世界最強の剣客
目の前に現れた男に対して、エルヴァは狼狽したのだろう。何もない空間を彼女は薙いだ。何をしているのか、と俺は思ったが、クロードと名乗った男も身を捻った。
「やはり不可思議な術を使いますね。遠当て、とでもいうのでしょうかね?」
「チィッ! お前……どうして!」
エルヴァは気が狂ったように剣を振るった。クロードは腰を低く落とし、刀を構えながら、弾丸のような速さでエルヴァに向かって駆けていく。クロードは移動しながら小刻みに刀を振る。すると、まるで金属がこすれ合うような音が何度も聞こえて来た。
「な、なんだ? どっかで俺たちと同じように、戦ってるのか?」
「いえ、違います。あれがエルヴァ姉さんの剣、デジョンブレードの力なんです」
たしかに、音は前から聞こえてきている気がする。だが、そんなことがありえるのか? エルヴァとクロードの距離は、まだ五メートルほど離れている。当然、剣の間合いじゃあない。それでも、エルヴァは必死になって剣を振っている。
「姉さんの剣は、距離に関係なく届くんです。あの人が望んだ場所、どこまでも」
「オイオイ……そんなこと、あるわけねえだろ……」
「正確には、刀身上の距離を縮めて斬撃を運ぶんです。避けられないはずなのに……」
さっぱり訳は分からない。だが、このファンタジー世界では確かに存在することなのだろう。いずれにしろ、立ち入っていられない領域のように思えた。あんなところに飛び込んで行けば、俺など一瞬にしてなます切りになってしまうだろう。情けない話だが。
クロードは五メートル以上あったエルヴァとの距離を詰めた。舌打ちし、エルヴァはクロードを待ち受けた。クロードは刀を腰だめに構え、放った。
情けない話だが、放つ瞬間が俺には見えなかった。気が付いたらクロードの刀とエルヴァの剣がぶつかっていた。
「思ったより重い剣ですね。やはり、真正面から受け止めることは出来ませんか」
「何だか知らないけど、舐めんじゃないよ!」
エルヴァは怒りに顔を歪め、両手で剣をしっかりと握り込んだ。そして、力いっぱい横薙ぎに振り払う。パワフルだがコンパクトな一撃を食らうことを嫌い、クロードはバックステップで距離を取った。好機を見て、エルヴァは更に押し込んだ。
巨大で、重みのある剣を、エルヴァはあの細身で操り切っている。まるで、あれ自体が体の一部であるかのようだ。クロードは小刻みなステップで攻撃を避けるが、反撃の機会を掴めないのだろう。後退し続け、徐々に森に向かって追い込まれて行く。
そして、ついに彼は追い詰められた。背後には巨木。目の前にはエルヴァ。回避は困難。
「これで止めだ、食らえ!」
エルヴァは必殺の一撃を放とうとする。クロードは、冷静にそれを見据えているように見えた。どうする、このままでは殺される。だが俺の心配は無用だった。
いつの間にか、刀は鞘に納められていた。半歩、身を引く。腰を捻り、必殺の一撃を紙一重でかわす。そして、解き放つ。銀線が閃いたようにしか、俺には見えなかった。エルヴァの右手から、鮮血が舞ったのが見えた。呻きを上げ、今度は彼女が引いて行く。
「くっ……お前ッ……! 遊んでんのか……!?」
「とんでもありません。現状ではこうするのが一番いいんじゃないかと思っただけです」
クロードの一撃は、エルヴァの右腕を薄く切り裂いていた。
見た目より派手に出血、エルヴァは痛みに顔をしかめる。
剣を掴んでいることも出来なくなったのか、だらりと右腕が垂れた。
「片手を奪った程度で、私に勝てると思っているのか! バカにするな!」
エルヴァは左手一本で剣を持ち上げて見せた。あからさまに辛そうだが、しかし闘志は萎えていないように見えた。リンドはその様子を冷静に観察していた。
恐らく、介入したくても出来ないのだろう。リンドはさっきの一撃をあっさりと避けられている。もし、もう一度避けられたら? その恐怖が、彼女には渦巻いている。
