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最弱英雄の転生戦記  作者: 小夏雅彦
帝国散華
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それぞれの思い

 ここからアルクルスは百キロの地点にある。元の世界ならば日帰りの範囲だな、そう『真天十字会』、『女王』位階の少女、楠羽山は思った。数日間にも及ぶ行軍もそうだが、それよりも下卑た笑みを浮かべるゴロツキどもと同衾というのが気に入らない。ニヤニヤと睨まれたのは一度や二度ではない。もはや反応するのも鬱陶しかった。


「チッ。大事な時だってのに、大将は何をしてやがるのか……」


 大事な、と言ったが羽山はアルクルス攻略戦についての情報をほとんど知らされていなかった。彼女は名目上『真天十字会』においては『王』ガイウスに次ぐ地位を持っているが、それが実際的なものでないことは誰もが知るところにあった。

 『真天十字会』は『王』をトップとするピラミッド型組織だ。それほど厳密な指揮系統が敷かれているわけではないが、上位者に下位者は絶対服従、という不文律が存在する。その不文律から逸脱した存在が羽山、というわけだ。誰も彼女の命令を聞かないが、彼女もほとんど命令を聞いてはくれない。そのわずかな例外が『王』の勅命だ。

 向こう側の世界から持ち込んだ銃火器の製造技術と、それによって作り上げた兵団。そして《エクスグラスパー》の力を持って既得権益層を打破し、新世界を作り上げる。なるほど、お題目は立派だがその前途は多難であるように羽山には思えていた。


 そもそも、鳴り物入りで戦線に投入した《エクスグラスパー》四人が初戦で戦死している。彼らがしたのは『帝国』首都で多少騎士たちを蹴散らした程度で、期待していたほどの戦果を挙げているとは言い難い。《エクスグラスパー》の利点は傑出した個の力を持ってして戦線を突破出来ることにあり、彼らの力は本格的な交戦まで温存されるべきだった。極論を言えば、《エクスグラスパー》の命は他の命よりも遥かに重い。


(貴重な特記戦力である《エクスグラスパー》を消耗して、ホントに勝てんのかね)


 羽山にとって『真天十字会』はそれほど愛着のある組織ではない。この世界に来て初めて会ったのが彼らである、というだけで、むしろ彼らの思想にも行動にも嫌悪感を抱いているという方が正しい。極端な人間至上主義と亞人蔑視には辟易する。


「お疲れのようですね、『女王』。コーヒーなど淹れましたが、いかがですか?」


 羽山はビクリと震えた。知らない間に思考のループに陥っていたのだと気付いた。いかに《エクスグラスパー》といえど無防備なところに弾丸を食らえば、死ぬ。今自分は市の一歩手前にいた。自覚しながら、羽山は厳しい視線を男に投げつけた。


「三石……一仕事終えてきた後だっていうのに、元気そうじゃないか」


 三石明良は『真天十字会』の位階の中でも最下位に属する『兵』の人間だ。それは彼が《エクスグラスパー》であることを考えれば、あまりに低すぎる位置にいると言ってもいいだろう。三石自身が何も不満を言わないため、何の問題にもなっていないが。

 彼は先のグランベルク城攻略戦に参加し、指揮系統破壊に大きく貢献したと言われている。今回の作戦でも斥候を買って出て、『帝国』残存兵力が放った斥候を狩っている。先ほど出撃していったはずだが、彼はもう仕事を終わらせているようだった。


「元気なだけが取り柄ですからね、僕は。砂糖ありとなし、どちらがいいです?」

「……砂糖がない方だ」


 三石は不自然なほど明るい笑顔を羽山に向けて来た。彼女はそれが苦手だった、張り付いたような彼の笑みが。コーヒーを受け取った瞬間、殺されないだろうかと思ってしまう。それくらい、三石は次に何をするのか予想がつかない男なのだ。


「簡単なお仕事です。あんまり苦労することがなくて、拍子抜けしてしまうくらいです」

「……その簡単なお仕事で、何人死んでいると思ってるんだよ。お前は」


 『帝国』軍斥候は非常に練度が高く、発見することでさえ容易ではない。よしんば発見できたとしてもそれが誘いである場合もあり、誘い殺されるものも少なくはなかった。そもそもあのゴロツキどもがまともに斥候をこなせないからこそ、三石にお鉢が回って来たのだ。ゴロツキどもの間では、三石は神か何かのように崇拝されている。


