(12)
「どっこいしょっ、と!」
おじさんくさい掛け声で、儀一はベッドのマットレスを横向きに立てた。そのまま引きずるようにして、リビングへと運んでいく。
「今日は、みんなで寝よう」
子供たちは泣き疲れ、憔悴しきっていた。
特にさくらはねねの膝の上に跨って、赤ん坊のように抱きついている。
テーブルを片付けて、マットレスと布団を隣り合わせる。
川の字が二つ並ぶ形だ。
今日は男性陣がベッド、女性陣が布団の日。それぞれがのそのそと動いて、無言のまま仰向けになる。
「じゃ、電気を消すよ」
それから儀一はみんなの枕元で正座をした。
ひとつ息をついてから、
「寝る前に、ひとつだけ――」
暗闇の中に、落ち着きのある声が響く。
「僕は、みんなといっしょにいるよ」
それは淡々とした口調で、抑揚もなかったが、沈みきった空気の中にじんわりと溶け込むようだった。
「できるかどうかは分からないけれど。精一杯考えて、身体を動かして、君たちを守ってみせる。約束する」
布団の中で動く気配がした。
「僕だけじゃない。ねね先生も同じだと思う。最初、僕がみんなと出会った時、ねね先生は土下座をして僕にお願いした。みんな、覚えているよね?」
人間の男たちと三体のオークに立て続けに襲われて、死ぬほど怖い目に遭ったはずなのに、ねねは「この子たちだけでも、町に連れていってください」と、儀一にお願いしたのだ。
出会って間もない、他人の子供であるにもかかわらず、である。
「わ、私は……」
泣きながら、ねねは言った。
「みんなといっしょにいます。ずっと、ずっと……」
もそもそと、布団の中が動く、結愛とさくらがねねに抱きついたのかもしれない。
「僕とねね先生がいる。ひとりきりじゃない。それだけ、忘れないで――」
儀一が布団に入ると、左側から蓮が引っ付いてきた。儀一のパジャマを強くつかむ。
そして右側から、蒼空の小さな手が触れてきた。遠慮しているのか、恥ずかしいのか、それ以上動かない。
儀一がその手を握ると、弱々しい力で握り返してくる。
悲しくて、不安で、つらくて、それでも孤独ではない。
長い夜は、いつの間にか終わりを告げていた。
全員が寝坊した。
一度マンションが消えると、最悪十二時間、飲まず食わずという状態になる。だから朝食時にできるだけ栄養と水分をとらなくてはならない。
「ごめんなさい。今日は時間がなくて」
ねねが作ったのは、例の肉と“緑白菜”の炊き込みご飯。寝る前に電子ジャーに具材を入れて、タイマーセットしていたらしい。
そして、久しぶりの具なし味噌汁である。
「みんな、食事は二十分だよ。それから五分で歯磨きをして、五分で着替えをする。トイレは時間がかかるから、早めにいっといれ」
「さくらちゃん、冷蔵庫のウーロン茶、とってきてくれる?」
「は~い」
「蓮、あたしのコップがない」
「なんでオレに言うんだよ」
「そっちの方が近いじゃん」
ばたばたとしながらも、食事が進んでいく。
その途中、蒼空が、か細い声で言った。
「ごめんなさい……」
みんな我慢していたのに、自分だけ泣き言を言ってしまった。それどころか、何も知らないさくらまで、傷つけてしまった。
布団の中で後悔し、ずっと謝ろうと考えていたのである。
「いいんだよ」
味噌汁の中に水を入れながら、儀一は言った。
彼は猫舌だった。
「つらい時には、みんなで泣けばいい。蒼空君はなにもわるくないさ」
根が単純なのか、蓮はすっかり元気になっていた。
「でも、おっちゃんだけずるい」
「なにが?」
「だって、ひとりだけ泣かなかったじゃん」
「ん? ああ」
儀一はけろりと言った。
「大人の男はね、誰もいないところで、ひとりで泣くんだよ。君たちもいずれ分かるさ」
マンションの外は、晴れ。
草木の葉に残った雨露が、きらきらと輝いていた。
「うんでぃーね!」
さくらの呼びかけに応じて、水の精霊ムンクが現れた。
いつもだとすぐにさくらに触手を絡ませるのだが、触れるのをためらうかのような動作をみせた。
「だいじょうぶ。平気!」
そう言ってさくらは、ムンクの触手をぎゅっと握り締めた。
南の方角に向かって、ゆっくりと進んでいく。
子供たちはなにやらこそこそと話し合っているようだ。儀一とねねも今後のことを相談しながら、子供たちの後ろ姿を見守っている。
