(8)濡れ衣
儀一はねねに、子供たちを家につれて帰るようお願いすると、タチアナとトゥーリとともに、寄り合い所へと向かった。
すでに会合は始まっているようで、怒りに満ちたドランの声が漏れ聞こえてくる。
大広間に入ると、二十人近くの村人たちが集まっていた。
部屋の奥、村長の隣にはカミ子がいて、ドレス姿だというのに胡胡座をかきながら、両腕を組んでいた。かなり憤慨している様子だ。
儀一の姿に気づくと、彼女は救いを求めるのように手を伸ばしてきた。
「あ、山田さんっ! ち、違うんだ、聞いてよ。ボクはこいつらに嵌められたんだ!」
無言のまま、儀一はひとつ頷いた。
昨夜の時点で熱は下がっていたようだが、まだ気だるそうにしていた。今日はみんなで栄養のある食事を作ろうと、食料探しに出かけたのである。
「神様、お身体の具合はだいじょうぶですか?」
「ううっ、やばださん……」
ずいぶん苦しい立場にあったのだろう。少し涙ぐみながら、カミ子が言葉を詰まらせた。
「おお、ギーチさんか。大変なことになった」
村長のヌジィもどこかほっとした様子で、儀一を招き入れた。
カミ子の隣に座ると、向かい合う形で座っている村人たちの視線が集中する。
先頭で睨んでいるのは、寄り合い所で儀一に脅しをかけてきたドラン、ヨリス、ダーズの三人だ。頬や手のあたりに、みみず腫れのような赤い跡がついているのを、儀一は確認した。
忌々しそうに、ドランが口を開く。
「ギーチか。聞いたぞ、お前がこの女の身元引受人なんだってな。つまり、この女が犯した罪は、お前が引き受けるってことだ」
カミ子に通訳されると、儀一はふむと考え込んだ。
こちらからドランたちに喧嘩を売った覚えはない。なのに初対面の時からつっかかってくるのは、自分が余所者ということもあるが、見かけ上、同年代の男だからだろう。
野生の動物に例えるならば、雄同士の縄張り争いである。
しかし、儀一の精神年齢は四十二歳だ。血気盛んな若者からまれたところで、面倒なだけであった。
「それで神様、何があったんですか?」
ぴりぴりした空気の中、儀一はカミ子に事情を聞いた。
「どうもこうもないよ。こいつらがさ――」
今朝、目を覚ましたカミ子は、外出することにした。
目的は、食料を探すこと。
カミ子には秘策があった。
彼女は感覚機能拡張という特殊能力を取得していた。これは五感を拡大させるパッシブスキルで、そもそもはカミ子が自分の身を守るために取得したものだった。外環境の情報をいち早く感知することが、生死を分ける一手になるだろうと考えたのである。
この感覚機能拡張を使えば、視覚や嗅覚を高めることができる。
これで果実が実った木を見つけて、一気に収獲しようという算段だ。
鼻を利かせながらカミ子が村の中を歩いていると、ドラン、ヨリス、ダーズの三人に出くわした。
彼らは木刀を片手に持ち、巡回警備という名の威嚇行為を行っている最中だった。
『やあ、人間君、元気かね?』
カミ子は友好的な挨拶をした。
カミ子を一瞥するなり、三人はそろって絶句した。
声をかけてきたのが、こんな辺境の村ではまずお目にかかれないほど高貴な出で立ちをした、超絶美女だったからである。
『お、おい。この女誰だよ』
『あれじゃね? 異国人の』
『そういえば、噂で聞いたぞ。金髪の青い目をした女。すげぇ』
『おうい、こっちは挨拶してるんだよ。内輪で盛り上がるのは勝手だけどさ、先にすることがあるだろう?』
興奮していたドランたちは聞いていなかった。
この時点でカミ子は少し不機嫌になっていた。
『オレはドラン。こっちの二人は、ヨリスとダーズってんだ。べっぴんさんよ、村でも案内してやろうか?』
この時カミ子は、自分で食べ物を探すよりも、貢物をさせたほうが効率がよいのではないかと考えた。
勝算はあった。
古今東西、様々な歴史の中の人物を管理してきたカミ子である。当然のことながら、自らの精神を宿す身体にはこだわりがあった。顔の造形だけでなく、声の質も、プロポーションも抜群だ。
『実は昨日まで、ボクは風邪をひいて寝込んでいたんだ。そのせいか、少し喉が渇いていてね。甘くてみずみずしい果物なんかが、食べたいなぁ』
少し腰をくねらせるようにして、金髪をふぁさとかき上げながら、カミ子は妖艶な笑みを浮かべた。
男たちはごくりと唾を飲み込んだ。
『お、おう。ちょっと待ってろ。家から持ってくるからよ』
ちょろいものである。
五分ほどで、男たちは果物を持ってきた。
赤く四角い果実がひとつだけ。しかも、品種改良がほとんどされていないこの世界の果実は糖分が足りなかった。
