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 低血圧で朝が苦手なねねだが、ここ最近は気合で起きるようにしている。

 儀一に起こされた時に、寝ぼけた顔で寝ぼけた発言をすることを恐れたからだ。

 しかしその日は朝の勉強がなく、余裕をもって目覚めることができた。

 時計の針は九時半。午前か午後かは意味がない。十二時になると安全地帯であるこのマンションは消え、危険な森の中へ歩みださなければならない。

 薄暗いオレンジ色の部屋の中、ねねはむくりと起き上がった。

 隣を見ると、あどけない仕草でさくらが寝ていた。

 だが、結愛の姿がなかった。

 トイレにでも行っているのだろうか。

 足音を立てないように移動して、洗面所で髪の乱れを整える。お風呂にも入りたいところだが、自分だけの時間を使うよりも朝食の品数を増やす方が優先だ。

 洗面所を出て、キッチンの明かりをつける。

 リビングの様子を見回すと、ソファーの上に盛り上がった毛布が見えた。

 毛布の端から覗いている頭は、二つ。

 儀一と結愛のようである。

 意外な面持ちで、ねねは首を傾げた。

 昨夜結愛は、儀一の手や顔についた返り血を見て、怯える様子を見せた。

 無理もないことだと思うのだが、そのことを結愛は気にしているようだった。

 他人ひとの心を察することができる優しい子である。はからずも自分がとってしまった態度に戸惑ってしまったのだろう。ただ、そのことを気にするあまり、自分を嫌いにならないで欲しいと、ねねは願っていた。

 しかし、二人の様子を見る限り、心配はなさそうである。

 子供が大人に甘えられるうちは、だいじょうぶ。

 気持ちが軽くなり、少し嬉しくなって、ねねは小声でハミングを口ずさみながら、朝食の準備に取り掛かった。

 途中、ソファーの方から息を飲むような気配と、こそこそと布団の方へ移動する足音が聞こえたが、ねねは気づかないふりをした。






 疲れた精神こころと身体は完全に回復してはいない。

 しかし、ちゃぶ台の上を彩る朝食の景色と食欲をくすぐる香りが、気分をよくしてくれる。

 ……はずだったのだが。

 全員が食卓についたところで、こんこんとベランダのガラス戸が叩かれた。


「みんな、一応、歓迎してあげてね」


 儀一は小声でそう注意してから、ガラス戸を開けた。


「やあ、山田さんおはよう」

「おはようございます、神様」


 ベランダには金髪碧眼の美男子が立っていた。

 ラメ入りの白いスーツに星柄のネクタイという派手な出で立ち。

 神様である。

 

「どうぞ中へ」

「わるいね、食事中に」


 靴を脱いだ神様が、ずかずかとリビングに上がり込んでくる。

 そしてソファーの上に座った。

 片方の足だけで胡坐をかき、両腕を組む。

 どことなく不機嫌そうな顔だ。

 

「今日はどのようなご用で?」


 食卓の方をちらりと見てから、神様は儀一に苦情を述べた。


「困るんだよね、山田さん。一日一回の、ほら、例の報告書」

「ああ、夜にお送りしてる」

「それ。何でいつも、食事のことばかり書いてるのさ」


 異世界転生する直前、儀一が召喚魔法で呼び出せる“物品”として、マンションを申請した時に、自らつけた条件。

 それは、その日起きた出来事と自分の心情をセットにして文章で報告すること。


「いや、すいません」


 儀一は頭をかいた。


「昨日なんてさ、いっぱいいい場面シーンあったじゃん。赤目狼に乗った序列二位のオークとの対決バトルとか、危機一髪の丸太橋渡りとかさ。いろいろあったじゃん!」

「ありましたねぇ」

「なのになんでさ!」


 神様はぱんと膝を叩くと、早口でまくし立てた。


「なんとか芋の炊き込みご飯がどうとか、なんとかキノコの佃煮がどうとか。なんとかなんとかのコンソメスープとか、野草とオークの味噌炒めとか、ちょっとすっぱ風味の朝粥とか、てんぷらの盛り合わせプラス塩とか! ……ちなみに、今朝のメニューはなんだい?」


 動揺しつつ答えたのは、ねねである。


「え~と、ミユーヴ草のあっさりポン酢炒め、ジュキラ芋のレシュティ、チュクニの実の甘辛和え、ビシュヌールキノコの佃煮、マルヴォルキノコのすまし汁、ですね」

「こっちはね、醤油せんべい食べながら、モニタリングしてるわけ。ひとりで! 気になる映像をさんざん見せつけられてさ。これが美味しいあれが美味しいとか、感想まで送りつけられて。これじゃぁめしテロだよ! 番組だってドキュメンタリーにならないよ! 異世界グルメ紀行になっちゃうよ!」

「いっしょにいかがですか?」

「……え」


 儀一の申し出に、神様は言葉に詰まった。

 それからぷいと横を向く。


「ふんっ、僕は観察者という立場だからね。それなりの矜持きょうじは持っているさ。サバイバルしている異世界転生者たちの貴重な食料を、わけてもらうわけにはいかないよ」

「神様にこのマンションの召喚を認めていただいたおかげで、米や水、調味料などは豊富にあります。少しくらいおかえししないと、ばちが当たります」

「ばちなんか当てないけどさ。ほんとに余ってるの?」

「ええ、かなり」

「……」


 観察者の矜持きょうじとやらが崩れるまで、ほんの数秒。


「まあ、せっかくだから? お呼ばれしようかな、せっかくだから」

「ええ、ぜひ――」


 ちゃぶ台はいっぱいなので、テーブルの代わりになるものを探す。


「別になんでもいいよ。おかまいなく」

「ダンボールしかないか」


 田舎から送ってきてそのまま保管していたみかんの段ボール箱を組み立てて、ガムテープで補強し、ちゃぶ台のとなりに置く。料理を盛った皿とお椀、水道水を入れたコップを置いて、準備完了だ。

