(9)木こり
木こりのイゴッソは、怠け者である。
カロン村では、木こりと石切り職人は特別扱いされていた。
ともに六百年前に現れた伝説の勇者、シェモンに関係のある職業だからだ。
特にイゴッソの仕事場である“シェモンの森”は、その名の通り、勇者の指示により作られた森で、歴代の木こりたちが大切に管理してきた。
イゴッソは伝統ある家系の跡取りだったのである。
だが彼は、幼い頃から自分の使命が窮屈だと感じていた。
森の中を歩き、木々の健康状態などを確かめる仕事は楽なのだが、樹木を伐採し、薪や炭を作る作業は嫌いだった。
もっと広い世界に出たい。こんなちっぽけな村など見捨てて、都会で楽しく暮らしたい。
そんな妄想を抱きつつも、実行に移す勇気もなく、また自己を研鑽することもなく、ただただ年を経てきたのである。
木こりは二人、ないしは三人で行う仕事だった。
イゴッソの場合、父親ととともに勤めてきたが、その父は出稼ぎに出てしまった。初老といえる年でありながら、皆が嫌がる役目に志願したわけは、イゴッソのためだという。
『ワシがおるから、お前は甘える』
イゴッソの父親は、寡黙で頑固な男だった。
束の間の自由を手に入れたイゴッソだったが、自分を変えることはなかった。うるさいお目付役がいなくなったとばかりに喜び、適当に仕事をこなしつつ、お気楽に過ごしていたのである。
そんな折、村長のヌジィからイゴッソに報告があった。
イゴッソの父親が戻るまでの臨時的な措置として、木こりをひとり増やすという。
名前はギーチ。最近何かと噂になっている異国人だった。
木こりは家系に与えられる職務だが、本人が病気や怪我をしたり、その家に跡取りがいない場合などには、村長が任命した別の人間があてがわれることがある。
そんなもの必要ないとイゴッソは断ろうとしたが、思いとどまった。
最近、薪の量が足りない、切り方が雑すぎる、乾燥のさせ方が甘いなどと文句を言う村人たちが増えてきており、この男を間に入れることで非難をかわそうと考えたのだ。
イゴッソは怠け者だが、怠けるために知恵をめぐらせるのは得意だったのである。
臨時の木こりは、家族を連れてやってきた。
清楚で可愛らしい妻、そして四人の子供たち。
恵まれた職についていながら、三十代の半ばにして結婚もしていないイゴッソは、忌々しいやつだと逆恨みした。
妻のネネという女が通訳をするらしい。今日は初日なので、子供たちとともに挨拶にきたのだという。
「ふんっ、木こりの仕事はつれーぞ。そんなひょろい身体で務まるのか?」
イゴッソは儀一を品定めするように観察した。
日焼けもしていないし、身体つきも頼りない。斧に振り回されそうである。
男の妻が「できるだけ頑張ります」と、通訳してきた。笑顔も断然かわいらしい。
この男をコキ使ってやろうと、イゴッソは思った。
まず案内したのは、村の寄り合い所。その裏手には倉庫が併設されている。
「ここに切り出した薪を積み上げろ。そうだな、だいたいこれくらいの高さまでだ。十日に一度、村の奴らが薪を取りにくる。配るのは村長の役目だから、期日までに薪を入れるだけでいい」
次の配給日は三日後。
薪の量は、まだ半分くらいしかない。
「よし、さっそく森に木を切りにいくぞ」
今日は挨拶だけだと思っていたのだろう。意外そうな顔をした儀一を見て、いい気味だとイゴッソは思った。
地馬に荷車をつけて、斧と鉈、そして苗木を積み込む。地馬とは六本足の頑強な馬だ。足は遅いが力は強く、バランスも安定している。
物珍しかったのか、子供たちが興奮してはしゃいだが、ねねがひと声かけると、「はーい」と返事して、大人しくなった。可愛らしいだけでなく、しっかり者らしい。
森へ向かう道中、ねねは儀一の側を片時も離れなかった。夫婦仲はよいようだ。
この男につらい仕事を全部押しつけてやろうと、イゴッソは心に決めた。
今年の伐採領域、森の南東側に到着する。
「いいか、ギーチ」
弟子を諭す師匠のような態度で、イゴッソは説明した。
「三日に一本は木を切り倒せ。でないと村の薪が足りなくなる」
伐採した樹木は枝葉を落とし、持ち運びできるくらいの大きさに切り分けて、荷車に積む。そして最後に苗木を植えて完了だ。
「細い枝や乾燥した葉も、火つけの時には役に立つ。ちゃんと村に持ち帰るんだぞ」
イゴッソは地馬と荷車を切り離した。
「オレには森の見回りという大切な仕事がある。しっかり手入れをしないと、森は機嫌を悪くして、どんどんやんちゃになっていくからな」
これは父親の受け売りである。
「見習いの木こりは、手と足で木を運ぶ決まりだ。荷車は貸してやるから、せいぜい頑張りな」
そんな決まりなどない。
イゴッソは地馬の背中に飛び乗って胡座をかくと、ひらひらと手を振りながら森の中へ消えていった。
予想以上にひどい待遇だったが、監視されるよりはやりやすいだろうと、儀一は考えた。
