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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
帝国散華
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誕生

 少年、花村彼方は緊張した面持ちでその部屋の前に立った。無理もない、彼はいま一人だ。普段ならばシドウやクロードと言った、彼から見れば大人が傍にいるのに。『真天十字会』の攻撃が迫ったいまとなって、彼は一人ぼっちになってしまった。

 そんな時に『帝国』騎士団長フェイバーに呼び出されたのだ。緊張しないはずがない。


「待っていましたよ、花村彼方くん。かけてください。何か飲みますか?」

「あっ、いえ。いいです。あの、それより僕はどうしてこんなところに……?」


 フェイバーの過剰なまでに丁寧な物言いに、彼方は逆に困惑した。ほんの二週間ほど前、皇城に呼び出された時はこんな歓待を受けなかったはずだ。あれから印象が改善した、とは言っても、自分は改善するようなことは何もしていないはずだ、と。


「今日、キミをここに呼び出したのは他でもない。キミ自身に関わることを話すためだ」


 彼方は促されるままにソファーに座った。体が沈むほど柔らかかった。部屋の中は彼が見たこともないほど豪華な調度品によって彩られており、どこか場違いな感触が否めない。そして、自分がそれに見覚えがある、という事実が彼の心を揺さぶった。


(僕は、一度ここに来たことがあるのか? でもいったいいつ、どこで……?)


 部屋の中を見渡してみると、更に奇妙なことがあった。天十字教の司祭がいるのだ。彼は彼方の顔をまじまじと見つめている。どこか居心地の悪さを、彼方は感じた。ああ、と司祭はどこか感嘆するように息を吐いた。たまらず、彼方は問いかけた。


「あの……僕の顔に何かついていますか? さっきから、その……」

「ああ、申し訳ない。ただ、あまりに……あまりに、不思議なことがあると……」


 司祭は涙を流していた。自分の顔を見て泣いたのだろうか、と彼方は思った。殺気から何が起こっているのか、彼にはまったく分からない。恐らく彼ら以外には分からない。


「本題に入ろう、彼方くん。私は、キミに共に戦って欲しいと思っているのだ」

「僕が、一緒に? でも、僕なんかに出来ることなんてあるんでしょうか……」

「自分の力を卑下することはない、彼方くん。キミはあの地獄の皇城でアリカ皇女を守り、『真天十字会』の包囲を突破して見せた。キミは強い、そこらの騎士よりもね」


 そう言われても、彼方の疑念は晴れなかった。自分が生きてここにいるのは、クロードと御神が三人の《エクスグラスパー》を倒してくれたこと、そして死にかけた自分をシドウが助けてくれたからに他ならない。でなければ、あの場で死んでいたかもしれない。


(あの不思議な声に死がっていたら……僕はいったいどうなっていたんだろう?)


 あれから黒髪の女性の幻影は一度も見えない。あの時、自分を助けようとしてくれたのはいったい何者なのだろう? カウラント島で自分を助けてくれたのはいったい?


「それにキミは聖遺物(レリック)の一つを持っている。万理を裂く神剣、アポロの剣を」

「! フェイバーさん、どうしてそのことを……!?」


 彼方は『帝国』の面々にアポロの剣のことを知らせてはいないはずだった。シドウやクロードも、聖遺物の悪用を恐れて話さないことにしていたはずだ。


「キミが身に着けている指輪、それは伝承に語られる『神印』だ。神と契約し、その根源たる力を受け継いだ英雄に、神はその印を与えるという。その印を持つものは、地上において神の権能、すなわち聖遺物の力を振るうことが出来ると言われている」

「この指輪に、そんな意味があったなんて……」

「私も、キミの指を見てみるまでそれには気付かなかった。そして、その印をキミが身に着けているということは、あるもう一つの意味を持ってくる」


 この印をつけている意味、それはいったい、どういうものなのだろうか。十三歳の少年に、思い当たることは何もない。フェイバーは彼の困惑を察知し、話を続けた。


「知っているか? この世界の人間には聖遺物は使えないと(・・・・・・・・・)


