(23)
ムンクはこちら側の一番の切り札――つまり、ジョーカーだ。
川沿いに歩くことから、いつでも召喚することができる。
使いどころを慎重に見極める必要があった。
長距離の移動については、グーは欠かせない存在となっていた。
三人まで搭乗可能なため、二交代制にすれば、ほとんど休憩なしでも移動し続けることが可能だ。
そういった意味では、戦闘で巨人化し行動時間を使い切ってしまうのはおしい。
であるならば、最初にグーを呼び出して移動しつつ、オークが姿を現したときには、川からムンクを呼び出して撃退してもらうのがベスト。
「そんなにうまく、いくのかな?」
箒でグーの足跡を消しながら、儀一はひとりごちた。
昨日見つけた小川は、幾つかの支流と合流し、大きな流れとなっていた。
川幅は約三メートルになっている。
ただ、水の流れが速く澄み切っているので、魚がいない。
そもそも、魚と呼べる生き物がいるのかどうかさえ分からない。
見つかったのは、全身に刺のついた蛍光色のヒトデのような生き物くらいだ。
とても食べる気にはならない。ちなみに子供たちは“とげちゃん”と呼ぶことにしたようだ。
歩いている時もグーに乗っている時も、蓮はずっと小川を観察していた。
とにかく活躍したいと考えているのだろう。
蒼空と結愛は遠距離からの魔法攻撃でオークたちを攻撃した。さくらは精霊を呼び出して、今も有効活用している。
同級生たちに差をつけられていると、本人は思い込んでいるのだ。
焦り、苦しみ。そして自身が持て余すほどの負けん気。
出世を諦めてしまった自分が、とうの昔に無くしてしまったもの。
抗うのか、妥協するのか。
今後の人格形成にも関わってくる、小さな選択肢のうちのひとつ。
齢六歳にして、蓮はすでに突きつけられているのだ。
大人にできることは、慰めることではない。
突き放すことでもない。
それと悟られないように、環境を整えてやることだと儀一は考えていた。
魚をとったくらいで気が晴れるとは思えないが、このままひとり鬱屈としているよりはましだろう。
正直、面倒くさいなと思う部分はある。
世の中の親たちも、みんなこういう感じで悩んでいるのだろうか。
らしくもないことを考えて、儀一は苦笑した。
どちらにしろ、蓮に彼が思い描く活躍をさせるわけにはいかなかった。
そのような状況に陥らないようにするために知恵を絞って、少しでもよい思える判断を下すことが、今の儀一の仕事なのだから。
日が暮れる前に、今夜の寝床を探す。
洞窟や木の洞があれば一番いいのだが、そう都合よく見つかるものではない。
ようやく見つけたのは、背丈の高い植物の塊だった。あじさいを巨大化したような植物で、花は咲いていないが、葉が大きくて、無数の茎が密集している。
外からは中の様子が窺えない。
これは使えると、儀一は思った。
「蓮君、出番だよ」
「え?」
儀一は蓮を連れて茎を掻き分けながら中に入っていく。
「光刃剣……」
蓮の右腕ごと光の剣を操って、中心部の茎を削り取っていく。
外周の茎だけを残す形で全員が入れそうなスペースを作り、地面の上に葉っぱを敷き詰める。
簡易的な植物の家の完成だ。
子供たちは“あじさいハウス”と名付けた。
さらに少し離れた場所にも、同じようなスペースを作った。
こちらは葉っぱを敷かず、地面を削り取っていく。
簡易的なトイレの完成である。
チェーンソーにもなるし、スコップにもなる。
おまけに懐中電灯の代わりにもなる。
森の中でサバイバルをする場合、これほど役に立つ魔法はないのではないかと、儀一は思った。
おもに工具類として。
「うんでぃーね!」
さくらは小川でムンクを呼び出した。
十リットルくらいの大きさで出現したムンクは、すぐに飛び立とうとしたが、さくらに触手をつかまれてしまった。
すでに陽は落ちようとしている。
儀一と出会う前――暗闇の中で過ごすした野宿のことを、さくらは思い出していた。
暗くて、怖くて、寂しい。
「ムンクちゃん、さくらのそばにいて」
儀一としては近くにいるオークたちをできる限り減らして欲しいところだったが、何も言わなかった。
さくらがムンクと築いた関係によって、パーティ全員が守られていることを、誰よりも分かっていたからである。
関係のない第三者が、へたに立ち入るべきではないと思った。
さくらはムンクをつれて、“あじさいハウス”に戻った。
ここ最近はすれ違いの生活が続いていたため、ムンクと戯れるのは久しぶりである。蓮、蒼空、結愛も大喜びし、触手をつかんだり抱きついたりしている。
これから朝まで、暗闇に閉ざされたこの場所で過ごさなくてはならないのだ。子供たちの精神的な負担を考えると、こちらの方がよかったのかもしれない。
“あじさいハウス”には、全員が横になれるだけのスペースがなかった。
儀一は外側に残る茎に背中を預けながら、片足だけを伸ばした。
