(5)村案内
異国の穀物で作った粥は、とろみと弾力がある。塩を使っているようだが、それ以外にも形容のし難い味が混ざっている。
そして穀物と絡み合う、ピコピコ鳥の卵。
とても栄養があり、身体に生気が蘇ってくるようだ。
「言っておくけど、卵はうちの鳥が今朝産んだやつだから」
「分かってるわよ」
ベッドの上でトゥーリは苦笑した。
ねねが作ってくれたお粥を自分があまりにも褒めるので、幼馴染が拗ねてしまったようである。
「ありがとう、タチアナ」
「ま、元気が出たんなら何よりさ」
実際、ねねがこの家に通って食事を届けてくれるようになり、トゥーリは自分でも自覚できるほどに、体調が良くなっていた。
このままベッドから起き上がることもできず、厳しい冬を迎え、立ち枯れた木のように死んでゆくのではないかと、悲観していたくらいである。
だから、ねねと彼女を連れてきてくれたタチアナには、感謝してもしきれない。
しかし元気になるにつれて、別の心配も出てきた。
「もう、五日になるわ」
「なにが?」
「ネネさん、毎日オニギリやお粥を届けてくれるのよ」
早くお返しをしなくてはならないと、トゥーリは考えていた。
ねねは十日ほど前に村に流れ着いた異国人である。
色白で、身体つきは驚くほど華奢だが、強い意志の力を秘めているとトゥーリは感じていた。
ベッドの隣の椅子に座っていたタチアナが、何となく疲れたように息をつく。
「ま、ここだけじゃないんだけどね」
両手を胸の前で合わせて、
「他に困ってる人はいない、ですか? お腹をすかせている子供、いない、ですか?」
きらきらした目とたどたどしい口調で、ねねのものまねをしてみせる。
「――そりゃいるわさ! この村じゃみんなが腹をすかせてる。毎日、ひもじい思いをしている」
そう答えると、ネネは「分かりました!」と、タチアナの手を引っ張って、村人たちの家へ案内するよう要求してくるのだ。
おかげでタチアナは、異国人と村人たちの仲介役をさせられるはめになった。
「なんで私が、振り回されなきゃなんないのさ」
トゥーリがくすりと笑った。
「ありがたいことじゃないの」
「ちょっとは疑いなさいよ」
こんなうまい話があるはずない。毎日無料で食料を配って回るなんて、いくら村に滞在するためとはいえ、やりすぎである。
何か打算があるはずだと考えたタチアナは、この五日間、ずっとねねの様子を観察していた。
「それで、どうだったの?」
「……」
無言のまま、タチアナは肩をすくめた。
さっぱり分からないということだ。
「つまり、打算がないのよ」
「ただただ、私たちを助けたいって? んな馬鹿な」
「ネネさんの料理を見ていると分かるわ。最初は薄口で、どろどろの柔らかいお粥だったのに、少しずつ作り方を変えてきている」
今日などは、味付けも歯ごたえもしっかりとしたお粥になった。自分の体調に合わせて作ってくれていることは明白だ。
「第一印象」
「……え?」
「ネネさんのこと、どう思った」
タチアナは眉根を寄せた。
「底抜けのお人好しだね。しかも、お節介だ」
トゥーリは微笑を浮かべた。
「ほら。答え、出てるじゃない。あなたは直感で判断する性格だし、それであまり失敗もしていないのだから、深く考えなくていいのよ」
考えようによっては失礼なもの言いだが、タチアナはため息をついて、「分かったよ」と降参した。
タチアナも、ねねのことを悪い娘だとは思っていなかった。
それどころか、幼馴染であるトゥーリに少しだけ似ているとさえ感じていたのである。
底抜けにお人好しで、きっと騙されやすい。
甘い言葉にのせられて、トゥーリは短気で粗野な男と結婚した。
酒癖の悪い小心者で、結婚後すぐに馬脚を現した。
それでもトゥーリは、夫の暴言や暴力に耐え、愚痴ひとつこぼさず、家庭を支え続けたのである。
他所の家の事情とはいえ、タチアナは歯がゆくて仕方がなかった。
もっと我侭になればいい。嫌なことは嫌だと主張し、抵抗して欲しい。
トゥーリに言えずにいた気持ちが、知らず知らずのうちに。お人好しのねねに対する疑念という形で現れたのかもしれない。
「村のみんなは異国人を警戒しているからね。特に年寄りは怖がってる。イゴッソの話じゃないけれど、オークたちと関係があるんじゃないかって、噂してるくらいさ」
「そう」
トゥーリは考え込んだ。
「きっとネネさん――いえ、他の異国人の方たちも、困っていると思うの」
「そりゃあ、言葉にも不自由してるからね」
「それだけではないわ。ガラ麦や薪の受け取り方も分からないでしょう?」
「たぶん」
「キノコや木の実が取れる場所も知らないし、村にどのような施設や店があるのかも知らない。誰か、世話役はいるのかしら?」
「いないわね」
「つまり――」
トゥーリはタチアナを見つめた。
「言葉も分からない人たちを、ずっと放置しているのね?」