「出来ない人を助けるのが組織ってものでしょう? すべきことをしているだけだ」

 三石自身は何も気にしていないような顔をしている。羽山は彼の真意を測りあぐねた。


(こいつはいったいどういう男なんだか……見ていて全然わからん)

 羽山は少し三石のことを考えたが、頭を振った。考えても分からない。


「明日の朝方には連中の領地につく。そうなったら、また交戦になるんだろうな」

「今度は、もっと面白い人が出てきてくれるといいですね」


 楽しい。三石にとってこの殺戮劇は楽しいことなのか、と羽山は発見した。道理で、この男とは話が合わないと思っていた。羽山は楽しいと思ったことがなかった。


「だなァ! この世界の連中は骨ってもんがねえ……つまらねえんだよ!」


 いきなり、だみ声の男が会話に割り込んできた。羽山は疎まし気に視線を上げた。そこにいるのは薄緑色の髪をした男、ヴェスパル=ゼアノートがいた。羽山も数度しか話したことがなかったが、強力な火炎を操る典型的な攻撃型エクスグラスパーだ。人が焼け焦げて死ぬのに性的なエクスタシーを感じるという狂人である。同時に、戦闘による興奮と痛みによる精神の高揚を性的な高揚感と錯誤する性癖があるという。


「お疲れさま、ヴェスパルさん。最後焼けなかったんだって? 残念だったね」

「ああ! だがあそこで焼けなかった連中もこっちに来ているんだ……楽しみだぜ! あそこで焼けなかったからって落ち込んじゃいねえよ、こっちで焼けばいいんだ!」


 ヴェスパルはサメのように歯を剥きだしにして笑った。彼の歯はすべて乱杭歯のようになっている。未来の整形技術によって手に入れた『実践的で威圧的な外見』らしい。確かに、気の弱い人間が見ればこれだけで失禁してしまうほど恐ろしい姿をしている。


「それになぁ……向こうの世界でも焼けなかった奴が、こっちに来てるんだ。これは運命だぜ、マジで。俺がトーチを立てるのは向こうではない、こちらだったんだ。これは啓示だぜ、マジで。こっちの世界に来ることは運命によって決まっていたんだ」


 ヴェスパルは恍惚とした表情で天を仰ぎ、両手を広げた。その左腕は銀色の金属によって作られている。未来の技術で作られたという、鋼鉄製の義手なのだという。羽山が暮らしていた世界では、機械式の義手というのはもっと無骨で、不格好なものだった。しかも実用性はほとんど皆無で、まだ実験段階を過ぎていなかったように思った。


「俺が焼いて、爺さんが撹乱する。残念だったな、手前らの仕事はもう残っちゃいねえ」

「僕たちは僕たちで仕事探します。気にしないで下さいね、ヴェスパルさん」


 ヴェスパルの皮肉気な言葉の意味に気付いているのか、いないのか、三石はそんな返しをした。ヴェスパルは一つ、舌打ちをしてテントへと戻っていった。ほとんどの人間は雑魚寝をしているが、《エクスグラスパー》にだけはきちんとした寝床が用意される。


「明日は早いからね。僕たちも早く寝ないといけないね、羽山さん」

「ん、あ、ああ。そうだな、さっさと寝ねえとな……」


 羽山はぶっきらぼうに答えながら、まだ迷っていた。アルクルスに住まう人々は、極論を言えば彼女にはまったく関係がない。そんな人々がどれだけ死のうが、彼女には関係はない。理屈の上で言えばそうだ。だが、彼女は納得しきれないでいた。


「……なあ、三石。あんたはこれからやることについて……納得しているのか?」


 聞く相手を間違えたかな、と思いながら、羽山は三石に質問した。三石は一瞬、きょんとした表情を浮かべた。だがすぐにいつもの、胡散臭い笑みに戻っていった。


「大丈夫だよ、羽山さん。あなたが感じているのは、ただのまやかしだから」

「まや、かし? 何を、言ってるんだ。三石?」


「羽山さんはこう考えているんでしょう? 『アルクルス島には関係のない人もたくさんいる。そんな人々を傷つけるなんてなんて罪深いことなんだろう』、って。でもそんなこと、気にする意味ないよ。だって関係のないことなんだもん」

 いつの間にか、三石は羽山の鼻先のあたりまで来ていた。

「関係、ない?」


「だって可哀想だって思うってことは自分の気持ちは決まってるってことじゃないか。|慰めているのは他人じゃなくて自分自身だ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、そうなんだろう? 『こんなに悪いと思っているんだから悪いことをしても許してちょうだい』って、そう思っているってことだろう? だったら迷うことなんてないよ。そんなに悪いと思っているんだから、こんなにどうしようもない状況にあるんだから、仕方ないよ。キミは悪くない。悪いのは全部この状況なんだからさ」


 羽山は声が出なかった。どうすれば、この男は、こんな露悪的なことが考えられる?


