(7)シェモンの森
「……あー」
四日目の朝、ようやく熱が下がった。
まったくなんという脆弱な身体だ。
げんなりしたようにため息をついて、カミ子は藁ベッドから起き上がった。
家の中は妙に静かである。
「五十ば――」
いっしょに生活するならば、きちんと名前で呼ぶこと。
儀一との約束をカミ子は思い出した。
「二宮さーん、ごはん……」
寝室の扉を開けて、広間に移動する。家具は粗末なテーブルと椅子だけ。壁際には竈と調理台がある。
玄関とそれぞれの寝室へ続くの扉。そして、明らかに世界観が異なる黒いマンションの扉がひとつ。
テーブルの上には一枚のコピー用紙が置かれていた。
『みんなで食料を探しに行ってきます。お昼すぎくらいに戻る予定です。ちゃぶ台の上に朝食がありますので、レンジで“チン”してください。以上。山田儀一』
そういえば昨夜、儀一がそんな話をしていたような気がする。
仲良くなった村人に、キノコや木の実が採れる森を案内してもらうらしい。異世界の食事を楽しみにしていたカミ子は、「頑張って探して来なよ」と言って送り出したのだが……。
なんだろう、この取り残されたような疎外感は。
カミ子はマンションの中に入ると、ラッピングされていたお粥の皿をレンジで温めた。
チンッ。
レンゲを使ってずるずると流し込み、ウーロン茶を飲み干す。
カチャリ。
レンゲを皿の上に置いて、ひと息つく。
「ふう」
窓の外の暗闇をぼんやり眺めていると、冷蔵庫のスイッチが入って、かすかなコンプレッサーの動作音が聞こえてきた。
「寂しい……」
呟いてしまってから、カミ子はぶんぶんと首を振った。
「寂しいってなんだよ! これじゃあ、孤独なOLみたいじゃないか。ボクは神だぞ? 誰に対しても気兼ねすることなく、これまでずっとひとりで生きてきたんだ。まったく冗談じゃないよ!」
熱は下がった。
身体は少し気だるいが、問題はない。
カミ子はシャワーを浴びてから、外出することにした。
「ふん、食料探しだって? ボクだって特殊能力を使えば、すぐに見つけることができるんだ。見てなよ、山田さん」
帰ってきたら、あっと言わせてやる。
心に決めてから、カミ子は外出した。
カロン村の西側に広がる森は、“シェモンの森”と呼ばれている。六百年前に現れた伝説の勇者が、シェモンという名前だったらしい。
カロン村とその周辺には、この勇者に関係する遺跡がいくつか残っていた。
高台にある“白木の門”。
石材置き場の“石牢”と、村の南の方向にある“石切り山”。
「そしてここ、“シェモンの森”よ」
村の西側、歩いて三十分ほどの距離にある小さな森である。
体力が落ちているトゥーリにとっても、ちょうどよい運動になったようだ。
「美しい、森ですね」
覚えたばかりのバシュヌーン語を使って、儀一が感想を口にした。
遊歩道も整備されているし、村人たちの憩いの場にもなっているようだ。
生前、市役所の市政推進課という部署にいた儀一は、こういった場所があるとイベントに使えて便利だなぁ、などと考えていた。
トゥーリが案内役を務め、ねねが通訳する。
「今から六百年前に、人工的につくられた森と言われています。樹木は切り倒した分だけ植樹して、大切に管理されてきました」
そのため、森の中には木材や薪に適した木々が多い。
とはいえ、果実や木の実が収獲できるものあり、地面には野草やキノコなども生える。食料供給の役割も果たしているようだ。
「この森を利用するにあたっては、いくつかのルールがあります」
なだらかな遊歩道を歩きながら、トゥーリは説明した。
勝手に樹木を伐採しないこと。
森の恵みを採りすぎないこと。
そして――
「子供だけで立ち入らないこと」