「おじさん、ねね先生」
休憩中の木陰で、蒼空が言った。
「ぼくは、空間魔法をとろうと思います」
存在レベルが五に上がったことで、もうひとつ取得できる特殊能力。
子供たちの分については好きにさせようと、儀一は考えていた。
ただし、取得する順番を決めて、互いに見せ合うこと。
そんな条件をつけたのは、有用でない特殊能力の重複を避けるためである。
神様が決めた特殊能力の中には、罠と思えるものがあったりする。
たとえば、タレントの“鑑定”。
これは百科事典のような能力で、手に触れたものの名前や性質などが、状態盤の中に表示される。
サバイバルするものにとっては喉から手が出るほど欲しい能力なのだが、表示される文字は、実はバスヌーン語。
ミルナーゼの言葉なのだ。
この能力を子供たち全員で取得してしまったら、残念な結果になってしまう。
「空間魔法には、ものを収納できる魔法があると説明文に書いてあります。森で見つけた食料を、いっぱい運べるかもしれません」
物資の運搬方法については、大きな課題となっていた。
異世界転生する際に身に着けていたのは、衣類と靴のみで、鞄やアクセサリー、小道具類は一切持ち込めなかった。
草の葉を編んで鞄を作るにしても、材料を集めたり、作成するのに時間がかかる。これまでは、汚れるのを承知で儀一のスーツの上着を使い、簡易的な風呂敷にしていた。
自分ひとりであれば、本来必要ないであろう能力。
みんなのために、蒼空はこの魔法を選択したのだ。
情報盤を操作して、蒼空は属性魔法の空間魔法を取得した。
さっそく試してみる。
「四次元収納袋!」
蒼空のお腹の辺りから、ぼわんと間の抜けた音が響いた。
三人の子供たちと水の精霊ムンクが、蒼空の周囲に寄ってくる。
「今の、かっこいいな」
「何も起きないじゃん」
「そら君、何したの?」
蒼空は微妙な表情で、おそるおそる服を捲り上げた。腹部のあたりに、半月を横に倒したような、ポケットのようなものがついている。
「お~、なんか見たことある」
「いろんな道具が出てくるやつだ」
「さくら、お花、お花入れたい!」
蓮、結愛、さくらが、石や苔や花など、近くにあったものを持ってきて、蒼空にお腹を見せるよう要求する。
「ちょ、ちょっと待って。自分で――自分で入れるから!」
お腹にポケットという姿にショックを受けたのか、蒼空はひとり後ろを向いて、さくらから受け取った花を収納することにした。
蒼空の手は、ポケットの中に肘の部分まで入った。
「うわ、気持ち悪い」
どうやら中は、別空間につながっているようだ。
大きさは不明。ポケットに入れたものは、手を離した時点で固定されるらしく、もう一度つかめば引き出すことができる。
ただし、ポケット自体は伸び縮みしないので、大きなものは収納できない。
蒼空は自分のお腹を、そっと隠した。
「……みんなも、空間魔法にする?」
結愛とさくらは、即座に首を振った。
「オレは、片手剣にする!」
昨夜宣言していた通り、蓮はスキルの“片手剣”を取得した。
子供が刃物を振り回すことに、ねねはあまりよい顔をしなかったが、いざという時には命をかけて戦わなければならない。儀一も反対はしなかった。
足場のよい場所を探して、他の子供たちを下がらせる。
「光刃剣!」
ぶんという効果音とともに、蓮の右手に光の剣が現れた。
「一閃!」
まるで熟練の剣士のような、横薙ぎの攻撃が繰り出される。
片足を踏み出し、剣を振るい、元の位置に戻るまでが一連の動作のようだ。再使用可能時間は三十秒で、魔力はほとんど使わない。
なるほど――と、儀一は心の中で思った。
決して人間にできない動きではない。
素人がそれなりに戦うことができる、動作一式。
それがスキルのようだ。
蓮自身はご満悦の様子で、女の子たちの評判も上々。ひとり蒼空だけがくやしそうにしている。
「あたしは、魔力向上にしようかな」
結愛が選んだのは、魔力量と魔法の効果が向上するタレントだ。
彼女は火属性の魔法をいくつか取得したが、まだ使えていなかった。森の中では練習することもままならないからである。
「さくらはね、手品にする!」
完全にネタ扱いの能力っぽいが、儀一は好きにさせることにした。
蓮は「僕」から「オレ」に変更。




