(3)オニギリ屋
カロン村の寄り合い所は、木造の平屋建て。日本家屋と同じく上がり框があり、靴を脱いで入るタイプの建物だ。
大広間と庭の間、縁側の部分に開いた、子供たち曰く“ねね先生のおにぎり屋さん”は、閑散としていた。
「お客さん、こないね」
「……ねー」
おにぎりを乗せたトレイの隣で、看板娘よろしく結愛とさくらが座っている。今日は天気もよく、日向ぼっこ気分のさくらは少し眠そうだ。
朝の十時に開店し、すでに正午を過ぎようとしていた。せっかくの無料配布だというのに、村人たちはひとりも来ない。
明らかに警戒されている様子であった。
蓮と蒼空は早々に飽きてしまったようで、探検とばかりに敷地内をうろついていた。
駆け回ったり、石垣に登ったり、飛び降りたり。
最初は結愛が注意していたのだが、いても邪魔になるだけと悟ったのか、完全に無視している。
「おじさま、おにぎり冷めちゃうよ。せっかくねね先生が作ったのに」
「まあ、最初はこんなものだよ」
儀一は焦っていなかった。
おにぎりは村へ滞在するための対価であると同時に、村人たちとコミュニケーションを行うための道具でもある。
警戒心の強い相手の心をつかむには、何よりもタイミングが大切であることを、かつての営業の経験から儀一は学んでいた。
強引な商売をしたところで、自己満足以上の意味はない。相手が困っている時に、すかさず全力で助ける。その機会を逃さないことが肝要なのだ。
そして今のカロン村の状態であれば、確実にその時はやってくる。
かなりあざとい手法だが、基本的には負けのない勝負だと儀一は考えていた。
「あの、儀一さん」
ねねが遠慮がちに聞いてきた。
「こちらの人数が多いというのも、原因なのでしょうか。ひょっとすると、入りづらく感じてしまうのかもしれません」
この“おにぎり配布作戦”に関しては、実はねねが一番気合が入っていた。
先日の“村会議”で出会った多くの村人たちは、秋の実りの時期だというのに、みなやせ細っていた。
栄養状況は深刻なのだろう。村長の話によれば、このままでは冬を越せず、餓死者が出るかもしれないという。
そしておそらく、最初に犠牲になるのは子供たちだ。
ねねにしてみれば、村人たちの信頼を得るというよりも、まず彼らを助けたいという気持ちが大きかったのである。
「それは、あるかもしれませんね」
儀一は肯定した。
全員が一か所に固まっているという状況は、作業効率からいってもよろしくはない。
ただこの作戦には、自分たちの顔を売るという目的もあり、また安全面の心配もあった。
「儀一さん、私――」
ねねが何かを言いかけた時、門から三人の男たちが入ってきた。
先頭は一番体格のよい若者。二十歳前くらいだろうか。よく日に焼けている。残りの二人も同じくらいの年齢だが、一歩引いた位置で付き従っているようだ。全員が木の枝を削った木刀のようなものを肩に担いでいた。
このような輩を、無条件で子供たちに近づけるわけにはいかない。
儀一は立ち上がると、前に進み出た。
「異国人ってのは、お前らか?」
これまで“異国人”という単語は何度も出てきた。
さらに相手の口調から、儀一は会話の内容を理解した。
「儀一、です」
村の人々には苗字がないようなので、名前だけ名乗る。
「オレは、ドランだ」
「ヨリス」
「ダーズ」
簡潔極まりない自己紹介が終わると、先頭の体格のよい男――ドランが、儀一に向かって木刀を突きつけた。
「いいか。オヤジがいない間、この村を守るのがオレの仕事だ。オレが出ていない“村会議”の決定なんざぁ認めねぇ。好き勝手なことをするんじゃあ――」
いつの間にか儀一の隣に歩み寄ったのは、ねねである。
「あの、おにぎりです」
ラップをはがして、おにぎりを差し出した。
