邪悪なる覚醒
「玉屋、鍵屋。文句のない飛投距離ですね。それに、よく燃えていらっしゃる」
「クロードくん、浸ってないで手伝ってくれないかな? あいつ、ちょっと面倒だよ」
「炎の中に飛び込んで行けるような、便利な体はしていないので勘弁して下さい」
残った兵士たちが矢を番え、村に侵入した兵士たちに向かって次々と矢を射っている。グラフェン平原は一瞬にして地獄めいた様相を呈する!
『真天十字会』の戦力は限られる。そして、彼らの主戦力たる《ナイトメアの軍勢》は時限式の戦力だ。と、なれば《ナイトメアの軍勢》は温存されるはず。
そして絶対数の少ない彼らが戦力を他方に分けるとは考え辛い。もっとも近い南側から攻めて来る。そう考えたクロードたちは、『真天十字会』を仕留めるために罠を張った。
寝藁の中に爆薬を仕込み、可燃性の液体を同じく仕込んでおく。爆発と同時に辺りに炎を撒き散らし、村に立ち入ってきた愚か者たちを焼き殺す仕組みだ。
同時に、偵察を出すと判断していたため弾頭に改良を加えた魔導砲も活用した。同じく内部に可燃性の液体を詰めた弾丸を発射し、森ごと彼らを殲滅する作戦に出たのだ。
「向こう十数年間、あの森は人も何も住めない地になっただろうねぇ……」
「なに、開拓の手間が省けたと考えましょう。焼き畑農法というのもあるそうですし」
尾上が放った皮肉気な言葉に、クロードは特に感情を見せず返した。とにかく、勝利すること。そして避難民を安全に逃がすこと。それだけを考えなければならない。お行儀よく戦って死んだのでは意味はない。何を犠牲にしてでも生き残る。それだけだ。
「さあ、皆さん頑張ってくださいよ! 今あなたたちの命は、この星よりも重い!」
クロードは生体認証型アサルトライフルを構えた二十人の騎士たちに号令を出す! ここから離れれば非認証型ライフルも手に入るが、致し方ない。目標は眼下にいるヴェスパル。自ら炎を出してくれるため、夜間は目印なしで狙撃出来るのでありがたい。
騎士たちはライフルを構え、狙いをつけ、とりあえず撃つ、ということくらいしか出来ない。僅かな調練時間ではそれが限界だったが、それでも構わない。
高所から集中的に放たれるライフル弾は、確実にヴェスパルの行動を阻害していた。確認済みの《エクスグラスパー》の中で、城門を破る破壊力を持っているのはヴェスパルのみだ。
雨霰のように降り注ぐ弾丸を防ぐため、ヴェスパルは自らの眼前に炎を展開させたり、ステップを打ってかわそうとする。そしてそれは、クロードの予測の範囲内だった。飛びずさったヴェスパルは何か違和感を覚えたのか、足元に炎を放った。
地面が爆発した。非人道兵器、地雷だ! 違法な兵器だが、種別上は対装甲目標用の地雷であり、それによって兵士が死傷しているだけなので問題はない。だいたい《エル=ファドレ》に戦時条約は存在しないのだ。
「惜しい、さすがに対人地雷であいつを倒すことは出来ないみたいですねぇ」
「しかし、足を止めることは出来た! ここが踏ん張りどころだ、行けェーッ!」
尾上自身もアサルトライフルのスコープを覗き込み、眼下に向かって連射する。すでに彼らの護衛であった兵士たちは死に絶え、無残な死体を野に晒している。
「さぁて、気持ちが悪くなるくらいうまく行っているが……どうなるだろうね」
「さあ? どうにもならなければ、僕たちはここで全員死ぬだけでしょう……!」
クロードはグラフェン平原の状況を観察した。いまのところは順調に行っている、それこそ気味が悪いくらいに。自分の予想がすべて当たったことを喜ぶべきか、それとも。
森の中から破れかぶれの兵士たちが繰り出した《ナイトメアの軍勢》が飛び出してくるが、それは弓矢や魔導砲による攻撃、そして尾上が設置した地雷によって粉砕される。
