(12)笑顔
「あの女を、オレのものにする」
寄り合い所の大広間で胡坐をかきながら、ドランは宣言した。
「あの女って、誰だよ?」
「ネネだ」
「いつも外でオニギリを配ってる?」
「ああ、そうだ」
「正気かよ!」
「異国人だぜ?」
驚くヨリスとダーズに向かって、ドランは不敵に笑った。
「関係ないね。ちっと細っこいが、色白でいい女だ。この村にいる芋くさい女たちとは違う」
「そりゃ、まあ。そうだけどよぉ」
「ちょっと待て。あの女、旦那と子持ちじゃねぇのか? さすがにまずいだろう」
「いや」
ドランは腕を組んだ。
「この前、タチ姉――タチアナとトゥーリが、ネネと話しているところを聞いたんだ。どうやら結婚はしていないらしい。子供もよその子だろう」
ドランには作戦があった。
ねねは異国人であり、この村では肩身の狭い思いをしている。しかも同居人であるカミ子には、盗人の疑惑がかかっていた。“村会議”では曖昧な形で終わったが、食糧庫の果物に手を出したのは事実だ。
ドランは知り合いの老人たちに、異国人の疑惑を吹聴して回った。彼は村長の孫であり、子供の頃はガキ大将だった。「元気があっていいねぇ、ドラ坊」と、案外老人たちの受けがよかったのである。
現在残っている村人の半数以上は老人。これで異国人たちはさらに住みづらくなったはず。朝市でも無視されて、物資を交換することもできないだろう。
困っているところに、すかさず手を差し伸べてやるのだ。
ドランの作戦は、奇しくも儀一の“おにぎり配布作戦”と同種のものであった。
しかし、自ら相手を追い詰めていくところが決定的に違う。
信頼を得るのではなく、屈服させることが目的なのだ。
「誰だってひもじい思いはしたくねぇし、させたくもねぇ。子供を養っているならなおさらだ」
だが、自分のもとに来れば村の者になれる。
しかも、村長の孫の嫁だ。
「どうだ、悪くない話だろう?」
ヨリスとダーズは懐疑的だった。
「そううまくいくか?」
「男と女ってのは、ほら。条件だけじゃなくてよ、好き嫌いの問題とか、あるんじゃねぇの?」
ドランの自信は揺るがなかった。
「あんなひょろりとした男には、負けねぇよ」
目下、彼が敵対視しているのは、儀一である。
カロン村は勇者の伝説が残る地であり、村の男たちは幼い頃から剣術を習い、身体を鍛える慣習が受け継がれていた。
そして女たちも強い男を好む傾向にある。
ドランは村で一番体格がよく、力も強い。
「もしあいつが邪魔するようなら、相手になってやる」
「でもよう」
ヨリスは怯えた。
「あの金髪の女が出てきたら、どうする?」
以前ドランたちは、カミ子にちょかいをかけた時に水属性の魔法でこてんぱんにされた。
剣術を身につけ、どれだけ身体を鍛えたとしても、魔法には敵わない。間合いを詰める前にやられてしまうからだ。
「なあ、ドラン」
ダーズが忠告した。
「あいつらにはもう、関わらないほうがいいんじゃねぇの?」
前回の“村会議”以来、カミ子は村人たちの前に姿を現していない。ほとぼりが冷めるのを待っているのだろうが、ひょっとすると復讐を企んでいるのかもしれない。
一向に煮え切らない仲間たちの態度に、ドランは激昂した。
立ち上がって、仲間たちを怒鳴りつける。
「お前ら、びびってんのか? 情けねぇぞ!」
ドランはすでに心に決めていた。自覚こそしていなかったが、それは過去の自分への復讐でもあった。
子供の頃、ドランは年上のトゥーリに憧れていた。おしとやかで、子供の世話が好きで、優しいトゥーリに。
だがトゥーリは、別の男と結婚した。
その男は格好つけで性格も悪かったが、腕っ節だけは強かった。
子供だったドランはとても敵わなかった。
自分が弱かったからトゥーリを奪われたのだと、幼いドランは思った。
そうでなくては辻褄が合わない。
納得ができなかったのである。
