グラフェン撤退戦
城塞の見張り台、その屋根。一人の男が、そこで一献傾けていた。
「……お前、そんなところで何やってんだよ。降りろよ」
「なに、ちょっと夜景を楽しんでいただけですよ。あなたも如何ですか、大村騎士?」
男、クロードは手に持ったコップを高く掲げ、下にいた大村騎士を大胆にも誘った。
「いらねえよ、勤務中だぞ。
さっきから他の連中がちらちら見てんだろ、気付かねえか」
「そりゃ気付いていますが、他人に見られたくらいで酒は止められませんからね」
大村騎士は観念したようにため息を吐き、その辺りに会った休憩用ベンチに腰掛けた。交代時間はまだ遠いが、じっとしてはいられなかった。彼は悲観主義者なのだ。
「ってか、俺の質問に答えろよ。何でそんなところにいるんだよ」
「夜酒を楽しみたいのが半分。
もう半分が敵の状態をある程度観察しておきたいというのがありますね。
どう動いて来るのか分かりませんが、じっとしてはいられないんです」
眼下には広大な農地が広がっている。グラフェン地下から湧き出る膨大な地下水を使って、この辺りの農業は成り立っている。ここからの給水がなくなれば、一気にこの地は干上がってしまうだろう。その成り立ちは判然としていないが、やはり《エクスグラスパー》が関わっていると『共和国』では言われている。
「あなたこそ、どうしてこんなところに?
後学のために聞いておきたいんです。志願すれば皇族警護の任務に就き、より安全に過ごすことが出来たでしょう?」
大村青銅騎士は『帝国』内でもかなり地位の高い騎士であり、彼が望めばどんな場所にだって行くことが出来る。にも拘らず、皇族警護という最大の誉れであり、そして現状一番安全な任務を部下に譲り、自分はこうして危険な防衛任務に就いている。クロードとしては理解に苦しむ精神構造だ。純粋に、彼には興味が湧いていた。
「はっ。安全なところに身を置いたって、本当の意味での『偉さ』は手に入らねえ」
「本当の意味での『偉さ』。つまり地位とか名誉とか、そういうものですか?」
「危険に身を置き、その危険から生き残り、仲間を、国民を守るから、他人から尊敬を受ける。陣地でふんぞり返っている貴族どもより、前線を生き抜いた勇者の意志が戦場では尊重される。俺が求める力、俺が求める権力ってのは、そういうものだ」
大村騎士は自分の眼前でぎゅっ、と手を握った。自分の掴み取った力とチャンスを確かめるように。大村騎士というのは思っていたよりもロマンチストだな、そうクロードは思った。民の尊敬を集める勇者が、為政者の気まぐれで死地に送られるのはよくある話だ。
「そういう意味では、この戦場はあなたが求める本物の誉れに近い、ということですか。民をいたずらに殺す『真天十字会』、破竹の勢いで攻勢を進める新勢力。
それを押し止めたとあれば、あなたへの有形無形の尊敬は高まるでしょうからね」
「そうだ。力ってのは、何者にも崩すことの出来ないこの世の真理だ。
絶対的な白、絶対的な黒。
いずれにしたって、この世界の色を、行く末を決定しているのは、力だ」
今度は手を広げ、自分の掌を見た。
自分が握り締めた力の在り処を確かめるように。
「戦場に立った以上、誰でも平等だ。強者が生き残り、弱者が死ぬ。
紛い物のメッキを張り作った力など、この世界では何の意味も持たない。
純粋な、自分自身の持つ力だけがこの世界を決定付けるの本当の『力』なんだ」
「その上で皇族を守ったとあれば、あなたの名声は大きく高まるでしょうね」
大村はピクリ、と眉を震わせたが、それ以上の反応を示さなかった。
「皇族と聞くと、あまりいい反応をしませんね、大村さん。
僕はもしかしたら、あなたについて誤解していたかもしれないですね」
「何を言っていやがる? つまらねえことを言うようなら、手前をぶん殴るぞ……」
「ずっと僕は、いや僕たちは、キミがシドウくんのことが嫌いなんだと思っていました。でも、そうではないんですね。あなたが本当に嫌っていたのは、皇族の方だった」
大村の握る三又槍の先端が、歪んだような気がクロードには下。その穂に付けられた青色の宝石が、淡く光りを放った。水の魔力を込められた魔法石、海槍トライデント。かつてこの世界に存在したという聖遺物、ポセイドンの海槍に着想を得た武器だ。水の力を使って武器の攻撃力、防御力を高める、というコンセプトを持っている。
「アリカ皇女を嫌っているのか?