 

「さ、こちらにどうぞ」

「……」


 無言のまま、神様は段ボール箱の前に正座した。それは完全に身分の差をつけられた居候のような姿だったが、本人は気づいていないようだ。


「では、合掌」


 ぱんと両手を合わせる。


「いただきます」

「いただきま~す!」


 微妙な雰囲気の中、朝食が始まった。

 

「ところで神様、ドキュメンタリー番組の作成は順調ですか?」

「君たち以外はぜんぜんだめ。――っていうか、おかしいでしょ、あの水の精霊」

「ムンクですか? オークを三百体以上倒してるみたいですね」

「絶対おかしいって。そういう仕様じゃないんだから」

「そうなんですか?」


 一度このマンションに現れたのだから、二度目もあるはず。見当違いの美食報告書グルメレポートで気を引いて、まんまと神様をこの部屋に釣り出した儀一は、ここぞとばかりに情報を引き出そうとした。


「こちらは序列二位のオークを倒しましたからね。次はトップが出てくると思うと、かなり憂鬱ゆううつですよ」

「ふふん、オークキングは強いからね。僕は助けてあげられないけれど、君たちにはぜひとも生き残ってもらいたいね」

「やはり、強いですか?」

「個体の力というよりも、支配力がねぇ」


 もちろん、そんなことばかり聞いていてはすぐに感づかれる。


「しかし神様であれば、こういった料理は食べ放題じゃないんですか?」

「実は、意外と面倒なんだよ。何かを作るにしても、きっちり指示しないといけないからね。既製品だったらすぐ手に入るんだけどさ」

「そんなものですか」

「特にこの世界――ミルナーゼについては、協定で手が出せないことになっているからね。“オークの森”で得た食材と、君たちが元いた世界の調味料を組み合わせた料理なんかは、絶対に食べられないんだ。あ、この佃煮はうまいね。ご飯がもりもりすすむ」

「それは僕も大好物なんですよ」


 一番知りたいのは、地理の情報だった。


「しかし、昨日は驚きました。いきなりあんな峡谷きょうこくが現れるとは」

「ああ、あれ? あの場面はよかったね。まるで映画を見ているようだった」

「かなりのご評価をいただきまして」


 オークたちを振り切った直後、全員に三十の評価経験値が入った。

 ねねとさくらの存在レベルが上がり、現在は全員が七になっている。


「ここまでくると、ケチってもしようがないさ。まあ欲を言えば、丸太の上でオークたちに追いつかれて、絶対絶命の危機ピンチってのがあると、完璧だったね。あと十は加点したかも」

「こっちは命がかかってますので。必死で逃げますよ」

「それもそうか」

 

 神様は乾いた笑い声を上げた。


「ですが、この森を抜ければ人間の村や町があるはずです。子供たちもいますから、早く落ち着きたいですよ」

「そううまくいくかなぁ。ま、詳しいことは教えられないけどさ」


 まだ何やら障害があるようだ。

 ねねや子供たちも最初は警戒していたが、神様がそれほどおごそかな存在でないことに気づいたらしい。すぐに調子を取り戻した。

 

「れしゅてぃ、おいしー」

「なにこれ、フライドポテト?」

「ねね先生、これはどこの国のお料理ですか?」

「スイス料理よ。本当はじゃがいもを使うんだけど、“桜芋”も食感がよく似ているから」

「へぇ」


 結愛は儀一の茶碗をちらちら観察していた。


「おじさま」

「ん、なんだい?」

「ご飯――」


 茶碗にひと口だけ残ったご飯。


「食べて」

「う、うん」


 空になった茶碗を結愛が受け取り、電子ジャーまで歩いてお代わりをよそう。


「はい、おじさま」

「ありがとう、結愛君」


 すまし顔の結愛は、隣にいたさくらにじっと見つめられて、自ら言い訳をした。


「お手伝いしただけ。ねね先生にばかりお仕事させたら、悪いから」

「さくら、何も言ってないよ?」


 うぐっとなっている結愛を、ねねがおかしそうに見守っている。

 ここぞとばかりに、蓮と蒼空がご飯をかきこんだ。


「結愛~、オレもお代わり」

「ぼ、ぼくもいいですか?」

「ぜったいヤだ」


 結愛はすぐさま前言をひるがえした。


「神様、すまし汁のお代わりいかがですか?」


 微笑を浮かべたねねの問いかけに、神様は一瞬戸惑ったようだ。


「うっ……。ま、まあ、いただこうかな。せっかくだから」

「あ、さくら。さくらがやる!」


 お椀いっぱいに入れたすまし汁を両手の指で支えながら、さくらが真剣な表情で運んでくる。

 その姿を見て、神様は焦った。


「ちょ、ちょっと七番の子供君! 本当にだいじょうぶなんだろうね? 転んだりしないよね? そこ、狭いから。ああっ――」


 白のスーツについた染みは、神様でも落としづらいのかもしれない。

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