(13)勇気
儀一とカミ子を見送ってから、寄り合い所へと向かうと、
「よう、ネネ」
いつものように、ドランが待ち構えていた。
蓮、蒼空、結愛、さくらの四人が、ねねの周囲を固める。
初対面の時にねねが差し出したおにぎりを振り払ったことを、まだ怒っているのだ。
「ふん、何にもしねぇよ。村のもんなら、誰だって食っていいんだろう?」
ドランはおにぎりとひとつ手にとり、かぶりつく。
「なぁ、村の西にある森、知ってるか?」
「“シェモンの森”ですか?」
「ああ、もう寒くなったから、食べ物は少ないだろうが、紅葉がきれいなんだ」
ドランはおどけたような口調で誘いをかけてきた。
「森の真ん中に小さな泉があってな。そのほとりに“オークの像”があるんだ。六百年前に作られた古い石像だ。言い伝えでは、その上に座るといいことがあるんだと。今度、いっしょに――」
「い、いえ!」
ぞっとするような悪寒を感じて、ねねの表情は強張った。
「結構です。そこはもう、タチアナさんとトゥーリさんに案内してもらいましたから」
「……そうか」
ドランはじっとねねを見つめてから、
「ちっ」
舌打ちを残して、寄り合い所の中に入っていった。
ねねはほっと安堵する。
「ねね先生」
気遣わしげな顔で、結愛とさくらがくっついてくる。
子供を心配させてはいけない。
「さあ、今日も頑張って、おにぎりを配りましょう。村のみんながお腹をすかせて待っているわ」
ぱらぱらと子供たちが集まってきて、寄り合い所は賑やかになってくる。
お昼前くらいには、タチアナとトゥーリが娘たちを連れてきた。
「ユア、サクラ!」
「遊びにきた。……ごほっ」
アイナとミミリだ。
年も近いこともあり、結愛とさくらとは大の仲良しである。庭の片隅に生えている草花で花の冠を作っている様子は、見ていて微笑ましい。
今日のタチアナとトゥーリは、儀一の話題を出さなかった。
それは気遣っているようでもあり、ねねが出す答えを待っているようでもあった。
「二人で相談したんだけどさ。靴、いらない?」
唐突に、タチアナが聞いてきた。
「靴、ですか?」
「ネネさんの靴、ちょっと走りづらそうに思えたの。それにずっと同じものを履いていたのでは、すぐに傷んでしまうわ」
トゥーリに指摘されて気づいた。
服に関しては、行商人のマギーから数着手に入れたものの、靴の予備はなかった。“オークの森”にいた時と同じ靴を、いまだに履いていたのである。
「だから感謝の印に、みなさんに靴をプレゼントしようと思って」
「そ、そんな――」
物があふれ返っている現代日本とは違う。服や靴だけではない。板一枚、釘一本でさえ貴重品なのだ。そのことを、ねねはカロン村での生活で知った。
それに、タチアナとトゥーリのおかげで、この村でも知り合いができた。同年代の主婦たちが信頼して子供を預けてくれるようになった。
逆に、こちらが感謝しなくてはならないくらいだ。
そのような趣旨のことをねねが伝えると、タチアナが呆れ顔になった。
「はぁ、これだから」
何かを確信したかのように、トゥーリが頷く。
「ねねさんは、遠慮しすぎなのよ。もっと大胆に、そして我儘にならないといけないわ」
靴は店で買うのではなく、自作するのだとトゥーリは言った。
素材は荒野鼠の革。カロン村周辺に生息している鼠で、その毛皮は色艶も悪く防寒性もいまいちで、売り物にはならない。だから、それほど高価なものではないそうだ。
「トゥーリさんは、靴屋だったんですか?」
「お店を出しているわけではないのだけれど、生活費の足しにしようと思って始めたの」
タチアナが何故か得意げに自慢した。
「トゥーリの作る靴は長持ちするし、靴ずれもしないって評判なんだよ」
オークの森では靴ずれに悩まされたねねである。
とてもありがたいと思った。
「では、お魚を――」
「いらないわ」
即座に断られた。
「私はね、ネネさん。あなたに感謝しているの。お返しをしたい。でも、私にできることといったら、これくらいしかない」
やや自虐的に、トゥーリが微笑む。
「だから、これは友人としてのお願いよ、ネネ。私が心を込めて作った靴を、もらってくれないかしら」
「トゥーリさん……」
「トゥーリでいいわ」
ねねは泣き出しそうになった。
この世界に来て初めて友人ができたのだ。
