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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
帝国散華
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エピローグ:得たものと失ったものと

 かつて、ここには勇壮な教会があった。いまはない。神の敵から教会を守る城塞は脆くも崩れ去り、優美なステンドグラスは一つ残らず割られ、死が撒き散らされている。この口径だけは何度見ても慣れないものだな、死体を踏み越えながら楠羽山は思った。


「まともに使える施設はほとんど残っていませんね。爆破を逃れたところの中にも、死体が詰め込まれています。この分では井戸も汚染されているのでしょうねぇ。まったく、徹底した消耗戦術です。その辺りはいっそ尊敬するしかありませんね」


 上等なダークグレーのダブルスーツに身を包んだ男が羽山の隣に並び、言った。その手には漆黒の鍵のようなものがあり、しきりに弄んでいる。その黒は単なる黒ではない、光を一切反射しない純粋な黒だ。どんな物体で出来ているのか、羽山には分からない。


「天十字。あんたの仕事はこんなところでクダを巻いていることなのか?」

「もちろん、自分に与えられた役割は分かっていますよ。ですが、足がないので」


 この男の名は天十字黒星。『真天十字会』が有する十二人の《エクスグラスパー》の一人だ。その実力から、騎士階級ではなく戦車階級を任されている。騎士が単身で敵地に突入し、撹乱する特殊工作員めいた役割を持っているのに対して、戦車は一軍を指揮する権限を任されている。名実ともに『真天十字会』の中枢戦力の一人である。


「しかし、《ナイトメアの軍勢》というのは不思議なものだ。私の世界で欲しかった」


 アルクルス島攻略戦に投入された《ナイトメアの軍勢》は、敵地を蹂躙するだけ蹂躙すると霞のようにこの世界から消えて行った。一切の痕跡を残すことさえなく、だ。あれがいったいどういう生き物なのか、羽山は測りかねていた。


(あるいは、私の常識でどうにかなるような生き物じゃないのかもしれんがな)


 考えても答えが出ない問いはある。羽山は未だに、なぜガイウスがこんな暴挙に出たのか分かっていなかった。三か月前、ガイウス領に突如として召喚された彼女は、右も左にも分からないままガイウスに保護され、『真天十字会』の一員となった。恐るべき重力操作能力を持つガイウスを、自分の能力で殺せるは思わなかったからだ。


(もっとも、いま参加している連中なんて全員そんなもんかもしれないがな)


 『真天十字会』に所属する《エクスグラスパー》は、多かれ少なかれ弱点を持つ。それは常人を相手にするときはまったく意味を成さないものだが、《エクスグラスパー》同士の戦いにおいては明確な差となって現れる。羽山の力は『僧正』や『騎士』を殺せるものだろう、だが『戦車』のように直接戦闘に長けたものとの戦いにおいては相性が悪い。『戦車』の破壊力は、ガイウスには届かない。明確な断絶が存在するのだ。


(ま、その辺考えながらあいつは配置してんだろうな。抜け目ねえ奴だし)


 そのヒエラルキーを崩す存在は、あらかじめ排除されているのだろう。


「もう少しあなたと一緒に話していたかったが、時間のようです」


 それほど話し込んだわけではないが、黒星は丁寧に頭を下げた。表面的には紳士的だが、やはり信用出来ない男だ、と羽山は思っていた。一応の礼儀として頭を下げたが。この男の笑みを見ていると、別の人間を思い出す。三石明良の笑みを。


(人を人とも思ってねえ連中の笑い顔ってのは……似るもんだな)


 その視線の意味を理解しているのか、いないのか。黒星は視線を外し、歩き出した。奥の方では『真天十字会』の兵士たちが手を振っている。血で薄汚れており、疲れ切っているようにも見えたが、その態度は溌剌としている。恐怖ゆえに。

 『真天十字会』を包み込んでいるのは、恐怖だ。《エクスグラスパー》の恐怖、《ナイトメアの軍勢》の恐怖、銃の恐怖。恐怖で仲間さえも縛りながら、あの男はいったいこの世界で何を成そうとしているのだろう。羽山はガイウスの真意を測りかねていた。