異国人であるねねは、どことなくトゥーリに似ているような気がした。いや、トゥーリよりも繊細で、儚く思えた。
今の自分は強い。当時のあの男よりも。
だから今度こそ自分のものにするのだ。
暗く深い憎しみの炎を宿す瞳に睨まれて、ヨリスとダーズは口を噤むしかなかった。
みんな無事に生活できているだけで、幸せ。
感謝しなくてはならないと、ねねは思った。
「いってらっしゃいませ」
朝、儀一とカミ子を笑顔で送り出す。
おにぎり屋は順調だった。朝十時くらいに開店して、正午くらいには全部無くなってしまう。
一番のお客さんは、子供たち。
タチアナによると、村のほとんどの子供がここに来ているようで、まるでお祭りのように賑やかだ。
みんな最初出会った頃より身体つきがふっくらとして、元気になったような気がする。
「おねーちゃん、お歌おしえて」
「だめ、あたしと遊ぶんだから」
「もー、けんかしたら、めって、この前いわれたでしょ。みんな、な、か、よ、く!」
女の子たちはみんな可愛らしい。
だが、
「お尻とったぁ!」
「きゃっ!」
男の子になると、困った子も出てくる。
「ブッキ君?」
どうやらカロン村では、こっそり忍び寄って年上の女性のお尻にタッチする遊びが流行っているようだ。
お尻を触ったのはブッキという少年で、蓮や蒼空と同年代だ。
「こら、ブッキ!」
「さいてい」
「あっちいって!」
女の子たちが少年を追い払う。
「へへん、ひっかかったひっかかった」
ブッキは風のように逃げていく。
その後ろ姿を、ねねは呆然と見送っていた。
「スキあり! お尻と――」
「蓮、あんたまで何やってんの?」
続いてねねの背後に忍び寄ってきたのは、蓮。
その襟首を掴んで、冷たい声をかけたのは、結愛である。
男の子たちの行動を不思議そうに見つめていたさくらが、少し離れた場所にいた蒼空に聞いた。
「そら君もねね先生のお尻、さわりたいの?」
「い、いえ。違います! ぼ、ぼくは蓮たちを止めようと」
蒼空はぶんぶん首を振った。
「おい蒼空、作戦失敗だ。ずらかるぞ!」
「さ、作戦ってなんだよ? ぼくはやめたほうがいいって言ったろ。みんなの前で、きちんと訂正――」
「ねね先生に変なことしたら、燃やすわよ!」
「うわー、結愛が怒った!」
「ち、違うんだぁあああ!」
蓮と蒼空があたふたと逃げていく。
「あれ、いっちゃった」
さくらだけがひとり、きょとんとしている。
「あっはっはっ! 相変わらず大人気だね、ネネは」
「懐かしいわね、“尻取り”。私もよくやられたわ」
笑いながらやってきたのは、タチアナとトゥーリだった。
三人で縁側に座って、話をする。
「ああいう悪ガキはさ、その都度きちんと懲らしめてやらないとつけ上がるわよ」
「あなたの場合、お仕置きが厳しすぎて、男の子たちが震え上がっていたものね」
トゥーリによると、タチアナは“尻取り”してきた男の子を強引に捕まえると、ズボンと下着を脱がせて、晒し者にしたらしい。
「最後は誰も私を狙わなくなったから、トゥーリを囮にして、一網打尽にしてやったのさ」
「もう、あなたって人は……」
この世界の男の子たちは、日本の保育園の子よりもやんちゃ。わんぱく小僧という言葉がぴったりかもしれない。
「ブッキはね、ドラ坊――ドランの弟なんだよ」
と、タチアナが教えてくれた。
「そう、なんですか」
最近のドランとのやりとりを思い出して、ねねの気持ちは沈んだ。
このところドランは毎日寄り合い所にやってくる。しかも朝の十時に、狙い済ましたように。
食べ物を無理やり渡そうとしたり、村を案内するといって誘ってきたりするのだが、ねねはすべて断っていた。
理由も必要性もなかったからである。
どうやら好意を持たれているらしいのだが、正直、ねねは困り果てていた。
「どうしたの、ネネ? 浮かない顔して」
「い、いえ」
タチアナやトゥーリにとって、子供の頃のドランは弟のようなものだったという。こんなことを相談するのは、さすがに気がひけた。
