(10)オークの森
カミ子の窃盗疑惑を審議した“村会議”から、一週間。
カロン村での儀一たちの立場は、少々複雑なものになっていた。
タチアナとトゥーリの説得により、若い世代の主婦たちはおおむね好意的に接してくれるようになった。
ねねと子供たちがいたことも大きかっただろう。儀一ひとりだけだったならば、打ち解けるのにもっと時間がかかったはずだ。
特に村の子供たちに関しては、順応が早かった。
食べ物がもらえるということで、朝十時になるとわらわらと寄り合い所に集まってくる。
「ネネおねーちゃん、あーそぼ!」
お目当は、おにぎりだけではなかった。
保育士の資格を持っているねねは、村にはあまりいないタイプのお姉さんだったのである。
十代の半ばくらいになると、村の女たちは子供の遊びを卒業する。周囲から大人として認識され、よい相手を探すために、子供っぽい行為を慎むようになるのだ。
だが、ねねは違った。
いっしょに遊んでくれるし、聞いたこともない歌を教えてくれる。
特に女の子たちには大人気で、べったりくっついてくる。
男の子たちは蓮と蒼空とともに行動するようになった。
時おり寄り合い所を抜け出して、石材置き場に行ったりもする。少年たちにとって、ひげもじゃのランボじいさんは、からかい甲斐がある相手だった。石材の上に登ったり作業場に忍び込んだりして、カミナリを落とされるのもしばしばだ。
一方で、他の村人たちは警戒心を緩めなかった。
村会議で面子を潰される形となったドランたちが、カミ子の窃盗行為を吹聴して回ったからである。
特に老人たちは閉鎖的な気質もあり、道端で出会っても挨拶もせずにそそくさと逃げ出す者もいた。
「あいつら、インチキしてやがる!」
村で唯一の酒場で愚痴をこぼしたのは、木こりのイゴッソだ。
儀一が臨時の木こりになって以来、村人たちへの薪の配給量が増え、またその質も良くなった。不思議に思ったイゴッソが伐採地をこっそり覗き見したところ、儀一が子供たちに魔法を使わせて薪を作っていたことが判明したのである。
「あんなのは木こりじゃねぇ。今に見てろ、勇者様がお怒りになるぞ!」
そう言って、酒場の主人や客の不信感を煽ろうとしたが、彼の発言は効果がないばかりでなく、完全に無視された。
村で唯一の木こりということもあり、これまで村人たちはあからさまに不満をぶつけることができなかった。
しかしイゴッソがいなくても薪に困らないことが分かったので、誰も気を遣わなくなったのである。
そんな雰囲気をひしひしと感じて、イゴッソはいじけた。
しかし彼は、儀一を追い払ってまで自分の職務をまっとうしようとは思わなかった。
「どうせやつは臨時の木こりだ。それまでは、せいぜい楽をさせてもらうさ」
イゴッソは儀一との接触も避けるようになり、森の管理という名の散歩に逃げ込むことになる。
結愛の魔法、火炎球で作った魔木炭を一番喜んだのは、ドワーフのランボだった。
「こいつは火がつきにくいが、高い熱を出せるし、火が長持ちする。鉄や陶器を作るのに最適なんだ」
ただし、魔木炭を焼成できるほど強い炎の魔法を使える魔法使いは滅多にいない。通常は複数人の魔法使いが一日がかりで作るのだという。
王都などの大都市では、木炭の卸問屋の組合が市井の魔法使いたちを囲っており、魔木炭の独占的な商売をしているらしい。
正式な販売ルートを通さない闇魔木炭は、組合に睨まれて、はじき出されることになる。
「まあ、こんな辺ぴな田舎村では関係ないがな」
ランボは「お礼に、何でも作ってやるぞ」と約束してくれた。
このドワーフの老人は、石切り職人であり、鍛治舎であり、大工であり、陶芸家でもある。とても頼もしい存在だ。
儀一が最初に頼んだのは、瓦だった。
儀一たちに貸し出された家は、雨漏りがひどかった。
雨が降ると天井が染みて、すぐに水滴が落ちてくる。雨漏りする箇所を探し、器を総動員して受け止めるのだが、衛生上もよろしくはないだろう。
また冬ごもりの準備として、壊れた蝶番の修理や、釘などの金属製品も必要だった。
椅子などの家具も足りない。
「いっそのこと、ランボじいちゃんに全部任せたら?」
タチアナの助言により、ランボに家の中を見てもらい、必要な部品をすべて作ってもらうことになった。
「村の人たちに配る薪以外は、木こりの持ち分となるの」
そう教えてくれたのはトゥーリである。
「朝市にも出せるわよ」
朝市は五日に一度、寄り合い所で開かれる。
その時間帯は共同井戸で水を汲む村人たちも多く、村で一番にぎやかな場所となる。
