(14)
広場に運ばれてきた息子の死体を、オークキングは見下ろした。
鋭く尖ったもので刺されたような傷が、身体中の至るところについている。大量の血を流して絶命したようだ。
死体は息子のギダンだけではなかった。取り巻きである十九体の若いオークが、ギダンとともに命を失った。
いや、何者かに殺害されたのだ。
オークキングにとって息子とは、守るべき存在であるとともに、強力な敵対者のひとりでもあった。
仮に自分の力が衰え、倒される日がきた時、オークキングはその力と権力を失う。
戦いで死ぬか、自ら群れを去るか、選択しなくてはならない。
そして、キングを倒した者が新たなる力を得て、群れの王となるのだ。
だからこそ、オークキングは息子を殺されたことに対する怒りと、成長著しい敵対者がいなくなったことに対する安堵を、同時に感じていた。
『ギダンが死んだ』
広場には千を超えるオークたちが集合していた。
人間たちが“オークの森”と呼んでいるこの森には、幾つかのオークの集落があり、その中では中堅規模に属するだろう。
それぞれの集落にオークキングがいて、近隣の集落同士で抗争を繰り返している。
だが、ギダンを含む二十体のオークたちは、他の集落のオークにやられたわけではない。
おそらくこれは魔法の傷だと、オークキングは判断した。
オークは魔法を使えない。
この森にエルフはいない。
南――森と崖と川を越えたところに住んでいる、人間の仕業だろう。
『ギダンを殺した人間は、まだ近くにいる。木の洞か、岩陰か、草むらか、それか落ち葉の下に隠れているはずだ!』
ギダンを含む二十体のオークが殺害されたのは、おそらく二日前。
現場は集落からそれほど離れていない。
『人間の子供が四匹と、メスとオスだ!』
息子が赤目狼とともに追いかけようとしていた相手のことを、オークキングは覚えていた。メスについては、自分のものにしようと考えていたからだ。
オークキングは大きく息を吸い込むと、空に向かって絶叫した。
それは、戦の合図だった。
オークキングは、彼らが崇拝する神より特殊な能力を授けられていた。
それは“強制徴募”という能力で、自分が率いているすべてのオークたちを絶対服従させ、戦いに駆り立てるというものだった。
継続期間は十三日間。
発動条件は、群れに危険が迫っているとオークキングが認識した時。
今が、その時だ。
オークキングの雄たけびが消えると、広場に集まっていたオークたちの目から、意思の光が失われた。
『デズン!』
『ギギッ ここにいる』
オークキングは壮年のオークを呼んだ。ギダンが死んだため、繰り上がりで序列二位に返り咲いた、かつての敵対者だ。
『食料庫にある干し芋虫を、全員に配れ。全部だ! 水は自分で用意させろ。ギダンを殺した敵は、強い。五十ずつの組にわけて、森狩りをする』
『分かった』
『それと“赤目”だ! “赤目”に鞍をつけろ』
『分かった』
この集落には、三体の赤目狼が飼育されていた。ギダンに貸し与えた一体は戻っていないので、残り二体だ。
『一匹はお前が乗れ、デズン。もう一匹はオレ様だ。このギガブラスが、自ら出る!』
魔物には「人間を殺したい」という根源的な欲求がある。オークキングは興奮し、目を血走らせ、息を荒くしていた。
『人間どもを、殺す!』
『おおっ!』
『このギガブラスが、殺す!』
『おおっ!』
興奮したオークキングと彼が率いるオークたちの声は、やがて巨大な群読となり、森の木々を振るわせた。
『殺せ!』
『弱者を!』
『喰らえ!』
『血肉を!』
「え~、今日は、さくら君に地住人を呼んでもらおうと思います」
一方、こちらはマンション内のリビング。
オークたちの情勢など知るよしもなく、のんびりと朝食を食べている。
朝食のメニューは、ほかほかの白ご飯、シイタケとよく似た食感を持つビシュヌールキノコの佃煮、バッコヌス草の酢味噌和え、ナユジュメ煮びたし、そして薄力粉を使ったお団子スープである。
ちなみに食材の名前が難しいので、子供たちは“白シイタケ”、“苦ほうれん草”、“緑白菜”と、勝手に名前をつけて呼んでいるようだ。
「ノームというのは、土の精霊さんですか?」
「ええ。さくら君が魔法レベル三で覚えました」
波乙女のムンクを呼び出すと、さくらの魔力は半分近く消費する。
その上で地住人を呼ぶのはリスクが高いため、最初に地住人を呼び出して、魔力の消費量をチェックしようというのだ。
「うまくいけば、両方呼べるかもしれません」
「新しい、おともだち?」
キノコが苦手なのか、スープで流し込むように食べていたさくらが、身を乗り出してきた。
「そうだよ。仲良くなれるといいね」
「うん!」
湯気立つご飯の上にビシュヌールキノコの佃煮をのせて、幸せそうに頬張る儀一。この手の地味な料理が、彼の大好物であった。
身体が若返っていることもあり、いくらでも食べられる。
バッコヌス草の酢味噌和えもよい。ナユジュメ草の煮びたしは、醤油が合う。
これで漬物さえあれば、完璧なのだが……。
この世界にぬか漬けはあるのだろうかと、儀一は考えた。米に似た穀物があれば、あるいはぬか床が作れるかもしれない。
「お代わり、いかがですか?」
「あ、お願いします」
にこにこ顔のねねが、ご飯をよそう。昔話を題材にしたテレビアニメのように、見事な山盛りだ。
「こいつは、お箸が止まりませんね」