「儀一さん、木の切り方も教えてもらえませんでしたが、だいじょうぶでしょうか」
心配するねねに、儀一はとりあえず頷く。
「まあ、一度やっていますからね」
“オークの森”でのサバイバルの時、崖の手前で追い詰められた儀一たちは、大木を切り倒して丸太の橋を作ることで、絶体絶命の危機を乗り越えたのである。
それに、馬はなくても荷馬車は残されている。さくらが呼び出すことができる土の精霊、グーに引っ張ってもらえば、運搬も問題ないだろう。
「じゃあみんな、始めるよ」
「はーい!」
「……」
蓮、蒼空、さくらの三人は気合十分だが、ただひとり結愛だけは大人しかった。
この森で木を切り倒して、加工し、乾燥まで済ませてから、直接寄り合い所の倉庫まで運ぶ。最後に荷車をイゴッソに返すというのが、一番無駄のない工程だと思われた。
直径五十センチほどの樹木に狙いを定める。
まずは蓮。
「光斬剣!」
「全部は切らないように。パックマンの口みたいな切れ込みを入れるんだ」
「パックマンて、なに?」
儀一が蓮の右手を操りながら、慎重に切り込みを入れる。魔力の消費効率を考えて、二本連続で処理する。
次は蒼空。
「風打槌!」
風の塊が幹を叩き、
「みんな、気をつけて!」
軋み音と地響きを立てながら、樹木が倒れた。
こちらも連続で二本分処理する。
すぐさま儀一は、蓮の光斬剣で枝葉を切り落とし、幹を切断した。さらにピザをカットする要領で分割していく。あらかじめ薪のサイズを計っていたので、迷いがない。
続いて少し開けた場所に穴を掘る。これも効率を考えて、複数個所。熱を冷ます待ち時間を発生させないためだ。
マンションから持ち出したマスク、軍手、ゴム手袋をして、全員で薪や枝葉を運ぶ。
薪を地面に埋めて土を被せると、いよいよ結愛の番である。
「乾かした薪と炭を両方作ろうか。結愛君――」
だが、結愛は返事をしなかった。
こうなることは分かっていた。
でもやりたくないとは言えなかった。
あの時の光景が蘇る。
地面が真っ赤に染まって炎が吹き出す。
何もできず、何も考えられなかった。
唇をかみ締める。
気持ちが前に出ない。
魔法の練習をしている時も、結愛だけは参加しなかった。
少女の心情を、ねねは察していたようだ。
「儀一さん。あまり結愛ちゃんに無理をさせなくても」
ほっとしたのも束の間、
「いえ――」
儀一が結愛の前にしゃがみ込んだ。
結愛は怯えた。
儀一を失望させたと思ったのだ。
“オークの森”で自分たちを命がけで守ってくれたのに。お返しに、いっぱいお手伝いをしようと心に決めたのに。
怖がりだから。
勇気がないから。
何も、できない。
さっと儀一の手が上がって、結愛は目をつぶった。
「結愛君は、そんなに弱くないですよ」
予想に反して、優しく頭を撫でられた。
恐る恐る目を開けてみる。
「思い出して。君は“オークの森”で、誰の力も借りず、火の魔法でねね先生を守った」
まだ儀一に出会う前、二人組みの男に襲われた時。
そして三体のオークに襲われた時。
火の魔法を、結愛は自らの意思で行使したのだ。
「それは、勇気がなければできないことだよ」
穏やかな言葉が、身体の芯を揺さぶる。
「君は、魔法を使うことが怖いんじゃない。自分の魔法で他の人を傷つけてしまうことが怖いんだ」
――そう。
儀一に庇われた時、その背中が燃えてしまうのではないかと結愛は思った。
初めて怖いと思った。
誰かを傷つけるくらいなら、こんな力なんていらない。
「でもね、結愛君」
儀一は結愛の肩に手を置いた。
「君が魔法を使ってくれたから、ねね先生は助かった。僕たちは“オークの森”を抜け出すことができたんだ。そしてこれからも、きっと誰かを――結愛君の大切な人を、守ることができる」
「……」
「その時のためにも、君はいっぱい練習して、知っておかなくちゃいけない。炎の魔法のことを」
叱られていると、結愛は感じた。
ここで逃げ出してはいけないのだと。
「だいじょうぶだよ」
儀一は立ち上がると、薪を埋めた場所を指差した。
「今回は、薪に被せる土の量を増やしているし、炎の逃げ道として、穴をひとつ開けているからね。それに――」
儀一は微動だにしなかった。
「僕がいる限り、誰にも怪我なんかさせない。約束するよ」
「……」
結愛は何故か泣き出しそうになった。
だが、唇をひん曲げながらも、涙を堪えた。
「やる!」
怒りとも違う。悔しさとも違う。
何か形容のし難い熱いエネルギーが、小さな身体の奥底から沸き起こってきた。
「ゆあちゃん、がんば!」
さくらの応援に、こくりと頷く。
すぐ隣には儀一がいる。これまでも、自分たちを命を懸けて守ってくれた。
だから、絶対にだいじょうぶ。
目標地点に狙いを定めて、一直線に杖を突き出す。
「火炎球!」
地面から吹き上がる炎の渦を、結愛はきっと睨みつけた。