「ありがとう、ございます。トゥーリは、私の大切な、お、お友達です」
言葉に詰まって思わず口元を押さえると、トゥーリが軽く抱きしめた。
うんうん頷きながら二人の様子を見つめていたタチアナだったが、
「え、ちょっと待って。私は?」
何かに気づいたように、急に焦り出す。
「ね、ねえ、トゥーリ。私も手伝えることあるでしょ。っていうか、手伝わせなさいよ。ひとりだけずるいじゃない!」
「ふふ。さあ、どうかしら?」
「タチアナさんも、お友達ですよ」
「いや、そんなおまけみたいなやつじゃなくて! それに、私もタチアナでいいし。ああ、もうっ、いじわるしないでよ!」
ねねは久しぶりに、心から笑うことができた。
いつもであれば、大広間から不自然なくらい大きな気合の声が聞こえてくるのだが、その日は静かだった。
朝のやりとりでドランがふてくされてしまい、稽古が中止になったようだ。
寄り合い所の敷地内には共同井戸があり、稽古を終えたドランたちは、下着一枚になって派手に水浴びをする。ねねとしては居づらくなるので、正直、ほっとしていた。
正午過ぎ。子供たちの昼食も終わり、客足も途絶えた。
そろそろ店じまいの準備をしようかと考えたところに、ブッキがやってきた。
「ネネおねーちゃん」
「どうしたの、ブッキ君」
「じいちゃんが、オニギリ持ってきてくれって」
「おじいさん? ヌジィさんが?」
「うん、そう言えって」
村長のヌジィは、時おり寄り合い所にやってきては「何か困ったことがあれば、いつでも言いなされ」と、ねねにひと言かけて去っていく。何度かおにぎりを勧めたのだが、「わしにはちと重くてのう」と、遠慮されてしまった。
「いくついるの?」
「んー、知らない」
「今すぐ?」
「知らない!」
面倒くさそうに言って、ブッキは走り去った。早く遊びたくて仕方がなかったようだ。
ねねはおにぎりの配達も行っている。そのほとんどがタチアナの案内によるものだったが、村長の家ならば知っている。
盆にいくつかおにぎりを乗せていると、
「ねね先生、配達にいくの?」
結愛がやってきた。
先ほどまでいたはずの場所に目をやると、さくら、アイナ、ミミリの三人が、おままごとをして遊んでいた。
子供というのは集中力の塊だ。認識し、予測し得る世界が狭いとも言える。だから、ただ道を歩いているだけでも、ふらふらと危なっかしい。
しかし結愛は、六歳の女の子にしては驚くほど周囲に目が行き届く。
そのことは、儀一も認めていた。
おそらく結愛は、さくらたちと楽しく遊びながらも、“尻取り”防止のためにブッキや蓮たちの動きに気を配っていたのだろう。
そしてねねがおにぎりを盆に乗せている姿を見て、気づいたのだ。
寄り合い所の外に出るならば、護衛をしなくてはならないと。
「そうよ、村長さんのところに」
「あたしもいく!」
ねねは儀一から、決してひとりで行動しないようにと、繰り返し注意を受けていた。
他の子供たちは夢中で遊んでいるようなので、それならばと結愛に頼むことにする。
村長宅は、それほど離れていない。歩きで十分もかからないだろう。
しかし、その道すがら、人気のない場所にさしかかった時。
――ざざっ。
突然茂みが揺れて、男たちが飛び出してきた。
それは、ドラン、ヨリス、ダーズの三人だった。
「ちっ、あいつ」
ドランが派手に舌打ちした。
「ひとりで来いって、伝え忘れやがったな」
言葉の意味を咀嚼して、ねねは顔を青ざめさせた。
ブッキは年の離れたドランの弟だ。
ドランは弟を伝言役で使って、自分を誘い出したのではないか。
「その。村長さんが、おにぎりを持ってきて欲しいと」
「へっ、じじいはな」
にやにやと笑いながら、ドランがゆっくりと近づいてくる。
「異国の食いもんを、嫌ってるよ」
目つき、表情、歩き方、気配。
ねねは既視感を覚えた。
それは“オークの森”でのこと。
助けを求めたはずの二人組みの男に、ねねは襲われたのだ。
我知らず、身体が硬直する。
逃げなければならないと考えながらも、足が動かない。
「おい、ドラン。本当にやるのかよ」
「金髪女が出てきたら……」
ヨリスとダーズはやや及び腰の様子だ。
「お前らは、あのガキをつかまえておけばいい。あとはオレがやる」
苛立たしげに指示を出すドラン。
その前に、小さな影が立ち塞がった。
ねねを庇うように両手を広げたのは、結愛だった。