「楠様! ガイウス様がお呼びです、至急大教会まで来てほしい、と」


 悩んでいる羽山に、怯えた声が投げかけられた。自分も怯えられる側なのだな、と認識すると、途端にため息が漏れて来た。


 崩壊しかけた大教会。最後に入って来たのは羽山だった。すでにメンバーは揃っている。薄暗い教会の中において、最奥部の祭壇の辺りだけは煌々と明かりがともっている。祭壇の近く、奇妙なくぼみの中にリチュエ=リポートがいた。足場は溶けたように波打っていた。彼女の態度には、怯えがあった。怯えた女を、男が取り囲んでいる。


「さて、同志リチュエ。グランベルク城での敵前逃亡について、申し開きはあるか?」


 低く、威厳のある声でガイウスがリチュエに語り掛けた。リチュエの体がビクリ、と震える。その態度を見て、羽山に哀れみや憐憫の情が浮かんでくる。歳が近い――とは言っても十代と二十代の差があるが――リチュエと羽山とは比較的親密だった。すれ違いざまに挨拶をする、空いた時間に会話をする程度の親密さだったが。


「顔焼かれた程度で逃げ出したんだってなぁ? なっさけねえ限りだぜ!」


 壁にもたれかかったヴェスパルが、左腕で彼女のことを指さした。彼の利き腕は右手だったはず、と見えて、羽山はその理由を理解した。右側はボロ布で覆われているが、その下に手があるようには見えなかった。リチュエは反応も反論もしなかった。そうすれば彼が凶暴な犯罪者としての顔を覗かせる、と分かっていたからだ。


「お、お言葉ですが『王』よ! 私は私の仕事をしたはずですが!?」

「お前に与えられた仕事は、城に侵入してくるものを排除することだったはずだ……

 自分の仕事を自分で狭めるな。恥を知れ、小娘」


 白髪の老人が彼女をたしなめた。ボロボロの服を着ているが傷は一つもなかった。


「左様。お前が逃げ出したことによって、同志ビショップ、ローズ、コンラッドが死んだ。お前が逃げなければ生き残っていたかもしれない命だ。反省せよ」

「し、仕事を達することが出来なかったのは確かですが、しかし他にも……」

「そのようなものは、この場にはいない。分かっているのだろう、リチュエ」


 彼女の体が震えた。羽山も、そこに人がいるとは分かっていなかった。他の連中も同様だろう。いつの間にか円柱にもたれかかる一人の男がそこにはいた。カーキ色のコートを身に纏い、肩には赤色の飾り糸。胸元にはいくつものくすんだ勲章を着けている。目はほとんど閉じ掛かり、糸のようになっているが、その隙間から覗く眼光は鋭い。


「私は脱出しようとする避難民を狙撃し、なおかつ《エクスグラスパー》の足止めを行った。それにより、教会の単独戦力を討ち取ることに成功した。十分な成果だ。敵側の狙撃を受け、それ以上の成果を上げることが出来なかったのは残念ですが……」

「黒星からの念を押されたよ。あれを警戒することは不可能だったと。よって不問とす」

「恐悦至極。ありがたき幸せにございます、『王』よ」


 一時は張紅心、通称『殺し屋』(チャン)に向いていた視線が、再びリチュエに戻る。


「ヴェスパル同志は多くの敵を焼き、光龍同志は見事に戦線を撹乱して見せた。

 『女王』も己に科せられた使命を越えて活躍してもらった。

 それを踏まえてお前は、どうだ?」


 リチュエがビクリと震え、その視線がすがるようにして羽山に向かった。見ないでくれ、羽山はそう思った。自分に彼女を助ける権限は存在しない。組織のヒエラルキーに属していないということは強みにもなり、弱みにもなる。発言権はほとんどない。


「キミのせいで増えなくていい犠牲が増えた。私は死をもって償うのが妥当だと思う」

「お、お待ちください『王』よ! 何卒、何卒ご再考を――」

「そう思っていたのだが、やはり私は寛大だ。チャンスをやろう、リチュエ同志」


 リチュエが呆けたように声を上げた。その場にいた誰もが、と言った方が正しいだろうが。ガイウスは立ち上がり、その脇に置いていた杖を手に取った。

 二匹の蛇が絡み合ったような、奇妙なデザインの杖だった。持ち手に当たる部分は平べったくなっているので、特にこれを使うのに不自由はなさそうだった。不可思議な銀に路に輝く石突、グリップの部分には馬の飾りがついていた。作り自体は古そうだったが、不思議と柔そうには見えない。むしろ、どこか力を感じさせるものだった。