「ふふっ、いっぱい食べてくださいね」
そのやりとりを、蒼空と結愛がじっと観察している。
昨日とは何かが違う。
目に見えない空気のようなものが。
「はい、儀一さん」
「すいません」
そして呼び方が、完全に違う。
実際のところ、儀一とねねは二時間ばかりバシュヌーン語の勉強をして、それからいっしょに食事を作っただけなのだが、儀一はともかく、ねねの雰囲気は明らかにほんわりしていた。
「おっちゃん、はやく行こうぜ!」
空気を読めない蓮が儀一の身体を揺らして、蒼空と結愛がじと目になる。
昨日の探索中、蓮は手ごろな木の枝を拾ってきた。それを儀一が道具箱の中にあった紙やすりで磨いて、木刀らしきものに仕上げたのだ。
蓮は片手剣のスキルの練習したくて、うずうずしていたのである。
食事のあと歯磨きをして、出発の準備は完了。
「さあ、出発だ」
「おー!」
玄関で儀一とさくらが四つん這いになる。
水の精霊を最初に呼び出した時と同じく、二人が先に出ることになった。親亀と子亀の出発だ。
「じゃあ、ねねさん。扉を開けてください」
「は、はい」
この出発の方法に、ねねはまだ慣れない様子である。
外は雲ひとつない晴天。地球とは違って空はやや緑がかった青。
ちなみに夕方になると、紫色に変化する。
儀一は周囲の気配を確認してから、さくらを抱き上げた。
気持ち程度に落ち葉をよけて、土をむき出しにする。
状態盤にて、さくらの特殊能力ウィンドウを確認。円は青色で安定。ご飯をいっぱい食べてよく眠れたので、魔力は満タンの状態だ。
「のーむ!」
可愛らしい発声とともに、地面が盛り上がった。
まるで粘土をこねたかのように、ぐにゃぐにゃと蠢いて、形を成していく。
波乙女とは形が違う。
人型だ。
がに股で、腰は細く、肩幅は広い。
顔は木の葉型で巨大な目がついている。
背丈は一メートルちょっと。さくらと同じくらいである。
「はじめまして、峰野さくらです。六歳です」
丁寧にお辞儀をして、さくらが自己紹介をする。
波乙女以上に反応が分かりづらい。
まったく動かないからだ。
玄関から顔を出しながら、「あ~、見たことあるぞ。ハニワだ!」「土偶じゃないですか?」「抱きついたら、服汚れそう」と、子供たちが好き勝手なことを口にしている。
波乙女の時にはいきなり抱きついたさくらだったが、今回はじっと観察している。細部の造詣を確かめるようにゆっくりと土人形を一周して、最後に顔を近づけた。
ごりっと音がして、土人形の顔が九十度横に向いた。
それは、照れた子供がそっぽを向くような感じだった。
「お名前、何がいいかなぁ」
悩むさくらをよそに、儀一は感心していた。
「遮光器土偶とハート型土偶を混ぜ合わせたような造形、そして文様の型式。ミルナーゼで呼び出される地住人は、みんなこんな形をしてるのかな? もしそうだとすると、地球とはまったく別の世界であるにもかかわらず、元型が似通っているということになる。そもそも精霊とは、人間の意識が投影されるものなのか、それとも逆に……」
「グーちゃん!」
ごりっと音がして、土人形の顔が正面を向いた。
気に入ったのかどうかは分からないが、名前は決定したようである。
土の精霊、土偶もどきのグーは、男の子に人気があるようだ。蓮と蒼空が駆け寄ってきて、腕につかまったり背中に上ったりしている。
ちょうどよい、手ごろな大きさなのだろう。
「だ、だいじょうぶなんでしょうか?」
「さくら君は精霊と意思疎通ができるみたいですから、様子をみましょう」
ねねは不安そうだが、儀一にも確かなことは分からなかった。
グーの足は地面と一体化しているようだ。首以外の関節は動かないようで、地面の上をすべるように移動する。
そして移動したあとは、地面に二本の線がつく。
オークたちの追跡を受ける可能性のある、致命的な欠陥であった。
しかし儀一は、グーを有効活用すべきだと考えた。
実は、ねねの足が限界にきていたのである。
ヒールのついたパンプスで森の中を長時間歩くのは、やはり無理があった。何度か木の根に足をとられて足首を痛めそうになったし、靴ずれも悪化している。マンションから出る時間を三、四時間前倒しにすれば、儀一のスニーカーを使うことはできるのだが、それは安全に過ごせる時間を短縮することでもあるし、危険な森の中にいる時間を増やすことでもある。
子供たちのことを第一に考えるねねが承知しないだろう。
観察している限り、グーの移動は振動が少ないようだ。手を腰に当てるような形をしているので、その輪っかに足を入れて肩につかまる――ようするに、おんぶをしてもらうことができれば、かなり助かるだろう。
地面につく跡は、葉のついた枝を箒代わりにして、ならせばよい。
さくらの特殊能力ウィンドウを確認すると、「グー(07.57.10)」とあった。下二桁の数字は、09、08、07……と変動している。
待機時間は八時間だ。
魔力の円は、緑色と黄色の間。
半分以上は減っていない。
「結愛君、水を――」
「はい、おじさま」
二リットルのペットボトル二本分。
計四リットルの水で、さくらがムンクを呼び出す。
ムンクはグーを見て、混乱したように触手をうねうねと動かした。
グーもムンクを見て、混乱したように首をごりごりと回転させた。
シュールな光景である。
「ふたりとも、仲良くね」
そう言ってさくらは、満面の笑みを浮かべるのであった。