「穀物、です。まずくは、ありません。ガラ麦では、ありません。しかし、似たような食べ物、です。栄養あり、ます」
たどたどしいバシュヌーン語。
それは、“村会議”でおにぎりを試食した時に、村人たちが口にしていた単語をつなぎ合わせたものだった。
ねねは翻訳の能力で会話の内容を聞き取っており、暗記の能力で確かに記憶していたのだ。
「無償、です」
少し首を傾げて、にこりと微笑む。
「……」
毒気を抜かれたように、ドランが口を閉ざした。
敷地内を駆け回っていた蓮と蒼空がやってくる。そして縁側にいる結愛とさくら。四人の少年少女たちに見つめられて、ドランは苦虫を噛み潰したような顔になった。
舌打ちとともに、ねねの手を払う。
おにぎりは弾き飛ばされ、地面の上を転がった。
「あっ」
「そんな怪しいもんが食えるか! オレたちは、荒野鼠を狩ってんだ。ガラ麦がとれなくたって、たらふく肉が食えるんだよ」
ドランはきびすを返すと、大股で歩み去っていく。
「お、おい、ドラン!」
「稽古、しないのかよ」
二人もドランの後に続き、誰もいなくなった。
気遣わしげに、儀一が声をかける。
「ねねさん、だいじょうぶですか?」
「あ、はい」
ねねは驚いただけのようだが、代わりに子供たちが憤慨した。
「なんだよ、あいつら!」
「初対面なのに、無作法ですね」
「感じわるっ」
「さくら、嫌い!」
初日の客はそれだけだった。
二日目も、ねねは米を炊いておにぎりを作った。
その数、百個以上。
儀一も手伝おうとしたのだが、料理経験のほとんどない彼のおにぎりは不格好で、「これじゃあ、売り物にならないな」と、自分で食べるはめになった。
初日と同じく村人たちは現れなかったが、行商人のマギーがおにぎりを食べにきた。
さすがに商売人だけあって、珍しいものに目がないようだ。
マギーは儀一たちが着ている服の生地の質やデザインについても感心を示した。
この世界では目立つ服装である。他の服と交換することはできないかと儀一は考え、ねねが身振り手振りと拙いバシュヌーン語を交えながら、マギーに伝えた。
「では、のちほどお宅にお伺いします」
約束通り、荷馬車を連れてやってきたマギーは、大量の古着を持ち込んできた。カロン村で売るつもりだったものが、思うように売れなかったらしい。
提供したのは、儀一のスーツとねねのワンピース。
儀一は自分のスーツだけで済まそうとしたのだが、ねねが自分の服もいっしょにと、強く希望したのである。
受け取ったのは、全員分の服と下着を数着分。
「いや、本当に素晴らしい生地と、仕立てですね。どうやって縫ったんだろう」
細かく規則正しい縫い目に、マギーが感嘆する。
「これも、売り物になりますか?」
儀一が昨日偶然できた炭を差し出すと、マギーは目を見張った。
「ほう、これは魔木炭ですね。火の魔法を使わないとできない炭です。特殊な使い方をしますので、取扱い店を選ぶのですが、幸いなことに知己があります。ぜひ、買い取らせてください」
受け取ったお金で、儀一は糸や布といった消耗品や保存食などを購入した。
お互いにとって有益な取引きになったようだ。
「私は明日、ポルカという港町に旅立ちます。せっかく仕入れた大玉のジュエマラスキノコですから。鮮度が落ちないうちに売り捌かないといけません」
よい品物を手に入れることができましたと言って、マギーは去っていった。
そして三日目。
待望の、まともな村人が現れた。
門の前を通り過ぎ、また戻ってきては通り過ぎ、それを何度か繰り返してから、意を決したように敷地内に入ってくる。
それは二十代半ばくらいの女性で、背が高く、少し気が強そうな顔つきをしていた。
女性はタチアナと名乗った。
「私は――」
やや上ずった声で、タチアナは事情を説明した。