「さて! 明日も早いしそろそろ休むことにしようかな! 羽山さんも早く休んだ方がいいよ、悩み過ぎと寝なさ過ぎは健康と美容と幸運の敵だからね!」


 三石はパッ、と笑顔を作り、反転。《エクスグラスパー》用に用意されたテントに向かって行った。羽山は改めて、質問する相手を間違えたなと思った。


◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 庭園の庭石に腰かけ、俺はぼんやりとあたりの風景を見ていた。赤く燃える夕焼けが、帝都の方角に落ちていくのが見えた。


「こんなところで何してんのよ、あんた。ちょっとは手を動かしなさいよ?」


 横合いから声がかけられたかと思うと、頬に冷たい感触があった。金属製のマグカップが俺の頬に押し付けられたのだ。情けない悲鳴を上げそうになったが、なんとか自分を押し止める。まったく、何でこいつはこういうことが好きなのだ。


「お前こそこんなところで何してんだよ。もっと安全なところにいた方がいいだろ」


 そこに立っていたのは、アリカ皇女だった。城から逃げ出してきた時には白のドレスを着ていたが、いまは動きやすいワンピーススタイルの服を着ている。色合いも地味で、装飾もほとんどない。じっくり見なければ彼女が皇女だとは気付かれないだろう。万が一の際、彼女が逃げ出せるようにしているのだろう。


「変なのが襲ってきても、あんたが守ってくれるんでしょ?」

「評価してくれるのはありがたいけどな。この前みたいなラッキーはそうないさ」


 ため息を吐き、彼女が差し出して来たカップを受け取った。立ちっぱなしにさせるのもなんなので、立ち上がろうとしたが制された。彼女は俺の隣に座った。


「まだお礼が言えてなかったけど……ありがとね、シドウ。あんたがあそこに来てくれなかったら、あたしはあの時あそこで死んでいたかもしれないから……」

「……いいよ。別に、お前のためだけにやったわけじゃないからさ」


 彼方くん、アリカ、ヴィルカイト皇帝。あの場にいた誰もを、俺は助けたかった。だが、結果として助けられのは二人だけだ。自分の無力さが恨めしい。どうしてあそこで死ななければならなかった? あのガイウスという男の欲望のために?


「落ち込まないでよ、シドウ。お父様のことは残念だったけど、さ」

「最後にあの人は、キミたちに何かを言っていたか……?」


 思い出させることになるかもしれない。だけど、それを聞きたかった。あの人は最後に何を願い、何を思ったのか。あの人の遺志は、きっとこの世界から消えていいものじゃない。アリカは少しためらうような仕草をしたが、やがて意を決して語り出してくれた。


「あたしと彼方を、こんな風に抱きしめてね。『これからお前たちには、想像もつかないような困難が降りかかってくるだろう。押し潰されそうになることがあるだろう。逃げ出したくなることがあるだろう。けれども、これだけは覚えておいてくれ。キミたちのことを愛してくれる人がいる。キミたちにも思う人がいる。彼らのために、己が成すべきことを成せ。それがこの国を、ひいては《エル=ファドレ》を救うことになるだろう』って」


 そこで言葉を切って、アリカは空を仰ぎ見た。清々したような顔で。


「『お前のことを愛していた。お前をすべての残酷から守りたかった。けれどもそれは叶わない。せめて祈ろう、お前の前途に光があらんことを』、とも言っていたわね……」

「……そっか、あの人は……最後に言えたんだな。お前に、愛してるって」

「最後に言ってくれなくたって、よかったのに。もっと、別の時に……ちゃんと、ちゃんと、あたしだって言いたかったよ……あなたのことを、愛してるって、あたしも……!」


 押さえ込んでた感情が、涙となって溢れ出して来た。俺は彼女の体を抱き留め、その嗚咽が外に漏れないようにした。きっと気丈な彼女は、気遣われることを嫌うだろうから。少女の体が小刻みに震えた。それが止まるまで、俺はそうしていた。