「じゃますんなよ、ガキ。今からオレたちは、大人の話を――」
ドランの足元に指先を向けて、結愛が叫んだ。
「発火!」
ためらう素振りなど欠片もなかった。
地面から一瞬火柱が上がり、ドランが後ろに飛びずさる。
「わっ! な、なんだ?」
「発火――発火!」
「わっ、おわっ!」
次々とドランの足元に火柱が上がり、どんどん離れていく。
「ねね先生にへんなことしたら、ゆるさない!」
怒りに満ちた声で宣言する結愛。
くるりと振り返ると、ねねの手をつかんだ。
「ねね先生、いこっ」
「ま、待ちやがれ!」
獲物を取り逃がすという焦りが、恐怖を忘れさせたのだろう。
ドランが一歩踏み出そうとしたその時、結愛が振り向いて、叫んだ。
「火炎球!」
少女の指先から大人が抱えきれないくらいの大きさの火の玉が飛び出して、ちょうどドランと結愛の中間地点に衝突した。
一瞬の間を置いて、激しい炎の渦が立ち昇る。
「……あ、あ」
炎には誰も巻き込まれていない。
だが、熱風に煽られたドランは、身体を支える力を失ったかのように、ぺたんと尻餅をついた。
やや後方にいたヨリスとダースは顔を真っ青にして、がたがたと震えている。
「こ、このガキも、魔法使いだ」
「だからやめろって言ったんだ、関わるなって。オレはもうごめんだぞ」
「た、頼む。助けてくれ。な、なぁ。これは、ドランが言い出したことなんだ。オレたちは無関係なんだよ」
「そうだ。ドランのやつが、勝手に――」
無言のまま結愛が人差し指を向けると、ヨリスとダーズは言葉にならない叫び声を上げて、一目散に逃げ出した。
ただひとり取り残されたドランを見下ろしながら、結愛が冷たい声を発する。
「追いかけてきたら、燃やすから」
それは魔法の練習の時に、結愛が何度も口にしていたキメ台詞だった。
しかも、バシュヌーン語である。
台詞や口調、表情まで儀一が指導しており、真面目な結愛は教えられた通りに実行したのだ。
「ねね先生、いこっ」
練習では、相手が驚いている間に逃げ出すことになっていた。
しかし、ねねの身体は反応しなかった。
結愛のあまりにも冷静な対処に、驚いてしまったのだ。
しかしねねは、自分の手をつかんでいる結愛の手が、かすかに震えていることに気づいた。
手だけではない。腕も、肩も。
少女の全身が小刻みに震えていた。
以前、魔木炭を作る過程で使う魔法を誤り、間一髪のところを儀一に救われてから、結愛は自分の魔法を恐れるようになった。
『そしてこれからも、きっと誰かを――結愛君の大切な人を、守ることができる』
自信を失いかけていた少女に、儀一は言った。
『その時のためにも、君はいっぱい練習して、知っておかなくちゃいけない。炎の魔法のことを』
恐怖が消えたわけではない。
目を逸らし、投げ捨てたわけでもない。
ねねを――大切な人を守るために、少女は勇気を振り絞って恐怖を克服したのだ。
小さな身体の中に、今まさに羽を広げようとしている、しなやかで真っ直ぐな心を、ねねは見い出した。
美しいとすら思った。
震えながらも毅然とした結愛の姿に、ねねは教えられた。
もっと素直になればいい。
自分の心と向き合って、勇気をもって一歩踏み出す。
それが、大切なのだと。
「ねね先生、早く」
「ちょっと待って」
ねねは結愛を安心させるように微笑むと、ドランに向かってゆっくりと近づいていった。
「ひっ」
カミ子に続いて二度目の魔法を体験したことで、完全に戦意を喪失しているようだ。大きな身体を縮こませるようにして後ずさる。
「ドランさん」
ねねは子供に言い聞かせるように言った。
「私たちは、魔法を使って“オークの森”を抜けてきました。オークの大群と、命がけで戦いながら」
「……」
「戦いは終わりました。今はただ、静かに暮らしたいだけなんです。ですから、これ以上私たちに関わらないでいただけますか? もし稽古の邪魔になるようでしたら、おにぎりを配る場所を変えますから」
そちらから手を出してこない限り、魔法で攻撃したりもしない。
ねねが約束すると、ドランはこくこくと頷いた。
「わ、分かった」
「では――」
立ち去ろうとしたところで、もう一度振り返る。
「あ、それから」
「ひっ」
自分自身に宣言するかのように、ねねは言った。
「私、好きな人がいるんです」




