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 そこは、オークたちが“爪跡つめあと”と呼んでいる大地の裂け目だった。

 深さは三十メートル以上。幅は平均すると約二十メートル。裂け目は蛇行しながら十数キロに渡って続いているのだが、もちろん儀一にそのような知識はなかった。


「止まって!」


 急ブレーキをかけながら、両手を広げる。

 崖の淵の辺りまで大木が生えていたので、気づくのが遅れた。

 視界の悪い夜だったら、そのまま転落していたかもしれない。

 吹き上げる風に、全身が煽られた。

 谷底に水の流れはないようだ。川によって浸食されたわけではなく、突然の地殻変動で生まれた峡谷きょうこくなのだろう。


「ぎ、儀一さん……」


 子供たちを抱きしめながら、ねねが震えた。

 儀一としても出せる指示は限られてくる。


「淵に沿って進みましょう。向こう側へ渡る手段があるかもしれない」


 とりあえず、月のある方角――西側へと進んでいく。

 マンションが召喚可能になるまで、あと十時間と少し。

 後方からはオークたちが迫っており、その数は不明。

 状況は絶望的といってよいだろう。

 周囲の様子や向こう側までの距離を、儀一は注意深く観察していた。

 場所によって裂け目の幅は狭くなったり広くなったりする。それでも、もっとも狭い場所でも五メートル以上はあった。走り幅跳びの選手でもない限り、飛び越えようという気は起こらないだろう。

 三十分ほど歩いたものの、同じような景色ばかりが続く。

 つり橋でもかっていれば、渡った後に橋を落とすことで安全を確保することができるのだろうが、世の中そううまくはいかない。

 このまま進むか、森の中をでたらめに歩いて運を天に任せるか。

 それとも、どこかに隠れるか。

 峡谷きょうこくの淵に生えた大樹の幹に手をついて、儀一は上の方を観察した。


「ちょっと、危険すぎるな」


 あるいは、さくらにグーを呼び出してもらうという方法もある。

 土の精霊であるグーは、ムンクと違ってどこにでも呼び出すことが可能だ。これまでのところ、おもに移動手段として利用させてもらっているが、いざというときには助けてくれるかもしれない。

 問題は、地面に残る二本の線だった。これでは見つけてくださいといっているようなものである。 

 それに仮にグーがさくらの“お願い”を聞いてくれたとしても、その時の行動パターンが読めない。八十秒間だけ劇的に移動速度が上がる、という残念なことにもなりかねないのだ。

 あまりにも不確定要素が大きすぎる。

 他に手段がなくなった場合は呼び出すしかないだろうが、今はまだ時期尚早だろうと儀一は判断した。

 さらに五分ほど歩いたところで、悪い予想が現実になった。

 視線の先にオークたちが現れたのだ。

 その数、六体から七体。

 

「隠れて」


 言葉を話せるほど知性のある魔物であるならば、自分たちの住処である森の地理にも精通しているはず。

 おそらくオークたちは、ここに大地の裂け目があることを知っていたのだろう。

 ということは、後方からも追ってきている可能性が高い。

 オークたちが現れた場所は、湾曲した峡谷きょうこくの先――距離的には二、三百メートルくらいあった。

 幸いなことに、こちらには気づいていないようだ。


「少し戻るよ」


 ひとつ覚悟を決めて、儀一は元きた道を戻ることにした。


「おっちゃん、やっつけよう」


 積極的な蓮の意見を、儀一は却下した。

 

「まだ数が増えるかもしれない。戦うのは、逃げ道を確保してから」

「でも、逃げる場所なんて――」


 顔を真っ青にした蒼空が、あっと叫んだ。

 

「あっちにも、オークが!」


 距離的には数百メートル先。

 その数、十体近く。

 こちらには気づいていないようだが、完全に挟み撃ちだ。

 峡谷きょうこくの淵に生えていた巨大な木の陰に、全員で隠れた。


「おじさん、森の中へ逃げようよ」


 消極的な蒼空の意見を、儀一は却下した。


「蓮君、君の出番だ」

「分かった!」


 最後の切り札として待機を命じられたことを、蓮は覚えていた。

 ついに、自分の光魔法と片手剣のスキルを使う時がきたのだ。

 怖くないといえば嘘になるが、とにかくやるしかない。


 ――格好よく、敵を倒す。


 精神力メンタルが強いというよりも、考えなしといった方が正しいだろう。このまままっすぐ育って思慮深さを備えたならば、あるいは頼りがいのあるリーダーになれるかもしれない。だが今は、ただの無鉄砲な少年である。