「……」
「毎日オニギリを作って、配達までしてくれているのに。何もお返しをしていないのね?」
たたみかけられて、タチアナは渋面になる。
「だったら。せめて私たちだけでも、恩を返すべきではないかしら?」
まさに正論であった。
翌日の正午過ぎ。
「まあ、何というか。もしそちらがよかったらだけど。この村を案内しようか?」
寄り合い所に現れたタチアナが、そっぽを向きながら言った。隣にはトゥーリがいて、にこにこと微笑んでいる。
誘いを受けたねねは少し驚き、儀一に通訳をする。
儀一は微笑みながら頷いた。
「ありがとう、タチアナさん。とても嬉しいです」
「あんた、どんどん言葉うまくなっていくね」
トゥーリが進み出て、あらかじめ持参していた木の板を、おにぎりをのせたトレイの横に立てかけた。木の板には「ご自由にお持ち帰りください」という文字が書かれていた。
「これでいいわ」
「トゥーリさん、お身体、問題ないですか?」
「ええ、ネネさんのおかげで元気になりました。それに、少しくらい歩かないと、足腰が弱ってしまうもの」
両手を胸に当てて、ねねがほっと息をつく。
「よかった、安心しました」
トゥーリはタチアナに意味ありげな視線を向けてから、儀一たちに向かって一礼した。
「異国人のみなさん、始めまして。私はトゥーリといいます。それから――」
タチアナの腕をとって、引き寄せる。
「こちらが、タチアナ。私の一番の親友です。態度はぶっきらぼうだけど、根は優しいの。仲よくしてあげてね」
「なによその紹介、子供じゃないんだから。ちょっとネネ、訳さなくていいから!」
少し頬を染めて慌てるタチアナ。
「さ、ネネさん。私たちにも、みんなさんを紹介していただけるかしら?」
「あ、はい!」
儀一と子供たちの紹介が終わると、トゥーリはねねが運んでくれたおにぎりやお粥の礼を述べた。
「言葉も不自由していらっしゃるのに、慣れない国での生活、さぞやお困りのことでしょう。私とタチアナに、遠慮なく相談してください。できる限りのことはいたしますので」
ようやくまともな村人が現れてくれたと、儀一は安堵した。
これも献身的なねねの行動のおかげだろう。感謝の意味を込めて視線を向けると、ねねが嬉しそうに頷き返す。
ふたりの様子を見て、トゥーリが微笑を浮かべた。
寄り合い所を出て最初に向かったのは、村の中央にある高台だった。円墳のように盛り上がった形をしている。
階段の脇には一本の巨大な樹木が生えていた。
まるで白樺のように、樹皮が白い。
「なんて立派な木……」
感心したようにねねが呟き、子供たちが口々に驚きの言葉を口にした。
タチアナが自慢げに説明する。
「樹齢六百年の御神木だよ。“白木の門”って呼ばれてるんだ」
階段は五十段ほど。高台の頂上には無骨な石造りの建物があった。風通しを良くするためか、小さな窓がいくつもついている。
「ここは、食料庫だよ」
収獲した食料のうち保存のきくものを保管する場所らしい。
この高台は、アズール川が氾濫した時の、避難場所にもなっているそうだ。
「月に一度、ここで食料や塩が配給されるよ。それ以外の日は、あまり近寄らないほうがいいかもね」
用もないのに食料庫に近づくのは、怪しい人間だけである。
高台からは村の周辺の景色が一望できた。
「ほらあそこ」
タチアナが指をさす。
「北に見えるのが魔霊峰“デルシャーク山”と、“オークの森”さ。その手前に流れているのがアズール川だね」
黒々とした山肌と森の木々は、紫がかった霧のようなものに覆われているようだ。
タチアナは身体の方向を変える。
「そして、西に見えるのが“シェモンの森”。南西の方にある白っぽい塊が“石切り山”さ」
東側には何もない。赤茶けた大地が広がっている。
次に案内されたのは、村の南側にある石材置き場だった。“石切り山”から切り取った石を保管しておく場所らしい。
その名の通り、加工されていない巨石が、ごろごろと転がっていた。
「ランボじいちゃん、いるかい?」
粗末な石造りの家にも、隣の作業小屋にも誰もいない。裏手の方に回ると、苔むした石畳の上に老人が倒れていた。
「じ、じいちゃんっ!」
タチアナが駆け寄ると、老人はぱちりと目を開けた。
「なんだ、お転婆娘か」
「な、なにしてんのさ」
仰向けに寝たまま、老人は「腹がすかないように寝ているだけだ」と理由を説明した。
トゥーリが歩み寄って、声をかける。
「ランボおじいさん、今日はお客様を連れてきたのよ。起きてくれるかしら?」
「おお、トゥーリか。最近見かけんと思っておったが、元気にしておったか。あいかわらず別嬪だの」
「なんで私と対応が違うんだよ」
「昔、ワシの仕事場に忍び込んで、こっそり木の実を焼いた時――」
「ちょっ、そんなの、二十年も前の話だろう。それにトゥーリもいっしょだったじゃないか!」