僕はそれはない、と思っているんです。人の心っていうのはよく分かりませんけど、人を見る目だけはあるつもりなんです。ましてやあれだけ長い間一緒にいたんです、あなたのことを少しは分かっているつもりです。
あなたはアリカ皇女を嫌ってはいなかった。では誰を?
ヴィルカイト皇帝? ガイウス氏?」
「うるせぇ、黙れって言ってんだろうが! 何なんだよお前、さっきからよぉ!」
周囲を包んでいる異様な雰囲気に、周囲の騎士たちも気付いたようだった。だが、クロードは近付いて来ようとする騎士たちを眼力と手で制した。彼らはゆっくり下がる。
「そしてあなたはこうも言っていたそうですね。
『貰い物の力で偉そうにしている奴こそ、自分が最も嫌いな人間だ』、と。あなたは自分自身の力に強いこだわりを持っておられるようですね。貰い物の力とはいったい何なのでしょう? 受け継いできた家? 唯々諾々と従う軍隊?
何となくそうではないと思います。あなたは騎士として帝国に一番近い場所にいた。だからそれらを扱う難しさをよく分かっているように思えますからね」
「っせえって、言ってんだろうが!」
大村は三又槍の先端に収束させた水の刃を凝固させ、クロードに向かって放った。クロードは半歩分ほど体をずらし、水の刺突を避けた。ただ、手に持ったカップだけは逃がすことが出来なかったようだ。コップの縁が切られ、杯のような形状に変わる。
「あなたが嫌っているのは彼方くんでしょう?」
大村は否定も肯定もしなかった。
だが、その必死の形相は肯定しているも同じだった。
「ただ、どうしてあなたが彼方くんにそこまでの憎悪を向けるのか、その理由は理解出来ません。あなたがあの場で出会っただけの少年に、どうしてそこまでの感情を向けることが出来たのか。あの剣の性質を、あなたはどうして知っていたのでしょうか?」
「何なんだよ、お前。どこまで知っている、どこまで分かっていてものを言っている!」
大村は吠えた。あまりの形相に心配した同僚の騎士たちが近づいて来るが、しかしそれはクロードによって手で制されてすごすごと帰って行く。彼は大村に向き直った。
「何を知っているわけでもありません。ただ類推して、考えているだけですよ」
超然とした態度で、平然と会話を続けるクロードに、大村は苛立った。
「……ああ、そうだよ! 俺はあのガキが大嫌いだ!
何なんだ、あいつはッ。たまたまあいつの近くにアポロの剣があって、たまたまその力を使いこなすことが出来て、たまたま仲間が出来て、たまたま皇家の傍流で……!?
ふざけるんじゃねえよ! そんなんじゃあよ、俺がここまでやって来た意味ってのはいったい何なんだ……!?」
苛立ちまぎれに、彼は城壁を殴りつけた。その姿を、クロードはじっと見ていた。
「……『プロジェクト・エターナルガーデン』」
大村の体がビクリと震えた。今度は、驚愕によって。
「何なんだよ、お前、本当に……お前は、いったい何を知っているんだ……!?」
「いろいろと、ここに来る前に親切なお姉さんに聞いたことがありましてね」
星灯りの下で、クロードは笑った。大村には目の前の男のことが分からなかった。
(こいつはいったい何者だ?
どうして……どうして、こいつはそんなことを知っている?
こいつの存在はあまりに……危険すぎるんじゃあないのか?)
槍を持つ力が強まった。槍の先端が泡立つ。クロードは一切動じない。
「あなたの事情に、僕は少しばかり力を貸せるかもしれませんね?」
「なんだと……どういうことだ! お前は、お前はいったい、なんなんだ!」
「通りすがりの剣士ですよ。少しばかり、秘密は多いかもしれませんがね」
クロードと大村の視線が、刹那交錯する。
だが、それはクロードによって唐突に切られた。
彼は遥か彼方にある森林地帯を見て、すっと立ち上がった。緊張感が漲る。彼は持っていた杯を振り上げると、地面に向かって思い切りたたきつけた。ガラスが割れる甲高い音が辺りに鳴り響き、クロードの方に周りの騎士たちも注目した。
「どうやら平穏な時間はこれにて終わりのようですね。敵襲です、総員警戒態勢!」
クロードの声が闇の帳を切り裂いた。呆けていた騎士たち持ちを震わす音に反応し、警戒態勢を取った。地平線の彼方から、迫ってくる影があり!