『う~ん、すっぱい。これだと、二宮さんに頼んで焼き菓子にしてもらった方がいいかもね』
とはいえ、喉の渇きは潤せた。
食べかけの果実を投げ捨てて去ろうとしたカミ子だったが、ドランに前方を、ヨリス、ダーズに後方を遮られた。
『おいおい、ねーちゃん。こちとら貴重な食料を分けてやったんだ。はいサヨナラはねーだろう?』
『なあ、オレたちと遊ぼうぜ。どっか邪魔の入らないところでさ』
『へへっ、“石切り山”なんてどうだい?』
“四角りんご”ひとつくらいで、どうしてこいつらと遊ばなくてはならないのか。
カミ子は憤慨するよりも、冷めた気持ちになった。
無言でいたことで怯えていると勘違いされたのだろう。口元をにやつかせながら、ドランが手を伸ばしてきた。
その指先がカミ子の白い頬に触れる直前、
『創浄水』
『うおっ』
巨大な水の塊が出現し、ドランは尻餅をついた。
『ド、ドラン!』
『ま、魔法? この女、魔法使いか!』
『操水』
水の塊が不定形に蠢く。
カミ子は微笑を浮かべていた。
それは場違いなほどに慈悲深い、女神のような微笑みだった。
『心配しなくても、命までは取らないさ。山田さんに迷惑がかかっちゃうからね。だから、水蛇鞭』
水の塊から無数の触手のようなものが伸びて、一瞬で男たちを打ち倒した。
手加減をしたので骨などは折れていない。
その後、ドラン、ヨリス、ダーズの三人はそろって降参し、詫びを入れ、二度と無礼な振る舞いはしないとカミ子に誓った。
『愚かな人間君たち。ボクは食料を探しているんだ。できれば美味しい食べ物をね。ボクが風邪をひいて寝込んだ時、山田さんが付きっきりで看病してくれてね。その借りを返したいんだ。いやぁ、なんだろうね、この心境は。自分でも驚くほど健気だと思っているよ』
『や、まだ?』
『山田儀一。君たちの言葉だと、ギーチのほうが呼びやすいかも』
一瞬、ドラン表情が怯えから怒りのものへと変わった。
自分より少し年上の異国人。初対面の時から気に食わなかった。木刀で脅しつけたのに、びびりもしない。何でも知っているふうな顔をした、いけ好かない野郎である。
『食い物ならあるぜ――いや、あります』
『ドラン!』
『よ、よせよ』
余計なことを言うなという感じで、ヨリスとダーズが警告した。この女と関わるのはまずい。触らぬ神に何とやらである。
『へー。それ、ボクがもらってもいいのかい?』
『もちろん、です。予備の食料ですから』
ドランは高台にある食料庫へとカミ子を案内した。
入口の扉は頑強そうな鉄製で、施錠されていたが、自警隊を気取っていたドランは、倉庫の鍵を家から持ち出して、常に携帯していたのだ。
『ふ~ん、いい匂いがするね』
倉庫の中には、収穫したばかりのガラ麦や、数種類の果実、木の実、乾燥させた肉や魚、キノコなどでいっぱいだった。
『これ、本当に――』
匂いにつられて倉庫の中に入ったカミ子が振り返った瞬間、扉が閉まって鍵がかけられた。
『……えっと』
『今だ、ずらかれ!』
扉の向こう側でどたばたと足音が聞こえ、やがて静かになった。
倉庫の中は薄暗く、高い位置にある小窓から細い光が入ってくるのみ。
『あぁん?』
カミ子はぴきぴきと、青筋を立てた。
神を欺くとは万死に値する罪である。
『ぶっ殺してやるっ!』
カミ子は水の塊をハンマーのような形に変えて、扉に叩きつけた。
予想に反して、鉄製の扉はびくともしなかった。それはドワーフであるランボが製作したものであり、無駄に頑丈にできていたのだ。
石壁を壊したほうが早かったかもしれない。しかしむきになったカミ子は、扉に向かって水のハンマーを叩き続けた。
そして三十分後。
ようやく扉が外れて、外に出てみると……。
「どうなったと思う?」
「ドランが村人たちを連れて待ち構えていた、とか」
「正解! よく分かったね、山田さん」
扉の外には十人くらいの村人たちがいた。その中には、ドラン、ヨリス、ダーズの三人も含まれていた。
そしてドランが、カミ子を指差して叫んだのである。
『こいつだ! こいつが食料庫に忍び込んだ泥棒だ!』
そして、現在に至るわけだ。
寄り合い所の大広間では、ドランが声高々に事情を説明していた。
村の中を警備したところ、カミ子がふらふらと歩いていた。ゆえに警告した。村で生活するにあたっては、気をつけなくてはならないことがいくつかある。特に食料庫は村人たちの共有財産だから、気軽に立ち寄ってはいけないと。
その後、ドランたちが気になって高台に来てみると、まさにカミ子が食料庫へ入ろうとしているところだった。