すると、隣にねねがきた。こちらは正座を崩すような座り方である。
ムンクが中央に居座っており、子供たちがその触手を抱えたりしているので、場所を譲ってきたらしい。
「明日も歩きますから、ゆっくり休んでください」
「儀一さん、ずっと起きているつもりですか?」
敵がいることが分かっている場所で、全員が眠るわけにはいかない。
身体が若返った今ならば、一日くらいの徹夜は平気だし、どうしてもつらければ明日グーの背中に乗っているときに、五分でも十分でも仮眠をとればよい。
そう考えていたのだが、ねねに見抜かれていたようだ。
「人は九十分ごとにレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すそうです。ですから、その倍数の時間を寝ると、すっきり目覚めることができるみたいです」
いわゆる一時間半ルールというやつである。
「最初は三時間ごと。それから一時間半ごとに交代しましょうね?」
こういう時のねねには、有無を言わせない迫力があった。
儀一が承諾すると、ねねは小声で「ステータス、オープン」と呟いた。状態盤を手早く操作する。様々な情報を見ることができるこの盤には、時間を指定して自分だけしか聞こえないアラームを鳴らす機能があった。
朝が苦手なねねは、毎日この機能を利用していたのだ。
「では、先にねねさんが休んでください」
「はい、分かりました」
ねねはにこりと笑うと、儀一の腕を抱えて頭を預けてきた。
何とも無防備なことだが、子供たちがいる中で妙な動きなどできようはずもない。
体勢的にも安定することだし、儀一は好きにされることにした。
互いに三時間ずつ睡眠をとる。
それからしばらくしてから……。
「――ん?」
ねねに揺り動かされて、儀一は目覚めた。
「ごめんなさい、儀一さん」
申し訳なさそうな声で、ねねが謝った。
問題ないですよと欠伸をしかけたところで、儀一は我に返った。
“あじさいハウス”の中が、ぼんやりと明るい。
部屋の中央にはムンクがいて、その身体が青白く発光していたのである。
よく観察すると、身体の表面全体が光っているのではなく、本体である楕円体や触手の中を、無数の小さな光の粒がゆっくりと移動しているようだった。
それはまるで、生命の輝きそのもののように見えた。
「つい先ほど、ムンクちゃんが光りだしたんです」
ねねも混乱しているようである。
子供たちが寝てしまってからも、ムンクは部屋の中央に居座っていた。まるで置物のように動かなくなったが、目のような二つの窪みは、しっかりとさくらの方を向いていた。触手はかなり伸びており、四人の子供たち全員を抱きかかえている。
精霊とはどのような存在なのだろうかと、儀一は考えた。
神様が用意した特殊能力の中では桁外れの力を発揮している。もしこのことが分かっていたならば、他の異世界転生者たちはみんな精霊魔法を選択したことだろう。
「絶対おかしいって。そういう仕様じゃないんだから」
神様の言動から察するに、今のムンクの活躍は想定外のようである。
波乙女というだけあって、ムンクは乙女の心を持っており、子供であるさくらに対して、庇護欲のような感情を抱いているのだろうか。
淡い光の中、ムンクの触手をしっかりと抱きしめながら、さくらはすやすやと眠っている。
「きれいですね」
「うん」
長時間窮屈な体勢でいたせいで、身体がこわばってしまった。
空が明るくなってくると、儀一は“あじさいハウス”を出て、ラジオ体操をした。
ムンクの発光現象については、原因不明である。
さくらに聞いたところで、何も分からないだろう。
やがて子供たちが起きてくると、朝食である。
メニューはジュキラ芋を蒸かしてパテ状にしたもの。木の実やキノコも入っており、栄養的にはかなり優秀である。
ただ、調味料を一切つかっていないので、味が薄い。
塩かマヨネーズでもあればかなり違うのだろうが、贅沢を言えるような状況ではなかった。
もそもそと食べ終えてから、いよいよ出発である。
「今日も、川沿いを歩くよ」
十時までは全員で歩いて、それからグーを呼び出す。
小川の水はさらに豊かになり、川幅は五メートルを超えている。
深さがあり流れも早いので、残念ながら魚を見つけるのは難しい。
そうこうしているうちに、森の地形や景色が変わっていた。
緩やかな傾斜がずっと続いていたのだが、急に平坦になった。
密集していた木々が少なくなり、太陽の光が入り込んでくる。
オークたちが“黒葉”と呼んでいる領域を、ようやく越えることができたのだ。
自分たちが置かれている状況を、儀一は把握することができなかった。
その日が、“強制徴募”の継続間の最終日、十三日目であること。
そして、オークキングがついに先頭に立ち、全部隊をもって、全速力で儀一たちを追いかけているということを。