(敵はどう出てくる? まさか、これで終わりというわけではないだろう……)
クロードは戦場を注視し、やがて見つけた。違和感の正体を。
「各員、警戒! ドレスの女に攻撃を集中させてください!」
クロードは叫んだ。同時に、背後で火の手が上がった。グラフェンの市街地で。
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痛い、苦しい、つらい。リチュエ=リポートの全身を不快な感覚が貫いた。あれを経験したのはいつのことだったか、そう。
つい数か月前のことだった。忘れていた。
いつものようにリチュエは苛められていた。そんなことには慣れて切ってしまったので、今更心は動かなかった。長く続くことには慣れて、諦められるのが人間の力だ。
だが、それは苛める側にとっても同じことだ。はじめのうちは新鮮味があったことも、段々飽きて来る。同じような反応、同じような快感、同じような結末。
他者を虐げる喜びは麻薬のようなものだ。もっと強い快感を、もっと強い征服感を得られなくなると満足出来なくなる。破綻に向かうまで、それは決して変わりはしない。
いつも通りだと思った。ビニール袋を被らされるその時までは。じたばたと暴れたが、強い力を持った多人数に囲まれた少女にどれほどの抵抗が出来ただろうか?
まったく出来なかった、といってもいいだろう。叩かれ、蹴られ、嬲られた。思い出すことも、理解することも辛かった。
だから彼女はいつも通り自分を殻に閉じ込め、意識を閉じた。
その反射的ともいえる決断が、自分を殺すことになるとも知らずに。
気が付いた時、彼女はどこかを歩いていた。辺りから鳴り響くおぞましきシュプレヒコール。ここが何らかの集会場であると、彼女は察知した。気付いたが、何をすることも出来なかった。両手両足をがっちりと縛られ、無理矢理歩かされているのだと気付いた。
掲げられたプラカードが上下する。何を言っているのか、何を言わんとしているのか、よく分からなかった。ただ文章の作り方やアピールの仕方などから、自分もそれほどではないが彼らもあまり頭がよくないんだな、とリチュエは漠然と感じた。
そこで、彼女は思い出した。何かの抗議活動で行われたパフォーマンスを。集団の中から一人が飛び出して来て、油を被り、火を付けるというパフォーマンスを。
逃げ出そうとした。だが出来なかった。
周りを取り囲む人々の、悪辣な表情がリチュエの目に焼き付いた。
何がしたいわけではない、ただ騒ぎたいだけだ。
高邁な理想だとか、平和を望む意志だとか、そう言うのは存在しない。
拘束していたロープが外されるのを感じた。それと同時に、油を掛けられた。ツンとする匂いが鼻孔を突いたかと思うと、彼女の全身を炎が這いずって行った。
タガが外れたように、リチュエは絶叫した。シュプレヒコールは鳴りやまない、喝采の拍手が辺りに鳴り響く。何かに反対する声が彼女の耳に飛び込んできた。
出来るだけ多くの人を巻き込んで、死んでやる。
そう思ったが、足が上手く動かなかった。燃焼によって関節が固まってしまったためだと理解するのに、随分時間がかかった。
転がって火を消そうとしたが、服に染み込んだ油のせいでうまく行かなかった。眼球が乾き、ひび割れ、空気を吸おうとすると炎を吸い込んでしまった。
彼女はずっと、ずっと苦しみ抜き、そして誰からも顧みられずに死んでいった。
◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆
(火、火が……いやだ、怖い、どうして……どうして私がこんな目に……!?)