「ところで、ギーチさんは?」
周囲を見渡しながら、トゥーリが聞いてくる。
「儀一さんは、カミ子さんといっしょに――その、出かけています」
ねねの声のトーンは、少し憂いを帯びたものになった。
「それは、困ったわねぇ」
「儀一さんに、何かご用ですか?」
「いえ、そうではなくて」
悩ましげにため息をつくと、トゥーリは少し顔を寄せて、じっと見つめてくる。
「ひとつ聞いてもいいかしら?」
「はい」
「ギーチさんって、何者なの?」
「え?」
村の女たちの間で、今、儀一のことが話題になっているのだという。
カロン村に滞在する条件としてジュエマラスキノコを提供し、寄り合い所でおにぎりの無料配布を始めた。
カミ子が窃盗容疑をかけられた“村会議”に颯爽と現れると、明らかに彼女を操る形で弁護し、ドランたちをやりこめた。
臨時の木こりに志願するや否や、ほんの数日で薪の供給状態が劇的に改善された。さらには、よく燃えて長持ちする不思議な炭まで提供されるようになった。
そして、魚である。
朝市に立派なオークフィッシュの干物を出品して、かなり破格の条件で売ったり、物々交換に応じてくれている。
この村に住み着いてまだひと月ほどだというのに、この謎の異国人は、村人たちの生活に大きな影響を与えているのだ。
「ひょっとして、どこかの国の王子様?」
最初、儀一やねねが着ていた服の仕立てのよさには、行商人のマギーも驚いていた。生地は薄く色も鮮やかで、まるで王侯貴族のような服だという。だからトゥーリの誤解も、それほど的外れなものではないのかもしれない。
ねねは一瞬、儀一が王冠を被っている姿を想像した。
「ネネさんがお姫様? とか」
そして儀一の隣には、ドレス姿の自分。
「い、いえ! 違います!」
ねねは真っ赤になって、どう説明したものかと迷った。
生前の儀一の職業は公務員だ。これを今知っている単語で表現すると、
「儀一さんは、年貢を取る人、でした」
「お役人?」
「それです。お役人です」
「へえ、なんかそれっぽい感じはするかな」
タチアナは納得したようである。
「村にはあまりいないタイプの男性よね。佇まいや話し方が、洗練されているというか、都会的というか」
トゥーリによると、おもに十代の若い女性たちが儀一に興味を持っているそうだ。タチアナとトゥーリから情報を聞き出そうと、躍起になっているのだという。
「でも、心配はいらないわ」
トゥーリはねねを励ました。
「あの娘たちには、ちゃんと釘をさしておいたから。現実をちゃんと見なさい。ギーチさんの隣には、もうすてきな人がいるでしょう? 勝ち目はないわよってね」
「……」
ねねは困った。
「私と儀一さんは、そういう関係では、ないんです」
それに今、儀一の隣にいるのはカミ子だ。
夜、子供たちがベッドに入ってから、リビングにランプをひとつ灯して、儀一とふたりで話をしている。それはねねにとって一番心が休まる時間だった。話の内容は、今日一日の活動報告や明日の予定について。
それだけで十分だと、ねねは思った。
「儀一さんは、すごい人なんです」
“オークの森”で、儀一は足手まといでしかなかったはずのねねと子供たちを、命がけで守ってくれた。救ってくれたのは命だけではない。恐怖と絶望で打ちひしがれていた心に、安らぎと希望を与えてくれたのだ。
「尊敬、しているんです」
その表現が、一番しっくりくるだろう。
「ネネさん?」
自分はどんくさいし、カミ子のような力もない。“オークの森”に行ったとしても、足手まといにしかならない。
だから、余計なことは考えるべきではない。
儀一を信じて、彼の無事だけを祈っていればよいのだ。
「だから私は、今のままでいいんです」
ねねはにこりと笑った。
笑ったつもり、だった。
「そう」
トゥーリの目が細まった。
「じゃあどうしてあなたは、泣きそうな顔をしているの?」