トゥーリはそっと後ろを振り返った。タチアナが先導する形で、子供たちがついてきている。
タチアナとトゥーリの娘も参加していた。
名前をアイナとミミリという。
寄り合い所で何度も顔を合わせているので、子供たちはみんな仲良しになったようだ。
「危ないからですか?」
ねねの問いかけに、トゥーリは笑顔で答えた。
「もちろんそれもありますが、ここは村の――特に若者たちにとって、大切な場所なんです」
カロン村の周囲には荒野が広がっており、岩だらけの大地には荒野鼠くらいしかいない。他にあるのは“石切り山”と、この“シェモンの森”くらいだ。
村の中は人目があるし、“石切り山”は岩ばかりで風情がない。
「だから、若い恋人たちが逢瀬を重ねる場所として、この森を利用してきたんです」
そんな場所が子供たちの遊び場になってしまっては困る。
ゆえに大人たちは「あそこは勇者様の森だから、勝手に遊んではいけないよ」と、子供たちに教え聞かせるのだ。
「お二人も、遠慮なく使ってくださいね」
含みを持ったトゥーリの言葉に、ねねは真っ赤になった。
とても訳すことなどできない。
「さあ、着いたわ」
子供たちがわぁと歓声を上げた。
そこは少しだけ開けた円形の広場だった。中心部に小さな泉があり、澄んだ水を湛えている。
泉のほとりに一体の石像が鎮座していた。
背丈は子供くらい。球と円柱を組み合わせた人型で、かなりデフォルメされているようだ。丸い頭部には小さな突起が二つついていた。
「これは、“オークの石像”よ」
突起の部分が牙を表しているらしい。
勇者シェモンが伝説の剣を使って、村を襲おうとしたオークを石に変えたという逸話があるそうだ。
「わざわざ、そんな面倒なことしないと思うけど」
やや懐疑的な儀一だったが、彼はこういった歴史的な遺物に興味があった。
注意深く石像を観察する。
「石材置き場の“石牢”と、同じ種類の石ですね。しかし、とても数百年前のものとは思えないなぁ」
頭部以外は苔むしているものの、表面は滑らかで、角もしっかり残っている。
「この石像に恋人や夫婦が背中合わせになって座ると、将来、強くて丈夫な子が生まれると言われています。カロン村で座ったことのない夫婦は、いないんじゃないかしら?」
トゥーリの追加説明に、ねねが硬直した。
儀一が不思議そうな顔をする。
「他に、言い伝えでもあるんですか?」
「い、いえ。その……」
ねねがしどろもどろになりながら通訳すると、
「なるほど、それは素晴らしい」
「は、はい。そう、ですね……」
民族的な風習について、儀一は大いに興味を持ったようだ。
二人の様子を観察していたトゥーリが、すっと目を細めた。
「これは、少しテコ入れする必要がありそうね」
現場には着いたものの、木に登るのは危険だし、高枝切りバサミのような便利な道具はない。基本的には地面に落ちている木の実や、地面に生えている野草とキノコを探すことになる。
「では、三つの組に分かれましょう。ただし、この石像が見えるところで探すこと。いいわね?」
「はーい」
トゥーリとねねの言葉に、子供たちがうきうきと返事をする。
「レンとソラは、私といっしょだぞ」
タチアナが少年たちの肩に手を回した。
「おばちゃん、なんで抱きつくんだよ!」
「そ、そうです。主婦の方が、いきなりそんな」
「う~ん。男の子ってのは、素直じゃなくてかわいいなぁ」
うりうりと頰ずりするタチアナ。彼女は男の子が欲しかったらしく、これ幸いとスキンシップする。
十分に満足したところで、宣言した。
「さあ、行くわよ。他の組に負けたりしたら、承知しないんだから。ほら返事、おー!」
「お、おー」
男の子にとって、収穫とは遊びであり、競争でもある。ひとつでも多くの食材を見つけようと、元気よく駆け出した。