 彼方は声を出しかけて、そこで気付いた。かつてアルクルスの図書館で、そんな記述を見たことがある気がした。『光』は外の世界から召喚した勇者、すなわち《エクスグラスパー》に自らの根源たる力を分け与えた。この世界の人間に、ではない。そうしなかったのは、この世界の人間が根源たる力を使うことが出来ないからだ。


「そう言えば、そんなことを聞いたことがある気がします。でも、どうして……」

「それはあなたが、『光』たるものの血を引いているからです。彼方様」


 司祭は恭しく彼方に対して頭を下げた。これまでの人生で、そんな経験はなかった。


「我が主、ハインツ=イル=ヴィルカイトは大層な愛妻家として知られているが……遊説の際、一人の女性と出会った。彼は、私にその罪を打ち明けてくれた」


 何を言わんとしているのか、彼方は理解した。だが、理解をしたくなかった。


「カウラント島で出会った一人の女性と、彼は恋に落ち、そして子を成したと彼は言っていた。ほんの数度、彼はキミを連れてこの場所に来たそうだ。司祭様もご存じだ」

「あの時見た子供が、これほど立派に育っておられるとは……」


 司祭は涙を流したが、彼方にはそれを見ることが出来なかった。次々と発覚した事実が、彼方の心を激しくかき乱したからだ。父がいた? 誰が? 皇帝が?


「そ、それじゃあ、僕は……僕は、皇帝陛下の子供だって言うんですか?」

「アポロの剣をその手に取ることが出来る。それがその証明だ。例えば私が触ろうとしても、弾き飛ばされてしまうだろう。アポロの剣は、聖遺物は使い手を選ぶ武器だ」

「それじゃああいつらは、『真天十字会』は、僕の父を殺したんですか……!?」


 フェイバーは言葉には出さなかったが、頷いた。その表情には苦渋があるように、彼方には見えた。涙があふれて来る。あの時は、そんなことはなかったというのに。


「あの人が僕を見る目は優しかった……それじゃあ、あの人は僕のことを……」

「分かっていたのだろう。分かっていて、そして黙っていた。キミの存在は隠されければならないものだった」

「僕のことが、疎ましかったということですか……?」

 そうではない、とフェイバーは首を横に振った。


「陛下は自身の命を狙う者がいるということに気付いていた。誰がそうである窯では分からないようだったが……アリカ皇女に護衛をつけ、警戒を厳にしてはいたが、それでも万が一の時のことを考えていたのだろう。すべては、キミを暗殺の手から守るためだ」

「僕を、守る? どういうことですか、フェイバーさん」

「皇帝の血を引く息子が、田舎島で一人過ごしている。彼の敵は、どう考えるだろうか」


 格好の餌。そんな言葉が彼方の脳裏に浮かんで来た。アポロの剣を得たいまならばともかく、かつての自分は何の力も持たない子供に過ぎなかったのだから。


「カウラント島の人々も、キミのことを守ってくれてはいた。だが、それでも守り切れなかっただろう。キミが自分の出自を知らなかったのは、そのためだよ」


 確かに、彼方は自分の父について誰からも聞いたことがなかった。ただ、立派な人だったと聞いていた。それは、みんなの善意がもたらしたものなのだろう。


「かつてキミは、守られなければならない存在だった。だが、いまは違うだろう?」

「……受け継いだ、アポロの剣の力を使って、僕が……戦う?」

「亡き皇帝の忘れ形見、二人の姉弟の存在は、我々を大いに勇気づけるだろう」

 フェイバーは彼方の肩を掴み、そしてその目を正面から見た。


「いま、『帝国』は窮地に立たされている。希望の灯はかき消され、世界は『真天十字会』のもたらす闇に飲み込まれようとしている。それを払えるのは、キミだけだ」

「僕は……僕は、自分の力で、英雄になれるんでしょうか……?」

「なれる。キミがその力を正しく使おうと願うのならば、キミは英雄になれる」


 ずっと英雄になりたかった。誰かを助けられる人間になりたかった。今更、遅いだろうか? 父を助けられなかった剣で、本当に誰かを助けられるのだろうか?


