(27)
雄たけびを上げながら、集団で突進してきたオークたち。
ムンクによる謎の発光現象に続く、河川が割れるという奇跡。
どこまで観察していたのかは分からないが、大河を渡る前に見かけた荷馬車は、猛スピードで逃げてしまったようだ。
モンキーとグーがそろっていれば追いかけることもできたのだろうが、儀一たちの命を救ってくれたモンキーは、残念ながら川に飲み込まれてしまった。
街道らしき道には轍の跡が残っていたので、それをたどっていけばいずれ人の住む場所にたどりつくことができるだろう。
儀一と蓮と蒼空は泥だらけで、打撲と擦り傷も負っていた。
「傷口を洗います。蒼空くん、水袋を出してくれますか」
「はい。四次元収納袋」
ねねが傷の具合を確認し、水で洗い流していく。
その間、儀一は河川の様子を観察していた。
発光現象を起こしたムンクは、河川を割ると同時に消えてしまった。
水の流れは正常に戻っている。
東の空に輝く太陽。穏やかな薄緑色の空。
久しぶりに感じる風に、草花が揺れている。
その周囲を、透明な羽を持つ蝶のような昆虫が舞っていた。
まるで何事もなかったかのような、穏やかな光景である。
しかし、先ほど起こった出来事は、現実である。
精霊にこれほどの力があるとは思わなかった。
おそらく、神様も驚いているのではないだろうか。
儀一は状態盤を確認した。
存在経験値の値は、まだ変わっていない。
「いい絵が、撮れましたよね?」
大きく息をつき、肩をこきこきと鳴らす。
その直後、ひとり当たり二百の評価経験値が入り、ドラムロールとファンファーレが鳴り響いた。
『存在レベルが十になりましたので、特殊能力をひとつ取得できます。状態盤にて操作してください』
オークに換算すると、七百体以上。さすがにそれだけの数はいなかったはずなので、神様の主観による加点がなされたのだろう。
ちょうど二百という切りのよい数字に、神様のなげやりな心境がうかがえた。
オークの大群は、すべて河川に飲み込まれたようだ。
全滅したのか、あるいは生き残っているのか、現時点で判断できる状況ではない。
次に神様がマンションに現れた時にカマをかけてみれば、おおよそのところは分かるだろう。
どちらにしろ、オークキングが出てきたということは、本隊のはず。
少なくとも自分たちの追跡は不可能となったはずだ。
「みんな――」
儀一はねねと子供たちを見渡した。
半月以上に渡るサバイバルで、服はほつれ、手足は擦り傷だらけ。
心が飽和状態になったかのように、呆然としている。
無理もなかった。
大河が割れるという信じられない光景を目の当たりにし、その中を駆け抜けるという信じられない体験をしたばかりなのだから。
「もうだいじょうぶ」
ゆっくりと噛み締めるように、儀一は断言した。
「僕たちは、助かったんだ」
もちろん、すべての問題が解決したわけではない。
次にマンションが召喚できるのは、二十四時間後。食料や水が乏しい中で、また野宿をしなくてはならない。人が住んでいる町や村の場所もわからない。街道をたどって見つけたとしても、コミュニケーションの問題が出てくる。
それでも、とりあえずは――生き残った。
全員が無事で、生き残ることができたのだ。
恐怖と驚きで凍りついていた心が、一気に融解していく。
「よくがんばったね」
儀一が微笑むと、ぱっと顔を輝かせて、子供たちが飛びついてきた。
「おっちゃん!」
「おじさん」
「おじさまっ」
「ぎーちおじちゃん!」
感極まったように、ねねもやってくる。
「儀一さん。みんな……」
二人で挟み込むようにして、しっかりと子供たちを抱きしめる。
この日儀一たちは、“オークの森”を抜けた。
――数日後。
「……スペクタクル映画?」
「大だよ大」
神様は訂正した。
「大スペクタクル映画。そう、ドキュメンタリー番組を遥かに越える、感動の超大作さ!」
得意げに鼻の穴を膨らませながら、神様は目をきらきらと輝かせる。
「これはもう、勝ったも同然だね。ちょっと出来すぎてるくらいかも。たぶん仲間たちは、どや顔で指摘するだろう。お前、神の力を使ったろ、協定違反だぞってね。でもぉ――」
神様はどや顔で言った。
「ざんねーん、使ってませーん。僕はぁ、ちゃんと協定を遵守していまーす。様々な偶然が折り重なって、川が割れちゃったんでーす」
かなり鬱陶しいと儀一は思った。
だが、これくらい調子に乗ってくれていた方が、情報を引き出しやすいだろう。
「しかし、オークは野生の熊並みに強いのでしょう。川に飲み込まれたくらいでは、倒せないのではないですか?」
「ん? ああ――」
神様は鷹揚に頷き、解説してくれた。
「彼らは、オークキングの種族固有の能力――“強制徴募”でこき使われてたからね、十三日間ずっとだ。いくら強くても、さすがに体力の限界さ。オークキングが溺れ死んだ瞬間、効果が切れて動けなくなった。今頃、下流の方には凄惨な光景が広がっているよ。まあ、食事の前だから詳しいことは言わないけれどね」
内心、儀一はほっとした。
ひとまずは安全を確保することができたようだ。
「しかし神様」
「なんだい?」
「大スペクタクル映画はよいのですが、これからは地味になりますよ」
森を抜けてしまえば、とりあえず魔物が襲ってくる心配はない。
今後は現地の住民たちとの折衝や、新たな生活への適応、言葉の学習といった、地道な取り組みが続くことになる。
「まあ、第二部は好きにしたらいいさ」
「第二部?」
すでに神様の興味は、大スペクタル映画とやらの編集にあるようだ。
ぺらぺらと、ご機嫌に解説してくれる。
