(2)
どれだけの時間が経過しただろうか。
暗闇の中で、ねねは目覚めた。
「ううっ」
「ねね先生ぇ」
「あ、先生起きた」
かすれたような声を出しながら、結愛とさくらがしがみついてくる。
どうやらどこかに寝かされていたらしい。
「蓮君と、蒼空君は?」
「ここにいるよ」
「ねね先生、気分はどうですか?」
暗闇の中から声がする。こちらもひそひそ話の声だ。
心底安堵して、ねねはゆっくりと上体を起こした。
頭痛を堪えながら、深く息をつく。
「……ここは?」
「偶然見つけた岩の洞窟です。いや、裂け目かな?」
聞きなれない声に、びっくりしてしまう。
その時、夜空の雲が切れ、青白い月の光が差し込んできた。
子供たちの顔とともに、見慣れない男の顔が浮かび上がる。
「はじめまして。異世界転生した山田儀一と申します。前世では、公務員をしていました」
やや目尻の下がった、人のよさそうな若者だった。白っぽいYシャツにネクタイをしているので、真面目そうな印象を受ける。
公務員という言葉を聞いて、ほんの少しだけねねは安堵した。数日前に襲ってきた二人組の男たちの印象が、まだ頭の中にこびりついていたのである。
ねねは恐縮したように正座した。
「は、はじめまして。二宮ねねと申します。あの、先ほど助けていただいた方ですね?」
「ええ、はい」
「本当にありがとうございます。心から、お礼申し上げます」
「いえ。こちらこそ」
膝の下には布らしきものが敷かれていた。それが男が着ていたスーツだったことに気づき、ねねは飛び上がった。
「も、もうしわけございません。これはとんだ粗相を――」
「気にしないでください。その、安物ですので」
互いに頭を下げ合う姿を、子供たちが不思議そうに見つめている。
落ち着いたところで、儀一が状況の説明を行った。
自分たちは、おそらくオークと呼ばれている魔物から逃げ切ることができた。もう半日が経過しており、今は夜である。
「もう少し時間がありますので、情報交換をしたいのですが、よろしいですか?」
「は、はい」
儀一は簡単な自己紹介と、神様との会話の内容を話した。
「二宮先生も、神様にお会いになりましたか?」
「あ、その。私、先生じゃないんです」
「え?」
「実は、保育士で。それも一年目の新米なんです。この子たちが、そう呼んでくれているだけでして」
小学一年生の子供たちにとっては、保育士も先生と同じ扱いなのだろう。
ねねも自己紹介と、自分が体験したことを儀一に話した。
「私は、古い洋館のリビングで、その、神様にお会いしました。最初はにこやかにお話をされていたのですが、私の理解力が追いついていかなくて、最後には怒ってしまわれて」
話は途中で打ち切りになってしまった。
「それで、気づいたら、この森の中にいました。すぐ近くに、この子たち――蓮君、蒼空君、結愛ちゃん、さくらちゃんがいて、いっしょに行動することになったんです」
初日はまず水場と拠点を探した。二日目からは雨が降ったりやんだり。雨露を飲みながら、北へと向かった。
「そちらの方角にいけば、町があると」
「ああ、それはオークの町らしいですよ」
儀一の言葉に、ねねは絶句した。
「どうやら神様は、嘘はつかないようですが、すべての情報を伝えているわけではなさそうです。気をつける必要がありますね」
「え、あ、はい」
自分が子供たちを危険にさらしていたことを知り、ねねはショックを受けた。
「二宮さんが神様から授かった特殊能力はなんですか?」
「……」
さらに情けなくなり、ねねは俯いた。
「タレントの、翻訳、です」
消え入りそうな声で呟くと、儀一は目を見張った。
「それはすばらしい。今後楽になりそうですね」
「え?」
「頑張って、この森を抜けましょう」
せっかくの励ましの言葉であるが、ねねは同調することができなかった。