「エルヴァ、二人で仕掛けましょう。私たち二人ならば、きっと……」
「! 危ない、リンド! 避けろ!」
えっ、という小さな、彼女の素の声が聞こえて来た。エルヴァは舌打ちし、剣を盾のように突き出して彼女の前に立ち塞がった。直後、甲高い金属音が轟いた。
「狙撃!? まさか、仲間がいましたの!」
「やだなあ、僕が一人だけなんて誰も言ってないじゃないですか?」
リンドは悔し気に顔を歪ませ、光を森の中に向かって放った。炸裂音がするが、しかし悲鳴は聞こえてこない。姿も見えない相手を狙っているのだ、当然だろう。
「さて、スナイパーと僕を相手に、まだやりますか? それならいいですけど」
「舐めるな! あんたたちなんぞ、あたしの剣で倒してやるッ!」
「止めなさい、エルヴァ! ここは退くのです、不確定要素が多すぎる……!」
エルヴァは交戦を訴えたが、しかしリンドはそれを許さなかった。大人びているのはエルヴァの方だが、リーダーというか、長女的な役割を持っているのは彼女なのだろう。最後に一度、リンドはエリンの方を、寂しげな目で見た。
「エリン……本当に、帰って来てはくれないのですか?」
「ごめん、姉さん。姉さんが嫌いなわけじゃない。それだけは、信じてほしいんだ」
エリンもまた、寂しげな目と声色で彼女の質問に答えた。それでも、意思は固い。
「けど……あの男の奴隷として、使い潰されるくらいなら……ボクは、自由に死にたい」
……奴隷? そんな俺の疑問を無視して、話は進んで行った。
「……そう、残念ですわ。エリン。行きましょう、エルヴァ……」
エルヴァは舌打ちし、背後に剣を振るった。
二人は振り返った瞬間、消えた。
「あれも、デジョンブレードの効果だと思います。目的地に戻るとか、そんな」
クロードはため息を一つして、刀を鞘に戻した。
「縮地とか、そういうものでしょうかね? まったく、人生は面白くて仕方がない」
「あの、助けてくれてありがとうございます。あなたは、いったい……?」
俺は変身を解除し、一応目の前に現れた胡散臭い男に礼を言った。
「いえいえ、困っている時はお互い様ですよ。ちなみに僕は現在困っているんですが」
まったくもって胡散臭い男だった。だが、命を救ってくれた恩人でもある。俺がこの胡散臭い恩人への対処に困っていると、森から銀髪黒服の女性が歩いて来た。
「どうやら、事態の収拾は計れたようだな。で? 現状の改善は出来そうなのか?」
「はて? 現状の改善? 果たしてそれは、どういうことでしたっけか?」
「それが! 本題だっただろうが! この! 阿呆!
いいか、私たちが行く先も分からず森で迷っていたのは確かなんだぞ!
それを貴様、人を見つけたからあの人に聞けばいいでしょう、なんて言って出て行って、その結果どうなった! コラッ!」
「はっはっは、いやですねえトリシャさん。見ていたんだから分かるでしょう?」
「分かったからこそ、貴様に腹が立ってくるんだよ……!」
トリシャ、と呼ばれた黒服銀髪の女性はクロードの両頬をつまみ、引っ張った。まるで子供の喧嘩だ。いい歳した大人がやっていることとはとても思えなかった。
「あ、あの、助けてくれてありがとうございます。クロード、さん?」
「ふぇ? ああ、そんなことは気にしなくていいんですよ。当然のことをしたまでです」
クロードは『当然のこと』というが、来た途端ゴブリンに襲われ、街道に出た途端に山賊に襲われ、撃退したと思ったら少女に襲われたいまとなっては当然が揺らいでいた。
「まあ、僕たちも下心あってのことですから。気にしないで下さいよ」
下心、と聞いて、俺たちがいま持っている金を狙っているのではないか、と俺は思った。思わず構えを取る俺を見て、クロードは笑いながら言った。
「いえいえ、大したことじゃあないんです。ただ、どこかに休めるところはないかと」
そう言いながら、クロードは大きく腹の虫を鳴らした。