 もちろん儀一は、そんな蓮をオークたちに向かって突撃させるつもりなどなかった。


「蓮君、光刃剣ライトセイバーを」

「いでよ、光刃剣ライトセイバー!」


 ぶんという効果音とともに、蓮の右手に光の剣が生まれた。


「力を抜いて」

「へ?」


 儀一は蓮の背後に回りこむと、右の手首をつかんだ。

 そのまま蓮の右手を操作して、光の剣を大木の幹へ当てる。

 光刃剣ライトセイバーはチェンソー並みの切れ味がある。さすがに石などは削れないようだが、樹木であれば簡単に伐採することが可能だ。


 ギュギュギュギュ――


 耳障りな音とともに、激しい煙と焦げた匂いが立ち込める。

 儀一は大木の根元の部分に、大きな切れ込みを入れた。

 

「よし、次は蒼空君」

「え?」


 あっけにとられているうちに、今度は蒼空が呼ばれる。


「ここから崖に向かって。そう。あの木の真ん中――上のほうだ。いいかい?」

「わ、分かりました」

「いくよ。三、二、一、ゼロ」

風打槌エアハンマー!」


 蒼空が魔法レベル三で覚えた風属性の攻撃魔法である。

 圧縮された空気が巨大なハンマーとなって、傷ついた大樹の幹に叩き込まれた。練習で使ったときには、周囲の潅木を根こそぎ押しつぶした危険な魔法だ。

 ずしんと腹に響く打撃音。その後、めりめりという軋み音を立てながら、大樹が崖の方に向かって倒れていく。

 幹の先端の方に広がる枝と木の葉が、崖の反対側に着地した。

 峡谷きょうこくの淵を歩きながら、儀一は向こう側までの距離と、近くに生えている木々の高さを確認していたのである。


「危険だから、できれば避けたかったけれど」


 条件に合う場所は、ここしかなかった。

 丸太橋の直径は、一メートル弱。長さは十メートル以上。

 さらに儀一は蓮の右手と光の剣を操作して、切断面を斜めに切り裂いた。丸太の上に乗りやすくしたのだ。

 光刃剣ライトセイバーの出番は、終わった。

 儀一は二、三メートルほど丸太の上を進んで、その強度を確かめる。

 そして周囲を確認した。

 

「オークたちに気づかれた。みんな、早く!」

「えっ」


 息を飲むような声を漏らしたのは、ねねである。

 彼女は運動全般が苦手で、極度の方向音痴で、高いところが苦手だった。

 しかし、ここでまごついているわけにはいかない。

 子供たちまで怖がってしまう。

 

「ねねさんは靴を脱いでください。僕が持ちます」

「は、はい」

「みんな、前の人の服をつかんで。ムカデの行進だよ」


 先頭は儀一、次に蓮、蒼空、結愛、さくらと続き、最後がねねだ。

 全員が一列になって、丸太の上を進んでいく。

 ゆっくりと、一歩ずつ。

 左右にはなにもない。

 そして下は――


「ううっ」


 ねねは声ならぬ悲鳴を上げた。

 子供たちは前の人につかまることによって、ある程度の安定感を得ることはできるが、ねねの前はさくらである。へたに体重をかけるわけにはいかない。

 ほとんど単独で渡るに等しく、風が吹くたびに身体が硬直してしまう。

 気づけば、ひとりだけ遅れていた。


「ねねさん、だいじょうぶです。落ち着いて」


 丸太の先で、儀一がねねに向かって手を伸ばしている。

 穏やかな微笑を浮かべていたが、これは完全に演技だった。

 内心彼は、滝のような汗をかいていた。

 けな気に微笑み返してくるねねの後方――丸太の向こう側に、オークの一団がわらわらと迫っていたのである。

 あと十秒くらいで丸太にたどり着くだろう。

 ねねはやっとの思いで丸太の端にたどり着き、そのまま儀一に抱きついた。

 

「ああ、儀一さん、やりました」


 感動の場面シーン――とはならず、儀一はねねを荷物のように脇にどかすと、代わりに蓮を呼んだ。


「蓮君、光刃剣ライトセイバーを」

「う、うん」


 今度こそ、本当の出番だ。

 丸太を渡ってくる魔物たちを、ここで食い止めろということなのだろう。


「いでよ――」


 気合を入れて作り出した光の剣。

 儀一はまたしても蓮の右手を操って、丸太を切断した。

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