余剰分の薪や炭を、儀一は朝市に持ち込むことにした。
物々交換の要領はよく分からないので、最初はタチアナとトゥーリに手伝ってもらう。
朝市は社交場のような役割も果たしているようだ。
村人たちと顔を合わせて挨拶をするだけでも、参加する価値はあった。
こうして儀一たちが生活環境を整えている中、窃盗疑惑をかけられたカミ子が何をしていたのかというと……。
「ねぇ、カミ子ちゃん、お仕事いこうよ。おにぎり屋さんだよ」
マンション内のリビング。パソコンにかじりついているカミ子の背中を、さくらが揺すった。
「やだ。めんどくさい」
「いっつも暇そうにしてるじゃん」
結愛は呆れてるようだ。
カミ子は振り返りもしない。パソコンの画面を凝視しながら、理論的に説き伏せようとする。
「あのね、君たち。ボクは神様なんだよ? 神様は世界で一番偉いんだから、働く必要なんてないの。どこの世界に、あくせく生活費を稼ぐ神がいるのさ」
「神様っていっても、昔の話ですよね。今は僕たちと同じ人間のはずです」
鋭い指摘をしたのは、蒼空である。
「なぁカミ子、カミ子ってばさぁ。大人がいっしょじゃないと“シェモンの森”に入れないんだよ。今度、ブッキが秘密の場所を教えてくれるんだ。頼むからさ、カミ子来てよ」
マウスを握る右手を、蓮が引っ張る。
「あ~、もう邪魔! ボクは今、忙しいの!」
極度の人間不信に陥ったカミ子は、引きこもりになっていた。
朝食はしっかり食べて、昼食用のおにぎりも確保してから、パソコンの前に陣取る。
動画や小説投稿サイトを片っ端から閲覧しているようだ。
ねねが作った夕食を食べて、お風呂にも入る。
自堕落な生活は一週間も続いていたが、その日は儀一から話があった。
「実は神様に、お願いがあるんです」
「……」
デスクチェアをくるりと回転させると、カミ子は鷹揚に頷いた。
「言ってみたまえ、山田さん」
「ずっりぃ、おっちゃんだけ」
蓮が口を尖らせる。
「ふふん。ボクと山田さんは、ともに“村会議”を戦った仲だからね。いわば戦友。君たちとは絆の深さが違うのさ」
完全なるえこひいきである。
頼もしいことを口にしたカミ子だったが、条件を付け加えた。
「でも、人ごみの多いところには行きたくないなぁ。愚かな人間君たちには、もう会いたくないからね」
元神の身でありながら、ドランの策に嵌り食糧庫に閉じ込められた挙句、窃盗容疑までかけられたことが、トラウマになっているようだ。
そんなカミ子を安心させるように、儀一は微笑んだ。
「だいじょうぶです。人気のない場所ですから」
「それって、別の意味で危なくない?」
寄り合い所でおにぎり屋の準備を整えてから、一度全員で家に戻ってくる。マンション内の水道水を使って、さくらにムンクを呼び出してもらった。
「あの、儀一さん――」
声をかけたねねは、しかし口をつぐんだ。
「ねねさん、みんなをお願いします」
何かを伝えるようにひとつ頷いてから、儀一は小さなバイクに跨った。キックでエンジンをかける。
“ホンダ・モンキー”。
赤と黒、チェック柄のシートが可愛らしい小型レジャーバイクだ。
“オークの森”から脱出する際に川底に沈んでしまったが、このバイクはマンションの備品であり、毎回復活する。
しかも、ガソリンまで戻るというおまけ付きだ。
「みんなも、ねね先生のこと頼んだよ」
「はーい!」
カミ子がヘルメットを被って、後ろの荷台に跨った。お尻が痛くならないように、荷台には座布団が巻きつけられている。
儀一の頭の上には、ムンクが着地した。
「ムンクちゃん、お仕事頑張ってね!」
さくらの応援に、うねうねと触手を動かす。
「じゃあ神様、行きますよ」
「りょーかい」
儀一が向かった先は、北の方角。
村から三キロほど走ると、T字路にぶつかり、川幅三百メートルはあろうかという大河、アズール川にたどり着いた。
カミ子がふーむと唸った。
「こんなところに連れてきて、魚釣りでもするつもりかい? 悪いけれど、操水で縛ることができる水には制限があってね。魚のように素早くは動かせないし、網のような細かいものは作れないんだ」
「いえ、魚釣りではありません。今日はこの川を渡って“オークの森”に入ろうと思います」
ほほうとカミ子は感心してみせた。
アズール川の向こう岸には、巨大な樹木が生い茂る“オークの森”が広がっている。
はるか北にそびえる魔霊峰“デルシャーク山”は、雲の中に隠れているようだ。
「――って、なんで?」
びっくり仰天するカミ子に、儀一は理由を説明した。