(こんな小さな子供の願いを踏みにじって……その先に目指す世界ってのは、いったいなんなんだ? ええ、ガイウスさんよぉ……)


 俺の中で確かな怒りが醸成されて行くのを感じた。あの時見た、ガイウスの瞳。人のことを見てさえいなかった瞳。他人を見下しきったクソ野郎の瞳。自分の嫌うものが、この世界に存在していることさえ許せないと、そう主張している目。


(あの時は、俺はお前に何も出来なかった。でも、必ず……今度こそ)


 彼女をこんな目に遭わせたガイウスが許せない。不幸を撒き散らすあの男の存在が許せない。例えそれが間違っていたとしても、俺にとってはそれが真実だった。


 一分間も彼女は泣いていなかっただろう。俺の体を押し退け、涙を拭った。瞼が赤くなっていなければ、彼女が泣いていたことなど誰も気付きはしないだろう。


「ごめん、シドウ。恥ずかしいところ、見せちゃってさ……」

「人を思って涙を流すことの、どこが恥ずかしいんだよ。父親がなくなって、それで平然としてるって、俺にはそっちの方が信じられねえよ。いいんだよ、泣けるときは泣いて」

「……ありがと、泣きたくなった時はまたあんたの服貸してよね」

「おめー、俺の服をハンカチか何かと勘違いしてんじゃねえのか?」


 涙でぐしょぐしょになった服をつまみ、アリカに見せつけた。さっきまでの悲壮な雰囲気とは一転して、彼女は笑った。その笑顔を見て、俺も嬉しくなって笑った。ほんの少しでも、俺は彼女の心を覆っていた闇を払うことが出来たのだろうか?


「……あたしさ、この後ここを離れることになってるの。いま修理している飛行船が動くようになったら、すぐに『共和国』まで送られることになってるんだってさ」

「よかったじゃねえか、いち早く危険なところから抜けられんだからさ」

「よくないよ! ここじゃまだ戦っている人が大勢いるんだよ? その人たちを見捨てて、あたしたちだけで安全なところに行くなんて……あたしには納得できない!」


 大人たちには言えなかった不満を、俺にぶちまけているようだった。彼女もそのことは分かっているのか、どこか後ろめたさを感じているような表情をしていた。


「気持ちはわからないでもないけど、さ。ここにいたって出来ることねえだろ?」

「そりゃ、そうだけど……でも、あたしが納得出来ないんだよ!」

「キミがこんなところから早く逃げだしてくれるだけで、安心できる人がいるんだ」


 俺も含めて、そう思っている人は多いだろうと信じたかった。


「己が成すべきことを成せ、ってお父様は言っていたわ。あたしが成すべきことって、仇から背を向けてここから逃げることなの? そんなのってないでしょ……」


 この子はまじめで、それだけに痛々しかった。父の言葉を呪いにしてしまっている。


「いいんだよ、逃げられる時は逃げて。人生ってのは一回きりだけど、人生の勝負は一回だけじゃないんだぜ? その決意は次に取っとけ。逃げられないってのは――悲惨だ」

「何よ、それ」

「これも俺の知り合いの話さ。逃げられないって自分を追い込み過ぎて、失敗して、挙句そいつはそのまま命を断っちまった。自分の手で。何の相談もなかったなぁ……」


 いま思えば、あいつにだって逃げ道はあったはずなのだ。けれども、あいつにはなかった。自分で自分を追い込み、自分から逃げ道を塞いでいたのだ。


「逃げ道があるってことは、まだ選択肢があるってことだ。たった一つの道にだけに目を取られて、そっちを見ないなんてことはしないでくれ。まだ可能性は残ってるさ」

「ここで逃げることが……あいつらに一泡吹かせることに繋がるっていうの?」

「ああ。そん時は俺にもやらせてくれ。あいつらに食らわせたいのはお前だけじゃない」


 俺はアリカの前に拳を置いた。彼女はきょとんとした顔でそれを見ている。


「一緒に戦おうぜ、アリカ。戦って、未来を掴み取ろう。あいつらがそれを嘲笑うって言うなら、ぶん殴ってでも未来への道を掴む。それが俺たちのやるべきことだ」

「……そうね。あたしはこんなところで、立ち止まってなんかいられないものね」


 アリカはようやく俺のやろうとしていることを理解したのだろう。拳を作り、それを俺の拳に重ねて来た。弱くて、小さくて、頼りない手。俺が守るべきもの。


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