辺りを覆い尽くす炎が、封印してきた彼女のおぞましい記憶をフラッシュバックさせた。あの日見た、見てしまった光景が思い起こされる。
あの日、いつも通学に使っていた大通りにいたのだと、彼女はその時知った。ショーウインドーに映った自分の焼け焦げた姿を、彼女は死の間際に見た。そこにいたのは自分だと、信じられなかった。
リチュエは幼児退行めいて丸まりただひたすら災いが去るのを待った。
こうやってうずくまっていれば、すべてが過ぎ去ってくれると信じて。
「っらあぁ! 舐めてンじゃねえぞ、リチュエェッ! 立てよ、立ちやがれよ!」
「うっ、うるさい! うるさいわよ、あんた! ほっといてよ、あたしのことは!」
「っせえ! 今の状況をどうにか出来るのはなあ、手前以外にいねェんだよ!」
ヴェスパルは降り注ぐ銃弾を避けながら叫んだ。
避けた先にあった寝藁が爆発した。破片と火がヴェスパルに降り注ぐ。彼は眉をひそめながら、リチュエに檄を飛ばした。
「そうやって転んでりゃあ、嫌なことが全部去ってくれるとか思ってんじゃねえだろうな! 甘えンだよ! 戦えよ、立ち上がれよ! 手前の嫌なもん、全部ぶっ壊すにはなぁ……立って、戦うしかねえンだよ! 分かれよ、それくらいのことはよ!」
「あんたに何が分かるのよ、あたしのことが! あたしは戦いたくなんかない!」
「誤魔化してんじゃねえよ、戦いてえんだろ、殺してえんだろ! 素直になれよ!」
ヴェスパルはリチュエの心の内を見透かしたようなことを言った。
「気に入らねえんだろ、自分を傷つけようとするものすべてが!
壊してえんだろ、自分を邪魔するものをすべて!
だったらやれよ、手前になら出来んだろうが!」
「あ、あたしには、そんな力……だって、あたしには何も!」
「出来ねえって信じてんなら、出来ねえだろうさ。だが、そうじゃねえんだろうが」
ドクン。リチュエの鼓動が高鳴った。出来るのか、自分に?
いままで何も出来なかった。
あの時、アルクルス教会で死んでいたって不思議ではなかった。
でも、死んでいない。
ガイウスが自分を助けてくれたから?
違う、自分が生を望んだからだ。
「見せてみろよ、手前の力を!
ねじ伏せてみろよ、手前を取り巻く環境のすべてを!
俺はそうしたぜ! そう出来た!
だからよぉ――楽しくて仕方がなかったぜ!
俺のことを見下すクソどもが、俺に跪いて、クソを垂れ流しながら死んでく様がッ!」
ドクン。リチュエの鼓動が再び高鳴る。握っているデメテールの杖の感触が、やけにはっきりと感じられた。そうだ、これが私の力なんだ。私に与えられた、魔法の力!
「お前も味わえよ!
お前の力が世界を変えていく感触を!
病みつきになるぜ!」
「もしそうなったなら――その時は、あんたは私の近くにいてくれるのかしら?」
どうしてそんなことを聞いたのか、リチュエには分からなかった。ヴェスパルは一瞬のためを作って、そして高らかに宣言した。
「当たり前じゃねえか! ねじ伏せてやろうじゃねえか、二人でよぉ!」
「そうね……壊してやる。私の道を阻むものなんか、私の力で壊してやる!」
リチュエはデメテールの杖を振り上げる!
大気が逆巻き、辺りに転がっていた兵士たちの死体がそれに巻き上げられる!
そして、圧倒的な風圧を前にして切り刻まれた!
血と肉と糞尿のシャワーが降り注ぐが、それが二人を汚すことはなかった!
巨大竜巻めいて風が唸る。辺りの土屋埃、水をも巻き上げて、風が形を作る。発生した圧倒的な風圧は辺りを燃やしていた炎を強制的に鎮火させ、飛んで来る矢弾を弾き飛ばし、炎を纏った砲弾を粉微塵に切り刻んだ。リチュエに自然と笑みが浮かんでくる。
「壊してやるわ、全部!