「もう少し長くお話をしていたかったのですが、そうも行かないようですね」
クロードは悪戯っぽく目を細め、地平線を見た。『真天十字会』の兵団が迫る。
「さぁて、どれだけのことが出来るでしょうね……」
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グラフェン平原には『真天十字会』の兵士たちが展開していた。密集突撃陣形で蹴散らされた先の戦いの苦い経験を経て、彼らは小隊単位で活動することを覚えた。一小隊五人程度の集団になり、平原をおっかなびっくりにすすんでく。
「イライラするわねぇ。この行軍速度って、もっと早くならないのかしら?」
片目を隠したリチュエ=リポートは苛立たしげに言った。お気に入りのゴシック・ドレスにはほつれと痛みが目立つ。この世界に転移してから数カ月、ずっとこの服を使っていたせいだ。化繊で出来たこの服を修復出来る技術は、この世界にはない。
「たった一人であの城塞を落とそうってのか? ヒャッハァッ、ガッツがあるねぇ」
馬にまたがりながら、ヴェスパルが下劣な笑みを浮かべる。彼も切り落とされた左腕をマントで隠している。どうにもリチュエはヴェスパルという男が苦手だった。雰囲気といいその態度といい、ミドルスクールにいたいじめっ子を思い起こさせるものだった。
六十年代と七十年代の狭間にアメリカの片田舎でリチュエは生まれた。厳格なプロテスタント教徒の家に生まれ、彼女自身も厳しい規則の中で生まれ育ってきた。
『勤勉と勤労のみが人々に、そして神に認められる手段である』、それが両親の口癖だった。非常に保守的な家柄だったが、時代はそうではなかった。世界では反戦活動が盛んになっていた。
資本主義こそが唯一正しく、世界の警察として正しいことをしている。両親の立ち位置は終戦まで変わることがなかった。子供というのは親の言うことをトレースするものだ、リチュエは周囲にそんな立ち位置を表明した。そして、子供は自分と違うものを排斥するものだ。残念ながら、リチュエは多数派にはなれなかった。
子供同士の苛め、と侮ることなかれ。止めるものがおらず、また止める方法も分からない子供の喧嘩というものほど始末に負えないものはない。残念なことに彼女の両親は強烈な自己責任論者であり、そしてそれは家族にとっても変わらなかった。救いはない。
霊的なものに関心を持ち、不思議な言動を取っていたことも合わさって、彼女は学校で格好のいじめのターゲットとなった。それほど成績は良くなかったので、環境を変えることも出来なかった。近所の鼻つまみ者にさえ嗤われる、それが彼女だった。
彼女を慰めるのは、電波に乗ってくるアニメーションだけだった。両親は『堕落的だ』としてそれを鑑賞することを禁じ、禁を破った時にはキツイお仕置きを彼女に与えた。しかし、それが逆に彼女の心を燃え上がらせた。禁じられれば禁じられるほど、彼女はアニメーションに、魔法少女のとりこになって行った。
立派なオタク、そして不思議ちゃんとして成長した彼女が、より一層ひどい苛めを受けることになることは、言うまでもないだろうが。
歳を重ね、人間が出来上がってくると、そうした苛めはなくなって行く。ことはなかった。むしろ、体の大きさと狡猾な頭脳、そしてより明確化した社会階層を得ることによって、苛めはエスカレートしていった。歴史的撤退により、彼女たちが『敗者』になったことも大きいだろう。敗者をすくい上げてくれる優しい社会は存在しない。
思い出すのも汚らわしい。思い出そうとすると吐き気がこみ上げてきて、湿疹が全身に現れて来る。強烈なトラウマは異世界に来たとしても解消されるものではなかった。だから、なるべくリチュエは元の世界について考えないようにしていた。
だが、時々思う。この力を持ったまま、元の世界に帰ることが出来たらどうするか。
(……私を苛めて来たような連中だって、皆殺しにすることが出来るのになぁ)
もしこの力を持っていれば。
昏い予想、妄想とでも言うべきものが彼女を満たしていく。彼女は鬱屈の塊だ。幼い時から、ずっと抑圧されてきた。例えば、両親によって。例えば、日曜礼拝の牧師によって。例えば、同級生によって。例えば、時代によって。彼女にとってみれば世界の全てが敵であり、破壊すべきものに他ならないのだ。
リチュエの能力、『天気雨降り雪の日も』は放出能力に特化したタイプである。《エクスグラスパー》能力は多くの場合、身体能力や反射神経、精神の増強という形で発現するが、彼女の場合それ以外の能力はほとんど変化していない。
その代わり、放出能力としては他に類を見ないほど高い。都市一つを覆い尽くすほどの雷雲を呼び出すことなど、ほとんどの《エクスグラスパー》には出来ない。
「楽しみだなぁ、どんな顔して死んでくれるのか、なぁ……」
ヴェスパルの問いかけに、リチュエは曖昧に頷いた。唯一不得意としているのが、エネルギーの収束だ。広範囲に力を展開することが出来る反動か、一対一の戦いは比較的不得意としている。常人ならともかく、《エクスグラスパー》相手となれば尚更だ。
彼女は理解している。ヴェスパルは自分へのお目付け役として用意されたのだ、と。ヴェスパルの力、『焦滅覇動』は彼女の力の対極といってもいい。広域展開能力はそれほど高くないが、一点突破のパワーに関しては随一だ。脆弱な風の防壁など、気休めにさえならず燃やし尽くされてしまうだろう。
(もっとも……そんなパワーバランスが続くのも、今日までだろうけどね)
リチュエは自分自身に与えられた『力』を、もう一度握り締めた。持っているだけで勇気が湧いてくる。自分自身の力が増幅されて行っているのを感じる。
(私は証明する、私自身の力を。私を虐げた奴らを、この手で殺してやる……!)