「そう。“オークの森”から生還するまでが、第一部。そのあとは、ミルナーゼの民として生きていくための、様々な苦労や葛藤があるだろうから、これが第二部。第一部のサバイバルドキュメンタリーが物足りなかった場合、第二部のヒューマンドキュメンタリーを組み込もうと考えていたんだ。ようするに二部構成だね。だから僕は、君たちに授ける特殊能力の中に、戦闘以外にも使える能力も仕込んでおいたのさ」
神様の想定では、“オークの森”を抜けた時点で、存在レベルは二か三くらい。
その後、異世界転生者たちはどのような道を選ぶだろうか。
手っ取り早いのは、魔法やスキルの力を使って冒険者になることである。
少しくらい言葉が不自由でも、戦闘力さえあれば金を稼ぐことができるからだ。
冒険者になった彼らが魔物を倒し続け、存在レベルが五に上がった場合、新たな特殊能力を取得可能となる。
さらなる高みを目指せるというわけだ。
「そういった設定でしたか」
「君たちがだいなしにしちゃったけれどね!」
神様はいきなり不機嫌になった。
ちょっとしたことで機嫌がころころ変わる面倒くさい性格なのだ。
「しかし、安心しました」
「どういうこと?」
「森を抜けたら番組の制作も終わって、特殊能力が無くなってしまうかもしれない。そう考えていたんです」
途中で消えてしまう能力ならば、最初からあてにしない方がいい。
ハンデを認識し、覚悟を持って、この世界の住人として生きていくことができるからだ。
「死ぬまで消えない能力ならば、才能と同じですからね。積極的に活用しようかと」
「う~ん、実に山田さんらしい考え方だね」
神様は苦笑した。
「いくらなんでも、そんな鬼畜なことはしないさ。まあ、存在レベルは十が最高だから、これ以上特殊能力を取得することはできないけれどね。ずっと使い続けてもらって構わないよ」
「助かります」
再び機嫌がよくなったのか、神様は儀一に今後の予定を聞いてきた。
「しばらくは、カロン村に滞在するんだって?」
「はい。交渉は大変でしたが、あちらの言っていることは、ねねさんが分かりますからね。“はい”と“いいえ”で答えながら、なんとか交渉しました」
儀一たちが街道に残った馬車の轍を追ってたどりついたのが、カロン村だった。
人口は三百程度。
何もない平原にぽつりと存在している貧しい村だ。
儀一たちが川の向こう岸で見たのは、行商人の荷馬車だった。その行商人は川での出来事を村長に告げて、村は大騒ぎになっていた。
そこに、儀一たちが現れたのである。
儀一はまず、日本語で自己紹介した。
自分たちがバシュヌーン語を使えないことを、まず示したのだ。
それからねねが中途半端な通訳者となり、自分たちに行き場がないこと、そしてこの村に滞在させて欲しいこと等を伝えた。
「“オークの森”で、ジュエマラスキノコを大量に収穫していたのは、大きかったね」
「カロン村はとても貧しくて、せっかく行商人が来ても、ろくなものを買えなかったようです。村長にプレゼントしたジュエマラスキノコは、そのまま行商人に渡って、必要な物資と交換することができたようです」
ジュエマラスキノコは光沢のある白い球状のキノコで、儀一の鑑定では、非常に希少価値があり、王国では高値で取引されているという結果が出ていた。カビのような独特の香りがするので、子供たちの評判は悪く、“臭キノコ”と呼んで毛嫌いしていた。食卓にも出すこともできず、蒼空のポケットの中で塩漬けになっていたのだ。
さらに儀一は、ねねに塩むすび――塩で味付けしただけのおにぎりを大量に作ってもらい、毎日村に提供するつもりだと言った。
「村人たちはみんなやせ細っていました。栄養状態は劣悪です。このままでは、春までに餓死者が出るかもしれません」
「でもそれって、自然淘汰じゃない? ずっと面倒を見るんだったら、べつに構わないけどさ」
毎日復活する米、約五キロ。
これだけあれば、かなりの村人たちを救うことができるだろう。
だが――
「確かに、一方的に食料を提供し続けるような関係は異常ですからね。神様のように崇められても困ります」
「だよねぇ」
「ですから、僕たちがカロン村に滞在するのは、夏まで。来年度の作物が収穫できた時点で村を去るつもりです」
塩むすびを提供する交換条件として、村人たちからバシュヌーン語を教えてもらおうと儀一は考えていた。
「あと一年足らずですが、僕もねねさんも、そして子供たちも――死ぬ気で勉強しますよ」
「え~っ!」
すっとんきょうな声を上げたのは、ペットボトルのウーロン茶を運んできた蓮だった。
「べ、勉強するの?」
「そりゃそうだよ。蓮君は小学一年生なんだから」
「僕はかまいません。塾がなくて助かるくらいです」
蒼空がすまし顔でちゃぶ台を拭く。
料理の皿を持った結愛とさくらが、慎重な足取りでやってきた。
「あたしもがんばろ。蓮みたいになりたくないし」
「さくら、勉強すき。図工やる!」
「図工、あるのかな?」
最後にねねが鍋を運んできた。
「私も頑張りますから。みんなでいっしょに勉強しましょうね」
ねねは保育士の資格と幼稚園免許を取得しているらしい。子供たちの教育についてはある程度任せられるだろう。
わくわくしたような顔で、神様がねねに聞いた。
「で、今日のメニューはなにかな?」
「ええと、今日はですね――」
食卓にはごはんとお味噌汁、そして野草やキノコを中心とした料理が並べられている。
神様はひとり、みかん箱の前で正座だ。
「では、合掌」
ぱんと両手を合わせる。
「いただきます」
「いただきま~す!」
オークの森編、完です。