アズール川を挟んで北と南では土壌が違う。北側に広がる“オークの森”には大地を耕す芋虫がたくさんいて、土地が肥えているそうだ。実際、オークの森ではたくさん収獲できたジュエマラスキノコが、“シェモンの森”ではひとつも採れなかった。
「だから、危険を冒してまで“オークの森”までキノコ狩りにいくのかい?」
儀一は肯定した。
「幸いなことに、一番近くのオークの集落はほぼ全滅しました。しばらくは安全なはずです」
「まあ、ね」
迂闊な神すら予想し得ない偶然が重なり、それは奇跡となって、儀一たちは“オークの森”を抜け出すまでに千体を超えるオークの集団を倒すことに成功したのだ。
「もし仮にオークの生き残りがいたとしても、ムンクが気づいてくれるはずです。また神様の特殊能力、感覚機能拡張があれば、音や匂いなどで分かるのではないでしょうか」
「あいつら、臭いからねぇ」
生き残りのオークたちと戦いになったとしても、ムンクやカミ子がいれば撃退できるはず。
いざとなれば、川を渡って逃げればよい。
「でもさ、山田さんらしくないんじゃない? カロン村での生活も少しずつ軌道に乗り始めてるんでしょ? わざわざ危険を冒す必要はないんじゃないかな」
「お金がありません」
儀一はずばり言った。
生活するだけならば今のままでも十分だが、現金を稼ぐとなると難しい。魔木炭が売り物になることは分かったが、ドワーフのランボによると、おおっぴらに商売することは難しいかもしれない。
となれば、別の方策も試してみるべきだろう。
「冬になるとキノコは枯れてしまいます。ドランたちのこともありますし、村での生活も安定しているとはいえません。今のうちに稼いでおきたいんですよ」
「なるほどね」
カミ子は了承した。
もともと生と死に対する意識が希薄なこともある。
それに、風邪の看病に続いて“村会議”でも儀一に借りを作ってしまったので、ここで返しておこうと思ったのだ。
「で、どうやって川を渡るのさ」
「操水を使って、空気を閉じ込めたゴムボート、のようなものは作れないでしょうか」
「水で舟を作るの? 面白いこと考えるね」
インチキ占い師のように両手を複雑に動かしながら、カミ子はアズール川の水を操ってボートらしきものを形作った。
「ぱんぱかぱーん。水舟!」
ごく普通のネーミングである。
空気の浮力はかなり大きい。儀一とカミ子が乗り込んでも、水舟はびくともしなかった。
「じゃあ、いくよ」
そのままカミ子が舟を操って、アズール川を渡っていく。
オールで漕ぐ必要のない便利な舟だ。
ほぼ透明なので、水の中の様子までよく分かる。船底のすぐ近くを大きな魚が身を翻す様子が見えた。
対岸につくと、儀一は腰袋から小さな白い塊を取り出した。
蒼空の四次元収納袋の中にひとつだけ残しておいた、ジュエマラスキノコである。
「神様、この匂いを覚えてください」
「あ~、ちょっと臭くて、くせになるかも」
子供たちが“臭キノコ”と呼んで不評だったジュエマラスキノコだが、カミ子にはたまらない香りだったらしい。
「感覚機能拡張で見つけられそうですか?」
「やってみないとなんともだね。操水」
カミ子は水舟を解体すると、ちゃぶ台のような台座を作成した。
足は八本ある。
「それは?」
「蜘蛛担架。移動用の台座。恐ろしく遅いけど」
カミ子は台座に飛び乗ると、正座を崩したような形で座り込む。
「地面に近いほうが、匂いは強いからね」
そのまま地面を覗き込むようにしながら、蜘蛛台車を“歩かせ”た。
「や、これは便利ですね」
「あんまり使い道はないんだよ。歩いたほうが早いし、けが人を運ぶ時くらいしか――ん?」
“オークの森”に少し入ったところで、カミ子が奇妙な匂いを感知したようだ。
少し掘り返して見ると、乳白色をした芋虫が出てきた。
「これって……」
「蛾の幼虫ですね」
“オークの森”でサバイバルしている時に、儀一も何匹か見つけていた。鑑定したところ、落ち葉などを食べて育つ芋虫で、オークたちの主食らしいことが分かった。実際、追っ手のオークたちが乾燥させたこの幼虫を携帯していたのを、儀一は確認している。
トゥーリが言っていた、大地を耕す芋虫だ。
「へぇ、オークたちの主食、ねぇ」
「かなり栄養があるらしいですよ」
丸々と太った芋虫に目を落としながら、カミ子が小声で「はっ、そういえば、オークキングがうまそうに……」などと呟いている。
「残念ながら、売り物にはなりませんね」
さて、あまり長居もしていられない。
周囲を警戒しつつ先へ進もうとした儀一だったが、
「――にがっ! おえぇぇっ」
振り向くと、カミ子が盛大に嘔吐いていた。




