰めの寿司を指先でつまんでるでしょ。ボクの考察では、あれがバランサーの役割を果てしてると思うんだ」
折り詰めの寿司に、そんな機能などない。
「アルコールは、あまりお勧めできませんが」
翌朝、二日酔いになって人間の身体に文句を言うカミ子の姿が、ありありと目に浮かぶようだった。
だが、こういう時のカミ子は意固地になる。
「とにかく酒! ボクはね、山田さん。人間活動を楽しむために、わざわざ身体まで作ってこの世界に転生してきたんだよ。まずは、飲食でしょ!」
儀一はねねに聞いた。
「朝市に出ていましたか?」
「見たことはありませんが、酒場の店長さんは、おにぎりを食べにいらっしゃいますよ。今度お会いした時に、魚と交換してもらえるか聞いてみます」
「さすがは二宮さん。お酒に合う料理も頼むよ」
「はい」
内心儀一は、やれやれと呟いた。
“オークの森”でのキノコ狩りをやめたのは、寒さのために収穫量が落ちたこともあるが、他にも理由があった。
昨夜、ねねがドランの件を報告してきたのである。
弟のブッキを使ってねねを誘い出し、襲おうとしたこと。
結愛が火の魔法を使って守ってくれたこと。
そしてドランに、今後一切関わらないで欲しいとお願いしたこと。
ドランには以前から言い寄られていたそうで、早めに報告ができなかったことを、彼女はしきりに謝ってきた。
謝るのは自分の方だと儀一は言った。
ドランは最初から異世界人である自分たちに敵意を持っており、そのことを隠そうともしなかった。
カミ子に水属性魔法で叩きのめされ、“村会議”では、逆に不名誉な疑惑まで押しつけられた。
このままおとなしく引き下がるはずがない。
しかし儀一は、ドランの恨みの矛先が、自分かカミ子に向けられるだろうと考えていたのである。
少し考えれば分かることだった。
ねねとドランの行動範囲は、寄り合い所で重なっている。トラブルが発生する可能性は十分に予測できたはず。
それなのに、注意を払わなかった。
冬になると“オークの森”のキノコは枯れてしまう。今のうちに収穫しなければと、つい目先の利益を優先させてしまったのだ。
そして、ねねが悩んでいることにも気づけなかった。
これは大反省である。
“オークの森”でのキノコ狩りは中止し、しばらくはいっしょに行動する。
儀一の決断を聞いて、ねねは瞳を潤ませながら喜んだ。
しっかり者とはいえ、彼女はまだ二十二歳。
日本であれば、社会人一年目の新人である。
やはり、心細かったのだろう。
「じゃあ山田さん、二宮さん。ボクは二度寝するから、お酒の件、よろしくね」
堂々と宣言してから、カミ子は寝室に入っていった。また引きこもりの自堕落な生活へ戻るのだろう。
おにぎりが完成すると、子供たちとともに寄り合い所へ向かう。
幸いなことに、ドランたちの姿はなかった。
「おー、めずらしく旦那がいるぞ」
「あら、ほんとね……」
昼前にやってきたタチアナとトゥーリは、冷たい視線を儀一に向けてきた。
「ねねさんから、聞きました。靴を作っていただけるそうで。ありがとうございます」
ねねに寂しい思いをさせながら、金髪美女と二人きりで遊び回っている色男。そんなふうに思われているとは露とも知らず、儀一はバシュヌーン語を使って礼を述べた。
やや緊張した様子で、ねねが説明する。
「タチアナ、トゥーリ、実は……」
ねねは昨日のドランたちの件を、二人に話した。
これは儀一が強く勧めたことである。
いくら手を引くことを約束させたとはいえ、ドランの気が変わることも考えられる。その時には、ねねだけでなく子供たちにも危険が及ぶ可能性があるのだ。
いくら魔法があるとはいえ、不意打ちには弱い。
自分たちで身を守ることも大切だが、ここはねねと交流のある主婦たちに事情を話して、ドランたちに注意を払ってもらうべきだろう。
「あんの、クソがきがぁ!」
話を聞いたタチアナが豹変した。
「タ、タチアナ?」
「ちょっと、家から木刀とってくる」
慌てたようにねねは止めた。
ドランは自分たちに手を出さないと約束してくれた。今後、同じことが起きなければいいのだ。タチアナとドランが争うことはない。
「甘いわね、ネネ」
トゥーリは表情を消し、ぞっとするほど冷たい声を出した。
「ああいう輩は、きっちりしめないと。村の守護者たる勇者様も、お嘆きになるわ」
だが、タチアナよりは冷静のようだ。
「とはいえ、“村会議”にかけたとしても、ドランたちを村から追放することはできないでしょう。本人が認めたとしても、よくて謹慎ってところかしら? 村長と対立することになるし、ドランの恨みも深まるかもしれない。それは、ネネとしても望むところではないのよね?」
「は、はい。そうです!」
こくこくと、ねねは頷いた。
寄り合い所では、稽古にきたドランたちと接触する可能性がある。
とりあえず、おにぎり屋の場所を移したいという意向を、ねねが伝えた。
少し落ち着いたのか、タチアナが思案する。
「それなら、あそこしかないね」
その場所とは、村の南側にある石材置き場だった。
広さは十分だし、道具類を保管している小屋もある。それに、ドワーフのランボは力持ちで、ああ見えて正義感が強い。
何かがあったとしても、ねねたちを守ってくれるだろう。
「というわけなんだ。じいちゃん、頼んだよ」
タチアナの要請に、ランボはひげを震わせた。
「なんでじゃ!」