「遅すぎるということはない。キミは、この世界を救うことが出来るのだから」

「……はい! フェイバー、さん」


 彼方はいつの間にか流れ出した涙を拭い、フェイバーの手を取った。彼は柔和な笑みでそれを受けた。司祭は涙を拭うことさえ忘れ、ただそこに立ち尽くしていた。

 少年皇は、この時誕生した。やがて、《エル=ファドレ》を治める皇の誕生である。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 『真天十字会』の勢力が、マーレン山を越えて来るのを確認した。血まみれになった伝令さんが、その一言を伝えて息絶えた。陣地を構築していた兵士たち、そして俺たちにも緊張が走った。クロードさんのアドバイスによって空堀が掘られ、木組みの柵をいくつも設置し、銃を持った兵士たちを待ち受ける準備は刻々と整って来ていた。騎士たちはこうした力仕事に向かず、避難民の中から協力者を募ることになった。

 避難の準備も進んでいた。民間人が最優先、更にアリカ皇女。飛行船の修理も、今日には終わる予定になっている。それまで敵の襲撃を防ぎきるのが俺たちの、そして騎士団の役目だ。『共和国』側には追加の飛行船をすでに依頼しており、水面下で帝共融和の政治工作が行われている。尾上さんも本国に伝令を送ったという。

 俺はアルクルス教会の庭園に立った。普段であれば人通りが多く、観光客でごった返している場所であるが、さすがにこんな状況で呑気に観光を楽しんでいる人などいない。つまり、それは俺が気兼ねなく体調を確認出来る、ということでもある。


 深呼吸を一つし、体調を確かめる。さすがに、呼吸一つで体が痛むようなことも亡くなっていた。手を伸ばし、意識を集中させる。弱々しい紫色の光が俺の腕に灯り、俺を守るラバー質の装甲が展開された。まだガントレットは構成されないが、すぐに戻るだろう。


「お疲れ様ですわ、シドウさん。ようやく体調が戻って来たみたいですね」


 教会の中からリンドが出て来た。その手には竹筒とタオルが握られている。御神さんが使っているのと同じような水筒だ。ああいうものも、一般に流通しているのか。


「ありがとう、リンド。でもお前もエリンも、あっちに行っててよかったのに」


 あっちとはもちろん避難船の方だ。この戦いは間違いなく危険なことになる。グランベルク奇襲戦の比ではない、軍隊と軍隊とがぶつかり合い、殺し合いになる。ましてや、敵の兵力は完全にこちらを上回っているのだ。敗北の可能性は濃厚だった。


「シドウさんやクロードさんたちが戦っているのです。逃げるわけにはまいりませんわ」

「俺たちの無理に、付き合ってくれなくたっていいんだぞ。お前たちには……」

 俺は続けようとしたが、リンドに制された。彼女はクスリと笑って言った。


「前にも言ったでしょう? 私たちがやりたいから、こんなことをやるんです。怖くないって言えば、ウソになります。でも、勇気をもらいましたから」


 リンドは笑った。強がりを言っているのだろう、その声は僅かに震えている気がした。それでも、彼女を止める気にはもうならなかった。強い意思は俺には曲げられない。


「それに、私たちにはサードアイやフローターキャノンがあります。役に立てますわ」

「そうだな。お前たちの力なら、あいつらとの戦争にも役に立つだろう。けど……」


 エリンやリンドは、それでいいのだろうか? 俺の勝手な感傷を押し付けているだけのような気もするが、やはり二人のような小さな子供が人殺しに手を染めるというのは……


「覚悟、なんてものが出来ているのかは分かりませんけれど……きっとそれは、向こうの人たちも同じだと思いますの。だから、きっと大丈夫ですわ」

「みんな覚悟なんて定まってなくて、それでもただ戦っているだけ、か……」

「ええ。自分が人を殺したり、逆に殺されたり……そんなことになっとく出来る人なんて、きっといませんわ。それでも、突き動かされるままに戦わなければならない時だってきっとありますわ。それは苦しくて、悲しいことですけれども……」