取り押さえてもよかったのだが、男三人で襲いかかるのは大人気ないし、誤解を招く可能性もある。
だから隙を見て鍵をかけ、他の村人たちを呼んで証人になってもらったのだ。
「若いなぁ」
と、儀一は小声で呟いた。
魔法で叩きのめされて、脅迫されて食料庫に案内させられたと主張されたならば、こちらに打つ手はなかった。
傷害罪、脅迫罪、窃盗罪、器物破損罪。
証拠も証人も十分。
言い逃れはできない。
だが、自警隊を自称している男三人が、ナンパに失敗した女にこてんぱんにされて、仕返しに騙し討ちにして食料庫に閉じ込めたとは、言い出せなかったのだろう。
身体は大きくても、精神はまだ子供ということか。
「ちなみに神様、食料庫の食べ物に手をつけてはいませんか?」
「あ、えーと。ごめん」
実は扉を壊している間、あまりにも暇だったので、カミ子は果物を一個失敬して食べていた。食べながら倉庫の外に出てきたので、村人たちに目撃されている。
「ギーチさん、どうするね?」
ヌジィが聞いてきた。何か弁明はないのかということだ。
「ど、どうする、山田さん」
「こういうのは、先に言ったもの勝ちです」
儀一はカミ子にしおらしい演技するよう頼んだ。
“村会議”は参加している村人たちの合議で結論を出す。ゆえに情に訴えることも必要なのだ。
「実は、ボク」
カミ子は少し俯き加減になって、儀一が口にした通りの台詞で事情を説明した。
「そこの三人の男の人に、襲われたんです」
「な――」
「無理やり、人気のない“石切り山”に連れていかれそうになりました」
弁明ではなく真実を述べる。
ほんの少しだけ、省略して。
「でも幸いなことに、ボクには魔法の力がありました。水の魔法です。ボクは魔法を使って、三人の魔の手を退けました。彼らの顔や手に残っている傷が、その証拠です」
村人たちがざわめき、ドラン、ヨリス、ダーズに視線が集中した。
「その後、彼らはボクに謝罪しました。そしてお詫びにと、食料庫へ案内してくれたのです。食料庫には鍵がかかっていたはずです。ボクひとりで中に入れるはずがありません」
「そ、それはっ」
ドランが立ち上がった。
「お前が、魔法を使って鍵を開けたんじゃ――」
「いいえ違います」
カミ子は大げさに、ぶんぶんと首を振った。
「水の魔法にそういった力はありません。それができるならば、閉じ込められた後、外へ出る時に魔法で鍵を開けていました。それができなかったから、ボクはやむを得ず扉を壊したんです」
防戦一方ではやられるだけ。
たとえ敵地であったとしても、主張すべきことはしなくてはならない。
「扉を壊してしまったことに関しては、深くお詫びいたします。ですが、異国の地で突然男の方に襲われ、理不尽にも食料庫の中に閉じ込められた、ボクの気持ちもお察しください。閉ざされた暗闇は、冷たく怖いもの。一刻も早く外に出たかったのです」
儀一が「はい、そこで泣き真似」と指示を出す。
「ううっ、しくしく」
「で、でたらめだ!」
ドランが真っ赤になって叫んだ。
「お前が――そうだ! お前が、食料庫へ案内しろと言ったんだ。魔法を使って、オレたちを脅して」
今さらもう遅い。
「ほら、証言が覆りました。先ほどのあの方は、ボクに村で生活するにあたっての注意事項を伝えただけと説明していたはずです。あの方の証言は、信頼するに値しません。あの方は――」
「はい、ドランを指差して」
「嘘つきです!」
そこからは、泥沼の展開だった。
ドランたちが逆上したのだ。
彼らに信用があれば、あるいは一方的にカミ子が断罪されていたかもしれない。だが、彼らの素行の悪さについては、村人たちも辟易していたのである。
一方で、新参者のカミ子にも信用はない。
最終的に話をまとめたのはヌジィだった。
「あー、ギーチさんや。今となっては真実は誰にも分からん。だが、そこのお嬢さんが、村の大切な食料庫の扉を壊して、貴重な果物を食べたのは事実じゃ。その部分について、何か別の補償をしてはくれんかのう」
「分かりました」
ドランは村長の孫である。彼の罪を確定してしまえば、村との全面対決になるだろう。それは時間と労力の無駄でもある。
せっかく村長が落とし所を示してくれたのだから、ここはのるべきだと儀一は判断した。
ついでに、もどかしい部分を動かそうとも考えた。
「これは噂で聞いたのですが、村では冬に備えるための薪が不足しているそうですね」
ヌジィは頷いた。
「木こりのイゴッソさんも、おひとりでは大変でしょう。もし村長の許可をいただけるなら、薪や炭を作るお手伝いをしたいと思うのですが、いかがでしょうか?」