「その、オニギリ? は、そんなにいらない。いや、まあ、あれば欲しいとは思うけれど。そうじゃないんだ」
話を要約すると、自分の知り合いにおにぎりを食べさせたいのだという。
「名前はトゥーリ。私と同い年で、幼なじみさ。もともと身体が細くて、病気がちだったんだけど」
夏場に体調を崩し、最近は床に臥せる日も多くなっているという。
「私もなるべく顔を出すようにしてるんだけどね。トゥーリはどんどん痩せていって。だから、その……」
おにぎりを、食べさせたいのだという。
その話を聞き取ったねねが、小さな盆におにぎりをいくつか乗せた。
「タチアナさん、行きましょう」
「あ、あんたも来るのかい? 私は、オニギリをもらえれば、それで……」
ねねがにこりと微笑み、タチアナはたじろいだ。
「儀一さん、私、行ってきます」
「分かりました」
大勢で押しかけても迷惑になるだろう。だが、ねねには自分の身を守る力がない。
「さくら君」
儀一は自分たちの中で最大の戦力をつけることにした。
「おにぎりの配達をするから、ねね先生についていって」
「うん!」
初日にドランたちに絡まれたことから、儀一は子供たちに、いざという時の――例えば、悪い人たちに襲われた場合の対処法を練習させていた。
「水筒を忘れないようにね」
「はーい」
これは儀一のマンションにあった備品で、中には水が入っている。いざとなれば水の精霊ムンクを呼び出すことが可能だ。
水筒を抱えたさくらは、タチアナの手を引いた。
「おばちゃん、いこっ!」
「うっ」
さくらの無邪気な仕草と表情は、破壊力抜群である。
「わ、分かったよ。行くよ」
しぶしぶながら、タチアナは了承した。
「あんた、ネネっていったっけ?」
道すがら、タチアナが聞いてきた。
「はい」
「こっちの言葉は分かるけど、話せないって本当かい?」
「ほとんど、だめ、です」
「そりゃ、難儀だねぇ」
「難儀、です」
ねねは相手が話したことをすぐに記憶して、会話に使うことができる。発音はうまくいかないが、簡単な受け答えであれば問題ない。
道ですれ違った女性や畑仕事をしている男たちが、ねねとさくらを観察してくる。
タチアナは特に気にしていないようだった。
「それで、オニギリは売れたのかい?」
「タチアナさん、初めて、です」
「だろうねぇ」
タチアナはしみじみと語った。
カロン村の村人たちは、異国人である儀一たちを警戒している。“オークの森”から逃げてきたという話も、本当かどうか分からない。
それに今は男たちが出払っており、村の守りは手薄なのだ。
「どう考えても怪しい人間に、いきなり変な食べ物をくれるって言われてもさ、尻込みしちまうよ」
ねねは考え込んだ。
「寄り合い所は人が集まる場所だ。朝には共同井戸で洗濯や水汲みをするしね。本当は、みんな食べ物が欲しいんだけど……」
どうしても一歩を踏み出すことができない。
「もし抜け駆けをして、食料をもらっているところを誰かに見られたら、どんな陰口を叩かれるか分からないからね」
ようするに、店を構える場所が良すぎたということだろう。
「タチアナさん、問題ない、ですか?」
「私かい?」
タチアナは自嘲気味に笑った。
「本当は、ガラ麦でもジュキラ芋でも、私が分けてやれたらいいんだけど。うちにも子供がいるし、そんな余裕はないんだ。それでも私は、トゥーリを助けたい。だったら、あんたたちを頼る以外に方法はないだろう?」
幼馴染を助けるためならば、後ろ指を差されるくらい何でもない。
タチアナの話を聞いて、ねねは嬉しそうに微笑んだ。
大切な人のためならば、何かをしたいと思う気持ち。カロン村の人々も、自分たちと何も変わらない。
そう感じたからである。
「あんた絶対、お人好しだね」
ねねの視線を避けるように、タチアナはそっぽを向いた。
「いつかきっと、騙されるよ」