私の邪魔をする奴も、私に文句を言う奴も!
私の魔法は私の笑顔のために!
消えちゃいなさいよ、世界!」
リチュエは城門に向かってデメテールの杖を向ける!
圧倒的風圧が城門に向かって叩きつけられるが、しかし強固な城塞を揺らしながらも破壊することは敵わない! デメテールの杖によって増幅された《エクスグラスパー》能力を持ってしても、この世界の法則を破壊することは敵わないのだろうか!? 否、そうではない!
「いいぜ、リチュエ! 感じるぜ、手前のパッションを!
手前の本心にいま触れた!」
風のフィールドに守られ、ヴェスパルに向かってくる弾丸の雨も消失する! 檻から解き放たれた凶獣がいったい何をするか? 決まっている、殺すのだ! 両腕に炎を滾らせる。膨れ上がった炎を、ヴェスパルは城塞に向かう風の槌に合わせる!
複雑な螺旋軌道を描きながら、炎が城塞に向かって行く! 圧倒的な破壊力の二倍算、いや二乗算! 城塞から騎士たちが逃げ出そうとするが、間に合わぬ! 百倍にまで高められた破壊力が城塞に叩きつけられ、爆発を引き起こした!
煙が晴れた時、そこに城門はなかった。根こそぎ吹き飛ばされていたのだ。
「ッは……あはははは! いいわ、これ! 気持ちいい、最高ねヴェスパル!」
「いい面構えになって来たじゃねえか、リチュエ。いいンだよ、それでいいんだ」
ヴェスパルはリチュエの髪を乱暴に撫でた。先ほどまでは嫌で嫌で仕方がなかったはずだが、ほんの数秒の間に彼への好悪感情が反転していた。それだけではないが。
「さあ、生き残った人たちはどれだけいるのかしら。あなたたち」
森の中から『真天十字会』の兵士たちが出てくる。誰も彼も傷を負っており、中には四肢の一部を欠損させていたり、目を失っているものもいる。
「さあ、行くわよ。グラフェンを奪る。キリキリ走って殺るわよ」
「で、ですが、その、リチュエ様。誰もが傷を負っております。一旦退いて――」
勇気を振り絞って発言した兵士が強風に吹き飛ばされ消えて行った。どこに行ったのか、兵士たちには分からなかった。後ろでした嫌な音がそれだと思いたくなかった。
「泣きごととか聞きたくなぁーい。行くの? 行かないの? どうなの?」
その隣ではヴェスパルが炎を迸らせた。兵士たちは恐怖に襲われ、失禁した。
「ハイ、分かりました。行きます。さあ、お前ら、行くぞ!」
恐怖とも何ともつかぬ叫び声が、グラフェン平原に響き渡る。その光景を見て、リチュエはいままで感じたことさえなかった快感に身を焦がしていた。
「アハッ……他人を隷属させるって、こんなに気持ちがいいことだったのね……
よく、分かったわ。世界から争いがなくならないわけだわ……
争いをなくせってほざいてるやつでさえ戦う理由が、いまよく分かったわ……!」
悪辣な支配者は嗤う。必死になって駆け出していく羽虫めいた生命体を見て。彼らは暗黒の宝石を取り出した。宝石が暗く輝き、彼らの周囲から《ナイトメアの軍勢》が現れる。彼らは知らない、それが自分たちの命を削って現れて来たということを。
「ヴェスパル。私決めたわ。私、この世界で私の理想を成し遂げる。
誰も私を傷つけない、誰も私に逆らわない。
そんな世界を作って見せるわ。あなたもそこにいてくれる?」
「笑えるぜ、それ。俺にも何も言わせねえって、そういうつもりか?」
「それもいいわね。でも、あなただけは逆らってくれてもいいわよ?」
二人の狂人は笑い、死と狂気が支配する戦場で口づけを交わした。