“オークの森”に降り立ってから、すでに五日が経過している。子供たちと四人そろってここまで生き延びたことが、すでに奇跡だ。道は間違っていたし、水も食料もない。怪しげな食べ物に当たったのか、体調も悪く、体力も気力も限界だった。
助けを求めた二人組の男には襲われたし、先ほどは魔物に殺されかけた。
とても無事に生き延びれるとは思えなかったのである。
「お願いです、山田さん。初対面でこんなことをいきなりお願いするのは、たいへん失礼だと思いますが、この子たちだけでも、町に連れていってください。私は何でもします。言われた通りしますから、ですからどうか――見捨てないでください。お願いします」
女子供連れの行動は厳しい。歩く速度も距離も、移動できる場所も制限される。足手まとい以外の何ものでもないだろう。
それでも自分にできることは、山田という見知らぬ男性に、懇願することだけだと思った。
人生で初めての土下座。しかも、ぽろぽろと泣きながらの泣き土下座である。
子供たちもびっくりしたのか、必死になって励ましてくる。
「だ、だいじょうぶだって。みんないっしょだし」
「ぼくが、先生を助けます」
「ねね先生といっしょじゃなきゃ、や!」
「せんせぇ~」
「時間です」
冷静な声で儀一が宣言した。
「まずは、みんなでパーティ登録をしましょう」
「……え?」
神様の説明の中にそのような言葉が出てきたような気がする。異世界転生者同士がパーティ登録をしてグループになると、それぞれの情報が共有できるようになり、経験値というものが分配されるのだとか。まったく意味が分からなかったが……。
「ステータスウィンドウ、オープン」
儀一がキーワードを呟くと、厚さのない透明な板が出現した。タッチパネルの要領で、指先で操作をしているようだ。
「どういう仕組みかは分かりませんが、時間を指定してアラームを鳴らす機能があるんです。自分にしか聞こえませんので、こういう時には重宝しますね」
儀一が最後にタップすると、ピコンという安っぽい効果音が響いた。
『山田儀一さんから、パーティ登録申請がきました。ステータスウィンドウにて操作してください』
やけに可愛らしいアニメ声が、ねねの頭の中に響く。
「え? え?」
事前に教えられていたのか、子供たちはそろって透明な板を出して、指先で操作をする。
「さ、二宮さんも早く」
「は、はい」
ねねは機械全般が苦手である。タッチパネルにも馴染みがなく、いまだにガラケーを使っている有様だ。しどろもどろでキーワードを呟き、透明な板に表示されていた「YES」のボタンを触った。
『一度パーティ登録すると、一年間変更することはできません。よろしいですか?』
アニメ声とともに、再びボタンが表示されたので、「YES」を触る。
『パーティ登録されました。パーティ名は、市政推進です』
半透明な板の上に、儀一、蓮、蒼空、結愛、さくらの顔写真が表示された。
儀一以外はみんなにこにこ顔である。
「みんな、パーティ登録できたかい?」
「できた。うわぁゲームみてぇ」
「しせーすいしんってなんですか?」
「わぁ、みんなの顔が出てる」
「ねぇゆあちゃん、これでいいの?」
「では今から、僕が神様から授かった能力――召喚魔法を使います」
儀一は岩肌に手をつくと、淡々とした口調で呟いた。
「召喚。ベラ・ルーチェ東山一〇二号室」
ブォンという効果音とともに、黒い板のようなものが出現した。月明かりしかないのでよく見えないが、金色に輝くドアノブらしきものがついている。
儀一はいつの間にか持っていた鍵を、ドアノブの下の鍵穴に差し込んだ。
カチャリ。
黒い板が開き、ぱっと明かりがついた。
小さな大理石の床の上には、一足のスニーカー。
明らかに玄関だ。
「さ、早く入って。明かりが漏れます」
促されるままに、ねねたちはドアの中へと駆け込んだ。