「じゃあ私は、女の子の面倒をみるわね。マイナ、ミミリ、ユア、サクラ。こっちに集合よ」
「は~い」
少女たちがトゥーリの周囲に集まる。みんなで手を繋いで“キノコ狩りの歌”を歌いながら、別の場所に向かっていく。
「ああ、そうそう」
その途中、トゥーリが振り返って、
「ネネさんとギーチさんは、反対側をお願いしますね?」
残された二人に軽くウィンクしてみせた。
収穫は思うようにいかなかった。
“オークの森”では、ずっと食べ物を探しながら逃げ続けていたのだから、多少は探し方のコツも習得している。
それでも食材が集まらなかったのは、そもそもこの森に食料となるものが少ないからだろう。
午前十時くらいから二時間ほど探し続けたが、儀一とねねが集めた木の実、キノコ、野草は、帽子一杯分にもならなかった。
とはいえ、危険が伴わない収獲は、それだけで気分がよいものである。木の梢に栗鼠のような小動物を見つけたりして、十分に楽しむことができた。
「や、これは、みんなに負けたかな?」
「ですね」
ちっとも残念そうではない顔で、ねねが同意した。
お昼になって“オークの石像”に集合したが、他のみんなの成果も、似たり寄ったりだった。
「ぜんぜん見つからなかった」
「こんなものじゃない? みんな頑張ったわよ」
悔しそうに口を尖らせる蓮を、苦笑しながらタチアナが慰める。
“オークの石像”の前に敷物を敷いて、昼食をとる。
おにぎりとおかずとお茶。ピコピコ鳥の卵が手に入ったので、ゆで卵にしている。カロン村の現状ではご馳走だ。
「この森では、ジュエマラスキノコは、とれないんですか?」
質問したのは儀一である。
全員で探したのに、ジュエマラスキノコはひとつもなかった。“オークの森”では嫌というほど収穫できたので、不思議に思ったのだ。
タチアナとトゥーリが見合わせた。
「一日に一個見つけられたら、幸運じゃない?」
「そうね」
ねねが言った。
「“オークの森”には、キノコがいっぱいありました」
カロン村では決して近寄る者のいない場所である。
タチアナは考え込む仕草を見せた。
「そういえば子供の頃、ランボじいちゃんに聞いたことがあるなぁ」
“オークの森”には大地を耕す芋虫がたくさんいて、土地が肥えているのだという。木々は高く、葉は大きい。気の遠くなる年月をかけて積み重なった腐葉土は、キノコの成育に適しているらしい。
トゥーリが話を引き継いだ。
「今から百年くらい前。害虫が大量に発生して、ガラ麦が全滅した年があったそうよ。その時には、村の人たちがアズール川を渡って、“オークの森”に入ったの。運よくオークたちには出会わず、冬を越せるくらいの食料が手に入ったと伝わっているわ」
その方法は今年の“村会議”でも検討はされたようだが、遥か西の砦に出稼ぎに行くということで落ち着いたのだという。
タチアナは肩を竦めた。
「まあ、ジュエマラスキノコを見つけたところで、町に持っていかないと売れないからね。宝の持ち腐れってやつさ」
何かを検討するかのように、儀一は考え込んだ。
カロン村に戻ると、騒ぎが起きているようだった。
多くの村人たちが出歩いている。
「大変だよ、タチアナ!」
声をかけてきたのは、とある主婦だった。
「どうしたの?」
「今から“村会議”が始まるの。ちょっと問題が起きて」
「問題? 何があったの」
儀一たちがいることで、主婦は言いにくそうにしていた。
トゥーリが助け舟を出す。
「この人たちは、信頼できるわ。さ、話して」
「いや、そうじゃなくて……」
その主婦は少し悩んでから、思い切ったように口にした。
「金髪の異国人の女が、村の食料を盗んだらしいのよ!」