「この力を使い、私の目的を達してくれ。キミにはその力があると信じている」

「お、『王』よ、これは、いったい何なのですか……?」


 リチュエは震える声で『王』に問いただした。殺し屋の眉が、少し動いた。


「『王』よ、それはまさか私が発見したものではないのですか?」

「やはり覚えていたか。その通り、これはキミが私にもたらしてくれた力だ」


 ガイウスは握った杖をリチュエに向かって差し出した。彼女は恭しくそれを受け取った。不可視の力が、辺りに放出されるような、そんな気が羽山にはした。


「それこそが神の肉。凄まじき力を封じた、神代の奇跡だよ」

 リチュエは立ち上がり、軽く杖を振った。風が瞬いた。


聖遺物(レリック)、デメテールの杖。受け取りたまえ。そして成し遂げたまえ」


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 ずっと悪い夢を見ていた気がする。だから、目が覚めてからも自分が起きているという確信が持てなかった。まだ夢の中にいるのではないか。そんなことを考えてしまうくらい、ボーっとしている。俺はどれだけの間寝ていた? 上手く手足が動かない。

 『真天十字会』がアルクルス島を襲撃してきた。俺は必死に戦った。戦って、傷ついて、でも守れなかった。押し寄せる怒涛のような悪意に、俺は飲み込まれた。


「……何が失いたくないだ。何が、俺の前で誰も死なせないだ……出来てないだろ!」


 涙が俺の両目から溢れてきた。嗚咽が止めどなく漏れ出てくる。左手で目頭を押さえ、堪えようとするが、それはまったく意味を成さなかった。

 無力を思い知らされたのは何度目だ? どれだけ俺は、同じ後悔を繰り返してきた? 何度も倒れ、何度も悔やみ、結局は同じことの繰り返し。倒れる度に二度と同じことはさせまい、と決意し、そして倒れる。驚くほどの学習能力、そして力の欠如。


「勝たなきゃいけない……勝たなきゃいけないのに! 何で、何で俺はァッ……!」


 また俺は失ってしまった。また守れなかった。今度こそはと思ったのに! ほとんど失いかけた意識に、御神さんの言葉だけが残っていた。


『シドウ。強くなれ。

 いまよりも、明日よりも、未来よりも。

 常に精進を続けよ。限界を決めるな。

 限界など無視して、どこまでも突き進んで行けるのがお前の強さだ』


 買い被りだ、御神さん。ここが俺の限界点なんだ。見えないふりをしていただけだ。何でも越えられるって、そんな風に思っているふりをしていただけだ。いつだって壁にぶち当たって、見ないふりをしてその脇を通り過ぎて来ただけだ。そして、通り過ぎられないデカい壁を目の当たりにして、ボロが出た。それだけのことだったのだ。


 何気なしに、顔を右側に向けてみた。チェストの上に一振りの刀がある。『熾天』。


「御神さん……あんたが遺してくれたものを、俺は……」


 右手を刀に向かって伸ばそうとした。だが、うまく行かなかった。なぜ?

 ぐっ、と体を動かした。右手に触った感触さえない。なぜ? そのうち、俺は体勢を崩してしまった。床を手で突こうとするが、しかしうまく行かない。肩口から床に落ちた。千切れるような凄まじい痛みが走った。どうして? 俺は右腕を見た。


 そこに右腕はなかった。ただ、包帯が巻かれているだけだ。肩から先が、俺の体にはなかった。断面から血が溢れ出したのだろう、巻かれた包帯が赤黒く染まった。


「はっ……はは。ッハッハッハッハ!」


 もはや、笑うしかなかった。御神さんは言った、『未来を掴め』と。


「どんな未来を掴めるって言うんですか、御神さん。俺の腕で、どんな未来が……!」


 なくなった腕では、あなたの形見さえ掴むことが出来ないっていうのに。

止めどなく、俺の口から笑いがこぼれだしていった。涙も、嗚咽も、もはや止めることさえ出来なくなった。紫藤善一は、その日死んだも同然だった。


 空は青い。どこまでも続いていく。だけど続いていく空に、人間は辿り着けない。


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