ランボが立ち上がると、トゥーリが儀一たちを紹介した。
「ほう、異国人か。珍しいこともあるもんだ」
ランボは豊かな灰色の髭をたくわえた、がっしりとした老人だった。
身長は百五十センチもないが、胴まわりは儀一の三倍はある。顔が大きく、肩幅が広い。足は短い。全体的に樽のような体型だった。
「見ての通り、ランボじいさんはドワーフさ」
タチアナはあっさりと言ってのけたが、儀一とねねは反応に困った。
どうやら人間ではないらしい。
「すっげー、ひげもじゃだ」
「あ、ひげに虫がからまってます」
「不潔……」
「ひげもじゃ、もじゃもじゃ!」
子供たちが興奮したようにはやし立てて、ランボはじろりと儀一とねねを見た。
「このガキどもは、何を喜んでおるんだ?」
一瞬ねねは迷った。
「その、おひげが、すてきだと」
「とてもそうは見えんがの」
ランボは石切り職人であり、鍛冶屋であり、大工であり、陶芸家でもあるという。いわゆる何でも屋だ。
いつも仕事場にこもっているので、世事に疎く、“村会議”にも参加していなかった。
あまり細かいことにはこだわらない性格のようで、異国人である儀一たちにも偏見を持たず、ぶっきらぼうに接してくる。
「せっかくだから、皿のひとつでも作ってやりたいところだが、最近は炉にも釜にも、火を入れておらんからな」
髭を撫でながら、ランボはため息をついた。
「どうしたの? 冬篭りの前だから、瓦とか釘とか必要だと思うけれど」
トゥーリの問いかけに、老人は渋面になる。
「薪が配給されん。炭もだ」
得心がいったようにタチアナが頷き、ねねに説明した。
「イゴッソっていう木こりがいるんだけどさ、そいつがとんだ怠け者でね。最近は生木のまま運んでくるし、みんな文句を言ってるんだよ」
儀一たちの家に届けられた薪も同様である。
ひょっとすると嫌がらせなのかと儀一は考えたのだが、どうやら違ったらしい。
「今は、男衆が村を出払ってるからね。注意する人がいなくなって、これ幸いとさぼっているのさ」
夏が終わり、秋も深まりつつある。
暖をとるために薪は必要だし、冬に備えて家の修理もしなくてはならない。
「わぁ! これ、なに?」
蓮と蒼空が見つけたのは、石を削りだして作ったような、立方体の建造物だった。入口には頑丈な鉄格子が嵌められていて、中には入れない。
何故か渋面になって、タチアナが説明する。
「それは、“石牢”だよ。怖い魔物たちを閉じ込めておくための牢屋さ」
ランボが鼻で笑った。
「ふんっ、そんな上等なものではないぞ。こいつはな、悪戯好きの鼠を捕まえるための罠だ」
鉄格子の部分はランボが作り直しているが、石の構造物は六百年前のものらしい。
腹が減ったから寝ると言って、ランボは家の中に入っていった。
「さ、次はどこに行こうか」
「“シェモンの森”はどうかしら?」
「え? 遠くない?」
「入口が見えるところまでよ」
トゥーリの提案で、村の西側に向かうことになった。
「“シェモンの森”では、木を切っては駄目なの。木こりであるイゴッソさんにしか許可されていないから。でも、キノコや木の実なら自由に採れるわ。それを朝市で別のものに交換することも――」
歩きながら、トゥーリが森での注意点と利用方法を説明していると、村人たちが慌しく走っていく姿が見えた。
村の北の入口へと向かっているようだ。
「ちょっとブッキ、どうしたの?」
タチアナが小さな子供を呼び止めて、事情を聞いた。
「大変だ! また異国人が現れたんだ!」
「本当?」
「わかんない。今いくところ!」
儀一とねねも驚いた。
同胞ということであれば、例のテロ事件に巻き込まれた、異世界転生者かもしれない。
少年の案内で村の入口に向かうと、そこには人だかりができていた。
中心部には、白いドレスを着た女性がうつ伏せに倒れている。
村人たちは遠巻きに見ているだけ。
「何やってるの、どいて!」
タチアナの剣幕に押されるように、人だかりがざざっと離れる。
一応警戒しながらも、儀一がしゃがみ込んで女性の肩を叩いた。
「大丈夫ですか?」
「う……」
女性が反応を示した。
儀一がゆっくりと女性を反転させ、抱きかかえた。
「はぁ、はぁ」
疲れきったような息遣い。
年齢は二十歳くらいに見えた。腰まで届く髪は見事な金髪である。肌は白く、睫は毛ぶるように長い。
女性が目を開けた。
瞳の色は、鮮やかな青。
絶世の美女――あまりにも陳腐な表現が、儀一の頭の中に浮かんだ。
「ボ、ボクは、鈴木カミ子と、いいます」
「……」
女性は日本語で名乗った。
「やっとのことで、“オークの森”の方から逃げてきたんです。お腹がすいて、もう限界です。どなたかは存じませんが、助けてください!」
深々と、儀一はため息をついた。
「こんなところで何してるんですか、神様?」