森から抜ける手前で、ヴェスパルは兵士たちを制した。眼前の状況を探っている。
「この前みたいに塹壕を掘ってるわけじゃなさそうだなぁ……ったく、面倒臭ぇ」
ヴェスパルは嘆息した。穴倉に籠もっているなら好都合、自分の力で焼き尽くせるとでも考えていたのだろう。残念ながら、敵はこの前の戦いで学習をしているのだ、とリチュエは思った。自分もそうだが、ヴェスパルという男は軍を率いるのに向いていない。
眼前には小さな農村のようなものがあった。城壁の外で暮らすとは酔狂なものだが、しかしあの内側では野菜の栽培なんかに支障があるのだろう、とリチュエは納得した。吹けば吹っ飛ぶような、小さな家屋がいくつか。水を張った堀が村を取り囲むようにして設置されている。さすがに、農民がそこにいる様子はなかったが。
「これ……いったいどういうこと? ここまで無防備なんて、まるで……」
「俺たちを誘い込んでいるみたい、か? はっ、ビビッてんじゃねえよクソガキが!」
ヴェスパルは馬を引いて進んでいった。彼女は少し迷ったが、それに続いて行った。大隊を残して五個程度の小隊を率いて、三方ある村の入り口から村に入って行く。堀を越えていかなければならなので、自然と入り口は限られてくる。
「人の気配は全くない……あそこに籠もっていれば、無事に済むとでも思っているの?」
村を越えていくと、すぐにグラフェンの城門が見えた。いくつかの篝火が立っており、あそこに人がいるのは明白だ。だが、そこから出てくる様子はない。あまりに不気味。
何だか気分が悪くなってくる。クラクラとするような心地、鼻を突く様な臭いがするような気がする。いや、これはきっと幻覚だ。あの日の絶望的記憶がフラッシュバックしているのだ。リチュエは努めてそれについて考えないことにした。
「亀みたいに籠もってりゃあ、生き残れるとでも思ってんのか! ああ!?」
ヴェスパルは右手を突き出し、炎を滾らせた。火は嫌いだ。父親に暖炉の中に閉じ込められた思い出が、手の甲に煙草の火を押し付けられた思い出が、蘇ってくるから。
「無駄な努力に敬意を表して、教えてやるよ! 何の意味もねえってことをナァーッ!」
「お、お待ちくださいヴェスパル様! な、何かが、何かが妙です!」
護衛について来た兵士の一人が血相を変えていった。奇妙なことなど、いまに始まったことではないではないか。そう思ったリチュエだったが、すぐに間違いに気付いた。
チク、タク、チク、タク。そんな音が聞こえるような気がした。現実にそんな音はしていない。それは自分の漠然とした不安。直後、彼らの周囲に会った寝藁が一斉に爆発した! それだけに留まらず、燃える液体が辺りに撒き散らされる!
「なに……!? んだ、こりゃあ! ふざけてんじゃねえぞ、あぁ!?」
ヴェスパルは構わず炎を放とうとした。だが、それは何者かによって遮られた。甲高い金属と金属の衝突音が舌かと思うと、彼の指先に何かが握られていた。小さな金属塊。それが弾丸だと気付くのに、少しだけリチュエは時間を要した。
村中に無造作に設置された寝藁が次々と爆発し、炎が襲い掛かる。容赦のない炎が、彼らを熱で攻め立て、酸素を奪っていく。それだけに留まらず、飛んで来た炎が兵士たちの体を苛む。リチュエは必死になってそれをかわす。どうなっているのか分からない。
一行が理解する前に、現実は進んでいく。城塞から地を震わすような、低い咆哮が聞こえて来た。何事か。リチュエが空を見ると、炎を纏った隕石めいた物体が飛んでいた。放物線を描いて飛んで行ったそれは、本隊が待機している森に突き刺さり、炎上させた。




