(26)
モンキーはオフロード用のバイクではない。
段差にもぬかるみにも弱い。
最高速度は時速五十キロを超えるが、このような足場ではそこまでスピードを出すことはできないし、ギアを下げてパワーを出す必要もあった。
左右には水の壁。その高さは二メートルほど。
そして道幅は、約十メートル。
細心の注意を払って、一番安全なルートを選択していく。
時速は二十キロから三十キロ。
前方をゆくグーが、少しずつ近づいてくる。
結愛とさくらが何やら叫んでいた。
儀一はサイドミラーを確認した。
そこに映っていたのは、巨大な狼に跨ったオークキング。
熊のような毛皮を羽織り、牙を繋いだようなネックレスをしている。
――早い。
時速で四十キロ近く出ているのではないだろうか。
足場が悪くても関係ないようで、どんどん迫ってくる。
「蒼空君、魔法を撃てるかい?」
「つ、杖が、服の中に――」
振り落とされないようにしがみついている状況では、なかなか難しいようだ。
「杖はなくていいから、余裕があったら撃って」
「は、はい!」
狼の足音と息遣いが、はっきりと聞き取れるようになった。
「わ、わっ、おっちゃん、来てる!」
儀一の胸に抱きつく格好の蓮には、その様子がよく見えるようだ。
「お、狼っ――それと、その向こうにオークがいっぱい!」
おそらくは、地獄のような光景なのだろう。
「き、きたっ!」
儀一たちのバイクの左側――赤目狼とオークキングが追いつき、併走状態になった。
オークキングは左手を鞍についた取っ手に置き、右手には柄の長い斧を持っていた。狼に乗りながらの攻撃が可能のようだ。
「やらせない!」
右腕を儀一の首にしっかりと巻きつけながら、蒼空が左手を突き出した。
「風打槌!」
魔法レベル三の、強力な攻撃魔法。
目に見えない空気のハンマーが、オークキングと赤目狼に炸裂――しなかった。
狼が、急激にスピードを落としたためである。
鈍い打撃音とともに、水の壁が砕け散った。
偶然だろうか。
いや、それにしてはタイミングがよすぎる。
オークキングは、警戒していた。
こちらが魔法を使うことを、知っているのだ。
「それでいい! 牽制するだけでも――」
蒼空を励まそうとしたその直後、右後方から予想もしない衝撃を受けた。
オークキングと赤目狼は、バイクの後方から右側に回り込んで、体当たりを仕掛けてきたのである。
儀一はハンドルをとられ、バランスを崩した。
運のわるいことに、川底にあった石に乗り上げてしまう。
勢い余ってモンキーが横転し、三人は投げ出された。
「ぐっ――」
時間がない。
このままでは、ムンクの活動時間が終わってしまう。
左右の水の高さは二メートル以上。
しかも片方の――上流の方は水が溜まり、どんどんと膨らんでいるように見えた。
モンキーは儀一の足の上に倒れていた。
痛みに顔をしかめながら、儀一はオークキングの姿を探した。
赤目狼の息遣い。
三メートルほど後方で、立ち止まっている。
その向こう側には、数えるのも馬鹿らしくなるくらいのオークたちが迫っていた。
蓮と蒼空を探す。
蒼空は儀一の隣でうずくまっていた。
痛みで顔をしかめているようだ。
そして蓮は、儀一とオークキングの間に倒れていた。
「う、うわ」
尻餅をつきながら、蓮は怯えたように後ずさる。
赤目狼が、一歩踏み出す。
「わわっ――」
「蓮っ!」
儀一はモンキーを持ち上げて、足を引き抜こうとした。
重い。だが、このままでは蓮が殺される。
「蓮っ! 逃げろ! 走って逃げろ!」
しかし蓮は、手足をばたつかせるようにして、大声で泣き出したのである。
それはもはや、スーパーのお菓子売り場で駄々をこねている、子供のような姿であった。
オークキングがにやりと笑った――ような気がした。
狼から飛び降りると、ゆうゆうとした足取りで、蓮に向かって近づいてくる。
ひと言ふた言、何やら呟いたようだ。
蓮の目の前までくると、斧を構えて大きく振りかぶる。
その時、蓮が叫んだ。
「いでよ、光刃剣!」
ぶんという効果音とともに、光の剣が生み出された。
すばやい動作で、蓮は起き上がった。
泣き叫んでいたはずの子供の突然の行動に、オークキングは一瞬、硬直した。
「必殺! 一閃!」
片足を踏み出し、光の剣を真横に振るう。
まるで熟練の剣士のような、横薙ぎの攻撃。
光の剣は、オークキングに届いた。
反射的に身体の正面を守ろうとしたその両腕を、ざっくりと切り裂いたのである。
『グォオオオオオオオッ!』
オークキングは絶叫し、斧を取り落とした。
踏み込んだ分だけ下がり、元の位置に戻った蓮。
その首根っこを、儀一がつかんだ。
「お、おっちゃん、見た、今の――」
「早くこい!」
儀一はモンキーを持ち上げ、止まっていたエンジンを始動させた。
この程度で壊れるバイクではない。
蓮を前に、蒼空を後ろに乗せると、全速力で走り出す。
自分でも不思議なくらい、儀一は怒りを覚えていた。
あんな、危ないことをして――
しかし、不意に笑い出したくもなった。
『君はまだ子供なんだから、その部分を有効に使わないと』
『どういうこと?』
『わんわん泣いて、相手が不用意に近づいてきた時に、一気に倒すんだ』
『え~、かっこわるい』
『かっこ悪くても、勝てばいいんだよ』
あの時の会話を、蓮は覚えていたのだ。
そして、ここぞという場面で実践してみせた。
「蓮君――」
胸にしがみついている蓮に、声をかける。
「よくやった」
蓮は儀一を見上げて、ぽかんとしたような顔になった。
それから、ほっとしたように息をつく。
蓮は再び俯くと、額をぎゅっと儀一の胸に押しつけてきた。
状態盤の表示時間は、あと十秒。
対岸の上では、ねねと結愛とさくらが心配そうに待っている。
モンキーで駆け上がれる傾斜ではない。
「二人とも、しっかりつかまって!」
ぎりぎりのところでフルブレーキ。
モンキーを横づけにして、壁面に立てかける。
もうしわけないが、このまま踏み台になってもらう。
儀一は蓮と蒼空をひとりずつ、岸の上に押し上げた。
ねねも協力して引っ張り上げていく。
三、二、一……。
最後に儀一がジャンプして、這い上がる。
「――ゼロっと」
その瞬間、左右に分かれた水の壁が崩壊し、オークキングと赤目狼、そしてすべてのオークたちが、激流の中に飲み込まれた。
スキル名変更
ワイドスラッシュ → いっせん




