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 1LDK。それが山田儀一のマンションの間取りだった。

 家族で住むには小さいが、ひとり暮らしであれば十分な広さである。

 儀一が部屋の電気をつけると、そこはキッチンと一体型のリビングだった。

 ねねと子供たちは呆然と立ち尽くしてしまう。


「さ、好きなところに座ってください」


 冷蔵庫がある。電子レンジがある。テレビがある。壁際にはソファーとパソコンもある。

 ねねと子供たちは、中央に配置されたちゃぶ台のような丸テーブルの周りに座った。

 儀一はコップやティーカップを人数分そろえると、冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出した。二リットル入りのウーロン茶だ。

 とくとくとお茶を注ぎ、お盆に乗せて持ってくる。


「まずは、水分を補給をしましょう」


 自分の前に出されたウーロン茶を、ねねは不思議そうに見つめた。

 手にとってみる。

 冷たい。

 その時初めて、喉がからからに渇いていることに気づいた。

 ひと口飲んでみる。

 ごくありきたりなウーロン茶だ。


「はっ――」


 小さな息が漏れて、知らず知らずのうちに、むさぼるように飲み干してしまった。


「けほっ、けほっ」

「ゆっくり飲んでください。身体に障りますよ」

「ご、ごめんなさい」


 そう言って儀一は、空になったグラスやカップにウーロン茶を注ぐ。

 二杯目はひと口ずつ味わいながら飲み干して、それからねねは、グラスを抱えたまま泣き出した。

 こんなにもお茶が美味しいものだとは、知らなかった。

 まさに命の水。

 救われた――


「おじさん、お代わりある?」

「ぼ、ぼくも」

「あたしも!」

「さくらも!」

「お茶はなくなっちゃったから、水でいいかな?」


 子供たちも元気を取り戻し、儀一は苦笑しつつ冷蔵庫から今度はミネラルウォーターのペットボトルを持ってきた。


「ここってさ、おじさん?」

「そうだよ」

「ひとり暮らし用のマンションですね。1LDKですか」

「なにそれ? 英語?」

「さくらのおうちより、小さい」

「ちょ――ちょっと、みんな!」


 見ず知らずの方、しかも命の恩人に、失礼極まりない言い草である。

 慌てたようにねねが子供たちをたしなめたが、儀一はにこにこと微笑みながら言った。


「子供が遠慮する必要ないですよ。それに僕は、こう見えて四十二歳ですから。おじさんって呼ぶようにお願いしたんです。さすがに、お兄ちゃんって歳じゃありませんからね」

「え? そ、そうなんですか。とても、お若いです」

「神様が、二十歳くらいの年齢で転生させてくれたようですね。身体が軽くて、初日なんかは、柄にもなくはしゃいでしまいました」


 正座をしながら、結愛がそわそわしだした。


「あ、トイレなら、玄関の隣にあるから。いっといれ」


 今、儀一がさらりとキメたのは、親父ギャグである。

 しかし箱入り娘であるねねは、まったく気づかなかった。少し言い間違えたのだろうというくらいの認識でしかなかった。

 同じく子供たちも無反応で、ぼくもわたしもと、次々に立ち上がる。

 その様子を見つめながら、儀一は少しだけ寂しそうにしていた。




 お米を研いで、炊飯器にセットする。さらに風呂の準備をしてから、儀一はパソコンデスクの椅子に座った。


「このマンションは、僕が召喚魔法で選んだ物品です」

「召喚魔法……。確か、ひとつだけ、自分のものを召喚できる」

「ええ。幸いなことにローンは払い終えたばかりですから、完全に僕の所有物になっていました。神様にお願いして、特別に認めてもらったんです。不思議なことに、電気もガスも水も使えるようですね」