 誰もがクロードさんのように覚悟を決められるわけではないし、トリシャさんや尾上さんのようにトリガーを躊躇いなく引けるような訓練を受けているわけではない。誰だって同じだ、ままならない状況を受け入れて、それでももがいているんだろう。


「……この戦い、絶対生き残ろう。リンド。俺たち、全員で生き残るんだ」

「シドウさん、そういう時は『絶対に勝とう』、というのではないんですか?」

「何をどうすりゃ勝ちで、何がどうなりゃ負けなのか、俺にはよく分からねえ。こんなこと言うと戦っている人に言ったら怒られるのかもしれないけど、もしかしたら『真天十字会』の言ってることが正しくて『帝国』は間違っているのかもしれねえ」


 極論だけどな、と俺はもちろん付け加えた。どんな理由があったとしても、あいつらが行った殺戮を俺は許してはおけない。ただ、同じくらい『帝国』も信用出来ない。


「けど、価値や負けなんて所詮戦った後付いてくるものだ。だったら、それを見届けられることが俺にとっての勝ちだと思ってる。どんなに泥臭くたって、どんなに惨めだって、生き残ってその先にあるものを俺は見届けたい。だから、みんなで一緒に生き残りたい」

 それが、この世界に来て初めて俺が掴んだ答え。ただ生きる、簡単で難しいこと。


「……そうですわね、シドウさん。最後まで、一緒に生き残りましょう。みんなで」


 リンドは俺の答えに賛同してくれたのか、笑顔でそれに応えてくれた。と、そんなときもう一度教会のドアが開かれた。御神さんが出て来た。表情は暗く、悩まし気だ。


「お疲れ様です、御神さん。どうしたんですか、なにかおかしなことでも?」

「……『真天十字会』が行軍速度を速めてきているようだ。どうやら、こちらの動きを察知したようだ。今日、日が落ちるくらいには、ここは戦場になるということだ」


 御神さんは険しい顔になって、言った。陽が落ちるくらいの時刻と言えば、いまの時期ならばだいたい五時半前後だ。《エル=ファドレ》に陽は地球よりも短い。


「陣地構築もピッチを上げて進んでいるということだが、果たして間に合うかどうか」

「参ったな、避難船の修復もまだ終わってないってのに……! 最悪、あそこも戦場に」

「させないためにも我々が戦うのだ。気を引き締めろ、シドウ。何があっても守るぞ」

 御神さんは決意を秘めた目で、俺を見た。その通りだ、弱気になってはいけない。


「御神さん、こんな時になんなんですけど、ちょっと稽古つけてくれませんか?」

「む? 拙者も体をほぐしたい故、問題はないが……どうしたのだ、シドウ?」

「なんてことはありません。けど、じっとしていたくない。じっとしてられないんです」


 生身の腕でフォトンレイバーを持つ。剣は重く、俺の手では普通に振ることが出来ない。変身をしてようやく持てるようになる、というような代物なのだ。


「強くなりたい。肉体的にも、精神的にも。だから止まってられないんです」

 言葉にはしきれない俺の気持ちを、御神さんは汲んでくれたようだった。自分も腰に差した『日輪』を抜き、構える。恐らくは、一刀流である俺に合わせてくれたのだろう。

「戦闘前のウォーミングアップと思うなよ、シドウ。本気で打って来い!」

「そっちこそ、俺の剣技を見てビビらないで下さいよ! イヤーッ!」


 刃引きされた刃を振り上げ、俺は突っ込んで行った。結論は言うまでもないだろう、俺と御神さんの立ち合いは〇-五で圧倒的に御神さんが勝っていた。御神さんは剣を振るう時に癖が出ること、重心が安定していないこと、インパクトの瞬間に目をそらしてしまうことなどを指摘してくれた。短く、濃密な時間が過ぎていった。


 ともかく、事態は俺のどうしようもないところで進展していた。『真天十字会』の信仰を止めることは出来なかったし、ここで起こっていたことの何も俺には分からなかった。もし、知っていたとして、この流れを止めることが出来たとは俺には思えない。

 事態は進展していき、やがてその時は訪れたのだ。


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