 このマンションを利用できるのは、儀一と彼のパーティメンバーのみ。

 召喚できる時間は十二時間。そして、召喚できる回数は一日一回。

 つい先ほど十二時間が経過したので、儀一はねねや子供たちとパーティ登録をして、招待したのだという。


「僕たちは、半日だけここで休むことができます。でも、残りの半日は、外の世界で活動しなくてはなりません」


 それでも安全に休める場所があるというのは、天国のようなものだ。

 未開の森、ぞっとするような暗闇。子供たちと身体を寄せ合い、怯えながら夜を過ごしてきたねねである。そのありがたさは身にしみて分かった。


「マンション内の備品や消耗品、食料品などは、例の事件が起きた当日、午前零時の状態のようです」


 テレビは映るが、毎回同じ番組の繰り返し。インターネットは使えるが、更新される情報は、やはり毎回同じ。メールは出せても返事は返ってこない。電話は繋がらない。


「何度このマンションを召喚しても、パソコンに表示される日付と時間は同じです。例の事件が起きた日の零時で、時間と空間が切り取られているようですね」


 あっさりと口にしたが、ねねには理解することができなかった。


「でも、おかげでよいこともあります」


 儀一は空になったペットボトルを指差した。


「次にマンションを召喚すると、このお茶も、元に戻っているんですよ」

「そ、それって、つまり……」

「毎日二リットル、ウーロン茶が飲めるということです。これはウーロン茶だけではありません。このマンションに残っているすべての物品が復元されます」


 喜ぶよりも、あっけに取られてしまう。


「まあ、今後のことは明日の朝に考えることにして、今日はごはんを食べて、お風呂に入って、ゆっくりやすみましょう」


 炊飯器が湯気を出し、電子音を鳴らした。

 儀一はしゃもじをぬらして、ご飯を軽く混ぜる。

 それからキッチンで鍋を使い、何かを作り始めた。


「あ、あの。お手伝いを……」

「では、食器を並べていただけますか?」

「は、はい」


 仕事を任されたことで嬉しくなり、ねねはキッチンへ駆け寄った。


「上の戸棚に食器が入ってます。茶碗は、いくつあったかな?」

「四つですね」

「足りないか。仕方がない。お椀で代用しましょう。あと、コーヒーカップも人数分出してください。お箸は……割り箸があったかな?」


 そうこうしているうちに、ご飯が蒸し上がり、食事の準備がととのった。

 メニューは白ご飯と、コーヒーカップに入れた具のない味噌汁、そして水。


「実は、僕は外食派でして」


 申し訳なさそうに儀一は言った。


「おかずが、ないんです」


 通常であれば、子供たちは落胆したかもしれない。しかし、この一週間、あやしげな木の実と雨水だけで生き延び、擬似的野生児になっていた彼らは、ご飯の湯気と甘い香りに、目をきらきらさせていた。


「では、合掌」


 ぱんと両手を合わせる。


「いただきます」

「いただきま~す!」


 子供たちのご飯と味噌汁は、一気になくなった。

 にこにこ顔で儀一が問いかける。


「お代わり、いる人」


 全員が手を上げて、「はい、はい」の大合唱。ねねが給仕を引き受ける。

 ご飯は五合炊いたので、食べきれないだろう。

 口の中をいっぱいにして食べる子供たちの様子を幸せそうに見つめてから、ねねも久しぶりの食事を口にした。


「……甘い」


 ご飯を口に含んだ瞬間、何故だか胸がいっぱいになり、またしてもぽろぽろと泣いてしまう。

 隣にいたさくらが心配そうに見上げてくる。


「ねね先生、どうしたの?」

「ううん、何でもないわ。おいしいね」

「うん! さくら、ごはん大好き」


 男の子の蓮と蒼空は、一合以上食べたのではないのだろうか。空腹は最高の調味料という格言を具現化したような、まさに大絶賛の夕食だった。


「少し一服したら、お風呂にしましょう」


 今度はねねの目が輝いた。


「そ、その……」


 一週間、ねねはお風呂に入っていない。

 お湯を汚してしまいそうだったので、シャワーでけっこうですと遠慮したのだが、儀一は首を振った。


「湯船につかって、しっかりと疲れをとってください。お湯は一度抜いて、入れなおせばいいですから」

「あ、ありがとうございます」


 儀一は寝室の方から着替えを持ってきた。

 女性の部屋着と下着。大人用なので、結愛とさくらのサイズには合わない。ショーツは端を結んで使うことにした。

 儀一からひとつ注意事項があった。

 渡された服は、召喚したマンションの付属品なので、半日で消えてしまうのだという。出かけるときには、今着ている服に着替える必要がある。

 洗濯機で洗って浴室乾燥機を使えば、七時間ほどで乾くらしい。


「せ、洗濯は、私がやります」


 さすがに汚れた下着を洗わせるわけにはいかない。


「では、紙袋をお渡ししますので、服はそこに入れてください」


 最初にねねと結愛とさくらが一緒に入ることになった。

 シャワーで身体を流し、浴槽に身を沈める。

 ねねの上に結愛とさくらが乗っかる形だ。


「ふぃ~、ごくらくぅ」


 どこでそんな言葉を覚えたのか、結愛が目を閉じて吐息をつく。


「あったかぁ~」


 まだ甘えたい盛りのさくらが抱きついてくる。

 そしてねねは、感動に打ち震えていた。

 のどの渇きを癒し、空腹を満たし、そしてお風呂で身体と精神をリラックスさせる。

 もう、何もいらない。

 夢ならば、覚めませんように。


「はぁ……」


 思わず声を漏らして、二人の少女をぎゅっと抱きしめる。

 絶対に、生き残ろう。

 消えかけていた希望の炎が、蘇ったようだ。

 シャンプーとボディソープをたっぷりつかって、泡だらけになる。きゃっきゃと笑いながら身体を洗っていると、いつの間にか時間が過ぎてしまう。


「お風呂長すぎ!」

「ぼくらも早く入りたいのに」

「男は我慢だよ、我慢我慢。君たちも大人になったら、きっと分かるさ」


 六歳の男の子と、精神年齢四十二歳のおじさんがそんな会話を交わしていることなど、ねねたちは知る由もなかった。

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